Open Source只(ただ)乗り批判に違和感を感じることがしばしばあります。
Open Sourceを利用している人に、幅広く寄付を依頼したり、
Open Sourceを商用利用している人に、強く寄付を要請する活動をしてきました。
個人的な経験で言えば、約半分の方々が、寄付に応じてくださっています。
Open Source全般ではどうだかは存じ上げません。
自分が必要だと思う、Open Sourceについての話です。
GCC
GCCの配布、勉強会、利用した事業などに参加してきて、重要な技術者がいる組織が、すごい金額を寄付されていることを知る機会がありました。
ああ、こういう組織が寄付してくださるから、事業が成り立っているんだなという納得感がありました。
細かいことを言うのではなく、大口寄付を組織することと、小口寄付を幅広く集めることが大事だとわかりました。
最初は、ほんの少しの寄付でよく、利益が出てきたら、税金払うより寄付するのが得だと言うことを説明していけばいいのだと。
Gnu is not Unixのステッカを販売し、Gnu Foundationに寄付するお手伝いなどもしたような気がする。
Linux
GCC同様、ステッカーを販売し、その売り上げをLinux Foundationに贈るという活動に参加していたような気がする。
LinuxもGCCと同様に、大口寄付をしてくださる組織があり、自分たちとしては、小口寄付を集めればいいのだと役割分担を認識していたことも関係あるかもしれません。
相手が、出せるお金を出してもらうことに集中し、出すか出さないかを天秤にかけてはいけないことが大切です。
只乗り批判をするなんて、まったく逆行だと思ったこともあります。
せっかく、少額を寄付しようかなって考えている時に、批判されたら手が止まるだけの人が、かなりの割合いることに気がついているでしょうか。
市場を幅広く眺めると、只乗り批判をすれば金を払う人もいるかもしれないことは想像がつきます。
課題は、只乗り批判をする労力に、それが見合っているかどうかです。
只乗り批判をしなければ、払ったかもしれない額と、只乗り批判をするための労力とを合切した金額を、只乗り批判をしたことによって集めたのであれば、それはそれで社会的な役割を果たしたと思います。
なので、只乗り批判をすることが悪いと思っている訳ではありません。
誰に只乗り批判をすることに、価値があるか、市場を眺めて分布を捉え、焦点をしぼっているかどうかが大事です。
自分が目撃した只乗り批判のほとんどが、その批判している時間があったら、その時間ソースコードを書いているか、試験をするか、別の働きをして自分で寄付するか、どれかの方が価値があるんじゃないかなと違和感を感じたことがあるっていうことの記録です。
一番嫌なのは、オープンソースに関わっている人同士で、相手が只乗りだと批判する事象です。オープンソースは社会現象ですから、どのオープンソースにどう貢献すると、他のオープンソースによい影響を与えるかどうかは、そんなにうまく見積れるものではないというのが経験則です。自分の参加していないオープンソースのプロジェクトへの貢献が、自分の参加しているオープンソースにいい影響があるかもしれないと、すべてのオープンソース事業への尊敬の眼差しを送っていることが、大事かもしれないなって気がします。
とにかく、自分が参加しているオープンソースに貢献していれば、只乗り批判をしている暇はないかなっていう状況かもしれません。
大口寄付の集め方については、貢献したことのある方の経験談があれば、集めてみようかなって思います。
参考資料
Linux
Linux Advent Calendar 2021
https://qiita.com/advent-calendar/2021/linux
14日目参加記事
Linux いろいろ
https://qiita.com/kaizen_nagoya/items/9f286daa1d093262ed38
BSD
FreeBSD Advent Calendar 2021
https://qiita.com/advent-calendar/2021/freebsd
13日目参加記事
ネットワーク ReferenceとしてのBSD
https://qiita.com/kaizen_nagoya/items/14fba711d42fd8b5db4c
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