3 月になりました。うちの 6 才児が今月で保育園を卒園します。毎週 月・金 はお迎えに行き、火・水・木は預けに行くという夫との分担でどうにかこなしてきました。
私と保育園と IT エンジニア職
2016.12 から続いた保育園とともに過ごした生活が終わります。第一子、第二子と共に保育園落ちた(略) の頃からコロナを経て今に至るため、8 年を超えます。何の役にも立たないかもしれないが自分にお疲れの気持ちも込めて振り返ってみました。
図: 今よりほっぺたがぷくぷくの頃に落書きしたと思われる何かが出てきて当時でも予想を超えてた様子
先に結論
何かあれば仕事中でも抜けさせてもらったり、休ませてもらったりしながらやってきました。
それができたのは結局私の周りの IT 業界のエンジニア職で、男女問わず、子育てに理解のある同僚が多いからだと思います。育休にも産休にも理解が深い。そうじゃなきゃキャリアをあきらめざるを得なかった状況も分かる。同志のみんな有難うございます、これからもよろしくお願いします。苦労の多い境遇は多かれど、だからこそ IT で解決できることも多いと思う、それを工夫して世の中をけん引するのが私達の職業の理想的なところだと思います。その挑戦は小学校に行ってからも、さらにその先も続くのである...
ということで、最近推している取り組みを宣伝がてら貼っておきます。
Code; Without Barriers ー日本のウェブサイト
2016 年 12 月
2016 年 8 月生まれの第一子を職場の託児所に預けはじめました。当時職場に託児所を作るとのことで 2017 年 1 月本稼働だったのを、パイロットユーザーとの名目で 12 月から預けさせてもらった形。生後 5 か月目の子を預けるのも、5 か月目の子を当時は当たり前だった朝ラッシュと共に職場に連れて行くのも今考えるとなかなかすごい。
当時お仕事はフルフレックスだったので勝手に在社時間を 9:00-16:00 頃と自分で決めてやりくりしていました。お上からは「フルフレックスなので同じ成果を求めますよ」みたいなルールだった気がするが、うっせえ余計な一言だ、わかってますよとスルーしたようなしなかったような笑。貸与 PC を借りて在宅で残りの業務をしたい、と考えるのが自然だが、当時対外の仕事ではない内勤開発職が在宅用の PC 貸与を受けるというケースがほぼ無かったため、それを説得するのが一仕事でした。結局そのルールのもと家でやれる仕事に絞って持ち帰ってその後持って行くみたいなグレーなことをしていたと思いますすみません。
職場で授乳やら
託児所が職場にあることはかなり自分としては有難く、授乳期も数時間ごとに託児所ルームに通って授乳していました。私の職種も PC に向かっていればできる仕事であることが良かった。チームの理解のあることも良かった。つまりは職場理解が良かった。運の要素が大きいが本当にありがたかったです。
当然のように子どもがお熱だ、調子がわるい、等という連絡もある。ただその場合も社内徒歩 0 分、同じフロアを行き来するだけで子に会える。先生も職場の理解にものすごく長けている。安心でした。実はそのころのことが記事になっています。
「ワークスアプリケーションズ」が社内に託児スペースを設ける理由 連載|未来への挑戦者たち11|ヒルズライフ HILLS LIFE
図: 子が描いた人魚姫の「アリエル」は GitHub のアカウントの背景にしている。
ともかく良い環境でした。
2018 年 8 月頃
2 年弱第一子を連れて通勤していたが、もう 2 才の子はそろそろ抱っこ紐では耐えられない。自宅から近場の保育園を探しました。見学すると多種多様。先生とのやりとりが全て手書きノートかあ、みたいなのでもちょっと憂鬱になります。見学も土日に行きながら、結局認可外のちょっとこじゃれた (逆に言うとお値段高め) 保育園がたまたま空いていそうということで、待ち行列に入れることになりました。そしてこれも全くもってただの運だが、次の月から通えるとの連絡をいただく。
この頃すでに第二子を妊娠していて、予定は秋。身重で保活と仕事と自分のケアと良く生きていたなとおもいます。これもまだコロナ前の話。その後私は切迫早産になるのです...。
第二子切迫早産
生まれて初めて長期入院 (1か月半ほど) しました。高額医療費よ…。記録がここにあります。切迫日記|やまだ/開発
とりあえず事なきを得て無事に出産。記録はあまり世の中の参考にならないことを祈ります。一方敢えて良かったこととしては、この頃私がずっと家にいられなかったということなので第一子はおとーさんとも仲良くなれました。夫も同業なのでこれもこの業界のおかげ。
2019 年 4 月
第二子の育休明け。またしても生後 6 か月目を職場の託児所に預ける。職場託児所健在。第一子と同じスキームで、社内徒歩 0 分、同じフロアを行き来して授乳していました。第一子と第二子が違う保育園なのはまあそれはそれでなのだけど、私は開発の現場に戻り、どうにかやっていました。
コロナ禍が始まった
そうこうしているうちにコロナ禍になりました。結局この状況によって「在宅勤務できるように」という考え方が広まったわけで、むしろ私にとってそれ見たことかという気持ちでした。PC のセキュリティがとかさ、物品管理がどうとかさ、結局皆が本腰入れて考えるのはその時にならないとどうにもならないんだよな!文句はさておき、この頃も職場託児所の先生が色々工夫して子供を楽しませるグッズなどを遠隔で送ってくれました。神か。
2020 年 4 月
そうこうしているうちに (2 回目) 第二子も、上の子と同じ、地域の保育園 (認可外) に入れることになりました。空くのを待っていました。感謝...。つくづく、保育園は先生との相性、信頼関係にもよる。良い保育園に恵まれています。
一緒の保育園に通ったり、系列園に分かれたり
保育園自体がコロナ禍で休園したりはもちろんなのだが、建物の都合で転園したり、空き枠の都合で子の片方だけ転園したりしました。転園するとそのための健康診断とか、契約書類仕事が発生します。就業証明書とか。認可外保育所ならではの補助金申請は 3 か月ごと。結局、日々の連絡帳やりとりをすべてオンラインでやれるよう導入しているのがありがたかったです。
2022 年
ガラピコぷーが終わりました。チョロミーは未来でエンジニアになっていました。泣ける展開。【ネタバレあり】Eテレ「ガラピコぷ~」、最終回直前の神展開にネット騒然 ガラピコ誕生の秘密に「衝撃的で感動」の声(1/2 ページ) - ねとらぼ
私はこれを逃したらまた小学校準備が大変になるだろなと思って、2022 年秋に転職しました。
2023 年 4 月
第一子小学校入学。相変わらず下のこの保育園送り迎えは続いているが、「離席します~」となるべく気兼ねなく言って業務中に離席してどうにかやっています。この 2025 年春、ようやく終わります。
結局 IT 業界は子育てに理解のある同僚が多い (と思う)
冒頭に戻るがこの結論です。8 年間、全く自分一人ではどうにもならなかったことばかりでした。通勤しながら理不尽な気持ちになったことも多いです。でも結局感じている逆説的 (?) な事実がある。男性が子育てに積極的な職場ほど、女性は働きやすいです。理由は簡単、育児の辛さも嬉しさも共有する仲間は多い方が良いに決まっているからです。女性を楽にするのは女性を優遇する策ではなくて、男性へもむしろ気遣い、育児に参加させやすくする職場なのだと思っています。
二児のパパエンジニアの日常 #ポエム - Qiita
20代後半一児の父親の未経験エンジニアとしての挑戦 #キャリアチェンジ - Qiita
育児と開発ディレクションの両立 #子育て - Qiita
子育てエンジニアの日常 #エンジニア - Qiita
まだまだできることも多いと思う。小学校に行ってからも
上の子の小学校入学と同時に転職したと書いていますが、自分にとっても人生初めての転職でした。考えるとすべて運でこなしています。
保育園のITをHackする
おうち DX したい - 小学校の配布プリントってどう管理してますか #育児 - Qiita
↑イラスト、8 年前こんな技術無かったけど、8 年という間に叶えられる技術があることも実感している。私は今、入学準備のプリントと物品準備を前にまた頭を抱えているが、職場の共感と理解でどうにかやれそうです。恩を送り合いたい。皆様も、育休はどんどん取ってほしい。一緒にがんばらせてください。
この春卒園、卒業を迎える皆様おめでとうございます
以上おそまつさまでした