背景と目的
文明の成熟期に適切な応答がされにくくなる。
文明に参加している組織と個人に対して、時間の切り口で"応答"を考える。
1. 個人の応答と時間
1.1. 個人の余暇の使い方
日本政府による発行している資料から個人の時間について整理する。
下記表は「 令和6年版情報通信白書 図表Ⅱ-1-11-11 」より。
最新の情報通信白書では、平日20代のネットとテレビ使用時間を合計すると、
テレビ(53+6)、ネット(275)=334分≒5.5時間となっている。
下記表は「令和3年社会生活基本調査の結果 表1-1」より。
時期的なずれは3年あるが、2021年集計の3次活動の総時間が6.16時間となっており、
テレビとネットの使用時間を足したもの(5.5時間)に近い状態となっている。
余暇の使いかたにも多くの時間が接続された状態となっているだろう。
下記図は「令和3年社会生活基本調査の結果 図4-2 ]
Top3がネットに関係するものとなっている。
マンガ・読書が電子書籍だった場合、Top5まで含まれる。
1.2. 自己の飽和
ケネス・ガーゲンは「The Saturated Self」にて自己の飽和という概念を示した。
牧野智和は、ポストモダン(後期近代)の「私」を捉える流れで、下記のように説明した。
社会的な関係性に個々人がその許容量・処理能力の限界まで浸されて飽和状態に達し、
それによってさまざまなことに影響が生じている状態を「社会的飽和」と呼びます。
「社会は「私」をどうかたちづくるのか」P86
🌀 自己の飽和:ポストモダン的状況における自己の構造変容
観点 | 近代的自己(統合的) | 飽和した自己(ポストモダン的) |
---|---|---|
🧭 アイデンティティ | 統一的・内面的・持続的 | 多元的・断片的・流動的 |
🪞 自己認識 | 内省による自己理解 | 他者・メディア・環境による鏡像的反射 |
📱 情報環境 | 限定的・直接的 | 過剰・即時・多層的 |
🧬 記憶と自己 | 個人の記憶に基づく自己形成 | 外部記憶(SNS・アルゴリズム)への依存 |
🧠 精神構造 | 自律的主体 | 再帰的・反射的・過剰な自己言及 |
🌀 象徴的状態 | 自己=物語の語り手 | 自己=物語の断片/観察対象 |
上記は"近代的自己"と"飽和した自己"を比較した図になる。
飽和した自己の場合、細胞でいう膜にあたるものが不安定だ。
OSのないプログラムのように割り込み処理で動作しているように見える。
(組み込み開発の現場では現役の仕組みではある、メインループが空き時間となる仕組み)
OS(=タスクと優先度を管理する仕組み)は、管理をする主体があるために持続的な構造を保ちやすい。
管理できなくなったとき、ブルースクリーンやKarnelPanicを出力し、OSが停止する。
それが起こらないように負荷を制御することになる。
飽和した自己の状態は、"絶え間ない割り込み処理の時間"が余暇を使い果たしているように見える。
割り込みがなくなったときに、メインループが”暇”と感じるのだろう。
1.3. 豊かさと時間
"飽和した自己"は、幸せなのだろうか。
間違いなく、文明がつづくための"適切な応答"をすることはできない。
"飽和した自己"を解消する手がかりをいくつか整理する。
a 自由とケイパビリティ
経済学者・哲学者のアマルティア・センは、「不平等の再検討」で個のケイパビリティの重要性を説いた。
・「自由」とは生活、人生における選択肢の広さのことである
・さまざまな権利や福祉などの「財」も、与えられるだけでは活用できない人がいる
ex.たとえば政治参加するためには、投票の権利を持つことだけでなく政治の知識が必要
・「自由」の範囲を公平にするためには、「財」を活用できるための、教養や知識などの「潜在能力(ケイパビリティ)」を高めることが必要
”リベラルアーツガイド”より
"飽和した自己”となる大きな要因は、時間を含む"財を"活かす方法を知らないというのが、センの考えだ。
b 分人と半身
作家の平野啓一郎は「私とは何か」で、
個人の中に複数の人がいてもよいという主張を”分人主義”とした。
小さな近代的自己が複数あるようなイメージだ。その集合を全体で"本当の自分"という。
文芸評論家の三宅香帆は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」で、
インターネットを使い、欲しい答えを即時に受け取る傾向が強くなっており、
"ノイズ"を感じる時間が不足しているとし、仕事への全身全霊ではなく、”半身”を提案した。
c 自分の中に多様な他者を住まわせる
哲学者の谷川嘉浩は、「スマホ時代の哲学」にて、飽和した自己を回避するために"自己を過信しすぎないこと”を示した。
過去の投稿【バイアスを考える①】アリストテレスの中庸、孔子の中庸、ブッダの中道の比較で複数の補助線を示したことつながる。
スマホ時代の前提として、情報が多く、確かな情報は少ない。
その前提の中で、間違う確率を減らすべく有識者を自分の中に持とうという提案になる。
だから、哲学やリベラルアーツ(教養)がいるんだよという流れだ。
d 時間資本
社会経営思想家の山口周は、「人生の経営戦略」で時間資本がすべての源泉であると示した。
センのいう財を細分化して見せた。
時間資本を他の資本に向けて投じているだろうか?
その他の資本の先にあるものが、ウェルビーイング(幸せ)であり、豊かさである。
センのいう”財”の活用方法の源泉は"人的資本"に含まれる。
宝くじで大金を手にしても”人的資本”がないと、幸せにはなれないということだろう。
1.4. 豊かさと応答
個人が"応答"をできるようになるには、"挑戦"の共有と"応答"に向けたリソースの確保が必要になる。
リソースの確保に向けた対応を整理する。
a 贈与
マルセル・モースは「贈与論」で贈与の構造を示した。
🎁 贈与の三つの義務:構造的整理表
義務 | 内容 | 社会的機能 | 象徴的意味 | 現代制度への応用 |
---|---|---|---|---|
与える義務 | 贈り物を差し出すこと | 関係の開始・意思表示 | 「私はあなたを認める」 | 奨学金・寄付・贈答文化 |
受け取る義務 | 贈り物を受け入れること | 関係の承認・連帯の形成 | 「私はあなたを受け入れる」 | 招待・表敬訪問・外交儀礼 |
返礼の義務 | 贈り物に応えること | 循環・信頼の維持 | 「私はあなたに応える」 | 年賀状・返礼品・互助制度 |
贈与への気づき
近内悠太は、「世界は贈与でできている」にて、現代における贈与のあり方をしめした。
贈与の起点はどこなのか?
思いがけず贈与を"受け取ってしまった"人なのだろう。
受け取った側が”贈与されていた”と気づいたとき、誰かへの"返礼の義務"が生まれる。
フランス語に"ノブレス・オブリージュ"という言葉がある。
高貴な生まれの人に伴う自発的な無私な行動をすべき義務という意味になる。
本来、平民では得られなかった贈与を受け取っているという意志と言える。
現代の人々は、200年前と比べて、自由な状態だろう。
その生まれたときの違いにより生まれる"ノブレス・オブリージュ"は、どこかに"返礼"する義務が生まれるのではないかという問いかけになる。
b 道徳の範囲
コールバーグが提起した「道徳性発達理論」をベースに応答の可能性を整理する。
🧭 コールバーグの道徳性発達段階
段階 | 名称 | 特徴 |
---|---|---|
前慣習的水準 STAGE1 |
罰と服従の志向 | 権威への服従。罰を避けるために行動する。 |
前慣習的水準 STAGE2 |
道具主義的相対主義 | 自分の利益や報酬を重視。取引的な道徳観。 |
慣習的水準 STAGE3 |
対人的同調(良い子)志向 | 他者の期待に応えようとする。承認欲求が中心。 |
慣習的水準 STAGE4 |
法と秩序の志向 | 社会のルールや秩序を守ることが善。 |
後慣習的水準 STAGE5 |
社会契約と個人の権利志向 | 合理性・公平性・人権を重視。規則の正当性を問う。 |
後慣習的水準 STAGE6 |
普遍的倫理原理の志向 | 良心や普遍的原理に基づいて判断。道徳的自律。 |
"挑戦"に"応答"するには、STAGE5以上の発達段階が関わってくる。
SDGsに含まれる開発目標はSTAGE5&6の視点を持ち、どのような可能性があるか、どのようにしたいかを検討することになる。
c 交換様式の4番目の様式
柄谷行人は、「力と交換様式」で社会の交換様式を整理した。
🔄 柄谷行人の交換様式論(4つの交換様式)
様式 | 名称 | 内容 | 社会的構成体の例 |
---|---|---|---|
A | 互酬交換(贈与と返礼) | 個人間・共同体間の贈与と返礼による関係形成 | 氏族社会、祭礼、親族関係 |
B | 略取と再分配(服従と保護) | 支配者が略取し、再分配することで秩序を維持 | 国家、封建制、税制度 |
C | 商品交換(貨幣と商品) | 市場における貨幣と商品の交換。利潤追求が中心 | 資本主義社会、商業経済 |
D | 高次元での互酬性の回復 | Aを否定した上で再構成された互酬性。普遍的倫理に基づく | 普遍宗教、非国家的連帯 |
受け取り手が確定しない"a:贈与"や"b 道徳のSTAGE5&6"における交換様式は、
様式Dにあたるものと言える。
2. 組織の応答と時間
2.1. 組織が社会に貢献するために
組織と社会の関係についてドラッカーが明確に示している。
われわれは社会を定義することはできなくとも、その機能の面から社会を理解することはできる。
社会は、一人ひとりの人間に「位置づけ」と「役割」を与え、そこにある権力が「正統性」をもつとき、はじめて機能する。
「イノベーターの条件」P4
権力は、社会の基本的な理念との関連において正統でありうるにすぎない。
「イノベーターの条件」P9
4人の社会があったとしよう、そのなかでリーダーとサブリーダーがいたとする。
その他の二人に役割がなかった場合、社会は分裂しやすくなる。
また、リーダーが決めたことを社会の構成員が納得しないことには活動は成り立たない。
正統性とは、構成員が"正しい"と思う内容を含む権威(従ってもよいという力)になる。
2.2. 組織と応答の条件
軍国主義を例に"応答"を考える。
軍国主義とは、経済の軍事化だけではなく、社会のあらゆる関係を上級士官と下級士官、
士官と兵士の関係に代えることを意味する。
「イノベーターの条件」P37
軍国主義の時代は、世界の覇権(もしくは領域の確定)が"挑戦"の中身だった。
その目的と軍国主義という形は一致していた。
インターネットやAIが存在する時代の組織や社会の目的は、
環境の継続性のバランスが変わる周期より早く動いており、不安定な状態の中で起こる問題をどうにかすることとしている。(解決であり、仮の足場であり、退避の場である)
ドラッカーの示す社会の3つの機能に対応し、
今の時代で組織や個人の「役割」と「位置づけ」を示しつづけることは、とても難しい。
2.3. 応答できる組織のモデル
フレデリック・ラルーは、新しい組織のモデルを「ティール組織」で示した。
ティール組織に至る5つのモデル
色(モデル) | 名称 | 特徴 | 代表例 |
---|---|---|---|
🔴 レッド | 衝動型組織 | 力による支配。即応性と生存重視 | ギャング、マフィア |
🟠 アンバー | 順応型組織 | 階層・秩序・安定性。役割重視 | 軍隊、官僚、宗教組織 |
🟡 オレンジ | 達成型組織 | 成果・効率・競争。合理的管理 | 現代企業、グローバル企業 |
🟢 グリーン | 多元型組織 | 多様性・価値観・参加型意思決定 | 社員第一主義の企業、NPO |
🔵 ティール | 進化型組織 | 自主経営・全体性・存在目的。生命体的組織 | Buurtzorg、Patagonia など |
ドラッカーの「イノベーターの条件」で示す組織は、アンバーからオレンジの組織モデルを示している。
"応答"をするために"個人と集団のそれぞれ意味"を維持できる組織となっている必要がある。
今の時代の前提から導き出すと、新しい課題への応答には、グリーン、ティールの組織が適切な形と言える。
9. リンク
URL
note:シリーズ読書感想文|一冊を精読・整理・思索する|第一回「モダニティと自己アイデンティティ」
リベラルアーツガイド:【センのケイパビリティとは】議論のポイント・注意点をわかりやすく解説
wikipedia:アマルティア・セン
MONOist:組み込みシステムにおける割り込み処理の重要性
wikipedia:割り込み(コンピュータ)
分人主義
note:スマホ時代の哲学を読んで思うこと
note:山口周さんの著書『人生の経営戦略』をnote戦略に活かしてみた
MindMeister:【要約マップ】贈与論
wikipedia:ピーター・シンガー
wikipedia:ノブレス・オブリージュ
wikipedia:道徳
wikipedia:ローレンス・コールバーグ
じんぶん堂:柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」
上田惇生ホームページ(ドラッカーの翻訳を多数)
ティール組織とは?実務的視点から見る3要点と5過程
官報・白書
総務省:令和6年版情報通信白書
総務省:令和3年社会生活基本調査の結果
書籍
牧野 智和(2025).社会は「私」をどうかたちづくるのか.筑摩書房.
Kenneth J Gergen(2000).The Saturated Self: Dilemmas Of Identity In Contemporary Life.Basic Books.
アマルティア・セン, 池本 幸生(訳), 野上 裕生(訳), 佐藤 仁(訳)(2018).不平等の再検討――潜在能力と自由.岩波書店.
Amartya Kumar Sen(1995).Inequality Reexamined.Russell Sage Foundation.
平野 啓一郎(2012).私とは何か――「個人」から「分人」へ.講談社.
三宅 香帆(2024).なぜ働いていると本が読めなくなるのか.集英社
谷川 嘉浩(2022).スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険.ディスカヴァー・トゥエンティワン.
山口 周(2025).人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20.ダイヤモンド社
マルセル・モース, 吉田 禎吾(訳), 江川 純一(訳) (2009).贈与論.筑摩書房.
Marcel Mauss(2021).Essai sur le don (French Edition).
ピーター・シンガー, 児玉 聡(訳)(2018).飢えと豊かさと道徳.勁草書房.
近内 悠太(2020).世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学.NewsPicks.
柄谷 行人(2022).力と交換様式.岩波書店.
P.F.ドラッカー, 上田 惇生(訳)(2000).イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか.ダイヤモンド社.
フレデリック・ラルー, 嘉村 賢州(解説), 鈴木 立哉(訳)(2018).ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現.英治出版.
Frederic Laloux(2016).Reinventing Organizations: An Illustrated Invitation to Join the Conversation on Next-Stage Organizations.Nelson Parker.
変更履歴
2025/08/13 新規作成
2025/08/14 2.追加