#COVID-19 に SIR モデルを当てはめる際の注意点
先日「Excel VBA で SIR モデルを実装する。」というタイトルで投稿しました。
本稿では、このモデルを実際の測定値に当てはめる際の注意点を解説します。
##感染者 I がピークアウトする時の S の値
SIR モデルでは、
全人口を、未感染者:S (susceptible)、感染者:I (infectious)、治癒者や死亡者:R (removed) に分けています。
従って、
\ S+I+R=一定(全人口)
となります。
S, I, R 各群の増加速度は以下のように表せます。
\begin{align}
\frac{dS}{dt} &= -βSI\\
\frac{dI}{dt} &= βSI-γI\\
\frac{dR}{dt} &= γI\\
\end{align}
上式から
\frac{dS}{dt}+\frac{dI}{dt}+\frac{dR}{dt} = 0
となり3曲線の傾きの和が0になることがわかります。
$ dI/dt=0 $ の時、感染者数はピークとなり、S の下向き勾配と R の上向き勾配の絶対値が等しくなります。
この時、
\frac{dI}{dt}=βSI-γI=0\\
\ βSI=γI\\
\ βS = γ\\
\therefore S=\frac{γ}{β}\\
$ 全人口をNとすると基本再生産数\ R_0は$
\ R_0=\frac{βN}{γ}\\
\ γ=\frac{βN}{\ R_0}\\
\ S=\frac{γ}{β}=\frac{βN}{\ R_0}\times\frac{1}{β}=\frac{N}{\ R_0}
となり S が全人口の$ 1/\ R_0$ の時にピークアウトすることが分かります。
COVID-19 では$\ R_0 = 2.5$ とされているので、S が全人口の 1/2.5 = 40% まで減ってようやくピークアウトすることになります。(国民の過半数が感染!)
$\ R_0 = 1.5$ としてピークを後ろにずらした場合でも S が全人口の 1/1.5 = 67% まで減ってようやくピークアウトすることになります。(国民の3分の1が感染!)
##感染が収束した国々で上記は当てはまるか?
人口 14億人の中国では感染者数 8万人で感染が収束しました。この時点で S は 13億9992万人で全人口の 99.99%も残っています。人口 5千万人の韓国では感染者数 1万人で感染が収束しました。この時点で S は 4999万人で全人口の 99.98% 残っています。I のピークが平坦になっても、ピークは後ろにずれておりません。感染者数世界一のアメリカは2020.5.1の時点で感染者数 100万人ですが、全人口を 3億2800万人とすると S は 3億2700万人で 99.7% も残っていますが I の増加は緩やかになりつつあります。
つまり世界のどの国も典型的な S, I, R の3曲線パターンは描いておらず、S がほぼ 100% で傾き 0 の段階で I がピークアウトすることが予測されるのです。
では、「S が全人口の$ 1/\ R_0$ の時に I がピークアウトする」という SIR モデルの帰結は間違っているのでしょうか?これは、感染者隔離などの対策を全く取らずにノーガード戦法を採用した場合には成り立つ、ということかもしれません。
##S ≒ 全人口(N)の時の動態
$ S\fallingdotseq N$ の時、患者数の動態はどうなるでしょうか。
\begin{align}
\frac{dI}{dt} &= βSI-γI\\
\ &= βNI-γI\\
\ &=(βN-γ)I\\
\end{align}
$ βN-γ = k$ とすると
\begin{align}
\frac{dI}{dt} &= kI\\
\frac{1}{I}dI &= kdt\\
\int\frac{1}{I}dI &= k\int dt\\
\ln I &= kt + c\\
\ I &= e^{kt + c}\\
&= e^c\ e^{kt}
\end{align}
$\ t = 0$ の時の数を$\ I_0$ とすると、
\ I_0 = e^c\\
\therefore I = I_0e^{kt}
上式を対数化すると、
\ln I = \ln {I_0} + kt
となり、切片を $\ln {I_0}$ 、傾きを $\ k$ とする直線になります。
$ 全人口をNとすると基本再生産数\ R_0は$
\ R_0=\frac{βN}{γ}
$\ R_0 > 1$ の時 $ βN/γ > 1$
βN/γ > 1 の時 βN > γ、βN-γ > 0 なので k > 0 となって対数化したグラフ ln I(t) は上向きの直線となり、倍加時間 (doubling time) 一定の exponential growth となります。
$\ R_0 < 1$ の時 $ βN/γ < 1$
βN/γ < 1 の時 βN < γ、βN-γ < 0 なので k < 0 となって対数化したグラフ ln I(t) は下向きの直線となり、半減期 (half life) 一定の exponential decay となります。
##各国の患者数推移を見てみる
ジョンズ・ホプキンス大学のサイト で世界各国の COVID-19 累積患者数が発表されています。すべての国で未感染者(susceptible: S)は全人口 (N) の 99% 以上あり、$ S\fallingdotseq N$ が成り立ちます。累積患者数を対数表示 (Logarithmic) したグラフをみると多くの国で経時的に傾きが漸減していることが分かります。
対数表示した時の傾きを $\ A_0$ とすると Gompertz 曲線では時間 t の経過とともに傾きが $\ A_0e^{-kt}$ に減衰します。※ここでの k は減衰係数であり、前段落の k (= βN-γ) とは異なるのでご注意ください。
以前の投稿 ゴンペルツ曲線とは何か?(6) で「新型コロナウイルス (COVID-19) の累積患者数は Gompertz 曲線に従うか?」について検証していますのでご参考ください。累積患者数が Gompertz 曲線に従う時、最大値を予測することができます。
##集団免疫を目指すべきか?
中国では全人口の 99.99% が未感染者 (susceptible: S) の段階で感染が収束しました。これは強力な「都市封鎖」と「隔離」によって成し遂げられました。この場合、集団免疫は得られないことになります。
目標設定を**「隔離+非集団免疫」とするか「非隔離+集団免疫」**とするかで行動の指針は大きく変わってきます。もしMERSコロナウイルスのような致死率の高い疾患(死亡率 30%)で集団免疫の方針を採用したら世界で20億人程の死者が出るでしょう。
COVID-19 で集団免疫を目指すべきかどうかは「真の軽症率や重症率がどれくらいなのか」によって変わってくると思います。
##まとめ
- 典型的な S, I, R 3曲線のパターンを描いている国は(今のところ)ない。
- S ≒ N における対数グラフ減衰には Gompertz 曲線が当てはまるかもしれない。
- 集団免疫を目指すことが適切かどうかは検証が必要である。
###参考サイト
稲葉 寿:感染症数理モデルとCOVID-19 | 日本医師会 COVID-19有識者会議
SIR型の感染症数理モデル
全てのモデルは間違っている、しかしいくつかはとんでもなく間違っている
COVID-19 数理モデル 〜 SIR と Gompertz と k値の関係〜
「K値による予測を使うべきでない理由」へのコメント