9
3

Delete article

Deleted articles cannot be recovered.

Draft of this article would be also deleted.

Are you sure you want to delete this article?

More than 5 years have passed since last update.

はじめに

この記事はDevLOVE Advent Calendar 2018の25日目です。メリークリスマス!

この記事について

今月は、Advent Calendarを5件登録し、いろいろと一年をふりかえって語りたいことを語ってきました。以下の記事を書いてきました。

そして、この記事では、DevLOVEから始まり、いろんなものを学び、成長につながってきたなぁというのをふりかえり、DevLOVEのアドベントカレンダーを締めくくろうと思います。
DevLOVEの最近のテーマとして、「越境」が入ってきています。私の越境のはじまりをふりかえることで、誰かの越境につながればいいなぁと思い、この記事を書き残します。
越境は、人それぞれ形が違います。誰かの越境は参考にはできるかもしれませんが、結局は自分で一歩足を踏み出さなければ、周りは変わっていきません。ただ、誰かの越境の経験は、(私がそうであったように)誰かの越境の一歩を勇気付け、後押しするものだと考えています。

これから書く記事の内容はカイゼン・ジャーニー・カンファレンスでお話させていただいた、"ふりかえり"からはじまる"わたし"のカイゼン・ジャーニーの序盤を文字起こしして追記したものです。
私自身の越境を書き綴った超絶ポエムです。酒の肴に読んでいただければ幸いです。

私は何者か

チームファシリテーターの森です。いろんなチームをよりよくするための活動を社内外で活動している人間です。チームビルディングやふりかえりのプロとして、主にIT業界(ただし業界問わず)にこれらの活動に関してアドバイザーやコーチ、研修などの活動をさせていただいています。

2018/12現在は野村総合研究所(NRI)のbit Labsという組織の一員として、上記活動をしています。(bit Labsに関しては最近こんな記事が出ています)

各種コミュニティ活動も手を出させていただいており、以下のコミュニティ運営にも携わっています。

そんな人間です。
今でこそ社内外で色々やらせていただき、自分自身のやりたいことや好きなことを伝える活動に全力を注がせていただく環境にいることができています。ただ、2年程前までは対外への活動は何一つせず、社内に閉じこもっている人間でした。勉強会やコミュニティ、カンファレンスという存在は知っていたものの、どこか遠い世界の話のように思えていた日々をすごしていました。

変わったきっかけのはじまりは「ふりかえり」でした。
そして、DevLOVEが推進剤となって、今の私がいます。
そんな始まりの話をしていきたいと思います。

第1部:ふりかえりから始まる~初の登壇まで

わたしのスタート地点

私は、入社後、半年~1年に1つのプロジェクトというスパンで、色んな案件(俗に言う炎上案件)を担当してきました。

あるときには、後半戦からリソースとして投入され、ひたすらテストに打ち込んだり。
あるときには、テスト自動化ツールの設計・開発・導入を行ったり。
あるときには、プロセス改善の仕事としてリリース周りの仕組みを改善したり(今になって思うとContinues Deliveryを半手動でどれだけ高速化できるか、みたいな改善でした)。
あるときには、5ヶ月連続で1ヶ月に1度行う大規模のリリースのライブラリアンとして、最終品質のゲートキーパーをやったり。
あるときには、プロジェクト全体のプロセスのボトルネックを探し、コミュニケーションロスの解消のためにプロセスの整備やコミュニケーションツールのトップダウン+ボトムアップ双方での導入を行ったり。
あるときには、テキストマイニングのミドルウェアのSIの要件定義・設計・開発を担当したり。

色々な業界のシステムのSIで、忙しいなかで、自分での立ち位置を確立しながら、プロセス改善を行う日々を送っていました。

そんな中で感じていたのは、「プロセス改善」がプロジェクトが終わった時点で途切れ、次のプロジェクトでは活かせないこと。
もともと、「日本のIT企業をもっとかっこよくしたい」「そのために色んな下支えをして少しずつでも変えていきたい」と思い、今の会社に入っていたのですが、自身の周りの環境すら、プロジェクトという単位で区切られ、影響が及ぼせないことにモヤモヤしていました。
そういった経験を積み重ねていったなかで、「アジャイル」の仕事が舞い降りてきました。

アジャイルな仕事に触れ、ふりかえりを知る

アジャイルな仕事の仕方をするようになって、スクラムにも取り組むようになりました。スクラムのなかで行う「レトロスペクティブ」との出会いが衝撃的だったのを今でも覚えています。

それまで、ウォーターフォールのプロジェクトのなかで、「ふりかえり」と呼ばれるものはやったことがありました。ただ、それはプロジェクトが終わった後にやるふりかえりであり、プロジェクトの終了報告のためだけの改善案を抽出したものであり、時間だけかかり何も次には活かされない、という「めんどくさいもの」のイメージが強かったのです。また、(いつだったか)弊社のイベントに、永和システムマネジメントの天野勝さんが来ていただいた際に高速サイクルで回すKPTを体験する会はあったのですが、チームのなかでどう活かせばいいのか、というのが結局わからず、燻っていました。

そんななか、スクラムのイベントとして毎週ふりかえりをしていくことになり、そしてそれが毎週チームの変化を促していくことを実体験として触れたことで、マイナスなイメージがプラスへと転じました。また、自身が昔から業務の中でつけていた「日記」が、まさにふりかえりである、とつながったのもこのタイミングでした。

そうしてふりかえりをしながら自分のチームを変えていこう、とするわけですが、なかなかうまくいきません。その当時は全員が「アジャイル」未経験のメンバーで、スクラムも見よう見まね。スクラムに対して批判的なメンバーもいる中で、どうやったらよいチームを作ることができるのか、というのを毎日メンバーと話し合っていました。このとき、部内ではアジャイル・スクラムを積極的に学ぼう、というメンバーと、特に興味がなく今までどおりのSIをやっているメンバーとで別れており、それらの混成チームで、かつそれぞれがコンポーネントチーム化しながらプロダクトを作っていくという状況でした。そんななかで、周りを巻き込めない、変えられない現状にみんなで悶々としていたのを覚えています。

はじめてのカンファレンスと、登壇までの道のり

こうして悶々としている日々と平行して、「対外のカンファレンスにも積極的に参加しよう」という活動もあり、上司の石橋さんの推薦で、Agile Japan 2017に参加することになりました。実は、ここが私にとっての初めてのカンファレンスであり、勉強会であり、コミュニティにかかわる機会でした。

Agile Japan 2017で登壇者の方のセッションを聞きながら思ったことは
凄い人たちがいっぱいいすぎて怖い
こんな先駆者達に追いつかないとこの業界で生きていけないのか
です。
聞いたところで恐怖や不安ばかりが自身に残っていきました。

ただ、カンファレンスには一人で参加しているわけではなく、当時NRIだった(今はレバレジーズの)森實さんや、上司の石橋さん、また、普段苦悶を共にしているチームメンバーも参加していました。

私からしたら天上人に見える登壇者の方々と、楽しそうに話をしている森實さんを見て、「社内にもこんな人がいるのか」「凄い」と感じたのを覚えています。また、そこで話している人達と私をつなげようとしてくれていることにも、とてもうれしかったのを覚えています。

自身が初参加で不安が多いカンファレンスのなか、それでも楽しい記憶が残っているのは、一緒に参加してくれたメンバーがいたからこそです。

そうして色々なモヤモヤとともに、Agile Japanで得た内容を少しでも業務に還元しようとメンバーと毎日議論しなが業務を進める日々。そうして業務を進めていくなかで、石橋さん・森實さんから声がかかります。

「ヴァル研究所に見学しに行かないか」

当時、カンバンもAgile Japanで得た知識や、色々と周りからもらえた情報をもとに、自分なりにやってみてはいました。何かしら得られるものはあるだろうな、行ったほうが絶対ためになる、という気持ちで「行きます」と声を上げます。

そして、ヴァル研究所。

圧倒されました。

新井さんのパッションもさることながら、現場の方にカンバンを説明していただきながら、ただただ、その熱量に圧倒されていました。いまはもはや行列が凄くて並ぶだけで大変なヴァル研見学ですが、このときに行けたことがまさに僥倖だったとしか思えません。
ここで得たパッションを、なんとか業務にも持ち込めないか。また、自身のチームだけでなく、自分達の周りにもそれを広げたいと思い、社内で記事を書いて、展開したりもしました。
(結局ほとんど響かなかったんですけどね)

そうして、Agile Japanやヴァル研から受けついだ「モノ」を、自分なりに、自分達なりに昇華させて現場で実践し続けました。
カンバンも何世代か世代が交代し、チームの集まっている会議室が「部室」と呼ばれるようになったころ(それだけ乱雑としていました…)。
「カンバンを広めたい」という思いと、「こういう働き方もある」ということをアピールするために、「見学いつでもOK!」というのをホワイトボードにでかでかと書き出して、見えるようにしておいたんです。
そうしたら、いろんな人が「なんだこれ」と見に来てくれるようになり、それを見つけた私がその人たちにカンバンを説明したり。
前社長がフロアに立ち寄ったとき、少しだけでもカンバンを使った全員同席での働き方について説明できた、というのもうれしかったですね。
そうして実践を積み重ね、地道にでもこういった働き方を広めようとしていました。

こうした活動をしている横で、森實さんは2週に1度、輪読会のためにチームの部屋に来てくれていました。そして、「見学OK」というホワイトボードを見つけて、Facebookに投稿してくれたのですが、そこでの反響がかなりいい感じ、でした。

何度かコーチをお願いしていた吉羽さんが「すごい」とコメントしてくれたり、「見学したい」という声も上がったり。

そこで、森實さんが「どこかで発表しちゃえよ」という誘いをくれたのです。

そして、私にとっての初めての場を用意してくれたのが「DevLOVE関西」でした。

初めての登壇、DevLOVE関西

全部が始めてだらけ、でした。
社外での発表用のスライドなんて入れて作ったことがなかったですし、社内の手続きをどうすればいいのかもわからない。
そして、社内の手続きを部長も知らない。
そういった「コミュニティでの対外発表」という活動自体が、部になかった概念だったため、
「えっ、そもそも何を発表しに行くの」
「それ発表することで何か会社にメリットあるの」
「社内手続きにはこのチェックリストと、このチェックリストを書いて、この申請をして、副本部長にもスライド見せないとダメね」
みたいなことを言われて絶望感MAXだったのを覚えています。
初手からくじけそう。

※ちなみに、これ以降発生する社外登壇の話は、半年くらいかけて、上司・部長にもかなりのご理解をいただけるようになりました

森實さんが「やっちゃえばなんとかなるでしょ」的な心が軽くなる応援をしてくれて、なんとか部長も説得できて、1ヶ月前から入念に資料準備して、というかなり力を入れての初回の登壇でした。
当時の発表資料はこちら

スライドタイトルは「スクラムの取り組みと「全員同席」の真価」。大手SIerの中でも、実現できることはある、というのを伝えたかったのだと思います。
このときの話の裏の目的は「ふりかえりをしながらカイゼンし、行ってきた自分達の活動を、誰かに知ってもらいたい」でした。

業務を15時ごろに終わらせ、大阪に新幹線で向かい、現地入り。そして森實さんと合流。
そこになぜかいる森實さんの奥様、子供。そして奥様が、過去私がいたプロジェクトと関連のある部署の方で、世間は狭いなとも感じました。

その日の発表は、森實さんが登壇→私が登壇の流れだったのですが、森實さんが子供を抱っこしながら登壇しているんですよね。
私は初登壇でビビリまくっていたところを、森實さんの発表中には、子供が発表している父に抱っこをせがんだり、走り回ったり、かわいい姿を見させていただき、始終和ませ続けてくれました。
そうして向かえた初登壇。

ギャラリーは30名弱。
緊張しました。
15分という時間も軽く(2分程度)オーバーしました。

でも、ちゃんとみんな聞いてくれているし、登壇後の「学びのふりかえり」でも、私が話した内容について語ってくれている人もおり、「私の話も誰かの役に立つんだな」と知りました。そして、「こういう場合はどうやっていたか」「これについて意見を聞きたい」「もっと深く聞きたい」と、質問を受けることで、自分自身の知識が深まっていくのも感じました。
アウトプットによるフィードバックを、ここで初めて受けたのです。

また、やってみて感じたこと。

自分の話を聞いてもらえることがうれしい。
なによりも、だれかの役に立ったという事実がうれしい。
そして、登壇することは、とても楽しい。
やってしまうまでは緊張の連続だったけど、やってしまったらすごく楽しかった。

ここで世界がガラリと変わっていきました。

この登壇まで、DevLOVEだけでなく、ほかのコミュニティのイベントもいくつか聴講者として参加していていました。
ただ、どこか上の空で、自分とは違う世界の人が話しているな、というようにしか感じていなかったんですね。

初の登壇を得てわかったのは、「登壇者も自分達と同じ土俵に立っている人間であること」「手も届かないような凄い人と自分が思い込んでいるだけで、みんなは自分の好きな・得意な分野を語っているだけ。しり込みしていたらもったいない」ということ。
登壇を通じて、ほかのイベントに参加したときも、「登壇者と同じ目線に立ち、登壇者の経験したことを実体験のように情景を思い描きながら聞く」ということができるようになりました。

登壇者は「遠い世界の人がなにか凄いことをしゃべっている」のではない。
**「自分と同じ世界の人が、自分と同じようにどこかでがんばった話を、私達のためにしてくれている」**ということに気づいたのです。

そこに気づいてから(そして同時期にグラフィックレコーディングを高柳さんから学んでから)、ただ聞くだけのイベントでも吸収のしかたがガラリと変わっていきました。

初の登壇で得られたものは、とてもとても大きかった。
DevLOVEというがあったからこそ、成長のきっかけになれた。
そう断言できます。

第2部:仲間をつくる

第3部:そして未来へ

そうしてこの登壇がきっかけで、いろんなところに猪突猛進に突っ込んでいき、越境をしまくることになるのですが、その話は(そろそろ文章量がつらくなってきたため)スライド参照です。
今回はあくまでDevLOVEからはじまるジャーニーまでのお話でした。

私にとってのDevLOVEというコミュニティ

「道のはじまり」であり、「いつでも帰ってこれる家」でもあります。
DevLOVEのイベントで「今回DevLOVEにはじめてきた人」と聞くと、半数程度手をあげることが多いことから、非常に移り変わりの激しいコミュニティのひとつだと感じています。
ただ、どのイベントでも、登壇者・参加者全員でイベントを作り上げていこうという雰囲気や、学びを持ち帰って現場に活かす仕組みそのものがうまく回っていることから、新規参入しやすく、かつリピートもいつでもしやすいいい場だと感じています。
今ではカイゼン・ジャーニーがきっかけでつながったメンバー達とDevLOVEの運営に(ほんのちょっとだけ)関わらせていただいていっていますが、参加者によりそいつつ、自分達が面白い・やりたいと思うことを、イベントという形でメンバーそれぞれが作り上げていく、という空気がとても好きです。
この空気は、私がNRIの中で立ち上げた「NRIアジャイルハブ」にもしっかり受け継ぎたいと考えており、そんな感じの雰囲気作りをしています。
私自身、複数のコミュニティ運営に関わらせていただいているため、DevLOVEに注力できているわけではありません。ただ、それでも、仲間のみんなは優しく受け入れてくれているのを感じます。
つらいとき、いつでも帰ってこれる家として、私の心のより所となっています。

自分が一歩踏み出しさえすれば、ジャーニーはいつでも始められる

DevLOVEでは、私がそうであったように、誰かのジャーニーの始まりとなる手助けをしてくれる場やメンバーがそろっています。
そして、勇気を出して踏み出して、自分なりのジャーニーを紡いでいった軌跡を、読みたいと思う人もたくさんいることも事実です。
足りない勇気は、誰かが後押ししてくれます。
悩んだときには、DevLOVEに行ってみるのはいかがでしょうか。

今年もあと数日ですね。よいお年を。
来年もよい越境がありますように。

9
3
0

Register as a new user and use Qiita more conveniently

  1. You get articles that match your needs
  2. You can efficiently read back useful information
  3. You can use dark theme
What you can do with signing up
9
3

Delete article

Deleted articles cannot be recovered.

Draft of this article would be also deleted.

Are you sure you want to delete this article?