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あかんかった人生をやり直す

Last updated at Posted at 2025-11-10

あかんかった人生を取り戻す天啓

人生思い返すと、様々な事情から途中で放り出してしまった事があまりに沢山あり、我が生涯に一片の悔いなし、という世紀末の覇者ラオウの様な御仁の方がレアであろう。
不意にそういう思いがよぎった時、それはまた何かやり直す一つの啓示かも知れん。

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ロックダウン中のセブ島のアパートで

そもそも、このQiitaに書き始めたのはコロナによるロックダウンも2年目を迎え、自分の未来が全く見えなかった時であり、セブの海沿いのアパートメントでロックダウンされ、滞在ヴィザも切れ、このままではあかんと思っていた時に、ふと昔やっていたプログラミングをこの機会にもう一度やり直してみようと思ったのが、キッカケであった。
学んだ事をメモ出来るサービスを探していて、マークダウンでコードが書けるブログっていうことで、ちょうどええやんと思って、備忘録がわりにここに書き始めたのでした。

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思い返せば、就職氷河期真っ只中に社会に放り出され、最初にお金を頂いた仕事がウェブサイトの制作でした。
当時はHTMLも2.0くらいの時代で、CSSが出来て、デザイン要素のHTMLタグがどんどん廃止されだしたくらいの時期やった。
動きのあるコンテンツはFlashで作り、サーバーサイドはPerlとかで書いていた時代である。
WEBの世界はまだまだカオスと闇が渦巻いており、2ちゃんねるなどでも事件が色々と起きていたインターネットでした。

当時の自分はほとんど静的ページばかり作っていたのですが、サーバーサイドもやらんとあかんと思い、JavaScript、Perl、PHPなどをオライリー本を読みながら勉強していたのですが、難解な用語や概念がなかなか理解できず、そのまま蓋をして、ファッションデザインの世界に飛び込んだのでした。

そうです。あれから25年近くの歳月が経ち、挫折の苦い思いと共にずっと心の奥にあった、あの時した蓋が気になりだし、もう一度開けてみようと思ったわけです。

長い間見て見ぬふりをしていたプログラムの世界は、すっかり熟成され、僕の知っているかつてのカオスでアナーキーだったフレハブのバラックが立ち並ぶ、混沌とした姿ではなく、種々の洗練されたフレームワークが開発され、膨大なライブラリや健全なエコシステムが整備され、スッキリと舗装されたモダンな都市の様相を呈しておりました。

さらに10年間海外で働いた事により身についていた英語力がプログラミングを学ぶ上で強力な武器 となり、わざわざ日本語訳された難解な用語をスルーして、直接英語で概念や言語の理解ができ、その上膨大な英語のリファレンスにもアクセス出来たこともあり、長年の苦手意識も解消。
この歳になって、毎日ちょっとずつレベルアップできる喜びを感じ、プログラミングって、こんな楽しいもんやったんかと感動し、毎晩25ペソのフィリピンビールを飲みながら夜が明けるまで勉強に没頭したのでありました。

いきなり時代は変わってしまった

そんな感じで、ここ3−4年ほど、毎日コードエディタを開くというルールを自分に課し、コツコツとプログラミングを勉強し、自分で開発したアプリの数も二桁を超え、このプログラミングスキルと英語力を活かして、オレの新しい人生はこれから始まるんや! と思っていた矢先、やってきた新しいAIの波
とりあえずCoPilotをインストールして、絵を描くときに便利な、写真をアップロードして色のトーンを単純化するというアプリ を作ってみようと思って、作り始めたのですが、なんとエディタを開いて3時間ほどでデプロイまで出来てしまい、衝撃を受けると共に、自分の中でフッと何かが冷めてしまったんだよね。

一つの言語やフレームワークを習得する為に、YouTubeやUdemyなんかで勉強を始め、分からないことは徹底的にググり、エラーが吐き出される度にStackOverflowなんかで調べたりスレを立てたりし、何週間もかけて一つのアプリを完成させるという2−3年前までは当たり前であった自分自身の姿が、一気に過去の古き良き時代のプログラマーの姿として歴史になってしまった様な寂しさ。
そろばんスキルを磨いていたら、いきなり電卓が登場したようなちゃぶ台返し。
ドラクエでいうと、今までコツコツと雑魚と戦い、少しづつ新しい呪文や武器を手にしてきたのに、いきなり最大レベルで無双出来るようになったみたいな虚しさ
で、何となく、コードエディタを開く時間が減ってきたんですよ。

結局何かを学ぶ事って、毎日の少しづつの成長実感や以前に出来なかったことができる様になっているという前進しているという実感、毎日小さなゴールを超えていく面白さみたいなものが本質なんだよね。
いきなり最強になっちゃうと、学ぶということの面白さの本質は失われてしまう。
ただ、昔放り出したプログラミングというものが、なんか嫌な別れ方をした昔の彼女みたいな感じでずっとどこかに引っかかっており、長い年月を経た後でもう一度向かい合い、時間をかけて理解しようとした結果、すっきり和解できたような清々しさがあったわけです。

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どちらにしろ、HTML/CSS/JavaScriptから始めて、React/Flutterなんかのモダンフレームワーク、サーバー、Database、Authentication までをまた勉強しなおせたのは、この新しい世界にまた足を踏み入れるきっかけになって、非常に楽しかった。
プログラミングって、タダで出来てお金がかからない。そして、どこまでも深くやれて、使えるモノやサービスが自分の手で作れる。 興味のあるやつはやってみるべき。

AI時代のプログラマ

で、必要なコードの生成や、エラーやバグの修正は、AIが瞬時にやってくれる時代に、プログラマは何をすべきかっていう話題は、色んなところで語られているわけですが、例えば、無職で童貞のオレが異世界で魔法を使って無双する話 をアラビア語で書いて下さいってAIに言えば、書いてくれるわけですが、アラビア語では内容を読めないわけですよね。
つまり、AIが生成したコードに何が書かれているかはやっぱり読めないといけないし、どういうコンセプトで、どういうフレームワークや言語、ライブラリを使うべきなのかは、プロンプトを打つ人が分かっていないといけないので、やっぱりプログラミングは勉強する必要があるよね と言うことは、皆さん同意いただけると思います。
あと、やっぱり、何を作るか という発想が今後非常に重要になってくるだろうな。
おい、たぬき、なんかおもろいアプリを作ってや ってドラえもん感覚でAIに頼んでも、何がおもろいのかが明確でないと、自分のイメージしているおもろいものには絶対ならない からね。
ドラえもんでも、のび太は大抵道具の使い方を誤って、世界を滅亡の淵に追い込んだりしている。
UIの細部に至るまで、完成系のイメージがないと、どこに行き着くかが分からない状態で、何かを作ることは出来ない。
なので、どの技術を使って、どういう面白いものを作るのかという発想を持った人と、そのコンセプトを実装する為に的確なコードをAIに生成させられるようなエンジニアが今後は必要とされてくるのかなと思っています。
今の所、AIはモビルスーツであって、操縦者の力量で成果はかなり違ってくる。

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あとね、いくらAIが完璧な絵を描こうが、作曲しようが、将棋で無双しようが、完璧なコードを書こうが、絵を描く人は絵を描くのが好きなんで描くんですよ。
音楽を作る人は、音楽が作るのが好きなんで、作ってるんですよ。
将棋を指したい人は、将棋が好きだから指してるんですよ。
なので、AIが幾ら人の技術を超えたところで、やりたい人は自分がやりたいからそれをやるわけなんで、関係ないんすよね。
自分も、気が向いたらまた色々アプリは作っていきたいなと思っています。

このスキル、あと何年もつんや?

でね、パンデミックでそれまでの仕事も、積み立ててきた貯金も、住んでたところも失って、英語とプログラミングが出来れば、次のキャリアに有利やと思って、数年かけて勉強してきてたものの突如優秀なAIが登場し、自分が勉強してきたスキルが一瞬で凌駕されていく のを目の当たりにし、改めてここ数年の人生の困難を思い返してみると、自分はずっと数年単位のものを追い続けてる んだと気づいたんですよ。

とりあえず数年は通用するスキル
とりあえず数年は働ける場所
とりあえず数年は暮らせる場所
とりあえずの人間関係 みたいな。
ただただ小骨を繋げていっているだけで、そこからは人生の背骨みたいなものは失われてしまっている。
人生の折り返しをすでに過ぎてしまい、こんなんではあかん と気付いたんです。

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ライフワーク

今まで、Webサイトを作る仕事からスタートし、ファッションデザインをやり、海外に出てホテルや飲食店、ショップの経営、一周回ってアプリ制作など、色々な事をやってきたわけですが、結局人生通してやりたい事、出来ること。つまり自分のライフワークって何やろ と思った時に、
自分の周りに居る人の為に、自分の手でなにかをコツコツと作る。
アプリでも、仏像でも、そういう事をずっとやっていきたいなと気づいたわけです。
宮崎駿の言葉を借りると、「半径3m以内に大切なものは全部ある」
ライフワークって、自分の人生の為に、人生を通して出来る何かであって、それは仕事にならなくても、お金にならなくても良いんですよ。
そこが、自分を見失って自分探しをしている迷子系界隈の人たちの言う、”自分のやりたい事” っていうフレーズや”趣味”と違う所Death.

手作業への回帰

で、今はマニラに住んでいるんですが、街を見ていて、また服作りをしたいなという気持ちが湧いてきて、自分の時間でストリートブランドを始めたのです。
日本にいた時も、仕事として服作りをしていたけど、根本的にしんどかった。
なぜかというと、セレクトショップや取引先からのマーケティングを重視したオーダーに従っていると、結局自分の作りたかったものからどんどん離れていく し、工場に頼むと、数量をオーダーしないといけないから、最低でも数百個っていうロットになってしまう。
その数量を売り切る為に、値下げも含めて、かなり無理をしないといけない。
それは、結局工場の都合であって、いいデザインやプロダクトとは関係ない んだよね。
つまり、服作りっていうのは好きなんだけど、それを商売として成り立たせないといけないというプレッシャーと業界のさまざまな現実から辛いものになっていく。
プログラマーの諸先輩方も、色々とそういうご経験があると思います。

でも、そうじゃなくて、周りの人の為に、好きな服をデザインして、とりあえず数着作れれば良いやんという発想になってから、なんか色々な可能性が見えてきたんですよ。
業界や世界の流れとは完全に逆方向。で、そこに何か気づきみたいなのが落ちてたんですわ。
で、帰国時に生地や素材を買って、こちらで加工や縫製できる小さな仕立て屋を探して、1着の服を時間をかけて作る。これが結構楽しい。

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あと2つ、昔辞めてしまったことで、最近もう一度始めたことが、絵を描く事と、ドラム。
両方とも、好きで始めたはずなのに、絵はイラストやデザインの仕事に結びつけんとあかんと言うプレッシャーや、音楽はバンド間の熾烈な競争やバンド内部のゴタゴタなどに疲弊して結局嫌になって辞めちゃったんですよ。

で、そうやって色んなものを途中で投げ出す形になり、あの頃続けていれば良かったという後悔の念が、心のどこかにずっと引っかかっており、最近、それらの事を、純粋に、お金や仕事、他人との競争と切り離してはじめてみると、かなり楽しいわけです。
当時は分からなかった事が、今は情報ソースが溢れているので、より簡単に深く学ぶ事ができるし、プログラミングと同じように、絵や楽器というのは、上達が見えるのでモチベーションも保てるし、一生続けらる。

職業を選べることが、ストレスと競争と悲劇を産んでいる

で、何が言いたいかというと、おそらく日本でも明治維新くらいまでは、仕事や職業ってかなり固定化されていたと思うんですよね。
つまり、職人や商売してる家に生まれたら、死ぬまでそれを継がんとあかん。
農家や漁師の家に生まれたら、自動的に死ぬまでその家業をやる。
職業の選択の自由がないのが、当たり前の社会。考えなくても良いし、進路に悩む必要もない。

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それ以前の農耕民や狩猟採集民だった頃も、生まれてから死ぬまで、やるべき事ってほぼ決まってるやん。
たったここ150年くらいで、人生でやることや仕事を自分の責任で選ばなくてはならず、その為にスキルを身につける必要があり、受験や就職で過酷な競争が生まれ、人生で複数回違った仕事を転々とするみたいな生活を送る様になった。
いきなり、何万年と人間が送ってきた生活と違ったルーティン をこなさないと生きていけなくなったわけで、人間の遺伝子レベルではそういうのは無いわけですよ。

そもそも、動物として、そういう特殊な生き方はインプットされていない。
動物って、鮭でも渡り鳥でも鯨でも、だいたい一生の過ごし方がDNAにインプットされている。
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人間は元々プログラムされていないタスクをこなさないといけないわけで、それがストレスになるのは当然 で、かといって、仕事もせずに一生生きていける現代の貴族なんてそうそういないわけで、そうなると、何かライフワークを持つっていうのは、人間に根源的な安定感を与えてくれる んでは無いかと思うわけです。

タイパとかコスパとか

今はAIの能力の進歩が加速度的に速くなって、特定のスキルの有効期限が短くなり、世の中の流行りも数ヶ月単位で移り変わる様になってくると、タイパとかコスパとか、いろんな物事を短い期間でしか考えられなくなってくるんだよね。
そうすると、なんか生きるのがしんどくなってくる。
なので、無駄に時間をかけられるもの、生涯学んでいく事 が何かあるっていうのは、今からのAIの時代に、かなり重要なんじゃないかと思うのですよ。
タイパやコスパは、自分の時間を最大化する為に、食う為の仕事などの際に意識して、 自分のやりたいことを出来るだけやった方が良いよね。

楽器でも、絵を描くでも、プログラミングでも、なんでも良いんですが、昔純粋な気持ちではじめて、様々な事情で諦めて、どこか心に引っかかっているものって、ライフワークになる可能性があるんじゃ無いかなと、恒例のAdvent Calenderの商品目当てでこの文章を書き始めながら、なかなか深い考えに行きついた気がします。ありがとうQiita。

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