人生の黄昏に差し掛かったおっさんの就職事情
元々文系だった俺がインターンを経てIT企業に入った話、とか、全くの別業種から半年独学してエンジニア転職に成功した話 的なキラキラとしたエントリはQiita上で散見されるものの、転職活動を10年続けてたら人生行き詰ってきた話 は、そういった20代、30代のなんとなく眩しい物とは違った、人生の晩年に差し掛かってきたおっさんの絶望や閉塞感というものを感じさせて、なんとも言えない読後の余韻を感じたのであります。
おおよそ同世代ということもあり、昭和の価値観を引きずった世代であり、就職氷河期世代と言われ、さらに、東北の震災とコロナで、2度、全てを失ってから次の人生をどうしようかと絶望した個人的な経験から、非常にリアリティを感じさせられる内容でありました。
お前は今まで何をしてきたのか
自分の場合は、以前の記事にも書いたけど、大学を中退後、フリーのフロントエンドデザイナーとして社会に出て、その後バーチャルよりもリアルなプロダクトに魅力を感じてファッションのデザイナーとして自分の会社を作り、10年ほど国内外のセレクトショップなどと取引してきたものの、東北の震災とその後の自粛ムードの中で大きなキャンセルを喰らい行き詰まり、非常に辛い1年のサラリーマン生活を経て、ファッションデザイナー時代の非常に奇妙な縁から海外に出る事になり、紆余曲折を経てドイツ人投資家のリゾートの経営をする事となり、その後軌道に乗った後で自分のショップをやったり、さらに海外でデザインのプロジェクトを始め、人生おもろくなってきたと思っていた矢先にコロナという厄災が降りかかってきて、再び全てを失い、どん底からの就職活動を経て、今の日系企業のマニラオフィスのマネージャーというポジションに落ち着いているわけです。
で、こういったことを長々と書いているのは、さっきあげた記事で筆者が書いている様な事を、コロナの長い長いロックダウン下で、再度就職活動を始めた自分も感じていたからである。
特に海外に出てからは、もう夢中というか、今までとは全く違った環境でずっと日々過ごしてきて、コロナ時にはまさにジェットコースターが急に止まって、始めて今の自分のいる位置に気づいたという有様であった。
特に、海外ではほとんど誰も年齢など気にしない。ここ10年で聞かれたことも殆どなかったので、冗談抜きで、自分の今の年齢が出てこない時が多々あった。
会社勤めでない人が、今日が何曜日か分からなくなるような感覚にとても近い。
で、そういった生きるために職を見つけないといけない状況に追い込まれ、今までのいわゆる学歴や職歴といった”情報”を20年ぶりくらいに履歴書に書いている時に、改めて自分は歳をとってしまったのだという現実や、職歴の羅列を見て、転職に有利な感じの履歴では全く無いという事に気づいて愕然としたのでありました。
一体、自分は今まで何してきたんだろうかと。
有名大学卒で、海外大学でMBA所得後に外資系企業で経験を積んだとか、少なくとも転職で輝く様な資格があったりとか、ある程度知名度のある企業で勤めていたとか、そういったものは全くない。運転免許すらない。
最初の社会人経験はフリーランサーだし、勤めていたのも誰も知らないような会社だし、海外に出てからもほぼ自営であり、そんなことを職歴書に書いても、なんの輝きも発していない。
自分なりに、それなりに、その時その時を頑張って生きてきたと思っていたのに、紙に書いてみると、なんと薄っぺらく見えるんだろうかと。
それに、日本の会社って、年齢にすごくこだわるのを感じて、こんな経歴の40過ぎのおっさんは、社会的には価値がないんじゃないか という位の気分になったのでした。
お前は英語が出来て、海外経験もあるんちゃうんか、話しを盛るために自虐してんねやろ、しらこいねん と仰る方もいらっしゃるやも知れませんが、英語が話せてプログラムも書けるようになったのでより就職が難しくなった件について にも書いた様に、英語人口は日本語人口の数十倍もいる訳で、さらに日本企業って、どこも弊社はグローバル化を爆裂に推進しつつ海外で戦える人財をとか言いつつも、本当の意味でグルーバルな人材とかめんどくさくて要らんというのが本音の部分です。
ライフパスは情報ではなくストーリー
軍隊まで動員されたセブでのロックダウンの最中、今まで特に振り返る機会もなかった、自分のライフパスやライフイベント、会ってきた人たち、元々ITエンジニアでビリオネアになった前の投資家のボスや、デザイナー時代のデザイナー仲間、ホテルやっている時に出会ったヨーロッパのバックパッカー連中や自由人達、フィリピンではそこら辺に屯しているその日暮らしの連中、日本のサラリーマン時代の上司など。を思い浮かべ、で思ったのは、
どんな履歴のどんな人にも、全員ストーリーがあるよねっていうこと。
今までの職歴や経歴を”情報”ではなく、ストーリーとして考えれば、 自分の生きてきたパスも、それなりに面白いよねっていう風に思えて、殺風景な部屋に、細く刺す光が見えたのでした。
自分が経験してきた様々な事が、履歴という形で紙の上の"情報"となると、途端に何の魅力も失せてしまう のですが、自分はこういったストーリーを生きてきましたよ って表現し直すと、挫折も失敗も小さな成功体験も、途端に色々な事柄が色彩を得て生き返ってくる様に感じました。
そもそも、自分の人生を自分が肯定できなければ、どうするのかと。
その時その時で一生懸命やってきた自分にあまりにも失礼でないかと。
そもそも、人生は就職に有利かどうかで生きられる様なものでは、決して無い。
仕事って、人生に影響を及ぼすけど、それも自分のストーリーの一場面でしかないわけで。
で、実際の就職活動時も、面接まで行けば、あとは今までの自分の人生を、出来るだけストーリーとして面白く話してみようというコンセプトにしたら、そういった事を話せる時間も楽しく、面接はたいてい最終面接までは残るという感じになり、採用にならなくても、面接で知り合った代表の方や、担当者とその後もメッセージやり取りをしてみたり、近くに寄ったらお茶をするという感じで付き合えるようになりました。
やはり、自分の今まで生きてきたストーリーを自信を持って、興味深く話せる人は、判で押したような人たちより、面接する側からしても印象に残るよね。
また、面接する側にも、その人が、今、そこに座っているストーリーがあるんだよね。そう考えると、相手にも興味を持つ事ができ、コミュニケーションが自然に取れる様になる。
自分で自分を知ることはすごく重要
あと、重要だと思ったのは、己が何をやりたいのかをちゃんと己で知ること。
ゴールがどこか分からないとマラソンも走れないのと同じで、どこに向かうのか、ある程度自分で知っておくことが重要だよね。
自分は何が嫌いなのか、何が好きなのか、何をしている時が楽しいのか、何にストレスを感じるのか、そういうことをある程度自覚できれば、そういった生活が送れるのはどの方向なのか見えてきて、それには何が必要なのかが始めてわかってくる。
自分の性質や芯を知るというのは、もちろん自分の好きな事を仕事に という様な次元の話ではありません。
で、俺って何が好きなんやと思う とか他人に聞いても勿論 知らんがな としか返ってきません。
馬鹿になって、自分と向き合うしかありません。
多くの苦しみは、世間が言う、これが幸せな人生の勝ちパターン とか、雑誌やSNSで輝いて見える他人の人生を自分に当てはめようとしたり、それを真似しようとしてはじまる事が多い。 そんなものは嘘であり、マーケティングであり、それで商売している人間がいるのである。
自分の場合、ロックダウン中にプログラミングの独学を始めて、で、次はこれを活かして就職とかっていう風に考え、それで悩むことが多かったわけだけど、コードを書くのは楽しいですか?に書いたように、職業としてのプログラミングを考えた場合、自分がやりたいのはそれではないんじゃないかと思ったんだよね。
プログラミングは、自分にとってDIYのツールみたいなもので、無理にそれで就職しても楽しくないやろなと思ったわけです。
自分の創りたいものを、自分の手で作れる便利な魔法のツールであって欲しくて、その道具を使って自分の手で開発したサービスで、最終的にはお金を稼げたら最高 というのが、プログラミングにおいて、自分が最も幸せなカタチだと気づいたんですよ。
履歴ではなく、ストーリーで語れる履歴書サイト
という、個人的な思いから自分で作ってみたのが、下のウェブアプリ。無味乾燥なテンプレ履歴書を書いていて、もっと情報を面白く見せれるようなものを自分で作ったろと思って、自分の転職活動用に作ったものです。
すごくシンプルなタイムラインで、写真と文字とリンクを使って、自分のライフパスを表現できるアプリ。
MyLifeApp
面接時に画面共有して、これを見ながら話をするっていう感じでイメージして開発。
実際、仕事のプレゼンテーションでもたまに使ってます。
結局、仕事って何なのか、自分の人生はどんな風に生きられるのが良いのかって、自分しか答えを出せないんだよね。
起こった過去に執着せず、まだ来てもいない未来を怖がらず、今ある現在を十分に生きる by aka Buddah