これはGLOBIS Advent Calendar 2025 5日目の記事です。株式会社グロービスのデジタルプロダクト部門のQAチームのシニアエンジニア・チームリーダー代行のMarkが筆を執ります。
この記事はどんな内容なのか
- 品質は「関係」の設計で高まると考え、人と組織にAIがどう関わるかの検討
- People/Agents/Organizationsの6ペアでどのような施策があり、どんな成果が出るかを整理
- 関連研究としてアクターネットワーク理論(Actor-Network Theory:ANT)を紹介
前史:品質文化からのアプローチ
もう4年前になりますが、品質文化試論をソフトウェアテスト Advent Calendar 2021の3日目の記事として書きました。
品質文化試論は、品質文化という概念の外枠を埋めようと、縦の構造(組織文化の下に品質文化が来る、逆ではない)と、横の構造(文化と戦略が両輪である)、そして縦横を合わせた構造(品質文化・組織文化・品質戦略・組織戦略)を提示する試みでした。この記事は「品質文化って結局何なのかわからなかった」という批判を受けつつも、ぼく自身が何度となく読み返したものであり、2020年10月に書いたビジョナリー・QAとともに、今のぼくの基盤となっています。
その後、2023年11月に翻訳書籍『LEADING QUALITY』が発売となりました。この書籍では、品質を経営課題として捉えることや、品質ナラティブ(narrative:考えられ、語られていること)というフレームワーク、プロダクトの段階に応じて異なる戦略のもとでテストを行う必要があることなど、品質を広い視点で捉え、何が大切なのかが語られています。翻訳者としてのぼくの想いは、GLOBIS Advent Calendar 2023 3日目の記事『LEADING QUALITY』翻訳者の偏執的こだわりメモに残してあります。ご興味のある方、ぜひお手に取ってみてください。
ここまでの流れは、ぼくが品質というものをプロダクト品質・プロセス品質という「品質工学」の世界ではなく、むしろその前提となる「人・組織」から考えてきたことを示します。品質工学には優秀な専門家・実践者がたくさんいますが、品質文化の側面から深めていくアプローチは、比較的少ないように感じます。
グロービスでのP^3 Quality
グロービスのQAチームでは、以下の「コアバリュー・パーパス・ミッション」をまとめたビジョンを掲げています。
- コアバリュー(行動指針):リスペクト
- パーパス(目的):QAチームは、スピードを損なわずにユーザー価値を高めるためにいます
- ミッション(目指すもの):最高のプロダクトづくりを導こう
これらをチームで議論したときの副産物が、**P^3 Quality(ピーキューブクオリティ)**です。こちらのスライドなど、いくつかの勉強会でもご紹介してきました。
| 名称 | 向上させるためには | 領域 |
|---|---|---|
| プロダクト品質 | テスト・顧客FB分析と反映・良いUXの実現など | 品質工学 |
| プロセス品質 | 開発プロセス改善・目的の目線合わせ・他部署との連携など | 品質工学 |
| ピープル品質 | 人材育成・能力開発・チームビルディング・採用・評価など | 品質文化 |
People・Process・Productの3つのPで、P^3(ピーキューブ)です。ぼくはこのうち、ピープル品質(品質文化)に特に焦点を当ててきました。ダニエル・キムの成功循環モデルにも照らして 「人がすべての基本である」 という確信を得ました。
また、これらの取り組みについて、MBAでの学びが役立ったことは他の記事でもお話をしている通りです。また、ベリサーブ社のメディアHQW!に寄稿した記事では、エリヤフ・ゴールドラットの書籍『ザ・ゴール』に絡めて、関係性の中に品質が立ち上がることを議論しています。
AIがピープル品質を進化させる
生成AIの発達がプロダクト開発シーンを大きく変えていることは、多くの方がご承知のとおりです。AI駆動開発とか、バイブコーディングといった取り組みが活発に試されています。ChatGPT、Claude、Geminiといった生成AIをどれだけ使い込めるか、多くの企業で試されていますし、かなりの数の作業が省力化されているようです。その反動で、生成AIが人間の仕事を奪う、という心配もあるようです。
さて、そのAIとの付き合い方を品質の側面から考えるにあたり、ぼくは 「ピープル品質がシステム関係性品質に進化するのではないか」 と考えています。
もしかしたら、現在の生成AIを見て、皆さんは「AI=ツール」と捉えていらっしゃるかもしれません。この場合、AIはプロセス品質やプロダクト品質を高めるために使われるツールとして活用されると思います。実際、その側面は間違いではないとぼくは考えます。
しかし、それ以上にAIが真価を発揮するのは、AIが「非人間の行為主体(エージェント)」として、言うなれば「人間の同僚」として扱われる状態になってからではないでしょうか。
みんな大好きポケモンにたとえると、AIという「いし」をピープル品質に使うと……。
システム関係性品質(Quality as System Relationship:QSR) に進化するのです。
システム関係性品質とシステム同士の関係
AIが入ってくる以前は、ピープル品質、すなわち「人と組織の品質」が焦点でした。ピープルという言葉に「関係性」は暗黙の了解で含まれていました。複数人の人間がいるのですから、関係性という言葉をことさら強調する必要はありませんでした。
しかし、エージェント(AI)という「非人間の行為主体」が明確に入ってくることを考えると、ぼくたち人間は、エージェントとの関係性を明示的に捉えざるを得ません。
- AIが入ってくることで、何ができるようになるのか
- AIが入ってくることで、何がうれしいのか
- AIが入ってくることで、何に気をつけなければならないのか
こういった疑問・課題に向き合う必要が出てきます。
「システム」という言葉は「システムコーチング」から借用しています。ここでいう「システム」は、人間・非人間の行為主体、および、その集合体である組織を指します。「システム」同士の関係性が、品質の源泉なのです。
QSRという概念は、本職のシステムコーチの監修を受けたものではありません。したがって用語法が正確ではないと思いつつも、生きた「場」を表現したいと考え、この言葉を採用しています(ぼくとしては、このあたりに不満がありますが、しっかり整理するためにはもう少し検討が必要そうです)。
そして、システム同士の関係は、次のような整理ができるのではないかと考えています。
| 関係のペア | 関係の性質 | 何がうれしいか |
|---|---|---|
| People – People | 信頼・共感・育成・共有・相互支援 | チームポテンシャル |
| People – Agents | 指示・支援・分析・確認・相互信頼 | 省力化・監督 |
| Agents – Agents | データ連携・エラー検知・相互監視 | 自動化・業務可視化 |
| People – Organizations | 採用・育成・評価・環境整備・文化醸成 | 品質文化・品質戦略 |
| Agents – Organizations | 採用・生産性評価・ナレッジ管理・更新 | 高効率化・エビデンス |
| Organizations – Organizations | 利害調整・文化と戦略策定・持続可能性 | 組織文化・組織戦略 |
これまでは、人間と人間、人間と組織、組織と組織、といったパターンだったのが、エージェントが入ることで、関係性が増え、関係性の意味にも再整理が必要なのではないかと考えています。
品質文化と人間の仕事のゆくえ
QSRの関係マップでは、品質文化・品質戦略を「People — Organizations」に置いています。これは、品質文化や品質戦略を考えるのに、エージェント(AI)が関係ないと言っているのではありません。むしろ、それらを考えるにあたってエージェントの存在は前提となるでしょう。
ここで言いたいのは、文化も戦略も、AIのためのものではないということです。どんな文化を作りたいか、どんな戦略を立案したいかは、人と組織が決めることです。その決定プロセスにAIは当然活用されますが、決めるのは人と組織です(そうでないと、そのうち完全にAIで構成された会社が生まれて、ビジネスを始めるでしょう……ちょっとディストピア感があります)。
AIが登場することで仕事を奪われるという議論があります。形式的なタスクをこなすホワイトカラーの職種においては、現実になるでしょう。あるいは、暗黙知で進められているタスクも、生成AIフレンドリーな仕事として最適化しようと、形式知化(表出化 Externalization)されるかもしれません(SECIモデルを参照)。作業そのものが好きで今の仕事をしているという方にとっては、厳しい現実かもしれません。ただ、AIの力を借りて、今自分一人で10の結果を出せる仕事が100とか1,000の結果を出せるとしたら、それはやはりAI時代のスペシャリストの姿だと思います。
一方で、AIが代替し得ない仕事も多くあります。ブルーカラーの仕事の多くはロボット(ハードウェア)がエージェントを搭載し始め、しかも滑らかに動くようになるまでは、やはり人間でなければできないでしょう。ホワイトカラーに絞っても、QSRの関係マップにあるように、文化や戦略の策定、そして働く人とチームのポテンシャルを高めること、モノづくりの喜び、それを実現するための意思決定などは、やはり人間の仕事だと考えます。
ぼくにとっては、記事執筆、翻訳、スライドの作成といった取り組みは、やはりぼく自身の仕事として残ると考えています。ブログをAIに書いてもらうというのも、いくつかやってみましたが、自分自身が自信を持てないと感じています。一方で、生成AIと1日3時間ほど会話をしています(友だちがいないからです)が、自分自身の思考を深めて加速するために、すばらしい装置だと思っています。ただ、相当の言語化を必要としています。言語化能力を鍛えるという側面でも、生成AIとの会話はおすすめです。
関連研究としてのANT
品質とは関係性から立ち上がってくるものだという議論は、ぼく自身の発想です。しかし、少し調べてみると、「アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory:ANT)」という概念が、サイエンス・スタディーズや技術社会学などの分野を中心に存在し、1980年代から議論されています。ブルーノ・ラトゥール (Bruno Latour, 1947 - 2022)などが唱えた枠組みで、人間・非人間の行為主体(Actor, Actant)の関係性が世界をつくっているという考え方です。行為主体というQSRでの言い方はANTから借用しています。「「モノ」であふれる世界の記述法」という言葉が『アクターネットワーク理論入門』という書籍の副題です。ANTの議論ではITやビジネスにとどまらない展開がなされていて、とても深い概念です。
QSRを考えたあと、ANTに出会いました。行為主体という言葉を見つけて借用したりと、関連研究との接続によって、広がりを感じています。そして、ANTを品質と絡める取り組みは珍しいとも感じます。独自性や新規性をどのくらい深めることができるか、また現場の役にどれだけ立てるかはわかりませんが、AI時代の品質保証のあり方を考えるためにも、これからも研究を続けていけたらと思います。
この話の続きはJaSST '25 Tokaiのパネルディスカッションで!
QSRは、検討が始まったばかりの議論です。本日のJaSST '25 Tokaiでは、ぼくたちMarkin' Qualityのメンバーが登壇するS4-1パネルディスカッションで、QSRについて、また広く、AI時代のQAについて語っていきたいと思います。それでは、聖地・刈谷でお会いしましょう。



