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この記事は「ソフトウェアテストAdvent Calender 2021」の3日目です。Markが筆を執ります。

本稿はブログにしては長文です。
ですから、最初に結論をまとめます。

「品質をどう担保するか」「どのテストを重視するか」などを意思決定する土壌である品質文化は、
組織文化の一部であり、かつ、組織戦略に従うものである。
戦略を実現するために組織は文化を育てる一方で、文化のあり方次第では戦略が台無しにもなる。
両者は表裏一体なのだ。
特に1人目の品質エンジニアが求められることの多い品質文化醸成は、
組織文化・組織戦略を理解し、しかも品質戦略策定にも力を入れて進めなければならない。
この難題に応えることができる品質エンジニアが今後ハイスキルとされ、
組織にとって貴重な、希少価値の高い存在となっていくのではないか。

このまとめを読んで、どんな議論が展開されるのだろうと興味を持ってくださった方は、ぜひこの先へお進みくださいね。

「文章が長くて読めないなぁ……」と思う方は、この記事をスクロールすると出てくる「3枚の青背景の画像」を眺めるだけでもOKです。それだけでも「あ、この記事にはこういうことが書いてあるんだ」とわかるような記事です(内容が薄いともいう)。

第1章 問題の所在

はじめに、ぼくがなぜ「品質文化」という言葉を扱おうと思ったかをお話しします。次に「品質文化」ってどんなものかなぁ、というのをぼんやり想像してみて、本稿のゴールはこのあたりかな?という指針を示します。キーワードは「品質文化」「イメージ」「意思決定」「土壌」あたりでしょうか。

うーむ、困ったぞ?

ぼくが「品質文化」に対して問題意識を抱いた背景には、とても個人的な事情がありまして……。

以前から「品質はソフトウェアのためだけの概念ではなく、ソフトウェアを作る人・組織の品質に目を向ける必要があるのではないか」という問題意識を持っています。そういう、伝統的な「テスト技術」から少し外れる話題を自由に広く議論する場としてMarkin' Qualityを立ち上げ、その中で「QC2QC時代」という言葉を提示してみたりしています。ここでいう前半のQCはQuality Control(品質統制)で後半のQCがQuality Culture(品質文化)です。

こういった動きをきっかけで、今日2021年12月3日(金)のJaSST Tokaiで、S5-4のパネルディスカッションに登壇することになりました。参加される皆さま、よろしくお願いします。

S5-4のパネルディスカッションのテーマは「組織づくりと品質文化のつくりかた」です。組織をスケールさせていく上での「成長痛」とか、その中で品質エンジニア1はどうあるべきか、どんな品質文化を作っていったらいいのか、みたいな議論が展開される予定です。ベンチャー企業で一人目の品質エンジニアとして活躍している方や、同じ問題意識をお持ちの方に特に共感していただける充実したセッションになりそうだなと思っています。

それでですね、ぼくは非常に困ってしまっているんです……登壇者なのに。

だってそもそも……。

品質文化ってなにさ?

「組織づくりと品質文化のつくりかた」は、視野も意識も高い感じのタイトルですが「それってそもそもなんなのさ?」という問題がつきまといます。特に「品質文化」なんて、冷静に考えたら何を指しているのか理解できません。

いや、なんかフワッとしたことなら言えるかもしれません。

品質にかかわる意思決定の土壌

「品質文化」とはなんだろう、と考えると「品質というもののあり方」とか「どの品質(特性)を大事にするか」といった考え方、それも組織に共通の考え方・語られ方(narrative)が関係していそうな気はします。

文化なのか風土なのか戦略なのか戦術なのか、いろいろ混ざっていることを承知で、具体的にイメージしてみましょう。
「当社はテストをなるべくAutifyで自動化して、品質エンジニアは自動テストでカバーできないところを探索的テストでつついてみたり、最近はスクラムの開発者やPOと相談しながら全体のテストアーキテクチャーを更新したりしているよ」
「当社は開発部門が小さいからテストまで自分たちで手を回せないんで、ベンダーさん(BPさん、第三者検証企業さん、etc.)にお願いして、結構徹底的に見てもらっているよ」
「当社としては、品質は組織の戦略上とても大事だから、エンジニアだけでなくビジネスも基礎知識くらいは身につけようって社内勉強会をしているよ、教育コストをかけてでもやろうっていう声が大きいんだ」

これらの声はすべてぼくがひねり出したフィクションで、現実味の粉末すらありませんが、そんな感じの言葉が組織の「品質文化」の断面を表すものとして出てくるかもしれません(皆さんの所属企業・客先企業ではいかがですか?)
これらのイメージからは「意思決定」の匂いを感じます。品質エンジニアの仕事はタダ働きではありません。自動テストツールを導入するのも、ベンダー企業から要員を入場させるのも、社内勉強会も、品質にまつわる活動はお金がかかります。2お金がかかるということは「お金をかけようという意思決定」がなされています。かけたお金よりも多くの価値を得られると判断されているのです。
品質にかかわる意思決定を導き、またその意思決定により育まれる、土壌。それを一旦「品質文化」と呼んでみることは不可能ではないかもしれません。ただ「それって本当に文化の話? 品質戦略とはどう違うの?」みたいにも思えるあたり、あまり有効ではなさそうです。

真っ正面から立ち向かうのはやめよう

悪あがきしてみましたが「品質文化は品質に関する意思決定の土壌だ」という表現を導き出したとして、それでは( ´_ゝ`)フーンと言われるのがオチです。「それで、何がうれしいの?」という質問に答えられないのはビジネスパーソンとしては避けるべきでしょう。

このように「品質文化」を正面切って考察するのがしんどいのは、扱いの難しい言葉が2つくっついているからです。今日び「品質」さえ未定義の言葉として(または、人によって定義がバラバラな言葉として)慎重に扱おうという動きもあるのに、そこに「文化」なんて漠然としたものがくっついてきた日には、JaSST Tokaiの大舞台であろうが、場末のMarkin' Qualityであろうが、そこで行われるパネルディスカッションなんて視野と意識が高いだけの空虚な妄言を交わして終わるでしょう。

で、ぼくはせっかくの機会をそういう不毛な結果にはしたくありません。参加者の皆さん(とぼくたち自身)が、何か少しでも持ち帰れるものが必要だと思うのです。
そこで本稿ではJaSST Tokaiでの議論に先立って「品質文化」というやつの輪郭だけでもあぶり出そうと試してみます。そこに見出されたsomethingに対して、ぼくたち品質エンジニアはどう考えていくことになり、ひいてはこの先どう価値を発揮して組織貢献していくのかを導き出せれば、今回はヨシ!とします。

第2章 階層と両輪

ここまでで「品質文化」という言葉がフワッとしていて、しかも正面からは考えにくいことを示してきました。じゃあどうするのよ?というのが本章です。「品質」「組織」そして「文化」「戦略」がキーワードです。

困難は分割せよ

そのまま「品質文化」という言葉の前で頭を抱えていてもしょうがないので、ルネ・デカルト(René Descartes, 1596 - 1650)の箴言3に従い、分割して考えてみることにします。「品質文化」を「品質」「文化」に分けて、それぞれから検討してみましょう。まずは「品質」からです。

品質と組織をめぐる階層構造

この種の議論をしたことがある方でしたら「品質」なんてものを語り出すと永遠に終わらないか、狩野モデルなりワインバーグの定義なりが出てくるかが関の山だと思われるかもしれません(もしそうだったら、わざわざぼくが新たにブログを書くことはなかったでしょう)。そこで、ここでは「品質」の中身は置いておいて「品質は何の下に属するのか」という階層構造から考えようと思います。すなわち、品質を組織に属するもの(組織は品質を包含するもの)として捉えるのです。
品質エンジニアの方であれば、居酒屋で「周りがテスト・品質の重要性を理解してくれない」とクダを巻いたことがあるかもしれません。「うちの会社は(あの客先は)品質なんてとりあえず二の次っていう組織文化なんだよねぇ」なんていう会話をよく耳にします。「世の中そんなもん」という嘆きとも諦めともつかない雰囲気が延々と漂う酒席も、一度や二度ではありませんでした。「品質」は「組織」の考え方に左右され翻弄されるものであるかのようです。
そんな空気では「いやいや、ぼくらで良い品質文化を作って、組織文化を変えていこう!」などとはなかなか言えません。しかも「良い品質文化」のイメージが仮にあっても、組織文化を変えていくのは並大抵のことではありません。これは次のような図になります。
211203_品質文化試論.001.jpeg
この図を言葉にすると「品質文化は、組織文化の一部である」です。4
品質に関心が寄せられるのは、どういう場合でしょうか。「組織が価値を提供し対価を得る一連のビジネス活動の中で、製品・サービスの品質が悪いと売れないから」というのはひとつの答えです。売れなければ廃業の道が待っています。よって、組織は質の高い品を、しかしコストを必要以上にはかけずに、提供したいと考えます。利益は売上から売上原価(かかったコスト)を差し引いたものだからです。
裏を返せば、品質にどれだけコストをかけて注力するかは、組織文化を踏まえて、組織が意思決定します(組織は「人」ではないので、正確には組織の責任者でしょうか)。起業家のエリック・リースが『リーン・スタートアップ』(日経BP・2012・原著2011)で記したような、高速で市場にプロダクトを出して反応次第で次の打ち手を考える戦略を取っている組織であれば、リリース前のプロダクトに対してコストをかけてテストをするのは、割に合いません。「ちゃんとテストをしないと!」と主張する品質エンジニアをなだめつつ、リリースを繰り返すでしょう。

階層構造は「品質」だけに適用されるものではない

本稿はあくまで品質文化を考える文章なので「品質は組織に属する」と論じています。ただ、組織に属する要素はごまんとあって、たとえば「ソフトウェア開発」も同様に組織に属するという議論もできると思います。アジャイル開発が適している組織と、従来型のウォーターフォールが適している組織とは、異なった特徴がありそうです。非常に興味深い話題ですが、これではいつまでも終われないので、次の話題に移りましょう。「品質」の次は「文化」の側面から議論してみます。

シャインによる「文化」の定義

エドガー・シャイン(Edgar Henry Schein、1928 - )は文化をこのように定義しています。

文化とは共有された暗黙の仮定のパターンである。暗黙の仮定とは、外部に適応したり、内部を調整したりといった問題を解決する際に組織が学習した方法である。それらは組織によって承認され、新しいメンバーが組織に加わった際には、問題に気づき、考え、感じるための新しい方法として彼らに伝えられる。
(エドガー・シャイン(2016・原著2009)『企業文化[改訂版]ダイバーシティと文化の仕組み』(白桃書房)

「文化」は広くて深い概念ですが、シャインも「組織」という言葉を自然と使っていることと、本稿での「品質」での階層構造の議論を踏まえて、ここでは「組織文化」と絞った呼び方を採用しましょう。組織もまた広大で、上は国家や国際機関から下はチームや家族までありますが、ここでは企業の下に属する組織、たとえば「開発部」くらいの規模で捉えるのがよいと思います。

組織文化は、そのまま組織戦略を実現するための源泉となります。そのため組織はむしろ積極的に、戦略に応じた文化を醸成すると見ることができます。組織の戦略は、たとえば営利企業であれば究極的には売上と収益を勝ち取るためのものでしょうし、そうでない団体でもそれぞれの目的を果たすために描かれるでしょう。

お祭りは世帯を何世代にもわたって維持したい自治体の戦略!?

イメージしやすい具体例をひとつ挙げてみましょう。ぼくが住んでいるのは東京都葛飾区で「下町」と呼ばれるエリアです。いわゆる『こち亀』で描かれてきた世界ですね。このあたりには、亀有香取神社の例大祭や浅草神社の三社祭など、たくさんの人が観に来る大規模なお祭りがたくさんあります。いずれもたいへん長い間、伝統的に続いているもので、まさに「下町文化」のイメージにつながるものです。
では、毎年大きなお祭りを自治体・町内会がかなりの費用と時間をかけて行うのは、なぜでしょうか? 数年に一度新しく作る立派な御神輿も、派手な飾り付けも、振舞われる飲食物も、タダではありません。何かしらメリットや狙いがあるから、多額の費用がかけられているし、その意思決定が下されていると考えるべきでしょう。
何が狙いなのでしょうか? 答えはいろいろあると思いますが、そのうちひとつは、世帯の維持だと考えます。伝統的なお祭りには、地域の老若男女が文字通り総動員され、子どもから大人まで、一人ひとりに果たすべき役割が与えられます。すると、年少者は年長者の背中を見ながら毎年のお祭りに貢献することになります。「ぼくも6年生になったら和太鼓を叩くんだ!」「おばあちゃんの作る飾り付け、すごくきれい。わたしもああやって作れるようになりたい!」と。こうして大人になり、結婚して子どもをもうけ、自分がそうしてきたように我が子と(祖父母・曾祖父母と)一緒に「お祭り」に参加し、それぞれ役割を果たすのです。そういう家庭が集まる地域の結束は高まります。もちろん、近所付き合いを厭う世帯はよそに引っ越していく一方で、流入する世帯もあるでしょう。そのサイクルが何世代も、同じ地域・町内で続いているのです。文化的行事「お祭り」の背景には、世帯の維持・増加という自治体の戦略があるといえます。5

文化は戦略をあっさり台無しにする

戦略の実現のために文化が育まれるという話をしましたが、まったく反対のことも言えます。"Culture eats strategy for breakfast."という言葉があります。ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker, 1909 - 2005)が言ったとされますが、出典は不明です。ぼくはこの言葉を「文化は戦略をあっさり台無しにする」という強い表現で翻訳してみました。朝だけに。
経営者に代表されるマネジメントの立場では、戦略を立てることに躍起になって現場の文化に興味を持たなかったり無視してしまいがちです。そこで、文化構築を疎かにしているようでは、むしろ戦略なんて絵に描いた餅に過ぎないとドラッカーは指摘しているのです。
「品質第一で顧客満足を実現し、シェアを拡大する!」という戦略を表向きには掲げている組織が、内実としては品質が軽視されているとか、矢継ぎ早に新機能を追加するよう経営層が要求してエンジニアが全員従っている(言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない姿勢)という状態になっているとしたら、表に掲げた戦略なんて何の意味もありませんよね……。

文化と戦略の相互依存

これまで見てきたように文化と戦略は相互依存の関係にあります。先に挙げたシャインは「リーダーシップと文化は表裏一体」6と表現していますが、いずれにせよ組織であれば、組織文化・組織戦略のどちらか片方がダメだと、うまくいきません。両輪が揃って回ることで、最大のパフォーマンスが出せるのです。
211203_品質文化試論.002.jpeg
この図では、文化と戦略のそれぞれがプーリー(もしくはタイヤ)のように回転しています。文化は発展するエネルギーを、戦略は高度になっていくエネルギーを、それぞれ持ちます。独立して回転しつつ相互に作用することで、それぞれが大規模化・高度化していくイメージです。

第3章 品質文化の輪郭

さて、第2章で「品質」と「文化」の検討をしました。品質の上位には「組織」があり、「文化」との相互作用を持つものとして「戦略」があるという議論でした。ここまでのまとめを図にすると、次のように品質文化の輪郭が見えてきます。
211203_品質文化試論.003.jpeg

「品質文化ってなんだろう?」と徒手空拳で考え始めるよりは、少し議論がしやすくなったと思いませんか?
しかも、ほら「品質戦略」という魅力満載の言葉が出てきましたよ。複雑で曖昧な「品質文化」を、あえて周囲の概念との関係性から捉えてきたわけですが、それでもやはり品質戦略からは逃げられないのかもしれません。
せっかく描いたこの関係図から、読みとれそうなことをいくつか考えてみましょう。

組織文化は品質文化の限界を定める

これは第2章で語ったことと同じです。下位に包含されている品質文化を良いものにすることで上位にある組織文化を変えるというアプローチは難しい、というお話でした。組織文化を変えるためには、現実的には組織文化を作っている人物や組織戦略に対する働きかけに動くなど、品質という枠組みに拘泥しない柔軟な動き方が必要でしょう。

組織戦略を無視して品質文化を構築・変革することはできない

これはいわゆる「1人目の品質エンジニア」が知っておくべきことだと思います。少人数で起業したスタートアップ企業が「企画・開発力で成長してきたけれど、そろそろちゃんと品質と向き合わなければ」と考え始めたときに求めるのが「1人目の品質エンジニア」です(QAマネージャーくらいの役職を想定しています)。「実際に何を求めているのか」は組織によって異なりますが、品質文化醸成のニーズが大きいと見るのは、あながち的外れではないでしょう。
品質文化の輪郭を示した関係図を眺めていると「1人目の品質エンジニア」はとても不自由なのではないか、と思えてきます。経験豊富な品質エンジニアで、すでに理想とする品質文化を思い描いていたとしても、それが組織文化に馴染まなければ醸成にはたいへん苦労するでしょう。加えて、関係図の斜めの位置にある組織戦略に沿ったものでなければ、ほとんど実現不可能なのではないでしょうか。
組織戦略は、組織のビジネスの考え方、すなわち「お金の稼ぎ方」であり「市場での勝ち方」です。組織の経営陣が見出した(と思っている)勝ち筋に逆らうような品質文化なんて、どうしたら受け入れられるというのでしょうか。
逆の言い方をすれば、組織戦略をよく理解しないと、品質文化の構築・変革には着手できないということです。焦って動いても無駄になってしまうでしょう。
1人目の品質エンジニアでなくても、組織戦略をまったく無視しておいて良いテストなんてできないという点は重要だと思います。テストとは何かを追求する職人肌の方が、ビジネスに関心を向けずにテストだけに血道を上げて、結局成果が上がらない……なんて悲しい事例も少なくありません。ベンダー企業(第三者検証企業)の品質エンジニアは客先が変わるたびに顧客の組織戦略・組織文化が異なり、それぞれにテーラリングして技術提供を行っているわけですから、頭が下がります。

品質戦略に希望はあるか

本稿は品質文化の輪郭の話であり、品質戦略についてはあまり触れません。ただ「1人目の品質エンジニア」が品質文化醸成と並行して品質戦略策定に力を入れるのは筋が良さそうだという指摘はできそうです。
品質戦略策定も非常に重要で、かつ、大変なタスクです。しかし組織文化や組織戦略にいとも簡単に否定されかねない品質文化醸成よりも、大きな影響力を組織にダイレクトに与えられるので、変革につなげやすいかもしれません。組織戦略・ビジネスモデルや組織構造を把握し、どんなプロダクトを世に出していて(出すつもりでいて)どれだけの数のユーザーに受け入れられていて(受け入れられる見込みでいて)、その規模を拡大するにあたってどんな機能開発がどんな順序で予定されていて……といった情報を集めて、たとえば「今後3年で、こういうステップを踏んで、こういう品質の製品を世に出せるようになります」という品質戦略ロードマップを示し、必要に応じてステークホルダーを説得することは……ものすごく大変そうですが、これだけの動きが取れると、組織を動かすことも現実的になるかもしれません。
「わかった、それならロードマップを実現するために必要な人員を採用しよう」という意思決定が下されるかもしれません。「もっと開発チームが自分たちでテストをこなせるように、社内勉強会を開催してくれないか?」と品質文化醸成につながる活動を依頼されるかもしれません。それは、居酒屋でよく語られる理想像「品質を軽視しない組織文化」への第一歩ではないでしょうか。

品質を上げることを肯定的に捉える「品質文化」を醸成すると、より高度な「品質戦略」の打ち手を打ちやすくなります。「安定したリリース品質を担保するために自動テストを導入したいから費用を出す」という意思決定がスムーズにできる組織の「品質文化」は、土壌としてはだいぶ成熟してきていると言えそうですよね。

終章 品質文化と品質エンジニアが目指す頂

本稿では、品質文化の輪郭を描き出すことを目的として「品質」「文化」の両方からアプローチしました。品質と組織を階層構造で捉え、文化と戦略を両輪として対置させることで、品質戦略という思わぬ副産物も得つつ、関係図にまとめました。

品質エンジニアに求められるスキルは上がっている・変化していると言われます。今後どんな人材がハイスキルとされるかは、人によっても立場によっても異なります。本稿では「組織文化に返り討ちにされず、組織戦略に適合した品質文化を醸成し、並行して品質戦略を策定して価値を発揮する」という難題に応える品質エンジニアが、今後は組織に重用される貴重な人材となるだろうと述べておきます。

最初に提示したまとめを、もう一度示しておきます。

「品質をどう担保するか」「どのテストを重視するか」などを意思決定する土壌である品質文化は、
組織文化の一部であり、かつ、組織戦略に従うものである。
戦略を実現するために組織は文化を育てる一方で、文化のあり方次第では戦略が台無しにもなる。
両者は表裏一体なのだ。
特に1人目の品質エンジニアが求められることの多い品質文化醸成は、
組織文化・組織戦略を理解し、しかも品質戦略策定にも力を入れて進めなければならない。
この難題に応えることができる品質エンジニアが今後ハイスキルとされ、
組織にとって貴重な、希少価値の高い存在となっていくのではないか。

この小論が、より優れた品質エンジニアになろうと志す皆さんのヒントとなり、背を押すことができたら、書き手として、とてもしあわせです。

続きはJaSST Tokaiで、そしてその後の……

さぁ、ここからの議論がまたおもしろくなるわけですが……この続きもきっと扱うであろうイベントは、本日15:35~17:35のJaSST TokaiでのS5-4のパネルディスカッションと、そのさらに後の19:00〜21:00に予定されている参加無料・イベント終了時まで申し込み可能なオンラインイベントMarkin' Qualityで存分に語ります。ぜひ遊びにきてくださいね!!


  1. 本稿での「品質エンジニア」という言葉は、QAエンジニアやテストエンジニアやテスターといった「品質を専門とするエンジニアとか関係者」という程度の意味で使います。それらの言葉に関する厳密な議論は20日のにしさんの記事で展開されるでしょう。たのしみ。 

  2. 品質は実質無料だという表現もありますが、実質無料ということは「費用を支払う」こととは矛盾しません。ただし、後でかかるはずだった費用を払わなくてよくなります。 

  3. デカルトが言ったとされる「困難は分割せよ。」の原文は「検討する難問の1つ1つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。」(谷川多佳子[訳](原著1637・訳書1997)『方法序説』(岩波文庫) 

  4. この図だけ見ると組織文化の範囲を小さく見積もっているように見えるかもしれませんが、無論そんなことはありません。組織文化は品質文化だけでなく、いろいろな「組織内の文化」の集合体である、と捉えています。 

  5. お祭りは地域振興の絶対的解決策ではありません。現代日本が抱える地域の過疎化は深刻な問題です。古くからお祭りが行われていた地域でも過疎化は起こり、お祭りも廃れてしまったところがあるでしょう。また、逆に、地域のつながりが育まれていないところで急に行政がお祭りを(押し付けるように)始めても、それは税金の無駄遣いになるでしょう。過疎化は、21世紀を生きる日本人が担うスケールが大きな課題です。 

  6. エドガー・H・シャイン(2016)『企業文化[改訂版]ダイバーシティと文化の仕組み』(白桃書房)第1章より 

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