──「人生をデータ設計で記録した男」の物語で、数えるのをやめた瞬間から、台帳はただの推定になる
〈ショートストーリー〉
ふたりで暮らしはじめたころ、私は冷蔵庫の中身をノートに付けていた。
買ったものを足す。使ったものを引く。そうすれば、ノートを見るだけで、今あるものが分かるはずだった。在庫は、買った数から使った数を引いたもの。引き算で出る。理屈は合っていた。
| 品目 | 在庫 |
|---|---|
| 卵 | 4 |
| 牛乳 | 1 |
| 豆腐 | 2 |
合わなくなるのは、すぐだった。
夜中に卵をひとつ使って、書くのを忘れる。つまみ食いした分は、はじめから書かない。相手も同じ冷蔵庫を開けて、おなじように黙って減らしていく。
買いはレシートに残る。使いは、こぼれ落ちる。
ノートには卵が四つ。冷蔵庫には、ひとつ。台帳は、もう現実を映していなかった。
ある日から、私はノートを信じるのをやめた。
買い物に行く前に、冷蔵庫を開ける。中を見る。何が、いくつ、本当にあるのか。冷たい光の前で、ひとつずつ数える。
数えたその時だけ、ノートと冷蔵庫がそろう。あとはまた、少しずつずれていく。それでよかった。
「卵、まだあったっけ?」と相手が聞く。
私はノートを見ない。「見てくる」と言って、冷蔵庫を開ける。台帳に問い合わせるより、現物に聞いたほうが早い。冷蔵庫のほうが、ノートよりいつも新しい。
足りないものだけ書き留めて、買いに行く。扉を閉める。
それで、よかった。
──たいていの日は。
ときどき、扉を閉めたあとに、合わない数字が、少しだけ、気にさわった。開けなくても、ぴったり合っていたら。そう思う夜も、あった。
〈技術ノート〉── 数えた瞬間だけ、台帳は本当になる
現場の覚え書きだ。物語が見落とした構造を正す。ただし崩れた記録を裁くためではない。崩すには、たいてい理由がある。
在庫は、状態だ。今、何がいくつあるか。前の章のやり方なら、これは出来事から導ける。買った数から、使った数を引く。状態は、トランザクションの集計だ。
理屈は正しい。彼の引き算は、間違っていない。
間違っているのは、片側の出来事しか記録に残らないことだ。買うほうはレシートが残る。財布も減る。記録する動機がある。だが使うほうは ── 夜中のひとつ、つまみ食い、来客、同居人の手 ── 誰も律儀には書かない。買いは残り、使いは漏れる。だから台帳の在庫は、いつも実際より多めに、現実から遅れていく。
これは、だらしなさではない。商売の現場は、とっくに知っている。帳簿の上の在庫と、棚にある実際の在庫は、合わない。だから定期的に棚卸しをする。数えた、その一瞬だけ、帳簿が現実に追いつく。
数は、合っていない。だが、勘定は合っている。在庫差異は、不正の証拠ではなく、運用の前提だ。
冷蔵庫を開けるとは、棚卸しのことだ。台帳に問い合わせるのをやめて、現実に問い合わせ直す。そして現実は、いつも台帳より新しい。記録は、現実の最新版ではない。台帳は、最後に数えた時点で止まっている。
では、なぜ完璧な台帳を付けないのか。付けられるはずだ。使うたびに、一件残らず書けばいい。──だが、その手間は、得られる正確さに見合わない。卵が何個あるかを常に正しく知るために、卵を割るたびノートを開く人生。誰も、そうは生きない。買い物の前に一度開けて数えれば、十分なのだ。「気にしない」は、堕落ではなく、コストの判断だ。
ひとつだけ。もし台帳を直すなら、古い数を黙って書き換えないことだ。「四」を消して「一」にするのではなく、「四 →一 数え直し」と書き足す。間違った事実と、直した事実。どちらも、起きたことだから。
在庫が合わないことと、折り合う。それが、この章でできることのすべてだ。──ただ、この折り合いを、どうしても妥協だと感じてしまう人がいる。彼も、その一人だった。