──「人生をデータ設計で記録した男」の物語で、もれなく記録するほど、合わないことがくっきり見えてくる
〈ショートストーリー〉
冷蔵庫のノートを、私は、いちど手放していた。開けて数えれば、それで足りる。そう決めたはずだった。
でも、だめだった。
開けるたび、ノートと中身がずれているのが、どうしても気になった。四つと書いたのに、三つ。合わないまま扉を閉めるのが、日ごとに、いやになっていった。ずれを、無くしたかった。
だから私は、もう一度、始めた。今度こそ、完璧に。
冷蔵庫の扉に、ノートを貼る。横に、紐でペンをぶら下げる。ルールはひとつ。何かを入れたら書く。何かを出したら書く。ひとつ残らず。
そうすれば、と私は思った。いちいち数えなくても、上から足し引きするだけで、今あるものが、いつでも分かる。もう、ずれない。
最初は、気持ちがよかった。
| 日付 | 品目 | 入/出 | 数 |
|---|---|---|---|
| 4/2 | 卵 | 入 | 6 |
| 4/3 | 牛乳 | 出 | 1 |
| 4/3 | ほうれん草 | 入 | 1 |
牛乳を一本飲めば、出、と一行。卵を六つ買えば、入、と一行。ノートは、いつも冷蔵庫とぴったり合っていた。私は、合っているのを確かめるのが、好きだった。
相手は、それを、面白そうに見ていた。「そこまでする?」と笑う。「開けて見れば、三秒じゃない」
その通りだった。でも、私には、三秒では足りなかった。開けて分かるのは、今そこにある数だけだ。私が欲しかったのは、開けなくても合っている、という安心のほうだった。
はじめのうちは、すぐ済んだ。数行を足し引きすれば、答えが出た。
でも、ノートは伸びていった。一週間、二週間。ページが、増えていく。
「卵、いくつある?」と相手が聞く。私はノートの最初のページを開く。指でなぞって、足して、引いて、めくって、また足す。「ちょっと待って」が、だんだん長くなった。
「開ければいいのに」と相手は言った。私は、首を振った。今ある数を、別に書いておけば早い。分かっていた。でも、二重に持ったら、どっちが本当か分からなくなる。だから私は毎晩、ぜんぶ足し直した。今いくつあるかを知るために、いつも最初の一行まで、戻っていった。
ときどき、相手が書き忘れた。牛乳を飲んでも、書かない。すると合わなくなる。私は、優しく頼んだ。「出したら、すぐ書いて」。相手は、はいはい、と言って、あまり守らなかった。
それでも私は、来客の分も足した。捨てたものも引いた。漏れを、ひとつずつ、潰していった。合わない幅は、どんどん小さくなった。あと少しだ、と思った。あと少しで、ぴったりになる。
ぴったりには、ならなかった。
ある朝、私は冷蔵庫の前で、固まった。
野菜室の奥で、ほうれん草が溶けていた。どろりと、葉の形を失って。
ノートでは、ほうれん草は入が一。出は、無い。誰も出していない。誰も使っていない。なのに、無い。
私は、ペンを持ったまま、動けなかった。これを、どう書けばいい。入でもない。出でもない。誰かがやったことなら、書けた。でも、これは、誰もやっていない。冷蔵庫の中で、ひとりでに、進んだ。
ペンの先が、ノートの上で、止まっていた。書く欄が、なかった。
私の、前の冷蔵庫も、きっと、同じように腐っていた。でも、あのころの私は、数えていなかった。だから、ずれていることに、気づかなかった。
今度は、完璧に数えていた。だから、ずれが、毎朝くっきり見えた。
きっちり付けるほど、合わないことが、よく見える。私は、自分の負けを、いちばんよく見える場所に、自分の手で、貼り出していた。
それでも私は、しばらく、意地になって付けた。漏れを、もっと減らそうとした。でも、腐るものは、何を足しても引いても、捕まらなかった。
ある夜、私はノートを見ながら、ぽつりと言った。
「うちって、ほうれん草、いっつも腐らせるな」
相手は、こともなげに言った。
「そんなの、気にしなくていいのに」
私は、うん、とだけ言った。
気にしなくていい。それが、私の、いちばん欲しくない言葉だった。気にせずにすむように、私は、ぜんぶ付けてきた。なのに、付ければ付けるほど、ずれは見えて、気にせずには、いられなくなっていた。
扉のノートは、しばらくして、私が、剥がした。
〈技術ノート〉── 腐敗には、トランザクションが無い
現場の覚え書きだ。物語が見落とした構造を正す。ただし崩れた記録を裁くためではない。崩すには、たいてい理由がある。
彼の理屈は、正しい。
状態は、出来事から導ける。前の二章で見た通りだ。ならば、出来事をひとつ残らず記録すれば、状態はいつでも正確に導けるはずだ。在庫を別に数えなくていい。足し引きが、つねに答えをくれる。──これは、夢物語ではない。本物のシステムが、現にこのやり方で動いている。彼は素人の思いつきで突っ走ったのではない。筋のいいほうへ歩いて、それでも負けた。
負けには、二つの層があった。
まず、答えを出すこと自体が、重い。
今いくつあるか。それを知るのに、彼は毎回、最初の一行まで戻らなければならなかった。出来事しか持たないとは、そういうことだ。状態がほしければ、そのつど、端から端まで足し直す。記録が短いうちは一瞬だが、履歴は減らない。増えるだけだ。日が経つほど、ひとつの答えに、長い列をまるごと舐めることになる。
彼は、今の数を別に控えておくこともできた。だが、しなかった。「二重に持ったら、どっちが本当か分からなくなる」。その怖れは、正しい。控えと元帳は、いつか食い違う。
それでも現場は、たいていそこを引き受ける。毎回ぜんぶ数え直すのは、重すぎるからだ。だから、よく要る数字は、生の記録とは別に、前もって出して持っておく。日々の出来事をどれだけ完璧に積んでも、人がほしいのは、たいてい、その山ではなく、山を一言にまとめた数字のほうだ。生きた記録は、生のままでは、使いにくい。
そして、もうひとつの層。足し終えた答えは、そもそも現実と合わなかった。
なぜ合わないか。ズレには、二種類ある。
ひとつは、記録し損ねた出来事。つまみ食い、廃棄、来客の手。これは原理的には記録できた。書けたのに、書かなかっただけだ。「もっと厳密に」で減らせる。彼はここでは勝っていた。漏れは、確かに小さくなった。
問題は、もうひとつのほうだ。記録できない出来事。
ほうれん草が溶けたとき、それを起こした者は、いない。誰も入れていない。誰も出していない。葉が萎び、牛乳が傷むのは、誰も発行しない、ゆっくりした出来事だ。彼のノートには、入と出の欄しかない。誰かがやったことしか、書けない。だが冷蔵庫の中身は、誰も触らなくても、変わっていく。
世界は、あなたが記録する出来事だけで、できてはいない。
そして、いちばん残酷なところ。厳密に記録するほど、ズレはよく見えるようになる。
雑に推定で持つ人間には、ズレを見るだけの解像度が、そもそも無い。どんぶり勘定の冷蔵庫も、毎日ずれている。だが数えないから、ずれは見えない。彼は完璧に数えた。だから台帳と現実の差が、毎朝はっきり浮かんだ。無知が、ずっとドリフトを隠してくれていたのだ。彼は、自分の負けを、いちばんよく見える場所に、自分の手で貼り出してしまった。
ここで終われば、ただの敗北だ。だが、ひとつだけ、彼が手にしたものがある。
「うちって、ほうれん草、いっつも腐らせるな」──あれだ。
今いくつあるかは、彼のノートには当てられなかった。だが「何回腐らせたか」「いつも余るのはどれか」には、彼のノートだけが答えられる。雑な人間には、永遠に見えない問いだ。出来事の列は、今の状態を知るには遠回りでも、移り変わりの癖を知るには、唯一の道なのだ。
彼は、今の在庫が欲しくて、すべての履歴を集めた。欲しかったものは得られず、求めていなかったものを手にした。状態の人になりたくて、いつのまにか、流れの人になっていた。
その記録が本当に効いてくるのは、ずっと後だ。