──「人生をデータ設計で記録した男」の物語で、今の背丈ひとつは何も語らない。語るのは、去年からの伸びだ
〈ショートストーリー〉
息子は、なかなか背が伸びないほうだった。
保育園で背の順に並ぶと、いつも前のほうだった。同じ月齢の子に、頭ひとつ抜かれている。
気になって仕方がなかった。ちゃんと育っているのか。足りているのか。月に一度、風呂上がりに壁の前へ立たせ、鉛筆で印をつけた。そのたび今日の数字を見た。きのうと変わらない気がして、また不安になった。
三歳児健診で、私はその不安を持っていった。背が低い気がします、と先生に言った。
先生は、母子手帳を開いた。これまでの身長を、ひとつずつ、グラフに点で打っていく。そして、点と点を、線でつないだ。
| 日付 | 身長 |
|---|---|
| 2022/05 | 73.1 |
| 2023/05 | 84.0 |
| 2024/05 | 91.8 |
「ほら」と先生は言った。「ちゃんと、線にそって伸びてますよ」
私は、今日の数字ばかり見ていた。先生は、今日の数字を、ほとんど見ていなかった。見ていたのは、点の並びだった。どこから来て、どっちへ向かっているか。
一個の数字は、高いとも低いとも言えなかった。その子がどう伸びてきたかを知らなければ。先生には、過去の点が要った。今日の一点だけでは、何も読めなかった。
家の柱には、印が増えていった。日付と、その日の背。
ある日、いちばん下の、古い印が目に入った。こんなに小さかったのか。今の息子の、腰のあたり。
消したい、とは思わなかった。むしろ逆だった。
もし上書きしていたら、と思った。古い印を消して、いつも今日の背だけを、ひとつ残していたら。柱には、印がひとつあるだけだ。きれいだけれど、そこには何もない。伸びたことが、どこにも残らない。
印をつけるのは私だ。でも、どこにつけるかは、私が決めているのではなかった。
息子の背が、決めていた。私はただ鉛筆を持って、息子が伸びた分だけ、手を上へずらしていた。
〈技術ノート〉── 成長は、どの一行にも書かれていない
現場の覚え書きだ。物語が見落とした構造を正す。ただし崩れた記録を裁くためではない。崩すには、たいてい理由がある。
身長は、状態だ。今日の、一個の数字。
だが、その一個では、何も分からない。百センチが高いのか低いのかは、その子がどこから来たかによる。九十から百まで一年で伸びた子と、二年かけて百で止まった子。今日の数字は、同じ百だ。まるで違うのに、同じ顔をしている。
医者が読むのは、数字ではない。数字の、変わり方だ。前の点から、今の点へ。その傾きに、健康がある。傾きは、一個の値には入らない。出すには、最低でも、日付の違う二つの点がいる。最新値は、それひとつでは、来し方を要約できない。
だから母子手帳は、上書きをしない。去年の欄に今年の数字を書き込んだりはしない。点は、増えるだけだ。これは、ただの几帳面さではない。傾きを守るための、形だ。
もし今の背だけを残して、古い数字を捨てたら。手元には、正しい最新値がひとつ残る。なのに、成長は消える。伸びたという事実は、どの一行にも書かれていないからだ。それは、行と行の、あいだにある。差の中にしか、いない。一行に潰した瞬間、差が消える。背は残って、育ちが消える。名詞を取って、動詞を捨てることだ。
そして、ここがいちばん静かなところだ。この記録を書いているのは、親ではない。
数字を決めるのは、子の体だ。親は、鉛筆を持っているだけだ。どこに印をつけるかは、もう子が決めている。親は、自分の手元の手帳なのに、その値を、一行も自分では選べない。ただ、子が出したものを、書き留める。
親は、この台帳の持ち主ではある。書き手では、ない。