0
0

Delete article

Deleted articles cannot be recovered.

Draft of this article would be also deleted.

Are you sure you want to delete this article?

[9999/12/31][7章]「何本見たか数えれば、いい一年だったか分かる」と思っていた

0
Posted at

目次

──「人生をデータ設計で記録した男」の物語で、数えはじめたとたん、私は、見たいからではなく、数を増やすために見るようになった

6章へ

〈ショートストーリー〉

年の暮れに、見た映画の記録を、数えてみたことがあった。

あの表を引き直してから、私はずっと、見た日を一行ずつ、書きつづけていた。一回見れば、一行。同じ映画でも、見るたびに増える。その年のぶんを、上から拾って、数えた。

今年は、五十二本。一週間に、一本。

悪くない数字だ、と思った。それから私は、毎年、暮れに数えるようになった。


数えるのは、面倒だった。記録は、毎年伸びていく。一年ぶんを数えるのに、何百行も、上から拾わなければならない。

だから私は、年ごとの本数だけ、別の表に書き写すことにした。

本数
2016 48
2017 51
2018 52

これなら、一目で分かる。今年は何本、去年より増えたか、減ったか。

ただ、この表は、少し嘘をつく。あとから古い映画の記録を一行足すと、合計が合わなくなる。書き写した数字は、写した時点で、止まっている。元の記録は動くのに、こっちは動かない。気づいたときには、ずれている。直すのは、いつも、私だけだった。


その表を、よく見るようになった。

すると、おかしなことが起きた。

十二月になると、私は、その年の数を気にした。今年は、まだ四十八本。あと四本で、去年に並ぶ。

それで私は、短い映画を選ぶようになった。長いものは、年明けに回した。途中で退屈でも、最後まで早送りで見て、一本に数えた。見たいから見るのではなく、数を増やすために、見た。

一本が、一本でなくなっていた。中身がどうでも、最後まで再生すれば、合計は、ひとつ増える。私は、映画を見ていたのではなかった。数字を、増やしていた。


あの、もう一度見て、まるで違って見えた映画。

あれも、この表の上では、ただの一本だった。年末に早送りで埋めた一本と、同じ、一。

本数は、その違いを、持っていなかった。

私は、その年から、数えるのを、やめた。

でも、一本見るたび、頭のどこかで、まだ、足し算が始まる。


〈技術ノート〉── 集計は、名詞でも動詞でもない

現場の覚え書きだ。物語が見落とした構造を正す。ただし崩れた記録を裁くためではない。崩すには、たいてい理由がある。

「年に何本」。これは、集計だ。

集計の持ち方は、二つある。

ひとつ。要るたびに、数え直す。その年の記録を、上から最後まで拾って、足す。これは、いつでも正しい。元が動けば、答えも動く。ただし、重い。記録が伸びるほど、ひとつの数を出すのに、長い列を、まるごと舐めることになる。── 前に、彼が、これで音を上げた。

もうひとつ。数えた結果を、別の表に、焼いて持つ。年ごとの本数を、書き写しておく。これは、速い。一目で出る。だが、古びる。書き写した瞬間に、その数字は止まる。あとから一行足せば、もう合わない。元の記録は流れつづけるのに、焼いた数字は動かない。しかも、それを合わせ直す者は、自分しかいない。誰も、勝手には直してくれない。

速いが古びるほうを取るか、正しいが重いほうを取るか。ただ取りの答えは、ない。

ここまでは、機構の話だ。本当の問題は、その先にある。

集計は、奇妙なものだ。マスタでも、トランザクションでもない。

マスタは、今どうであるか、という名詞だ。トランザクションは、いつ何をしたか、という動詞だ。集計は、そのどちらでもない。過去の動詞の山を、ひとつの数に潰した、凍った主張だ。いつも少し過去の、流れについての、動かない値。それは、あなたが何者かも答えないし、あなたが何をしたかも答えない。山の高さを言うだけで、山が何でできているかは、もう言えない。

そして、いちばん深いところ。

数を持って、それを見つめると、数は、測るための道具であることを、やめる。目的に、なる。

彼は十二月に、足りない本数を数えた。そして、数を増やすために、映画を選んだ。短いものを。早送りでも、最後まで。見たいからではなく、一を足すために。数えはじめたとたん、本数は、見ることの結果ではなくなった。見ることのほうが、本数を作る手段になった。

測るという行為は、対象の外には立てない。前の章では、ひとりの体で、それが起きた。健康と認定されたから、飲む。ここでは、もっと大きく起きる。何かを数えて、人の前に掲げれば、人は、その数を上げにかかる。そして数は、もとの何かを、測らなくなる。測るために作った数が、目標になったとたん、もう何も測らない。自分を最適化する、とは、たいてい、これのことだ。

ひとつ、思い出してほしい。最初の章で、彼は○をやめた。一回ごとの視聴を、別の行にした。同じ映画を二度見た、その違いを、消さないために。

集計は、それを、もう一度潰す。もう一度見てまるで違って見えた一本も、年末に早送りで埋めた一本も、本数の上では、同じ一だ。○がしたことを、集計が、一段上で、やり直している。

最後に。集計が、悪いのではない。「今年は何本」は、まっとうな問いだ。生の記録は、そのままでは使えない。要るのは、たいてい、絞った数字のほうだ。あれを焼いて持つのは、知恵だ。

間違いは、その数字を、自分だと思うことだ。

多くの人が、いつのまにか、この集計テーブルになっている。フォロワーの数。歩数。年に何本。自分について焼かれた、ひとつの数字。少し古くて、中身を潰した、その数に追い立てられて暮らす。名詞か、動詞か。── この本がずっと尋ねている問いに、ただ一人、どうしても答えられないのが、こいつだ。

8章へ

0
0
0

Register as a new user and use Qiita more conveniently

  1. You get articles that match your needs
  2. You can efficiently read back useful information
  3. You can use dark theme
What you can do with signing up
0
0

Delete article

Deleted articles cannot be recovered.

Draft of this article would be also deleted.

Are you sure you want to delete this article?