様々な意見はあるし、どれも正しいと思う。
私の意見
In My Onion
プラットフォームについて語れないプラットフォームなんてないよね。
- Youtube自体について動画投稿してはいけないYouTube
- はてなブログ自体について記事を書いてはいけない、はてなブログ
- FaceBook自体について語ってはいけない、Faceook
そんなプラットフォームは残念だと思う。そんなのは嫌だ。
僕らはどこでQiitaについて語れば良いのか?
Qiitaについて語る時だけ、はてなブログを使ったり、外部サービスを使えば良いのだろうか。
ユーザー同士は分断されて、自由闊達な議論など到底不可能になるんじゃないだろうか。
Qiitaはなんだかんだ言ってコミュニティじゃないか
もう歴史も長い。
単なる技術情報共有サイトではなくて、ソーシャルサイト、プラットフォームサイトとしての働きが大きくなってきているように思う。
最近のトップページでの「トレンド」の導入もその動きをブーストしていると思う。
技術情報共有9 対 ソーシャル1 ぐらいではあるかもしれないけれど。
もし「Qiita語り」がガイドライン違反であるならば
Qiita自体について語れる場所を、何か公式で用意してほしいと思う。
Githubの例に学ぶ、ユーザーフォーラムの必要性
Github の時代になる前は、ある程度の規模のOSSプロジェクトはみんな Issue Tracker と別に フォーラム (BBS, ML など) を持っていました。ユーザーはフォーラムでディスカッションし、 Issue Tracker は Issue Tracking のために利用されていました。
ユーザーがフォーラムで質問した場合、他の回答できるユーザーが回答することが頻繁にありました。
そうやってユーザーコミュニティーが自然発生し、育っていくことができました。しかし、 Github の時代が来て、 Github が forum 機能を提供しなかったために、 Issue Tracker が質問の場として使われるようになってきました。
Github issue で質問してはいけない - Qiita
サービスアプリケーション論としてのQiita論
Qiita語りをするにしても、それをソーシャル論、アプリケーション論、システム論、コミュニティ論になるぐらいには論を深める努力をしたい。
Qiita自体が1個のサービスなのだから、その根本について語ることは、まさに僕らが扱っている「サービス・アプリケーション」というものの本質を考えることになるはずだ。
サービスを提供しないアプリケーションは世界に1個も存在しない。
Qiitaについて語ることは、誰に迷惑をかけているのか
「トレンドで目に入る」ということが問題なのかもしれない。
そもそも根本的な問題として「技術情報メインで使いたい勢」と「コミュニティとして”も”使いたい勢」の間で、分断があるのかもしれない。
Qiitaの歴史はターニングポイント?
その波を感じている。
サポートに直接、意見を送るべきじゃないの?
ぜんぜん直接送って良いと思う。
けれどそれは「Qiita自体について、Qiitaで語らざるべき理由」にはならないと思う。
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- こちらについたコメントを読んでいて、思い立ってこの記事を書いた。
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