はじめに
前回の第3回では、MCP(Model Context Protocol)という技術について、私たち一般ユーザーが専門家である必要はなく、むしろその恩恵を受ける側にいる、という ちょうどいい関係 についてお話ししました。MCPはアプリやサービスの舞台裏で活躍し、AIがより私たちの状況や意図を汲み取ってくれるようになる、その鍵を握るのが 文脈 (Context)である、と。
「AIが文脈を理解する」。
それはまるで、AIが人間のように 記憶 を持ち、その場の 状況 を認識しているかのように聞こえます。しかし、AIは一体何を 記憶 し、何を 状況 として捉えているのでしょうか? 今回は、このAIの 賢さ の源泉とも言える 文脈 の正体に、さらに深く迫っていきたいと思います。
人間の記憶が、経験や感情と結びつき、時に曖昧で、時に鮮明なものであるのに対し、AIが(現時点で)扱う 文脈 (Context)は、もっと具体的で、「今、この瞬間の応答を最適化するために参照すべきデータ」 の集合体と言えます。それは、AIがタスクを実行するための 作業指示書 や 参照資料 のようなものです。MCPは、これらの多種多様な 資料 を整理し、AIという名の超高性能エンジンに最適な形で供給するための、洗練された仕組み(プロトコル)なのです。
この記事では、MCPが扱う(あるいは、MCP的な仕組みで管理される)コンテキスト情報には、具体的にどのような種類の情報が含まれているのかを、豊富な例と共に詳しく見ていきます。これらの 材料 を知ることで、
「なぜAIはこんなに気が利くんだろう?」
という疑問に対する答えが、よりクリアに見えてくるはずです。AIとの付き合い方を考える上で、その 内側 で何が起こっているのかを少しだけ知っておくことは、きっと役に立つでしょう。
そもそも 文脈 (Context)とは? 人間とAIの違い
本題に入る前に、文脈 (Context)という言葉自体を少しおさらいしましょう。
文脈 (Context)とは、ある事柄を理解するために必要となる背景情報や、周囲の状況、前後の関係性のことです。
例えば、友人が突然
「暑いね!」
と言ったとします。
真夏の炎天下で言われたら、
「そうだね、汗が止まらないよ」
と返すでしょう(状況:天気)。
熱いコーヒーを飲んでいる時に言われたら、
「やけどしないでね」
と気遣うかもしれません(状況:飲み物)。
話題の新商品について話している時に言われたら、
「そうだね、今すごく人気らしいね」
と相槌を打つかもしれません(状況:話題)。
このように、私たちは無意識のうちに、言葉が発せられた状況、相手との関係性、それまでの会話の流れといった 文脈 (Context)を読み取り、適切な反応を返しています。顔の表情や声のトーンといった非言語情報も、重要なコンテキストの一部です。
AIも同様に、ユーザーの要求に対して的確で、自然な応答を返すためには、この 文脈 (Context)を理解する必要があります。しかし、AIは人間のように場の空気を読んだり、表情を読み取ったりすることは(基本的には)できません。そのため、AIが必要とするコンテキストは、よりデータ化された形で与えられる必要があるのです。
文脈 (Context)を徹底解剖! AIを支える多様なデータ群
それでは、AIが 賢い応答 を生み出すために参照している 文脈 (Context)の具体的な種類を、カテゴリー別に詳しく見ていきましょう。MCPは、これらの情報を構造化し、AIに効果的に伝える役割を担っています。
1. 直近のインタラクション履歴(ついさっきまでの「会話」や「操作」)
どんな情報?
ユーザーとAI(またはサービス)との間で、現在進行中のセッション内で行われた一連のやり取りの記録です。ユーザーの発話や入力、それに対するAIの応答、操作のログなどが含まれます。まさに、AIにとっての「短期記憶」のようなものです。
具体的な例:
チャットボット / スマートスピーカー:
(ユーザー)「渋谷でおすすめのラーメン屋さんは?」
(AI)「いくつか候補があります。A店、B店、C店などはいかがでしょう?」
(ユーザー)「じゃあ、A店の場所を教えて」
→ AIは「A店」が直前の会話で提示したラーメン屋であることを理解し、その所在地情報を検索します。「どのA店ですか?」と聞き返す必要はありません。
(ユーザー)「照明を暗くして」→(AIが実行)→(ユーザー)「もう少し明るく」 → AIは直前の「暗くした」状態を基準に、「もう少し明るく」の指示を解釈します。
検索エンジン
「ノートパソコン おすすめ」で検索 → 次に「軽量」で検索 → 検索エンジンは、ユーザーが「軽量のノートパソコン」を探している可能性が高いと判断し、関連性の高い結果を表示しようとします(検索意図の文脈)。
なぜ重要?
この情報があることで、AIは会話の流れを維持し、ユーザーが同じ情報を何度も伝える手間を省くことができます。より自然で、効率的なコミュニケーションを実現するための、最も基本的なコンテキストと言えるでしょう。これがなければ、AIは「一問一答」しかできない、非常にぎこちない存在になってしまいます。
2. ユーザープロファイルと設定(「あなた」に関する情報)
どんな情報?
アカウント登録時に入力した情報(名前、年齢層、性別、居住地域、言語設定など)、サービス利用規約への同意状況、過去の利用履歴から推測・学習されたユーザーの好みや興味関心(好きな音楽ジャンル、よく閲覧するニュースサイト、アレルギー情報、購買傾向など)、そしてユーザー自身が明示的に設定した情報(通知設定、プライバシー設定、表示設定、アクセシビリティ設定:文字サイズや色のコントラストなど)です。
具体的な例
ニュース/動画アプリ
あなたが過去によく「スポーツ」関連の記事や動画を見ていることを学習し、スポーツニュースを優先的に表示する。
設定で「政治ニュースは表示しない」を選択していれば、そのカテゴリーを除外する。
ECサイト/ショッピングアプリ
過去の購入履歴や閲覧履歴から、あなたの好きなブランドやサイズ、テイストを推測し、「あなたへのおすすめ」コーナーをパーソナライズする。
アレルギー情報を登録しておけば、食品検索時に該当アレルゲンを含む商品を除外する、あるいは警告を表示する。
ヘルスケアアプリ
年齢、性別、活動レベルといったプロフィール情報に基づいて、適切な運動目標やカロリー摂取目安を提案する。
なぜ重要?
この情報により、AIは「すべての人に同じ」ではない、「あなたのためだけ」の体験を提供することが可能になります。画一的なサービスではなく、個々のユーザーに寄り添った、深いパーソナライゼーションを実現するための鍵です。ユーザーの満足度やエンゲージメントを高める上で、極めて重要な役割を果たします。ただし、推測された好みと実際の好みがずれる可能性もあり、ユーザーが設定で修正できる(明示的な設定)仕組みも重要になります。
3. デバイスと利用環境(「いつ」「どこで」「何を使って」いるか)
どんな情報?
ユーザーがサービスにアクセスしているデバイスの種類(スマートフォン、タブレット、PC、スマートウォッチ、スマートスピーカー、車載システムなど)、OSの種類やバージョン、画面サイズ、接続しているネットワークの種類(Wi-Fi、モバイルデータ通信)とその品質、現在地の地理情報(GPS座標、IPアドレスに基づく地域推定)、現在の日時、タイムゾーン、周囲の環境情報(デバイスのセンサーが検知した明るさ、騒音レベル、バッテリー残量、デバイスの向き:縦向き/横向きなど)が含まれます。
具体的な例:
地図/ナビゲーションアプリ:
現在地(GPS) をリアルタイムで取得し、現在地からのルート案内や周辺施設の検索を行う。
移動速度や**交通状況(外部データと連携)**を考慮して、到着時刻を予測・更新する。
ユーザーが運転中であることを検知し、よりシンプルな表示や音声案内に切り替える(安全への配慮)。
天気アプリ/地域情報サイト
現在地に基づいて、その場所の天気予報や地域ニュースを表示する。
現在時刻に合わせて、「今日の天気」「明日の天気」といった表示を切り替える。
スマートホーム
部屋の明るさや時刻に応じて、照明のオン/オフや明るさを自動調整する。
ユーザーのスマートフォンの位置情報に基づいて、帰宅を検知し、エアコンや照明を事前につける。
コンテンツ表示
デバイスの画面サイズに合わせて、ウェブサイトやアプリのレイアウトを最適化する(レスポンシブデザイン)。
ネットワーク品質が低い場合、画像の品質を落としたり、動画の自動再生をオフにしたりする。
なぜ重要?
この情報により、AIはユーザーが置かれている「今、ここ」の物理的な状況や環境に適応した、最適な情報提供や機能を実現できます。特にモバイル環境での利用や、IoT機器との連携において、その重要性はますます高まっています。安全性や利便性に直結する、非常にダイナミックなコンテキストです。
4. アプリケーションの状態と内部履歴(「今、アプリで何をしている」か)
どんな情報?
特定のアプリケーション内でのユーザーの現在の操作状況や、そのセッション内での行動履歴です。ECサイトであればカートに入っている商品や閲覧中の商品ページ、比較リストの内容。音楽アプリであれば再生中の曲、作成したプレイリスト、再生キュー。文書作成ソフトであれば編集中の文書、カーソルの位置、適用されている書式設定。ゲームであれば現在のレベル、所持アイテム、達成したクエスト。SNSであれば閲覧中のフィード、作成中の投稿内容などが該当します。
具体的な例
ECサイト
カートに入っている商品(例:プリンター)に合わせて、関連商品(例:インクカートリッジ、印刷用紙)を「ご一緒にいかがですか?」と提案する。
ユーザーが複数の商品を比較検討している状況を認識し、それらのスペック比較表を自動生成する。
音楽/動画ストリーミング
現在再生中の曲/動画のジャンルやアーティストに基づいて、次のおすすめ曲/動画をキューに追加する。
ユーザーが作成したプレイリストの傾向を分析し、似た雰囲気の新しい曲を推薦する。
生産性ツール(文書作成、表計算など)
カーソルがある位置の文脈(例:表の中の数値セル)に応じて、利用可能な機能(例:合計値計算)をメニューに表示する。
コピーした内容(例:ウェブサイトのURL)に応じて、ペースト時のオプション(例:リンクとして挿入)を提示する。
なぜ重要?
ユーザーがアプリ内で達成しようとしている具体的なタスクや目的に沿った、きめ細やかなサポートを提供するために不可欠です。作業の効率化、中断した場所からのスムーズな再開、より深い機能の発見などを助け、アプリケーションそのものの使い勝手を大きく向上させます。
(補足) 外部情報と世界知識
これらユーザー固有のコンテキスト情報に加え、AIは自身の膨大な訓練データ(世界知識)や、場合によってはリアルタイムの外部情報(最新ニュース、株価、交通情報など)を参照することもあります。MCPは主にユーザー固有の動的なコンテキスト情報の扱いに焦点を当てていますが、最適な応答のためには、これらの外部情報も広義のコンテキストとして統合的に扱われることがあります。
MCPの役割:情報を整理し、AIに橋渡しする
さて、ここまで見てきたように、 文脈 (Context)は非常に多岐にわたり、その性質も様々です。これらの情報がバラバラのままでは、AIも効果的に活用できません。
ここでMCPのようなプロトコルが重要な役割を果たします。MCPは、これらの多様な情報を標準化された形式で構造化し、整理します。そして、AIモデルが処理できる量や形式に合わせて、その時々の応答に最も関連性の高い情報を取捨選択し、効率的にAIへと橋渡しするのです。
例えるなら、MCPは超多忙な大スター(AIモデル)専属の超有能なマネージャーのような存在です。ファンレター(ユーザー情報)、スケジュール(利用環境)、台本(アプリの状態)、過去のインタビュー記事(対話履歴)といった膨大な情報を整理し、次の仕事(応答生成)に必要な情報だけをピックアップして、最適なタイミングでスターに渡す。これにより、スターは常に最高のパフォーマンスを発揮できる、というわけです。
また、MCPが目指す「標準化」が進めば、様々なアプリやサービスが共通のルールでAIと連携できるようになり、開発効率の向上や、サービス間のスムーズな連携(例えば、カレンダーアプリの予定をナビアプリが自動で読み取って目的地に設定するなど)にも繋がっていくと期待されています。
まとめ
AIの「賢さ」を構成する多様なピース
今回は、AIがその「賢さ」を発揮するために参照している 文脈 (Context)について、その具体的な種類を詳しく見てきました。
直近のインタラクション履歴: スムーズな対話の基礎
ユーザープロファイルと設定: 「あなた向け」のパーソナライズを実現
デバイスと利用環境: 「今、ここ」の状況に適応
アプリケーションの状態と内部履歴: タスク遂行を的確にサポート
これら多様な情報が、まるでジグソーパズルのピースのように組み合わさることで、AIは文脈に合った、気の利いた応答を生成することができるのです。
どのような情報がAIの「賢さ」の裏側にあるのかを知ることで、AIの能力や限界についての理解が深まり、より建設的な視点を持てるようになるのではないでしょうか。また、これらの情報が「データ」として扱われていることを意識することは、今後ますます重要になるプライバシーやデータ利用に関するリテラシーの向上にも繋がります。
次回予告
文脈 (Context)の「種類」が分かりました。では、これらの情報は、実際にアプリやサービスとAIの間で、どのように受け渡しされ、処理されていくのでしょうか?
次回の第5回「アプリとAIの「情報のバトンタッチ」- MCPの基本的な動き方」では、いよいよ情報が流れる「プロセス」に焦点を当て、その基本的な仕組みを図解なども交えながら、分かりやすく解説していきます。AIの舞台裏ツアーは、まだまだ続きます!