前話ではスクラムに関連する研修・資格周りの情報を詳細解説しました。ところで、なぜケン・シュエイバーはScrum Allianceを脱退し、Scrum.orgを設立したのでしょうか?Scrum Allianceと「Certified Scrum(認定スクラム)」だけであれば、スクラムの研修・資格周りもスッキリしていたのに、自分が立ち上げた「Scrum Alliance」を脱退してまで、ケン・シュエイバーが「Scrum.org」を設立した背景について解説します。
本シリーズでは、スクラムに関する研修・資格の情報を整理しています。
第1話ではスクラムの重要人物として、ジェフ・サザーランド、ケン・シュエイバー、野中郁次郎 先生、竹内弘高 先生について詳細に解説しました [第1話へ]
第2話では①各種スクラム関連の企業・組織の解説、②各種スクラム資格の解説、そして③スクラムの研修を効果的に選択・受講する方法を解説しました [第2話へ]
この第3話では、なぜケン・シュエイバーは自分が2002年に設立した「Scrum Alliance」を脱退し、2009年に「Scrum.org」を設立したのか、そしてその後「Professional Scrum(プロフェショナルスクラム)」の研修・資格認定を始めたのかについて、その背景を解説します。
※本記事は全4話構成のスクラムシリーズの「第3話」です
・第1話:スクラムの重要人物を詳細解説
・第2話:スクラム関連の研修・資格のまとめ & おすすめの研修受講方法
・第3話:スクラム研修・資格周りの歴史を解説:なぜケンはScrum.orgを設立したのか?
・第4話:ジェフ・サザーランドはいかに竹内・野中論文に出会ったのか?大学時代から解説
<本話の目次>
第1章 マーチン・ファウラーの「ヘロヘロスクラム」ブログ記事が与えた影響
[1] 「ヘロヘロスクラム」のブログ記事とは
[2] マーチンの指摘を受け、ケンがScrum Allianceで取り組んだこと
第2章 ケン・シュエイバーがScrum Allianceで開始した「開発者向け」プログラムについて
[1] 「開発者向け」プログラム作成の開始
[2] 「Scrum Alliance」の「開発者向け」プログラムの完成まで
第3章 ケン・シュエイバーがScrum Developer programとScrum.orgを設立するまで
[1] Scrum Developer program構築の経緯
[2] Scrum.org設立の経緯
[3] スクラムガイドの誕生
第1章 マーチン・ファウラーの「ヘロヘロスクラム」ブログ記事が与えた影響
[1] 「ヘロヘロスクラム」のブログ記事とは
ケン・シュエイバーとともに仕事をしたことがあり、ケンが懇意にしているのが、マーチン・ファウラー(Martin Fowler) です [1] 。
マーチン・ファウラーもまた、アジャイルマニフェストの署名者の一名であり、以下の書籍などの著者です。
・「リファクタリング(第2版): 既存のコードを安全に改善する」
・「UML モデリングのエッセンス 第3版」
・「エンタープライズアプリケーションアーキテクチャパターン」
[注釈]
少し紛らわしいですが、書籍「Clean Code アジャイルソフトウェア達人の技」や「Clean Architecture 達人に学ぶソフトウェアの構造と設計」の著者である、ロバート C. マーチン(愛称ボブ・マーチン)とマーチン・ファウラーは別人です。
マーチン・ファウラーは2009年1月に 「FlaccidScrum」(ヘロヘロスクラム) というタイトルのブログ記事を投稿しました。
・記事(英語版) https://martinfowler.com/bliki/FlaccidScrum.html
・記事(日本語版) https://bliki-ja.github.io/FlaccidScrum/
[注釈]
マーチン・ファウラーも、ケン・シュエイバーも、(私も)、「Scrum Alliance」の「Certified Scrum」を否定するつもりはありません。
ただ、2009年当時の現実問題として、「ヘロヘロスクラム」を遂行して、失敗する組織が増えていた事実がありました。
マーチンは上記のブログ記事で、「流行りのスクラムを導入した結果、 TechnicalDebt(技術的負債) がプロダクトに蓄積し、機能不全に陥っているケースが散見される」と指摘しています。
マーチン・ファウラーと懇意であるケン・シュエイバーは当然この記事が公開される前にマーチンからそのような指摘を受けており、「Scrum Alliance」を設立し、「Certified Scrum(認定スクラム)」を認定する組織を設立した当事者として、「ヘロヘロスクラム」の問題をどうにかせねば・・・と感じていました。
ただし、注意点があります 。
このような ヘロヘロスクラム(FlaccidScrum) に陥るのは、スクラムのフレームワーク自体が抱える問題・欠陥のためではなく、きちんと「スクラム」を導入できなかったことが原因である、と考えられている点です(だからこそ2020年現在もスクラムというプロダクト開発フレームワークは健在です)。
では、なぜ2009年頃になって、多くの組織はきちんとしたスクラムを導入できなくなったのでしょうか?
ここからは2009年当時に対する、私の勝手な推察になります。
(1)第一に「ヘロヘロスクラム」を生み出しているのは、マーチン・ファウラーの指摘の通り「技術的負債の蓄積」が直接原因だと私は同意します
(2)第二に、技術的負債の蓄積を避け、インクリメント(成果物)を生み出すのは、スクラムの3役割のうち、「スクラムマスター」でも「プロダクトオーナー」でもなく、「開発者」 の役割です。プロダクトオーナーが「What(プロダクトの機能として何を実現させるか)」を定めるのに対して、「How(どのように実現させるか)」を計画し、遂行するのは 「開発者」 です
私が考えるに、2001年のアジャイルマニフェスト(アジャイルソフトウェア開発宣言)、2002年の「Scrum Alliance」設立からの数年間 は、そもそも「XP」などに取り組んでいた 「アジャイルな開発者」 がアジャイル開発の手法として 「XP」 などから 「スクラム」 に切り替えた時期だったのだと思います。
そのため、「開発者」はアジャイル開発に慣れていて、レベルが高かったのでしょう。
したがって2002年から数年間というのは、「スクラム開発」を業界に浸透させるのに重要だったポイントは、「スクラムマスター」と「プロダクトオーナー」という、アジャイル開発には存在しない、スクラム独特の役割に関する研修でした。
そのため、ここが非常に重要な点ですが、マーチン・ファウラーが「ヘロヘロスクラム」記事を投稿する以前、2009年末まで、「Scrum Alliance」には「開発者向け」のスクラム研修は存在していませんでした。
すなわち当時のScrum Allianceには、
・スクラムマスター向け研修と認定(CSM)
・プロダクトオーナー向け研修と認定(CSPO)
しかなく、開発者向けの研修と認定である(Certified Scrum Developer:CSD)プログラムは存在していませんでした。
しかし、「Scrum Alliance」設立の2002年から7年ほども経つと、「スクラム開発が良いものだ!取り入れよう!」という動きが業界で加速します。
すると、過去数年は「アジャイル開発に慣れた開発者」が「スクラム」に取り組んでいたのに対して、この頃になると、ウォーターフォール開発の習慣が染みついた開発者や、開発そのものの初心者など、そもそもアジャイルな開発技法・プラクティスに慣れていない開発者 が「スクラム」の開発者の役割を担い、スクラムに取り組むようになりました。
その結果、スクラムに取り組む「開発者」の質が、スクラムの浸透ともに変化し、スクラムの開発者の質が全体として落ちてしまった(正確には性質が変化した)のだと、私は考えます。
また、「Scrum Alliance」に「開発者向け」のスクラム研修が存在していないことも、この事態に輪をかけることになりました。
その帰結として2009年頃には、マーチン・ファウラーが指摘するように「FlaccidScrum」(ヘロヘロスクラム)が増えたのだと(私は)思います。
[注釈]
上記のような現象は、起業や新規事業立案では、ごく当然の現象、「キャズム」として知られています。
イノベータ―、アーリーアダプターのような、いわゆる「ゴールデンコホート(golden cohort)」に刺さっているプロダクトやマーケティング、その他手法であっても、次のターゲット層であるアーリーマジョリティにはそのまま通用しません。
アーリーマジョリティに訴求する段階には キャズム(大きな溝) が存在します
(※ジェフリー・ムーアが書籍「キャズム」で提唱)
このメインストリームの人たちにデリバリーする際には、コホート(同様の属性や外的環境に囲まれている人たち)が変化している点を意識し、「ペルソナ」を描き直して、プロダクトやマーケティングや、その他手法を変更するのが常套です。さもないと、売れなかったり、浸透しなかったり、歪が生じたりします。
[2] マーチンの指摘を受け、ケンがScrum Allianceで取り組んだこと
前述の通り、2009年9月、ケン・シュエイバーが「Scrum Alliance」を脱退する頃の「Scrum Alliance」には、
・スクラムマスター向け研修と認定(CSM)
・プロダクトオーナー向け研修と認定(CSPO)
しか用意されておらず、開発者向けの研修と認定(Certified Scrum Developer:CSD)プログラムはありませんでした。
ケン・シュエイバーはマーチン・ファウラーの2009年1月のブログ記事「FlaccidScrum」(ヘロヘロスクラム)を受け、もともと開発者向けの研修と認定が必要だろうと思っていたのですが、「もはや、一刻も早く開発者向けのコース開発に取り組まないとダメだ」 と感じました [2]。
第2章 ケン・シュエイバーがScrum Allianceで開始した「開発者向け」プログラムについて
[1] 「開発者向け」プログラム作成の開始
ケン・シュエイバーは「Scrum Alliance」内で「Certified Scrum Developer」プログラムの立ち上げについて、議論を始めました。
この辺りの経緯は、ロン・ジェフリーズ(Ron Jeffries)のブログに詳しいです。
なおロン・ジェフリーズもアジャイルマニフェストの署名者の一人です。
以下はロンの2009年9月10日に公開された「Certified Scrum Developer(CSD)」の立ち上げについてブログ
記事です。
Ken Schwaber has the Scrum Alliance working on a possible “Certified Scrum Developer” program. One thread of work on that involves Chet Hendrickson, Brian Marick, Bob Martin, and Jim Shore. I’m in there as well. Recently Elisabeth Hendrickson has been helping also.
(ケンは、Scrum Allianceが "Certified Scrum Developer "プログラムの可能性に取り組んでいることを明らかにしました。このプログラムに関する議論のスレッドには、チェット・ヘンドリクソン(Chet Hendrickson)、ブライアン・マリック(Brian Marick)、ボブ・マーチン(Bob Martin)、そしてジム・ショア(Jim Shore)が参加しています。私(ロン・ジェフリーズ)もそこに参加しています。
ロンの記事によると、ケン・シュエイバーの先導のもと、CSDプログラミングの立ち上げに、以下の豪華メンバーが関わっていたようです。
・(1) チェット・ヘンドリクソン(Chet Hendrickson)
※書籍「XPエクストリーム・プログラミング導入編 ― XP実践の手引き」の著者
・(2) ブライアン・マリック(Brian Marick) ※アジャイルマニフェストの署名者の一人です
・(3) ボブ・マーチン(Bob Martin)
※1 ボブ・マーチンは書籍「Clean Code アジャイルソフトウェア達人の技」や「Clean Architecture 達人に学ぶソフトウェアの構造と設計」の著者Robert C. Martinのことです。
※2 ボブ・マーチンはアジャイルマニフェストの署名者の一人であり、最初にWikiを立ち上げ、アジャイルマニフェストの取り組みを本格稼働させた人物です。なお米国ではRobertのあだ名としてボブが多く使用されています
(参考記事:なぜRobertがBobに?英語の名前の省略のしかた。よくある例と変わった例)
・(4) ジム・ショア(Jim Shore)
※書籍「アート・オブ・アジャイル デベロップメント」の著者
そして、
・(5) ロン・ジェフリーズ(Ron Jeffries) ※アジャイルマニフェストの署名者の一人です
が関わっていたようです。
凄い開発者が勢ぞろいした豪華メンバーです。
このメンバーを中心に、ケン・シュエイバーは「Scrum Alliance」で「Certified Scrum Developer(CSD)」の構築を進めようとします。
しかし、ケンと「Scrum Alliance」の運営メンバーの間で、「Certified Scrum Developer(CSD)」の構築・運営方法などを巡って対立が発生し、ケンはScrum Allianceを脱退することにしました(2009年9月15日)。。。 [3]
He resigned from the Scrum Alliance in 2009 after a disagreement with the board regarding assessments, certification, and a developer program.
(「開発者向けプログラム」の試験、認定、構築方法に関して理事会と意見が対立し、2009年にスクラムアライアンスを退会した。)
以上が、ケン・シュエイバーが「ヘロヘロスクラム」問題に対して、「Scrum Alliance」で開発者向けプログラムを構築しようとして、メンバーもそろえたが、結局、運営員会・理事会と対立し、「Scrum Alliance」を脱退した流れとなります(2009年、ケン64歳頃)。
その後のケン・シュエイバーの動きを紹介する前に、ケンが脱退した後「Scrum Alliance」が「Certified Scrum Developer(CSD)」を完成させるまでを紹介します。
[2] 「Scrum Alliance」の「開発者向け」プログラムの完成まで
ケンが2009年9月に「Scrum Alliance」を脱退後、最終的には、もともと当初から議論に参加していたメンバーのうち、チェット・ヘンドリクソン(Chet Hendrickson) とロン・ジェフリーズ(Ron Jeffries) の二人が、「Scrum Alliance」の「開発者向け」プログラムの完成させました。
「Certified Scrum Developer program:CSD」を構築し、2009年10月に米国ミシガン州のアナーバーで、はじめての「Certified Scrum Developer(CSD)」を実施しました [4]。
(※正確には実施するつもりだ!、記事中では述べているだけでしたが、2009年に完成したのは間違いないようです。2009年の10月以前にCSDが実施された可能性は私には不明です。この10月が最初だと私は認識しています。。。)
上記は再度、ロンのブログ記事より引用しています。
また、以下はチェット・ヘンドリクソン(Chet Hendrickson)の自己紹介ページの記載です [4]。
In 2009, he was asked by the Scrum Alliance to help develop the Certified Scrum Developer program. Chet and Ron Jeffries taught the first CSD course and continue to offer them in the United States and Europe.
(2009年、Scrum Allianceから、Certified Scrum Developer(CSD)プログラムの開発支援を依頼されました。チェトとロンが最初のCSDコースを担当し、現在も米国と欧州で開催しています)
では、なぜこのチェトとロンの二人が残ったのか、なぜこの二人ペアだったのか? という疑問が残ります。
実はこの二人(チェット・ヘンドリクソンとロン・ジェフリーズ)は、「テスト駆動開発」、「エクストリーム・プログラミング(XP)」などで有名な ケント・ベック (Kent Beck) のもと、同じプロジェクトで働いていました。
ケント・ベックが「XP」を考案するきっかけとなった、自動車メーカー・クライスラー社の案件です。
ケント・ベックがプロジェクトリーダーで、チェットとロンはそのメンバーでした。
案件は「総合報酬システム(Chrysler Comprehensive Compensation System:通称、C3プロジェクト)」開発でしたが、その後、クライスラー社がダイムラー・ベンツ社に買収されて、ダイムラー・クライスラー社になったため、C3プロジェクトは中止になりました [5]。
このように、「Certified Scrum(認定スクラム)」の「Certified Scrum Developer:CSD」プログラムは、「XP」の考案に携わったチェットとロンが最初に構築し、当初一緒にボブ・マーチン、ジム・ショアをはじめ、XPの有名なメンバーも加わっていたため、その結果として、スクラム開発にはXPと共通する具体的な技術・プラクティス、実装手段が多い。。。という経緯があります(のだと私は考えています)
(※そもそも2000年代のアジャイル開発はXPが主流であったという点もありますが・・・)。
[備考]
なおジェフ・サザーランドは、「スクラムのアイデアをケント・ベック提供し、彼が「XP」を考案するのに貢献した」と記載していますが、(私は)XP誕生の起源やきっかけに「スクラム」があるとは聞いたことがありません。
Easel CorporationEasel Corporation
1993年5月 - 1995年5月 · 2年1ヶ月
・・・ In 1995, provided Kent Beck background information on Scrum which helped him with the invention of eXtreme Programming.(1995年、ケント・ベックにスクラムの知識を提供し、エクストリーム・プログラミングの発明に役立てた。)
以下の図は、現在の「Certified Scrum(認定スクラム)」のCSD(Certified Scrum Developer)プログラムでも扱われている、「アジャイルサブウェイマップ」です。
この「アジャイルサブウェイマップ」は、「Scrum Inc. Japan」の永和システムマネジメント社代表取締役社長で、日本のスクラムの第一人者である、平鍋健児さん主導のもと、2015年に日本語版が作成されたことがあります
2015年版の右上の方の「Role-Feature-Reason」が今は「User Story Template」に代わっていたり、若干の変化はありますが、ほぼ変わっていません。
なお上記の図において、各フレームワークごとに使用するプラクティスが色分けされていますが、実際のところは絶対ではありません。
たとえば、スクラムではXPのベロシティをリーンのリードタイムを絶対に使用しない、ということはないです(そもそもスクラムは開発手法のフレームワークであり、使用するプラクティスの選定は自由です)。
また上記のどちらの図でもスクラムの路線には「3つの質問(Three Questions)」が入っていますが、この「3つの質問」や「バーンダウンチャート」などは、2020年のスクラムガイドからは削除され、スクラムとして必須ではなくなったプラクティスもあります。
上記の「アジャイルサブウェイマップ」は様々なアジャイルプラクティスを把握し、整理するのに便利です。
そしてこれを見れば、「XP」と「スクラム」がとても似ていることが分かります(正確にはスクラムを実際に推遂行する際に、XPのプラクティスが頻繁に用いられていることが分かります)。
ただしこの図には、モブプロやトランクベース開発など、最近の有名なプラクティスの抜けもあるので、その点の注意は必要です。
以上、「Scrum Alliance」が開発者向けの研修・資格である「CSD(Certified Scrum Developer)」プログラムを作るまでの経緯を紹介しました。
最後の章では、「Scrum Alliance」を脱退したケン・シュエイバーが開発者向けプログラムをどのように構築したのかについて解説します。
第3章 ケン・シュエイバーがScrum Developer programとScrum.orgを設立するまで
[1] Scrum Developer program構築の経緯
「Scrum Alliance」を脱退したケン・シュエイバーは 「Scrum Developer program」 を構築するために、仲間を探します。
ケン・シュエイバーは2009年以前までに数冊、Microsoft Pressからスクラムの書籍を出版しており、Microsoftとのつながりがありました [MS Press], [Amazon link]
もちろん、有名な技術者なので出版関連以外でもMicrosoftとのつながりがあったのでしょう。
そこでケン・シュエイバーはMicrosoftとともに「Scrum Developer program」の構築を開始します。
その際、Microsoftはアジャイル開発系のMVP(Microsoft Most Valuable Professional)のメンバに声をかけます。
そして、その中心にいた、リチャード・フンドハウゼン(Richard Hundhausen) が中心メンバーとして、「Scrum Developer program」の構築に参画します。
リチャードは「Accentient社」の代表であり、Microsoft MVPとして活躍しているエンジニア兼教育トレーナーです。チームでの開発手法に関する書籍を多数執筆しています [Amazon link]。
大学を中退して?、2002年に「Accentient社」を起業し、今も代表として経営しています。
リチャードはMicrosoft MVPを2005年からずっと毎年獲得しており、MVPを束ねる「Microsoft Regional Director」も務めるなど、Microsoftと密に動いていました(動いています)。
[注釈]
上記の記載は本当は私には事実関係の前後が不明です。MSがリチャードを紹介したのだと思いますが、ケンが元からリチャードと知り合いで、その結果MSがからんだ可能性もあります。ただ各種情報から考えると、上記に記載した流れだと思われます
そして、「Scrum Developer program」がケン・シュエイバー、Accentient社(リチャード・フンドハウゼン)、Microsoftの共同により構築されました 。以下、Scrum.orgのサイトより [2]。
so I reached out to three organizations skilled in teaching others how roll up their sleeves and build software using Scrum: Accentient, Conchango, and Microsoft. We developed a course for Scrum developers targeting the .NET technology stack. Working with Microsoft gave us access to a base of solid trainers and coaches: Microsoft MVPs and Inner Circle Partners.
(そこで私はスクラムを使って実際にソフトウェアを構築するために、ソフトウェア開発を人に教えることに長けている三つの組織に連絡を取りました。Accentient、Conchango、そしてMicrosoftです。その結果、私たちは、スクラムの開発者向けに、.NET技術をターゲットとしたコースを開発しました。また、Microsoftと協力することで、MVPやインナーサークルパートナーの助けを借りることができ、トレーナーやコーチの基盤を利用することができました。)
[2] Scrum.org設立の経緯
その後、「Scrum Developer program」を継続的に開催するために、ケン・シュエイバーはScrum.orgを設立します [2]。
このようにして、ケン・シュエイバーは「Scrum Developer program」を作成し、それを維持・改善していくためにScrum.orgを立ち上げ、資格体系として「Professional Scrum(プロフェショナルスクラム)」の各種資格を整えました。
ここまでに記載した経緯、私の頭の中にある「スクラムとスクラム研修・資格周りの全体像」を可視化した図を掲載します。
この第3話にして、Scrum.orgが描かれている図の右側の部分が鮮明となり、リチャードやMicrosoftとScrum.orgの関係性が明らかになりました。
このように、「Scrum.org」は他のスクラム資格の認定機関やスクラムの研修企業とは毛色が異なり、スクラムマスターではなく、「開発者」に焦点を当てて組織が作られたという、稀有な成り立ちとなっています。
また、ケン・シュエイバーは「Professional Scrum(プロフェショナルスクラム)の各種資格」の研修の質を保つために、「Scrum Alliance」とは異なり、教材を統一し、研修もScrum.orgで主幹して開催することにしました。
当時も今も、「Scrum Alliacnce」はいろいろな研修会社が「Certified Scrum(認定スクラム)」の研修を実施しています(当時はジェフ・サザーランドのScrum Inc.もその一社でした)。
ケンはこのような、いろいろな会社が独自にバラバラの質で研修を実施し、かつ、研修内容を「Scrum Alliacnce」側できちんと把握しきれない点に不満を感じていたようです。
そのためケン・シュエイバーはScrum.orgでは、当初からずっと他の研修会社は利用せず、Scrum.org自体が研修を開催し、管理できるようにすることで、研修や教材の質と運営を担保・改善できるようにしています。
研修の展開方法はどちらが良いかは思想やメリ・デメのバランスの問題であり正解はありません。
ですが、ケン・シュエイバーはこちらの道を選びました(2009年、ケン64歳頃)。
[備考]
私は当時の真実は把握できません。ただ少なくとも私は現在の「Certified Scrum(認定スクラム)」の研修の質を悪いとは思っていません。なぜなら私たちのメンバーが受講し、その感想を聞いたり、その後のメンバーの成長を私は経験しているためです。
[3] スクラムガイドの誕生
2009年、結果的にスクラム界隈は、「Scrum Alliance」と「Scrum.org」に分裂し、スクラムの資格も
・「Certified Scrum(認定スクラム)の各種資」
・「Professional Scrum(プロフェショナルスクラム)の各種資格」
の2タイプに分かれました。
その結果、「スクラム」という一つのフレームワークであるのに、認定組織ごとに教える内容が異なるのは困るという事態に陥りました。
そこで、認定組織や研修企業に依存しない、唯一のスクラムのガイドが必要となりました。
スクラムガイドは一番最初、2010年2月に「Scrum Alliance」の名の元に作成されました。
この2010年バージョンには、Jeff Sutherlandの名前が一切記載されておらず、Ken Schwaberの名前も書籍引用でちらりと出てくるくらいです。
その後、2011年にスクラムの共同開発者である二人、ジェフ・サザーランドとケン・シュエイバーの名の元に、現在まで引き継がれている「スクラムガイド」(v2)が作成されました。
この2011年バージョンは以下の画像の通り、ジェフ・サザーランドとケン・シュエイバーの名の元、2010年のように「Scrum_Alliance」のサイトではなく、「Scrum.org」のサイトで公開されました。
2011年のスクラムガイド内からは「Scrum Alliance」の文字は一切消え、コピーライトは
© 1991-2011 Ken Schwaber and Jeff Sutherland, All Rights Reserved
と記載され、「Scrum Alliance」とジェフ&ケンの対立?分裂?が伺われます・・・
この分裂状態が解決し、最終的に「スクラムガイド」を「どこかの組織が保有するのではなく、皆の共通にしよう」と落ち着いたのは、2014年のことです(ジェフ73歳頃、ケン69歳頃)。以下サイトより引用します。
原文(投稿日:2014/09/29)へのリンク
分裂状態にあるスクラムコミュニティの3組織が新たにScrumGuide.org webサイトを立ち上げ,"The Scrum Guide, The Definitive Guide to Scrum: The Rules of the Game"の公式ソースとして協力し,推奨していくことを共同発表した。
Scrum Alliance,Scrum Inc,Scrum.orgの3組織は,コラボレーションの実現とScrumGuide.org Webサイトの立ち上げを共同で発表した。
この2014年からスクラムガイドはScrum.orgのサイトで公開されていた状態からScrumGuide.orgでの公開となり、スクラム関連の組織皆の共同所有物となりました。
スクラムガイドはその後も、再び2011年(v3)2013年(v4)、2016年(v5)、2017年(v6)、2020年(v7)と改訂を繰り返しています。
さいごに
以上本話では、ケン・シュエイバーがなぜScrum.orgを設立したのか、その経緯を中心に、スクラムの研修・資格周りの情報、現在に至るまでの流れを整理・解説しました。
ここまでの情報が頭に入っていれば、現在のスクラム関連の研修を取り巻く状況も理解しやすいかと思います。
あとは大きく二つの疑問が残っています。
[1] ジェフとケンは想像以上にキャリア後半でスクラムを創り上げ、その後の組織運営などを推進しました。いったいなぜこんなパワフルな高齢者なのか?
[2] ジェフ・サザーランドは「竹内・野中論文、1986年」(日本の製造業の開発フレームワークであったSCRUM論文)をどのようにして知り、1993年にソフトウェア開発に適用したのだろうか?
これら2点については、彼らがSCRUMに出会う前の、大学時代から遡ることで明らかになります。
次回の第4話では、ケン・シュエイバーとジェフ・サザーランドの大学時代に始まり、彼らのキャリア前半を解説しながら、どのようにしてジェフは竹内・野中論文と出会い、スクラム開発にたどり着いたのかを詳細に解説します。
以上、ご一読いただき、ありがとうございました。
⇒ 第4話:ジェフ・サザーランドはいかに竹内・野中論文に出会ったのか?大学時代から解説
【記事執筆者】
電通国際情報サービス(ISID)AIトランスフォーメーションセンター 製品開発Gr
小川 雄太郎
主書「つくりながら学ぶ! PyTorchによる発展ディープラーニング」
自己紹介(詳細はこちら)
【情報発信】
Twitterアカウント:小川雄太郎@ISID_AI_team
IT・AIやビジネス・経営系情報で、面白いと感じた記事やサイトを、Twitterで発信しています。
【免責】
本記事の内容そのものは執筆者の意見/発信であり、執筆者が属する企業等の公式見解ではございません
引用文献
[1] (Wiki) マーティン・ファウラー
[2] ケン・シュエイバーの3つの改善とScrum.orgを立ち上げた理由:https://www.scrum.org/about
[3] (Wiki) Ken_Schwaber
[4] Chet Hendrickson:https://www.scrumalliance.org/community/profile/chendricks
[5] (Wiki)XP:https://en.wikipedia.org/wiki/Extreme_programming
[6] https://www.linkedin.com/in/jeffsutherland/details/experience/