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ジェフ・サザーランドはいかに竹内・野中論文に出会ったのか?大学時代から解説【シリーズ最終話】

前話ではスクラムの「開発者向けプログラム」が構築された背景と、ケン・シュエイバーが「Scrum.org」を設立した経緯について解説しました。本話ではジェフ・サザーランドがいかに竹内・野中論文という、日本の製造業のSCRUMを提唱した論文と出会ったのかを解説します。その背景として本記事では、ジェフとケンの大学時代から彼らのキャリア前半の人生についても紹介します。


本シリーズでは、スクラムに関する研修・資格の情報を整理しています。

第1話ではスクラムの重要人物として、ジェフ・サザーランド、ケン・シュエイバー、野中郁次郎 先生、竹内弘高 先生について詳細に解説しました [第1話へ]

第2話では①各種スクラム関連の企業・組織の解説、②各種スクラム資格の解説、そして③スクラムの研修を効果的に選択・受講する方法を解説しました [第2話へ]

第3話では①スクラムの開発者向けプログラムが開発された背景、②なぜケン・シュエイバーは「Scrum.org」を設立したのかを解説しました [第3話へ]



この第4話では、ジェフ・サザーランドはいかにして「竹内・野中論文、1986年」(日本の製造業の開発フレームワークであったSCRUM論文)を知ったのか、その背景を解説します

そのために重要となる、ケンとジェフの大学時代およびキャリア前半についても紹介します



1995年、国際学会OOPSLAにてソフトウェア開発のスクラムが共同発表されたとき、ジェフ・サザーランドは55歳頃、ケン・シュエイバーは51歳頃でした。

約30年前の出来事である点を考えると、これはビジネスパーソンとしては非常に高齢な時期です。
定年間近とも言えます。
(何かに挑戦するのに年齢は関係ないとも言いますが、さすがに・・)


ジェフとケンがこの年齢から、1995年の国際学会で新フレームワークとして「スクラム」を発表し、そして2001年には「アジャイルマニフェスト」に署名、2002年には「Scrum Alliance」を設立、2010年からは「スクラムガイド」の策定・改訂などを進めていった、そのパワフルさに驚きを隠せません



また、ジェフが初めてスクラムをソフトウェア開発に適用したのは1993年、Easel Corporation社でオブジェクト指向技術の部長をしていた時期です。

「竹内・野中論文, 86年」で提唱された製造業のSCRUMを、ソフトウェア開発のスクラムとしてはじめて適用しました(ジェフ52歳頃)[1]。


一介のIT関連の部署の部長が、「Harvard business review誌」などの論文を調査したり、さらには日本の製造業のフレームワークの知見を、自分の目の前のIT業務に活かそうとするでしょうか・・・


なぜジェフ・サザーランドはそれが可能な部長であったのか、本記事ではジェフやケンの大学時代までさかのぼり、彼らのバックグラウンドから、私なりの回答を解説したいと思います。


※本記事は全4話構成のスクラムシリーズの「第4話」です

第1話:スクラムの重要人物を詳細解説
第2話:スクラム関連の研修・資格のまとめ & おすすめの研修受講方法
第3話:スクラム研修・資格周りの歴史を解説:なぜケンはScrum.orgを設立したのか?
第4話:ジェフ・サザーランドはいかに竹内・野中論文に出会ったのか?大学時代から解説



<本話の目次>
第1章 ジェフ・サザーランドとケン・シュエイバーのどちらが野中・竹内論文を見つけたのか?
第2章 ケン・シュエイバーの大学時代から、スクラムに出会うまで
第3章 ジェフ・サザーランドの大学時代から、スクラムに出会うまで


第1章 ジェフ・サザーランドとケン・シュエイバーのどちらが野中・竹内論文を見つけたのか?

ジェフ・サザーランドとケン・シュエイバーはスクラムの共同開発者(co-creator of Scrum)です。

では実際のところ、どちらが最初に、以下の「野中・竹内論文(日本の製造業のスクラム)」[2] を見つけたのでしょうか?

竹内・野中論文、「The new new product development game」(Harvard business review, Takeuchi and Nonaka, 1986)」


その答えは、野中先生とジェフ・サザーランドの対談の論文 「アジャイル/スクラムから考える開発と経営」[3] に記載があります。

上記論文より、引用します。

一方のサザーランドは80年代から、UNIX開発で知られるベル研究所などと共同で、少数チームによるスピーディなイノベーションを図る環境を研究してきた。90年代、フォードのような大企業を顧客に持つソフトウェア開発企業で仕事をしていた彼は、新たな製品ラインを短期間で開発する必要に迫られ、ヒントになりそうな研究を多数調査した。そこで出会ったのが、前述した野中らの論文。主にハードウェア開発の現場を対象にした研究だったが、サザーランドらはそこにウォーターフォール式とは異なるソフトウェア開発手法への応用可能性を感じ、これがスクラムの開発プロセスに発展していった。


上記で明確に、「竹内・野中論文」を発見したのはジェフ・サザーランドであることが記載されています。


ジェフは当時、Easel Corporation社でオブジェクト指向技術の部長職でした。

そのため、一介のプログラマーというよりも、エンジニアリングマネジャーに近い立場であり、IT技術の知見だけでなく、経営的観点での技術・情報・文献の調査にも積極的であった、と想定されます。


そして上記の論文の記述通り、製造業のソフトウェア部門を支援する業務に携わり、”新たな製品ラインを短期間で開発する必要に迫られ”、当時、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれていた日本の製造業に関する論文も調査したのだと思います。

その過程で、今も続いている「Harvard business review誌」に掲載されていた、1986年の野中・竹内論文を、1993年に見つけたのでしょう。



「竹内・野中論文」では、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれていた源である日本の製造業の強みを、”陸上競技のリレーのような分業体制で逐次次の担当に渡していく形態”ではなく、”ラグビーでチームがボールをパス回ししながらフィールド上を一体となって前進するような形態” と表現し、「SCRUM」 と名付けて提唱し、その特徴を整理しました(以下、論文より図引用)。


image.png

本論文ではチームが一体となって働くSCRUMの提唱に加え、SCRUMで働くことで、知識が創造され、それが管理・共有されていく、ナレッジマネジメントの概念を提唱し、これが1995年の書籍 「知識創造企業」 で「SECIモデル」として確立されました。


野中先生も竹内先生も論文を出版した1986年は日本に戻っていましたが、第1話で紹介した通り、お二人ともその前にカリフォルニア大学バークレー校で経営学でMBA、博士号まで取得されており、英語論文の執筆に慣れていました。

二人が日本の製造業の強みをSCRUMとして表現・提唱して「Harvard business review誌」に投稿し、英語で公開したため、ジェフ・サザーランドは野中・竹内論文と出会うことができたと言えます。


なるほど、ジェフ・サザーランドは製造業の生産ラインのソフトウェア開発に従事していたマネジメント職だったから、「竹内・野中論文」と出会ったのか!
と理解できましたが、やはり不明点・不可解な点が多いです(と私は感じます)。 


まず、
[1] 普通のIT企業の部長にそれだけの論文検索スキルがあるものでしょうか?IT企業の部長が日本の製造業の論文まで調査するほどに・・・

そしてたとえ「竹内・野中論文」を発見できたとしても、普通のIT企業の部長であれば、論文をそのまま製造業の案件で顧客の業務の参考に活用して終わります。

[2] 普通のIT企業の部長が、製造業でのフレームワークを提唱した「竹内・野中論文」の内容を、自分のIT業務のフレームワークへと創造できるものでしょうか?


「DX」がブームとなり、現代ほど経営とITが一体化しつつある時代ですら、そんなことができる部長職や経営職の方は、IT企業ですら少ないと思います・・・


ではなぜジェフ・サザーランドはそれができる部長だったのでしょうか?

「普通のIT企業の部長レベルではない、凄い人だったからです」と言えばそれでお終いですが、
ではどのようなスキルセットを備えていたのか?


それを探るためにはジェフ、そしてケンの大学時代からキャリア前半について知る必要があります。

まずは先にケン・シュエイバーの大学時代からキャリア前半について、次章で解説します。


第2章 ケン・シュエイバーの大学時代から、スクラムに出会うまで

ケン・シュエイバーは1985年、40歳になって、自身のIT企業「Advanced Development Methods (ADM社)」を起業します。

そしてADM社での仕事の過程で、1980年代の初頭にジェフ・サザーランドと出会い、1995年にスクラムの概念をジェフから共有されます [4]。

それまでの彼の経歴を追ってみましょう。

そこには、ケン・シュエイバーが「スクラム」にたどり着くまでの何か重要なものが隠れているでしょう。


ケン・シュエイバーの経歴情報は少ないのですが、こちらのブログ記事「【A Brief History of Agile】Ken Schwaber - A Brave Warrior (Part 1)」が詳しいです [4] 。

image.png



ケンは大学として、「the United States Merchant Marine Academy(アメリカ合衆国商船アカデミー、通称、キングスポイント)」 を卒業します。

大学時代は工学や海運の専攻でしたが、ITが好きで、ずっと傍らでITについて学び続けていました。


卒業後は、海運企業で働きはじめますが、すぐに向いていないとして、退職します。
この頃のケンは、商船隊員としてベトナムの米軍に戦争物資を海運輸送していました [5, 6]。


その後、ケン・シュエイバーは海運の仕事からプログラマーとしてITに関わる仕事に携わることにキャリアを変え、以下の会社や大学で働きます。

・Sears Roebuck(シアーズ、百貨店)
・IBMの寄付講座の講師としてthe University of Chicagoで教員
・20th Century Fox(映画)
・Honeywell(ハネウェル、電子機器の会社)
・Wang Laboratories (ワング・ラボラトリー、IT企業)


また、1978年にはUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にて、master's degree, executive businessを取得しています [6]。

これは、ミドルキャリアのエグゼクティブプロフェッショナルのために特別に設計された上級レベルの修士号 [7] です(※MBAとは異なります)。


そして1985年、40歳の頃、自身のIT企業「Advanced Development Methods (ADM)」を起業します。
ADM社はプロセスオートメーションのIT企業であり、製造業系に強い企業です。


ケン・シュワバーは1980年代前半からジェフ・サザーランドと何気なく知り合り、交流がありました。

そして、1987年になると、ケンとジェフはビジネス上の必要性から、深い協力関係を築くようになっていました[4]。

おそらくプロセスオートメーションのソフトウェア開発をしているケンのADM社の技術を、ジェフ・サザーランドは製造業顧客向けにシステムインテグレーション(SI)していたのだと思われます。


そして、ADM社起業から1o年後、ケンが50歳頃のとき、ジェフ・サザーランドからスクラムを共有され、OOPSLAにて「スクラム」を発表します。
(ジェフとは1980年代の初頭に知り合いで、ADM社起業後は一緒に仕事をしたりもしていました [4])

1995年以降、ケン・シュエイバー50歳頃からのスクラムの開発と普及に奮闘した詳細は、第1話から第3話で解説した通りです。


このように、ケン・シュエイバーはキングスポイントを卒業後にベトナム戦争時に補給船社員として働き、その後、多くのIT企業で働いてから、40歳で独立・起業し、途中でジェフ・サザーランドと仕事をしていた関係から、スクラムと出会うことになりました。


ケン・シュエイバーのキャリアのユニークな点は、大学が「the United States Merchant Marine Academy(アメリカ合衆国商船アカデミー、通称キングスポイント出身)」 である点に私は感じます。

ケン・シュエイバーはスタンフォードでもMITでもカーネーギメロンでもなく、「米軍事アカデミー(日本でいう防衛大学に近い存在)」 の出身だったのです。

そこでmarine engineering(海洋工学)の分野で学部を卒業します [6]。
ただし、大学時代も趣味であったITにはずっと取り組んでいたそうです。

なお、キングスポイント出身の有名人は少ないのですが、書籍「金持ち父さん 貧乏父さん」の著者であるロバート・キヨサキらがいます。



キングスポイントは補給艦だとか、海運系の軍事アカデミーです。
一方で、米国海軍のメイン?は「the United States Naval Academy(アメリカ合衆国海軍兵学校、通称アナポリス)」です。

L・デビッド・マルケ(著書「米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方」
マイケル アブラショフ (著書「アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方: 一人ひとりの能力を100%高めるマネジメント術」

らはアナポリス出身です。


ケン・シュエイバーのキャリア前半のポイントを整理すると、

(1)「米軍事アカデミー(キングスポイント)」で組織論など、集団で成果を上げる方法論をしっかりと学んできた
(2)ITだけでなく、工学、海運、なども学んできた
(3)ベトナム戦争のような、戦争を経験してきた
(4)様々なIT企業で働きキャリアと経験を重ねた
(5)シカゴ大学で教員もしていた
(6)ジェフとは1980年代前半から知り合いで、80年代後半からはともに仕事をしていた


こうしたバックグラウンドがあったからこそ、ケン・シュエイバーは一介のプログラマーやITエンジニアではなく、経営・マネジメント視点でのIT組織論が構築でき、スクラムの構築・普及や論文執筆が可能だったのだと思われます(もちろんプログラマーとしても卓越している存在ですが)。

また、50歳以降からのパワフルさは、「米国軍事アカデミー」出身で鍛えれた青春時代を送ったからなのかもしれません。


次章ではジェフ・サザーランドの大学時代からキャリア前半について、解説します。


第3章 ジェフ・サザーランドの大学時代から、スクラムに出会うまで

次はジェフ・サザーランドがEasel Corporation社でオブジェクト指向技術の部長をするまでの経歴を、大学時代から追っていきましょう。

そこには、ジェフ・サザーランドが「スクラム」にたどり着くまでの何か重要なものが隠れているでしょう。


そして第1章でも述べたとおり、

[1] 普通の企業の部長にそれだけの論文検索のスキルがあるものでしょうか?

[2] 製造業でのフレームワークを提唱した「竹内・野中論文」の内容を、自分のIT業務のフレームワークへと置き換られるものでしょうか?

という疑問にも迫ります。


image.png


ジェフは大学として、「the United States Military Academy(アメリカ合衆国陸軍士官学校、通称ウェストポイント」 を卒業しました [9]。

奇しくもケンと同じく、「米国軍事アカデミー」の出身なのですね。

ジェフはウェストポイントで、工学、数学そして経済学を学び、卒業します。

のちのちにジェフが、日本軍の太平洋戦争敗退を考察した1984年の書籍「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」を防衛大学の教員時代に執筆した野中先生と、ITのスクラムで交わることになるとは凄い偶然です。


[注釈]
書籍「失敗の本質」はすぐに米国には渡らなかったこと & そして国内でも出版当時バブリーな時代だったのでこのような野中先生らの組織論の反省書籍はヒットしませんでした。この書籍が日の目を浴びるのは平成に入って、失われた10年、20年と呼ばれた頃からです。そのため、書籍「失敗の本質」がジェフと野中先生を結び付けたわけではありません


ジェフ・サザーランドが卒業した「ウェストポイント」は米国陸軍のエリート大学なので、卒業生も豪華です。

近年の人では、
マイク・ポンペオ(前トランプ政権の国務長官)
がいます。

日本人が馴染みのある人では、
ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官として日本に)

がいます。他には元大統領である、

ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代アメリカ合衆国大統領)
(※緊急度と重要度の2軸4象限でタスクを整理するフレームワークがありますが、あれは正式名称を「アイゼンハワーマトリクス」と呼びます。このアイゼンハワー大統領の発言や思考方法をベースに作られたものです)

また、軍人や政治家以外にも、
マイケル・コリンズ(宇宙飛行士)
(1969年、月面着陸したアポロ11号の司令船パイロットを務め、自身は月面着陸せずアポロに残り、「歴史上最も孤独を体験した男」として有名な方です。ちょうど昨年、21年5月に逝去されました)

など、大物がたくさんです。

その卒業生の一人が、ジェフ・サザーランドなのです。


ジェフ・サザーランドはウェストポイントを卒業後、11年間、米軍で働きます。
ベトナム戦争で、米空軍の 「戦闘機のパイロット」 として従事していました。

なんと、ジェフのキャリアのスタートは「戦闘機のパイロット」からでした。

ジェフ・サザーランドのAMA(Ask Me Anything=なんか質問ある?)という2015年のイベントの質疑応答を、以下のブログが日本語訳して公開してくださっています。


そこでは、ジェフが空軍のパイロットになった経緯についての質疑応答があり、ジェフが戦闘機パイロットを選んだ理由が述べられています。

Q: 戦闘機のパイロットになろうと思った理由はある?
A: 興味深い質問だね。私が学校を卒業した時、レンジャーになる道かパイロットになる道かがあった。レンジャーのトレーニングは1週間睡眠も取れず空腹を耐える中、パイロットは柔らかいベッドと毎晩バーでビールが飲める。決断するのは簡単だったよ(ただし実際パイロットはリスクが高いし、その忠告は受けてた)。

と回答しています。

ジェフ・サザーランドは、本気で命かけて仕事をしていたのですね(100戦もの実戦に参加しています)[8]。

上記ブログ記事では、他にもジェフの一問一答が翻訳・整理されていて、とても勉強になる記事です。


また米国空軍にはジョン・ボイドという指導教官がいて、ジェフを訓練しました。

昨今のVUCAの時代、「PDCAループ」ではなく 「OODAループ(ウーダループ)」 が重要視されています。

OODAループは「Observe(観察)」、「Orient(状況判断と方針決め)」、「Decide(意思決定)」、「Act(行動)」4つのステップを繰り返す手法です [以下の図引用, 10]。


「OODAループ」は最近になって提唱されたスキームではなく、朝鮮戦争時代に現役で空軍パイロットに従事し、その後、戦略論などをまとめ、指導教官をしていた、米国空軍のジョン・ボイドが提唱した手法です。

戦闘機での戦いという、PDCAループではとても対応できないVUCAな状態での戦略として、OODAループが構築されました


米軍でジェフ・サザーランドはジョン・ボイドから直接OODAループを指導され、訓練され、そして戦闘機での実践で経験しました。


確かにスクラムの、「透明性」 → 「検査」 → 「適用」という三本柱の流れと、スクラムの土台である「経験主義」は、OODAループと共通する点が多いです(と私は感じます)



[注釈]
※ジェフ・サザーランドのキャリアや人生にベトナム戦争での経験が活きている可能性は否定できません
※しかし、私は戦争を一切肯定しません


ジェフ・サザーランドは米軍での戦闘機パイロットを11年間務める間、退役前の1970年から1972年にスタンフォード大学に通い、数学と統計学の修士号を取得します(ジェフ、29歳頃~31歳頃)。


退役してついに、IT業界に進出するのか!?と思いきや、ジェフのセカンドキャリアはまた驚くべき方向でした。。。


退役後、1975年~1980年、ジェフはなんと**「the University of Colorado Medical School(コロラド大学の医学部的存在)」** に進学します(ジェフ、34歳頃~39歳頃)。

「今度は医者になり、医療に従事するのか?」と思ったのですが、そうではなく、細胞集団内でとある細胞がガン化する仕組みを研究し、Ph.D. in biostatistics(生物統計学での博士号)、を取得します(1980年、ジェフ39歳頃)。


ある意味では、戦争という組織論レベルから、今度は細胞レベルの組織論に従事したとも言えるかもしれません


ところで、どうしてジェフは退役後に、生物統計学の分野の道を選び、細胞のガン化の研究をしようと思ったのか、私が調べた範囲ではその理由が分かる文献を見つけることができませんでした。。。

ただ面白いことに、この医学・生物学の分野での研究者の経験は後々にスクラム開発のフレームワーク構築にも活かされます(この話は本章の最後にて)



日本の様々な書籍や文献で、「ジェフ・サザーランド博士」と記載されていることが多い一方で、「ケン・シュエイバー博士」という記載が一切ないのは、ジェフが生物統計学の博士号持ちで、Dr. Jeff Sutherland であるためです。

なお、以下のサイトではジェフの医学系の取り組みの論文も含めた論文リストが公開されています。


とはいえ、ここで一つの謎が解明されました。

[1] 普通のIT企業の部長にそれだけの論文検索のスキルがあるものでしょうか?

への回答は、「ジェフ・サザーランドは戦闘機のパイロットに従事した後、セカンドキャリアとして生物統計学の分野で博士号を取得するほど研究者としてのキャリアを歩んだので、論文調査のスキルがありました」 となります。

物凄いキャリアですね。。。

とはいえ、いったいいつになったらIT業界で働くのでしょうか?もう40歳です。。。


ジェフは博士号を取得した後、1980年~1983年に 「the University of Colorado Medical School(コロラド大学の医学部的存在)」 で、「放射線医学、生体計測学、予防医学」の助教授を務めます。

大学の先生になったわけです(ジェフ、39歳頃から42歳)。

その頃の論文も上記のサイトで公開されています。
主に放射線によってどのように細胞がガン化するのかを研究していました。



そして、ついにジェフがIT業界に参入するときが来ます。

1983年、「MidContinent Computer Service社」がジェフを「Automated Teller System business unit(≒銀行内のATM的なシステムの開発部隊)」の部長として、破格の待遇で迎え入れ、エンジニアリングマネジャーを依頼します(ジェフ、42歳)。

このとき、はじめてジェフはIT業界での仕事に関わるようになりました。


このようにコーダー、ITエンジニアとしてキャリアを築いてきたのではなく、突然部長クラスからIT業界にマネジャーとして参入し、エンジニアとしてコードを書いて成果を上げるのではなく、それまでの組織論や教育者経験などを活かして、ITエンジニアたちが成果を出せるようにIT組織を運営する立場で、ジェフはIT業界と関わり始めたのです

ただし、当然ジェフのことなので、この後でITエンジニアとしてのスキルもトップレベルに磨いているとは思います。


私の肌感覚ですが(他の多くの方も同じ感覚を持っている気もするのですが)、
ケン・シュエイバーがIT色、プログラマー色、開発者色が強いのに対して、
ジェフ・サザーランドが組織論やマネジメント理論色が強い印象があるのは、
このような両者のスクラムに至るまでのキャリアの違いに起因しているのだと私は感じています。


そしてケン・シュエイバーのScrum.orgには「開発者向けの認定」が用意されているのに対して、Scrum Inc.には「開発者向けの認定」が用意されていない理由も、同上かと私は考えています。


1983年、「MidContinent Computer Service社」でIT業界での仕事を開始したジェフはその後、

・Saddlebrook Corp.(1986年)
・Graphael, Inc.(1988年)
・Object Databases(1989年)

と数年ごとに会社をわたり、1993年にEasel Corporationで働き始めます(ジェフ、52歳)。


そして1993年、Easel Corporation社で働き始めたジェフは第1話で紹介したように「竹内・野中論文」でSCRUMと出会い、ソフトウェア開発のスクラムを構築します。


以上が、ジェフの大学時代からEasel Corporation社で働き、「竹内・野中論文」に出会うまでの経緯となります


1993年以降、ジェフが働くEasel CorporationがVMARK社に買収されます(1995年)。
VMARK社でもスクラムを続けましたが、1996年にジェフは自身でIndividual社を起業します。

しかし、すぐにIDX社でCTOを務め、IDX社内でスクラムの普及に尽力します(1996年~2000年、ジェフ55歳頃から59歳頃)。

このIDX社での経験がスクラムのフレームワークを洗練させ、初期のスクラムを現在の形へと形成した重要な財産となりました。

スクラムガイドにも

スクラムの詳細な歴史については、別のところで説明されている。初期の試⾏錯誤および証明の場である Individual, Inc.、Newspage、Fidelity Investments、IDX(現 GE Medical)の各社に感謝したい。

と記載されている通りです。


そして、スクラムガイドに「IDX(現 GE Medical)」と記載されている通り、IDX社は医療関連のIT・機器会社でした。

IDX社のような医療関連の会社(その後IDX社はGEのMedical部門となる。なお2023年には会社分割される予定)のCTOに就くことができ、IT部門でスクラムのフレームワークを磨き上げられたのは、

ジェフの医療・生物統計学の分野での博士号やキャリアも活きた のだと思います。

まさに、Connecting The Dots(点と点をつなぐ)に感じます。


以上、ジェフ・サザーランドのキャリア前半のポイントを整理すると、

(1)米軍事アカデミー(ウェストポイント)で組織論などをしっかりと学んできた
(2)ベトナム戦争の戦闘機パイロットとして、極限のVUCAな環境でのマネジメントを経験してきた
(3)医学部で細胞のガン化について博士号を取得するほど、研究力を高めた
(4)その後、IT企業でエンジニアが成果を出せるマネジメントの役割でIT業界と関わりはじめた
(5)自身のITスキルを高めた

こうしたバックグラウンドがあったからこそ、ジェフ・サザーランド博士は経営視点でのIT組織論が構築でき、ハーバードビジネスレビューの野中・竹内論文と出会い、スクラムの構築が可能だったのでしょう

このようなジェフ・サザーランドのキャリア前半の経験こそが、[2] 普通のIT企業の部長が、製造業でのフレームワークを提唱した「竹内・野中論文」の内容を、自分のIT業務のフレームワークへと創造できるものでしょうか?、という疑問の答えになるかと思います。

さいごに

以上本話では、

[1] ジェフとケンは想像以上にキャリア後半でスクラムを創り上げ、その後の組織運営などを推進しました。いったいなぜこんなパワフルなのか?

[2] ジェフ・サザーランドは「竹内・野中論文、1986年」(日本の製造業の開発フレームワークであったSCRUM論文)をどのようにして知り、1993年にソフトウェア開発に適用したのだろうか?


これら2点について、本記事では彼らがSCRUM論文に出会う前の、大学時代から遡り、キャリア前半を紹介しました。

ジェフとケンのこうしたキャリアの積み重ねと経験を土台に、「スクラム」というフレームワークが構築され、それが改善され続け、今日の「スクラム」となっていることが明らかになりました。


本シリーズ、「スクラムに関する研修・資格の情報を整理」は本話にて終了となります。

ご一読いただき、ありがとうございました。



【記事執筆者】
電通国際情報サービス(ISID)AIトランスフォーメーションセンター 製品開発Gr
小川 雄太郎
主書「つくりながら学ぶ! PyTorchによる発展ディープラーニング」
自己紹介(詳細はこちら)

【情報発信】
Twitterアカウント小川雄太郎@ISID_AI_team

IT・AIやビジネス・経営系情報で、面白いと感じた記事やサイトを、Twitterで発信しています。

【免責】
本記事の内容そのものは執筆者の意見/発信であり、執筆者が属する企業等の公式見解ではございません


引用文献

[1] Sutherland, Jeff. "Inventing and Reinventing SCRUM in five Companies." Cutter IT journal 14.21 (2001): 5-11.
[2] Takeuchi, Hirotaka, and Ikujiro Nonaka. "The new new product development game." Harvard business review 64.1 (1986): 137-146.
[3] 野中郁次郎, サザーランドジェフ, 志度昌宏, & 内田伸一. (2020). アジャイル/スクラムから考える開発と経営: 対談: 野中郁次郎× ジェフ・サザーランド (特集 公共分野におけるアジャイル型開発). 行政 & 情報システム, 56(2), 3-7.
[4] 【A Brief History of Agile】Ken Schwaber - A Brave Warrior (Part 1)
[5] BostonBusinessJournal Innovation All-Star: Ken Schwaber | Scrum.org
[6] BostonBusinessJournal_KenSchwaber.pdf
[7] Executive master's degree
[8] Jeff Sutherland(LinkedIn)
[9]【A Brief History of Agile】Jeff Sutherland - Doing Twice the Work in Half the Time
[10] 《図解》PDCAとの違いは?現場に強いビジネスメソッド「OODA(ウーダ)ループ」とは?

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