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投球の力学メカニズム(1) -母指の離脱はバックスピンを誘発しない-

Last updated at Posted at 2024-12-12

はじめに

ストレートでは,ボールのリリースの前(約10 ms前)に,母指が離脱(ボールから母指が離れることを意味する)し,そのあとスピン回転が始まりボールが手からリリースする(投球の力学(1)参照).

ひょっとすると,このボールのバックスピン回転開始は,母指の離脱(母指をボールから離すこと)で開始すると考えている方は多いかもしれないが,ボールを「離す」のか?ボールが「離れる」のか?を考える.

たとえば,神経科学の論文
Skilled throwers use physics to time ball release to the nearest millisecond
でも,そのこと(離脱がボールの回転を開始ということ)を前提に研究がなされているが,ボールの把持の摩擦によって,回転開始は左右されるが,指を離したからといって,ボールが回転するわけではない.

その理由を,ここで説明する.

投球前半はトップスピンのトルクがボールに作用する.

第2章でも述べた動力学的回転開始までは,ボールには小さなトップスピンのトルクが作用する(図1).これは手の中でそのようなトルクを与えているのではなく,ボールと腕・手がどちらかというと一体化しているので,腕の回転によって弱いトップスピン状態になっているだけである.

それでもボールを加速している限りは,腕の回転によってボールには弱いながらトップスピンのトルクが作用する.

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図1:真上からみたボールの軌道(1kHz)とボールの角速度ベクトル
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図2:ボールのトップスピン状態ではボールが指に張付く

この「トップスピン状態」で母指をボールから離脱しても,ボールは回転しない.なぜなら,ボールと指はボールの上部で接触し(後ほど示す),ボール上部に力が作用しているトップスピンでは,母指を離脱しても,そもそもボールは指や手に張り付くような回転の力(図2赤矢印)が作用する.

また,たとえ急にバックスピンのための下向きの力をボールに与えることができたとしても,投球方向の力も与え続けなければいけない.

さて,ここで考えてみてほしい.あれほどの高速で投球している最中に,「母指を離す」という「タイミングの制御」だけで,正確な投球方向を調整するのは,至難の業である.論文はその超絶技巧をどうやって制御するのかという話だが,これはむしろ力学の制御問題であり(補足1),リリースのタイミングは力学によって定まっている.神経科学の研究者が考えがちな典型的な落とし穴である.

バックスピンの機序

では,投球におけるバックスピンが発生するメカニズムはどのようなことが考えられるのだろうか?なぜ,トップスピンではなくバックスピン?また,バックスピンはバスケットボールのシュートやサッカーのリフティングでも観察される現象だが,共通するメカニズムが背後にありそうだ.能動的に制御する必要があるのなら,他の運動で起こることはないはずだし.

そう考えると,やはり指のアクションでボールにバックスピンのトルクを作用させるのではなく,自然にバックスピンのトルクが発生していると考えるほうが合理的だ.次章で述べる予定だが,バックスピン開始は運動連鎖そのものである.

図2のように力の作用点が上にある場合は,力ベクトルはボールの中心よりも上を向くことでトップスピン状態となる.このことは,反対にボールの中心より下向きにさせることでバックスピンのトルクが作用することを意味する(図3).

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図3:トップスピンからバックスピンへ(力の方向がスピンの方向を定める)

では,向きが変化するための条件はどのようなものだろう?

このことを理解するために,第1章で,ボールに投球方向への加速力向心力が作用することを述べたことを思い出してほしい(図4).

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図4:ボールに作用する力.投球方向の力と向心力

その向心力は角速度(腕の回転の速度)に依存する力なので,リリース直前まで増加し続ける.一方,投球方向の力は(130km/hのストレートの投球で)リリースの約15ms前に最大値をむかえる.これは,全身のダイナミクスで定まる力であり,リリースに向けてそのように制御しており,球速に依存するが同じようなタイミングで最大値をむかえ,バックスピンのモーメントが発生する.このタイミングを動力学的回転開始($dS$)と呼んでいる.バックスピンモーメントが発生するタイミングである.

ボール作用する力の向きの変化がバックスピン開始の理由だが,それは投球方向の力の最大化がきっかけとなっている.一方,向心力は見かけの力で回転を維持するための力であるので,投手目線からすると,投手はそのように考えていないだろうが,普通にボールに与えようとする力をそこでピークになるように制御しているだけである.ボールに限らず投げるという運動では同じメカニズムでリリースを誘導する.

このことは全身の制御によってボールの加速を弱め,ボールを加速する力のピークを迎え,その後に徐々に投球方向の力を弱めていることを示している.

一方,そのときヒトは指先だけで急に「向心力だけ」を大きくすることは難しい.指先に発生する力は地面反力と比べるととても小さい力だが,それでも全身で制御している力である.地面からボールに伝わる力は,いろいろなところでエネルギーをロスしながらも,なんとか伝えていると考えるのが良い.伝えているというよりも,ボールと地面間の押し合いだ.

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図5:投球方向の力の減少がバックスピン・モーメントを生成する.

図5に示すように,投球方向の加速力が減少することで,バックスピンのモーメントが発生する.このことを実際のストレートの投球時の計測データを図6に示す.図6は実際のボールと指の「接触点」として「力の作用点」を計測し,そこから力ベクトルを描いている.なお,力の作用点を接触点として考えてよいだろう.

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図6:回転制御フェーズ(動力学的回転開始dS〜リリースR)の
     力の作用点から描いたボールに作用する力(投球方向の真横から見た図)
     (1kHzサンプリング)

図6(a)を見ても時間の流れ(赤破線の方向に推移)がわかりにくいが,バックスピンのモーメントが作用しだす動力学的回転開始$dS$(青)から,バックスピンの回転が発生する運動学的回転開始$kS$(黄)まで次第に投球方向の力が小さくなっている様子がわかる.バックスピン開始($kS$)以降は,向心力も急激に小さくなっていく.バックスピンが開始したときには,ほぼ加速と回転の制御は終わった状態に近い.

ストレートの場合,スピンの制御はスピンが開始する前にほぼ決まってくることがわかる(補足2).

また,第2章でも示したが,バックスピンの力のモーメント(トルク)の大きさは,力の作用点からみた,ボールの重心(中心)を指すベクトルと,ボールに作用する力ベクトルから構成される面積で表される(図6(b)).図6(b)はバックスピン開始($kS$,黄,運動学的回転開始)時のトルクを示していて,このときトルクの大きさは最大化する.つまりトルクが最大化することで,ようやくバックスピンが発生する.

またこの間,「力の作用点は移動していない」ことにも注目してほしい.

ストレートは転がり制御

この力の作用点は絶対座標系で移動しないことが,何を意味するかを考えよう.

回転制御フェーズ(動力学的回転開始:$dS$ 〜 リリース:$R$)の中で,後半の運動学的回転開始($kS$:バックスピン開始)から5 ms ほどの時間に約40 degほどボールは回転する.しかし,この間,力作用点はほぼ移動していない(図6).

このことは,回転制御フェーズのほとんどの時間で,ボールの転がりが発生していることを示している.ボールのシームを指で押して回転しているわけではない(図7).

転がりを行っているとき(図6(b)),ボールに作用する力は減少しつつあるが,中心よりも下方を向くことで,ボールには加速力を作用できるし,大きなスピンモーメントも与えることができる.つまり,転がりによってバックスピンを与える状態は,「ボールの加速」と「バックスピンの回転力」も与えることができ,「加速と回転を両立」できることを意味する.このことはストレートの力学的特徴を理解するうえで,かなり重要な性質である.

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図7:ボールの制御における転がりと押し

なお,ボール回転開始のころのハイスピードカメラの映像を眺めても,これが転がりかどうかはわかりにくい.力の作用点は,回転制御フェーズのスピン開始($kS$)までの前半は,むしろトップスピン方向に回転し,$kS$以降バックスピンを行う.また,ボールが回転し始めて($kS$以降)5msほどの間に40 degほどボールが回転するが一瞬のことである.図6で示したように重要なことはその前後で力の作用点が絶対座標系で常に同じ位置を維持しながら制御しているということである.

まとめ

130km/hぐらいのストレートの投球の場合.ボールの回転開始後,わずか10 msほどでボールはリリースする.この間,ボールは120km/hから10km/hも(?)増加し,回転数も一気に0から2000rpmに増大する.この間に投球方向も定まることを考えると,この回転制御フェーズはとても重要なフェーズである.

回転運動中,母指がボールから離れにくいトップスピン状態で,ボールがバックスピンに転じるきっかけは,加速を緩めボールに与える力の最大値を迎えることである.この回転開始は自然で.受動的だ.ただし,母指側と示指側間の把持力の大きさや摩擦が,回転開始に大いに影響を与える.母指を離しているわけではないが,把持力の制御は滑りやすいボールで重要だ.

リリース前のわずか15msほどの回転制御フェーズの間に,約20 km/hほど球速がドアップする.その間にどうやって制球を担保するかを考えずに,回転を増やす制御を行っても,ボールはあらぬ方向に飛んでしまう.まず制球(投球方向)の制御を担保したうえで回転を増加する必要がある(補足3).

そして,「転がり」に実はその制御の秘密が隠されている.

次章では,投球のメカニズムの理解から,少し話が遠回りすると感じるかもしれないが,バックスピンは運動連鎖のメカニズムと同じであることを述べる.

補足

補足1) 投球に限らず,ここで述べるような力学メカニズムとの組み合わせで,平衡点のような力学場の学習を行っていることが多いのではと考えている[1].

補足2) 投球に限らず,我々が目で見た現象(運動学的な変化)は,その運動が発生している少し前に定まっている事が多い.多くの場合,力を観察しないとものは見えてこない.運動学ではなく力学で現象を考えよう.

補足3) ヒトは超絶技巧で運動を制御しているように見えるが,身体の構造や力学特徴を有効に利用し,あるきっかけが次のアクションを自然に引き起こしていることも多い.超多自由度の身体を一人の指揮者がオーケストラの操るのではなく,力学の自然発生的におこる連鎖や連携によって,また,演奏者の自律的な機能との連携によって成り立たせることで,運動をおこなっているだろう.頑張るといろいろとストレスは起こるが,だからこそ身体に無理のないスムースで効率的な運動を自然に獲得しているのではないだろうか.制御に神経系は必須だがそのルールは力学をベースに構築さ,神経系はそれに協調するるよに学習している.身体の力学的自律性がオーケストラの自己組織化を促している側面がおおきいのではないだろうか.

参考文献

1)太田, 福田, 木村:投球における肩関節によるボールリリースと制球の制御. 日本機械学会 シンポジウム: スポーツ工学・ヒューマンダイナミクス2023(SHD2023),2023.

2)柴田, 太田, 金子:センサ内蔵野球ボールによる⼒の作⽤点推定 . 日本機械学会 シンポジウム: スポーツ工学・ヒューマンダイナミクス2023(SHD2023),2023.

3)太田,福田,那須,木村:力の作用点による投球の回転制御の解析, 第45回バイオメカニズム学術講演会(SOBIM2024)2024.

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