はじめに
前章で,ストレートのバックスピンのメカニズムについて述べた.ボールを普通に投げればバックスピンがかかり,その後ボールはリリースする.その際,ボールに与える力の最大化(動力学的回転開始)とその直後の力の減少が,ボールのリリースを促すことも述べた.ここで強調しておくが,リリースやスピンのためにボールを減速させる必要はない,ボールに作用する力を最大化すれば,その後ボールは自然にリリースされ,自然にスピンがかかる.
これは何もストレートに限った投げ方ではなく,カーブ,スライダー,フォークのどの変化球でも,ボールに作用する「力や加速度の最大化」がリリースを促す.カーブでは最大化後さらにトップスピンの回転が増加する.他の変化球でも動力学的回転開始が存在し,そこから回転制御フェーズに必ず移行する.恐らく,他の投擲運動でも同じだろう.スピンの制御を除いて,投射物に作用する力の最大化がリリースを誘発する構造は,他の投てき競技のハンマー投,やり投,ダーツなどでも同様で,例外はないと予測している.
これは何を意味するのか?
ここでは,実はボールのスピンも運動連鎖であるということを述べるが,恐らく多くの人はボールの回転から運動連鎖をイメージすることはあまりないだろう.
そもそも運動連鎖とは?
Kreighbaumらの定義
手首などの身体の待った部分の筋肉の出力は体幹部位などと比べて圧倒的に小さい.そこで大きな出力部位から動力を伝達することで身体運動を行うことは自然なことだ.投擲運動のように身体全体を大きく「身体をそる」ことで,出力の大きな部位から末端に「何か」が伝達し,順次的な運動が観察されるという運動連鎖の概念が生まれたのかもしれない.
一般に運動連鎖とは,ゴルフスイングや投球などのスウィング運動における,近位部位から遠位部位への(上肢の運動なら下肢や体幹などから手への),部位間の運動の順次に加速が観察される場合,それ運動連鎖と呼ぶことが多い.わかりやすくムチ運動などと呼ばれることもあり,英語ではkinetic cahin,kinematic sequence, proximal-to-distal sequenceなどと呼ばれる.
図1:運動連鎖(Kreighbaum & Barthels, 1981から改変)
特にE. Kreighbaum & K. Barthelsが1981に著した"Biomechanics: A Qualitative Approach for Studying Human Movement"というバイオメカニクスの教科書で書かれたkinetic chain principleの図1が,運動連鎖の概念図として定着し,多くの人がこの図を用いて運動連鎖を説明しているのではないだろうか.
ただし,運動連鎖の明確な定義やメカニズムは明らかにされていないと考えてよいだろう.Kreighbaumらもメカニズムについては述べていない.なにが伝達するかも曖昧だ.末端での順次性などの現象はともかく,メカニズムを曖昧にしたまま,長い間運動連鎖という概念が語られてきた[1].ここでは,過去の議論には深入りしないが,阿江らの教科書にKreighbaumらの運動連鎖の記述についてまとめてあるので参照するとよいだろう[2].ただし,これを読んでも根拠はわからない.
しかし,身体の末端(遠位,末梢)の部位で起こるスイング運動に限定すれば,そのメカニズムは明快である.エネルギーの伝達という側面もあるが,ここで簡単に述べる.
剛体の運動学
接線(回転)方向の運動学
角加速度は遠位側の逆方向の加速度を発生する
図2:剛体の運動学
図2(a)のように,特に拘束のないある部位の近位側をある方向に「加速度」をもたせると,回転運動が発生し,遠位側では反対方向の加速度が生じる.図2(b)のように近位側の部位Bが加わり振り子のように,部位Aを部位Bで押し出しても同じで,部位Bが回転しようとする反対方向に部位Aは回転する.ここで,この議論は「加速度」をベースに考えていることに注意をされたい.「速度」ではない.このことは後述する重要な知見と関係してくる.
振り子運動のようにある部位の近位側が,別の部位から加速されるような状況ではその部位は反対側に戻ろうとする性質がある.図2(b)のように部位Bが回転運動を行うならば,部位Aは部位Bの回転方向と反対方向に回転する性質をもつ.
もし部位A, B感の関節が単なる蝶番関節であれば,部位Aは部位Bに対して不安定な振動を起こしがちだが,ゴルフスイングやバッティングでは,両手で道具を操り,後ろ側に戻りすぎないような「ストッパー」的な機構を用いることが多い(図2(c)).なお,高速回転運動中,手関節周りの筋肉は前方への回転運動を起こすような余力はないが,両手による偶力を用いることと,関節を固定するだけならA.V.Hillが示すように,関節を固定するには十分に 大きな力発揮が可能である.
法線方向(長軸方向)の運動学
向心加速度は遠位側の順方向の加速度を生成する
近位側の部位Bの減速は不要
図3:向心力,遠心力によって拘束される回転運動
両部位をまっすぐにしようとする力が部位Aの回転力を生成する.
一方,部位A, Bが回転運動を行っているとき,図3に示すように各部位には同時に向心力・遠心力が作用する(補足1).直感的には,これらの力は「部位AとBをまっすぐにする力」と考えれば良い.先程の議論が,各部位の回転方法の運動学・力学を考えていたのに対して,ここでは長軸方向(法線方向)の問題を考えている.
数理的・物理的には図3に示すように,部位BからAに作用する向心力のうち,緑色の破線の矢印の成分が部位Aの回転力として作用する.この逆方向の加速度は遠位側ではオレンジ色の順方向の加速度として作用し,結果,部位Aを順方向に回転させる.
ただし,この順方向に回転させる力(図3)と図2(c)の逆方向の回転力は拮抗し,部位Bが加速している間は,部位Aは逆方向に戻す力(角加速度による逆方向の力,図2)が優位である
しかし,もし部位Bの遠位部分の加速がいったん最大値を迎えると,遠心力・向心力で作られる順方向の回転力が逆転し優位になり,「自然に」部位Aが回転を始める.これが振子運動における運動連鎖のメカニズムである.
ここで,ひとつ注意が必要である.部位Aの順方向の回転はKreighbaumや多くのバイオメカニクスの研究者が述べているように,部位Bを「減速させる」必要もなければ,止めるような「負の加速度」を与える必要はない.そして,部位Bの回転の加速度(角加速度)が最大値をむかえれば,「勝手に・自然に」部位Aの順方向の回転が始まることに留意されたい.
「加速度の最大値」とするためには,言葉で表現するのは多少危険だが「加速を緩める」と考えればよいのではないだろうか.止めるような反対方向の力を与えれば急激に加速度は最大値に達するが,それが「自然な」運動を阻害する要因になるの可能性があるので注意をされたい.
運動連鎖における「近位部分を減速させる必要があるという」大きな誤解が,誤った指導を導いているケースも多々見られる.連鎖はある意味,「自然に」,「受動的に」発生すると考えるのが良いと考えている.
剛体に作用する回転の加速度は,角加速度($\dot{\boldsymbol{\omega}} \times \boldsymbol{r}$, 図2)と向心加速度($\boldsymbol{\omega} \times (\boldsymbol{\omega} \times \boldsymbol{r})$,図3)の二種類があるが,角加速度は逆方向に,向心加速度は順方向の回転に寄与する.ただし,スイング運動の前半は角加速度が部位A, Bの力学的エネルギーの増加に寄与し,その結果向心力が大きくなるので,逆方向の加速度を生成するから不要な運動と考えてはいけない.運動連鎖にエネルギーを蓄積するフェーズは必須である.
近位から遠位の部位に何を伝達するのかと考えると,力学的エネルギーでも,恐らく運動量でも説明ができるだろう.
重要なことは,「効率良い伝達のために部位間のなす角度が必要」で,「それが遅延を引き起こす」という理解だろう.話がボールの回転制御のメカニズムから脱線してしまったが,このことは投球のメカニズムの根幹である.バックスピンの話に戻ろう.
ストレートのバックスピンにおける運動連鎖
図4:ボールを振子にみたてた運動連鎖としてバックスピンのメカニズムを捉える.
向心力が優位になることでバックスピンが始まる.
図5:腕・手・ボールの運動連鎖
各部位が固定された状態で円運動を行い,近位側の部位の加速度が最大値を迎えることによる「自然な」振子運動の開始が運動連鎖のメカニズムである.ただし前述のように誤って腕を減速させようと考えは行けない.
これは前章で述べた,ストレートのスピン開始のメカニズムと全く同じで,少し目先を変えて説明しただけである.図4では前章で説明したバックスピン開始のメカニズムを,この章で説明した方法に置き換えたと理解していただきたい.
手とボールが一体化し状態は,ここで述べたストッパーによって固定された状態と同じで,ボールに与える力(この場合は加速度と同じ)が最大化することで,バックスピンが始めるメカニズムは運動連鎖そのものである.なお,このことは力の作用点で可視化することによって初めて理解できることに注目してほしい.
また,通常,振り子は外側(遠位側)に向いているが,ボールを振り子としてみたときに,重心位置が近位側を向いていることに注意をされたい(図5).
いずれにせよボール(という振子)に作用する力が極大となることで,ボールにバックスピンという運動連鎖が発生する.
以上の運動連鎖のメカニズムを振り子運動としてを考えると,近位側の部位と遠位側の部位が一体化している状態(逆方向へのトルクが作用する状態)から,遠位側の部位に作用する力が最大化し減少することで向心力が優位になり,遠位側の順方向の回転力が優位になり「自然に(特に遠位側の部位の筋力にたよらず)」順方向の回転が開始することを本質とする.
すると,次の部位への運動を促すイベントは,これまで述べてきたように力や加速度のピークである.図1の速度や角速度のピークではない.また,その運動連鎖を観察するためには部位の角速度ではなく,部位間の相対角速度を観察するほうがよいということがわかる.
作用反作用の力による運動連鎖の理解
運動連鎖のメカニズムは多くの競技で共通している.ゴルフ[3,4]やnote記事, ハンマー投[5]などでも明らかにしてきたが,恐らくどの競技でも同様である.
このことは我々の運動パターンをトルクが生成していると考えるよりも,エネルギーを関節間に作用する力を利用して末端に伝達するように動かすとムチ運動のようになると理解した方が良い(補足2).
おわりに
投球におけるバックスピンが運動連鎖であると述べると違和感感じる方も多いかもしれない.しかし,ここで述べた運動連鎖の定義では,まったく同様なメカニズムである.
また前章でも述べたが,バックスピンは「自然に」発生する回転で,投球以外のバスケットボールや,サッカーのリフティングでも発生することを考えると,制球や正確性と密接に関係し,それを補償する運動と感がられるが,これについてはまたどこかで述べることとする.
ここまでの議論で,運動におけるメカニズムとは,何かと何かの数値的・量的な関係性ではなく(それを貢献度やシナジーで計算したとしても同じこと),ベクトルで記述される幾何学的なものである事が多い.力の作用点は,力やベクトルといった無味乾燥な情報を,スキルを3Dで可視化させる有用なツールとなる.
また,繰り返しの述べたが運動連鎖の定義は明確でなく,それが拡大解釈され,身体全体の運動連鎖というものが存在するように捉えられているが,筆者は懐疑的である.このことについても,またどこかで述べることにしよう(補足2).
ここでまでは,その力学を理解するための予習であった.遠回りしたが,次章で,変化球も含めてボールの回転の力学メカニズムの具体論を述べていく.
補足
補足1)向心加速度と遠心加速度
向心加速度に質量をかけることで,向心力となる.遠心加速度と遠心力の関係も同様である.スイング運動で考える場合,向心力は近位側の部位が遠位側の部位を引っ張る力であり,遠位側の部位に作用する力である.遠心力は遠位側の部位から近位側の部位に作用する力である.作用・反作用の力で釣り合う.
一般に素直に運動方程式をたてると,遠心力ではなく向心力や向心加速度が式に現れる.
図6:全身のねじれ・しなりは運動連鎖?
地面からのつながりを矢印で描いた(イメージ)
ここでは,末端の振子運動の運動連鎖のメカニズムについて述べ,ボールのバックスピン回転も運動連鎖であることを述べた.
しかし,
・それ以外の体幹や下肢などの部位に観察される身体全体のしなりも運動連鎖なのだろうか?
・体幹部分などでも,順次性が観察されるのだろうか?
・体幹部分は振子運動なのだろうか?
・体幹部分でエネルギーの伝達に遅延は必要なのだろうか?
という問題は慎重に考えた方が良い.とりあえず言えることは,その遅延が必要な理由を矛盾なく説明されたメカニズムは筆者の知る範囲では存在しない.
振子で考える末端の遅延では,エネルギー伝達は作用反作用力を媒介することで行っている.下肢や体幹で生成される力学的エネルギーがすべて末端に伝達されるわけではなく,高速に運動を行っている限り運動エネルギーという形で末端の伝達部位で大きな伝達ロスが発生する.これは高速に運動するので致し方ない.しかし,動力生成側ではあまりエネルギーをロスしたくない.動力生成において遅延はあまりうれしい現象ではない.地面から伝達を行うだけでなく,そもそもボールと地面の押合いも動力生成に必要で,下肢や体幹が振子運動や順次性のある運動を行ったほうが良いというメカニズムは見当たらない.
ここでひとつ重要な知見を述べておこう.ゴルフスイングにおいてクラブの運動連鎖による回転が開始するときに,地面反力が最大化する.もし地面からクラブに力を伝達する際に,遅延が発生するならクラブまで力が効率よく伝わらないだろう.
上肢のスイング運動における,下肢や体幹の運動連鎖については慎重に考えたほうが良いだろう.
なお,ボール(やり)と地面のお試合は必要であるから,図6のような全身のしなりや反りなどは発生する.そしてその各部位の筋肉間の「つながり」が重要であることは間違いない.しかし,連鎖や遅延が必要かどうかは別問題だ.
私見だが,SSC(Stretch Shortening Cycle)を理由に部位間の遅延を考えるのことはやめたほうが良いだろう,SSCは遅延したほうが良い理由にならない.順次ではなく,同時に下肢から体幹まで反って収縮しても良い.
運動学的な遅延は見かけの問題で,力学を考える必要がある.
参考文献
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B. Serrien and J-P. Baeyens, The proximal-to-distal sequence in upper-limb motions on multiple levels and time scales, Human Movement Science, Vol.55, 2017, 156-171. doi
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阿江,藤井:スポーツバイオメカニクス20講,朝倉書店, 2002
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井上, 劉, 芝田, 園部:ゴルフスイングにおけるリストターンの動力学解析(モード解析によるメカニズム検討),日本機械学会論文集,Vol.83, No.851, 2017
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太田, 仰木, 澁谷:ゴルフスイングにおける内力を利用したエネルギー伝達,スポーツ・アンド・ヒューマン・ダイナミクス講演論文集, 2012, 223, 293-298
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太田, 梅垣, 室伏, 羅:振子モデルによるハンマー投運動の解析, スポーツ工学シンポジウム:シンポジウム:ヒューマン・ダイナミックス, 2009, B-43, 447-452