前回の記事を持って残すはあとがきを投稿するだけと思っていましたが、今回の一連の記事をGeminiと振り返る中で創造的な領域においてはコンテキストエンジニアリングは無力だろうなという話を振ろうとして、ふと頭に浮かんだんですよ、『鑑定家』という単語が。というのは冗談でなく、実際になぜか鑑定家という言葉が浮かんできて、追加で記事を書いています。
数時間前までの私はAIによる創造的な仕事は、ハイパーパラメータを調整してランダム性を高めるほど、より創造的な出力が生まれると思い込んでいました。しかし、この考察を経て、それは誤りだったと気づきました。真に価値ある創造性は、単なる偶然から生まれるものではないという気付きを得ました。
1. 芸術品の鑑定家から学ぶ「本物の見分け方」
なぜ鑑定家は、膨大な贋作の中から本物を特定できるのか?それは、単なる表面的な筆遣いや色彩ではない、より深いレベルでの識別をしているからだ。
鑑定の秘密:鑑定家は、画家が作品に込めた 「意味論(Semantics)」 を読み解く。構図、線の引き方、色の組み合わせ方…これらは単なる偶然ではなく、画家の思想や感情を表現するための 「型(Form)」 に従っている。
スポーツ選手との共通点:これは、一流のスポーツ選手が持つ「型」にも通じる。彼らが反復練習で磨き上げたフォームや動きは、単なる身体的なアクションではない。それは、 「力を入れるべきタイミング」という意味論 に応じて、最高のパフォーマンスを発揮するための厳格な 「型(Form)」 なのだ。
キーメッセージ:鑑定家は、作品の意図と構造を理解している。スポーツ選手が「力を入れるタイミング」という意味論に型を持つように、芸術家もまた、作品に意図と構造を込める。この視点が、AIへの応用の鍵となる。
2. エンジニアリングの世界における「意味論と型」
デザインシステムという概念:多くのエンジニアが知っているデザインシステム。これは単なるUIコンポーネントの集まりではない。それは、UI/UXの設計思想と、それを実現するための厳格なルール、すなわち統一された 「意味論」(例:ボタンは「クリック可能なアクション」を意味する)と、それを具現化する 「型(Form)」 である。
コードにおける「プロフェッショナリズム」:良いコードとは、意図が明確で、他の開発者が容易に理解できるもの。命名規則、関数の型定義、ロジックの構造化は、コードの意味を明確にし、一貫性を保つための 「型(Form)」 を適用する行為である。
共通点:この分析を通じて、芸術もコードも、意図を明確にするための「意味論」と、それを表現するための「型」が不可欠であるという共通点が浮き彫りになります。私の持論である 「デザインとは装飾ではなく、全体を見通した設計である」 は、まさにこの概念を体現しています。単に見た目を良くするだけでなく、その背後にある目的や機能、そして全体との調和を考慮する。これは、芸術家が作品の構図を練るのと同じ思考プロセスであり、プロのエンジニアがコードのアーキテクチャを設計するのと何ら変わりません。この共通の視点こそが、AIに真の「プロフェッショナリズム」を教え込むための鍵となります。
3. AIに「意味論と型」を教える
AIの限界:従来のAIは、膨大なデータから 「型(Form)」 を学習することは得意だが、その 「型」 が持つ意味論まで深く理解することは難しい。結果として、文脈を無視した不自然な出力を生み出すことがある。
新しいAIパラダイム:AIが真にプロフェッショナルな仕事をするためには、単に情報を処理するだけでなく、その分野の意味論を理解し、厳密な型を適用する必要がある。
Cascading Role Systemの役割:私が提唱している「Cascading Role System」は、この新しいパラダイムを実現するための具体的なアプローチである。これは、AIに単なる指示を与えるのではなく、特定の役割(例:専門家、デザイナー)とその役割が持つ 「意味論」 と 「型」 を階層的に学習させる仕組みである。
結論
一連の記事を書き始める際にコンテキストエンジニリングをバズるために使っている人間をDISっておきながら、予定外の記事を書くことは非常に悩ましいものでした。出すべきか出さざるべきかを決める時にこれはコンテキストエンジニアリングの文脈で出す価値があるのか?と自問し、これまでの記事では切り捨てた創造的なAIへの救済がないままで終わって良いのか?という観点で出すことにしました。
冒頭でも書いた通り、私は創造的なAIはランダム性を高めて試行錯誤を一定回数以上繰り返すことで、ようやく満足のいく出力を得られる不確実性と向き合うものだと考えていました。しかし、今回の考察を経て、著名な芸術家の多くが死後も自身の作品を見い出される様に一流のクリエイターもコンテキストエンジニリングという形を経て、自身の「意味論」に基づいた「型」、つまりは特徴を持つに至るであろうと。
その洗練された特徴を持つに至ったクリエイターはコンテキストエンジニリングを操り、AIを有効活用することが可能になるでしょう。一方で自身の型を持たなければエンジニアであろうとコンテキストエンジニアリングを活かせず苦しむだけになると考えます。これはコピペで誤魔化してきただけのエンジニアなどに顕著に現れるでしょう。
コーディング規約、アーキテクチャといった上流を理解し、意味論(Semantics)と型(Form)を完成させて、特徴を獲得するに至らなければ、たとえ一定の答えがある課題であってもコンテキストエンジニアリングを適用することは出来ません。なぜならば、それは自分たちを定義するための設計そのものだからです。
自分たちの型を定義し、サービスという意味論に基づいた設計を定義することこそが、それぞれの仕事においてコンテキストエンジニアリングを完成させる唯一の方法だったのです。そして、創造的なAIが持つコンテキストエンジニアリングのもう一つの本質はそれをAIに教えること、現在の徒弟制度とも言えるでしょう。
一方で私の様なエンジニアがAIに教えるべきは解に至る公式です。認知的なAIには公式(Formula)を、創造的なAIには型(Form)を与えるという切り分けが必要になるでしょう。