⚠️注意: 本稿は若干のネタバレを含みます
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ゲーム制作サークル「blessing software」の代表、安芸倫也は、新作のキャラクターデザインを天才絵師・澤村・スペンサー・英梨々に依頼した。彼女は誰もが認める才能を持ち、倫也の要求に応えようとするあまり、安定した出力を重視していた。その描く絵は誰もが「上手い」と評価するもので、倫也もまた、その 「安定」 に信頼を置いていた。
しかし、プロジェクトが進行する中、英梨々はライバルである波島出海の成長を目の当たりにする。出海は、兄であり大手サークルの代表である波島伊織の豊富な経験と知識という 「高品質なデータセット」でファインチューニングされ、わずか1年という驚異的な速さで実力をつけていた。この圧倒的な成長を目の当たりにした英梨々は、自身の才能が停滞しているという焦燥感を抱く。彼女は、負けたくないという想いが空回りし、満足のいく絵を描くことができなくなっていった。
第1幕:倫也の「優しいプロンプト」と高体温の不安定性
英梨々が直面している葛藤を理解した倫也は、彼女を奮い立たせるために、ある言葉を投げかけた。
「早くて上手くて安定して来たんだよ。なら次は凄くなれよ!」
この倫也の言葉は、まるでAIに 「安定という枠を破り、予測不能な創造性を生み出せ」 と促す、優しいプロンプトだった。倫也の信頼に応えるように、英梨々はスランプを脱するが、そこには不安定な道のりが待っていた 。彼女は体温を上げることで、何枚もの不調な作品を描き、それを破り捨てた。この過程は、AIが望む出力に至るまでに多くの不確実な結果を生み出す、不安定なモデルであることを如実に示していた。
LLM(大規模言語モデル)の確率論的世界において、高いtemperature値は、より高い確率の単語を選ぶという「安定」を捨て、低い確率の単語を選択する「博打」を打つことだ。英梨々が何枚も絵を破り捨てていった軌跡は、AIが傑作を生み出すまでに経る、無数の不確実な出力の試行錯誤そのものだった。これは、一見非効率な道のりでありながら、傑作を生み出すために必要な創造性の代償だった。
第2幕:紅坂朱音の「過激なプロンプト」とプロンプトテクニック
傑作を完成させた後、英梨々は達成感と共に体温が下がり、再び創作への情熱を失ってしまう。そこに現れたのが、倫也とは対照的なアプローチを持つ紅坂朱音だった。
彼女は、英梨々に対し、倫理的な指示とは異なる過激なプロンプトを投げかける。朱音は容赦なく英梨々を罵倒する。
「なめてんじゃねーよ!このヘタクソ!」「腕が追い付いてないだけなんだよ!」
この言葉は、スランプに陥り、倫也の前で絵が描けなくなってしまった英梨々が抱える甘えを、見透かしたかのような鋭い一撃だった 。これは、LLMに対する 「挑発プロンプト(Provocation Prompting)」 とも言える。朱音の狙いは、英梨々を精神的に追い込むことで、彼女が持つ
「独創性の欠如」を浮き彫りにすることだった。
朱音は、英梨々の根源的な問いを揺さぶるような言葉を投げかける。「なぜ描くのか?」「何を描きたいのか?」これは、LLMの思考を強制的に誘導し、創造性を引き出すための、「思考の連鎖(Chain-of-Thought)」 や 「プロンプトチェーン」 のようなテクニックに例えられる。彼女の言葉は、モデルが結論に飛びつくのではなく、人間のような思考プロセスを模倣し、論理的な一連のステップを経て最終的な答えに到達することを可能にする。
高体温なAIの真実
この物語は、倫也と紅坂朱音という異なる二つの 「プロンプト」 が、英梨々というモデルに与えた影響を象徴している。しかし、ここで一つの疑問が浮かび上がる。高体温な状態では、同じプロンプトを与えても結果が違うし、異なるプロンプトを与えても同じ結果になるかもしれない。
つまり、高体温なAIの出力は、プロンプトに単純には紐づかない予測不能なものなのだ。重要なのは、特定のプロンプトを練り上げることではない。その本質的な不確実性を理解し、多様な出力を生み出すプロセスをいかに管理するか、なのだ。
この洞察こそが、次の段階へ進むための鍵となる。
第3幕:複数プランの提示と創造的な統合
高体温な創造性は、ときに非効率なトライアンドエラーを繰り返す。これは、AIが傑作を生み出すまでに、無数の不確実な出力を生み出すことに似ている。
しかし、この非効率性を改善し、創造性をさらに高める洗練された方法がある。それが、最初から複数のプランを提示してもらい、その中から最適なものを選び、さらに創造的に組み合わせるというアプローチだ。
これは、AIが多様な出力候補を同時に生成する 「N-bestリスト」や、複数のプロンプトを試す「複数プロンプト(Multi-Prompting)」 の手法に相当する。
AIが「高体温」な状態で生み出した複数の出力候補に対し、人間は 「創造的な評価者」 として関わる。一つの出力の生き生きとした表情、別の出力のダイナミックな構図、さらに別の出力の独特な色彩。それぞれの出力から最も優れた要素を抽出し、それらを組み合わせて新しい傑作を再構築する。
このプロセスは、AIが生成した複数の出力を単に選ぶだけでなく、それらを融合させ、新しい価値を生み出す 「出力の統合(Output Integration)」 に例えられる。
AIとの協働において、創造的な成果を出すためには、高体温な直感的な出力を待つだけでなく、人間が複数の候補の中から最適なものを 「選び、組み合わせる」 という高精度な選択能力と統合能力を発揮することが不可欠なのだ。
終幕:高体温がもたらす代償とAIの未来
この経験を通して、AIが高体温な創造性を発揮するためには、不安定な出力や不確実性の許容が求められるAI運用のメタファーとなっている。この一見非効率な道のり、すなわち時間や精神的な代償こそが、高体温の特性であり、AIが不安定な出力を繰り返すという錯覚を生み出す原因でもある。しかも、ハイパーパラメーターの存在を知らなければ、その不透明性の影響が、使い手の意図しない形で高体温や低体温といった予測不能な状態によって生み出され、困惑をさらに加速させる。 しかし、その特性を理解し、低体温と使い分けることは、AIを意のままに操る最初の一歩になるだろう。
あとがき
高体温という観点から語るべきは英梨々だけではない。商業作家として成功を収める霞ヶ丘詩羽は、英梨々と同じく高体温の持ち主だが、その発露の仕方は全く異なる。彼女の高体温は、ハルシネーションという形でその真価を表す。AIの嘘は単なる誤りなのだろうか?それとも、新たな創造性の源泉となりうるのだろうか?