「10年先のコンピュータ技術」を今!?CMOSアニーリングの性能に迫る!
2019年にスパコンでも1万年かかる計算問題を3分20秒で解いて話題となった「量子コンピュータ」。量子アニーリング型の「D-Wave」が完成したとの報道もありましたが、ゲート型の量子コンピュータはまだまだ研究開発の段階、本格的な実用化は10年先という認識が一般的ではないでしょうか?
そんな量子コンピュータのアニーリング型と同じ機能を従来の半導体技術で実現し、すでに稼働しているのが「CMOSアニーリング」です。開発したのは日立製作所で、2020年の秋にはこの技術を使ったサービスもスタートしています。
未来を先取りする「CMOSアニーリング」について、開発に携わっている日立製作所金融第一システム事業部の小川純氏と寺崎紘平氏にお話を伺いました。
プロフィール
名古屋大学非常勤講師
「CMOSアニーリング」とは!?
――「CMOSアニーリング」とは、どのようなコンピュータなのでしょうか?
寺崎:今、稼働しているコンピュータに使われている半導体技術を使って、アニーリング型の量子コンピュータと同じことをする目的を持って作られたのが「CMOSアニーリング」です。
量子コンピュータには、ゲート型とアニーリング型(イジング型)の2種類がありますが、よくニュースになっているのはゲート型です。ゲート型は何でもできる汎用型とよく呼ばれていますが、実用化は10年ほど先とも言われています。一方、アニーリング型は「組合せ最適化問題」を解くことに特化したもので、すでにカナダの会社D-Waveが実用化していて実際に問題を解くことができます。
ただ、組合せ最適化問題を解くことに限ると、これまでの半導体技術で実現できるのではないかと当社研究所の山岡さん(テクノロジーイノベーション統括本部 情報エレクトロニクス研究部長 山岡雅直氏)が考え、2015年に開発したのがCMOSアニーリングです。特長としては、極低温を必要とする量子コンピュータと違って常温で動くため、使いやすいということがあると思います。
――やはり、量子コンピュータで「マイナス273℃」は絶対の条件なのでしょうか?
寺崎:IBMやGoogleが開発している量子コンピュータはマイナス273℃近くまで下げないと動かないといわれていますし、現時点では極低温が必要なものが多いと思います。とはいえ、最終的には量子効果が使えればいいので、室温くらいの温度でも動くものが、今後出てくる可能性は十分あると考えています。いずれにせよ、量子コンピュータに極低温が必要な状況はしばらく続くと予想されています。
それに比べてCMOSアニーリングはすでに実用化されていますし、常温で動きますから、誰でもすぐに使えるメリットがあります。
――資料で拝見したのですが、CMOSアニーリングはとても小さいことにも驚きました。
寺崎:資料に掲載されている写真はあくまでも部品ですね。CMOSアニーリングのマシンとしては一番小さいものでも名刺大の大きさです。
――量子コンピュータは、報道などで見ると巨大なイメージがありますので、それでもCMOSアニーリングは驚くほどの小ささですね。ここまで小さくできるのが日立の技術力ということでしょうか?
小川:量子コンピュータの大部分は冷凍・冷蔵庫のような冷却装置が占めていてマシン自体はたぶんそれほど大きくはないと思いますが、それでも本体は名刺大ではないですね。
寺崎:これまでのコンピュータなど高機能な半導体の微細化の歴史には、日立も少なからず貢献してきています。この微細化技術がすぐ使えるのがCMOSアニーリングの強みで、一方、量子コンピュータではまだ超電導回路を微細化するというフェーズではないので、その違いもあると思います。CMOSアニーリングは常温で動作し、比較的小さいので、様々なモノに組み込んでいくことで活用の可能性も広がると考えています。
――CMOSアニーリングは、AIや量子コンピュータとは異なる技術なのでしょうか?
寺崎:「AI」は現在、言葉としてかなり広い使われ方をしています。単純なアルゴリズムでもAIと呼ばれている例も目にします。そういう意味ではCMOSアニーリングはAIの一部のように分類されてしまうこともありますが、個人的にはかなり違うと思っています。AIは、今あるデータを使ってモデルを作るのが主な仕事です。それに対してCMOSアニーリングは「イジングモデル」を使って組合せ最適化問題を解くものなので、ある意味、逆方向のものだと思っています。
CMOSアニーリングと量子コンピュータとの最大の違いは実装方法です。CMOSアニーリングはアニーリング型の量子コンピュータを模したものなので、基本的な仕組みやできることは同じなのですが、実装方法が半導体とソフトウェアの力を使うのか、量子効果を使うのかという点に大きな違いがあります。
――コンピュータ業界における、CMOSアニーリングの「立ち位置」を教えてください。
寺崎:CMOSアニーリングは、ちょうど従来のコンピュータと量子コンピュータの中間の存在と言えます。IBMやGoogleといった企業が取り組んでいるような、先頭を走って量子コンピュータを作っていくという潮流とは別の流れの中にいると思っています。
寺崎:日立もこの潮流の中で当然、ゲート型量子コンピュータの研究・開発を進めています。これは技術革新のために大切なことですが、実用化までにはまだ時間がかかり、現時点でお客様に出せるものではありません。
一方でCMOSアニーリングは、今日の半導体技術(GPU・FPGA等)を使ってすでに稼働しており、実際にお客様が持っている様々な組合せ最適化問題を今すぐに解決することができます。また、これを進めると、将来、量子コンピュータができたときに活用できるノウハウが溜まっていくとも考えています。
――CMOSアニーリングを導入して資産を蓄積しておいて、量子コンピュータが完成したら移行していくということでしょうか?
寺崎:そうですね、実際、量子コンピュータができるまでを繋ぐものというイメージを持たれることが多いですが、別の可能性として、大規模な量子コンピュータの開発が上手くいかなくなったときは、CMOSアニーリングが本流になる道もあると思っています。
――将来的にコストや使い勝手の違いなどから、並立して残っていく可能性は考えられるのでしょうか?
寺崎:考えられると思います。例えばマイナス273℃にするにはかなりのコストがかかりますから、量子コンピュータほどの性能は必要ないが早く組合せ最適化問題を解きたいというニーズにCMOSアニーリングで応えていくことは十分ありうると思います。
――ところでCMOSアニーリングが解く「組合せ最適化問題」とはどういった問題なのでしょうか?
寺崎:「組合せ最適化問題」は「巡回セールスマン問題」や「ナップサック問題」のような、数多くの選択肢がある中から「セールスマンの移動距離を一番短くしたい」とか「ナップサックに詰める荷物の量を最大化したい」といった、目的・目標に応じて最適な選択肢をひとつ見つけるというものです。これを解くための技術がCMOSアニーリングです。
小川:逆にいうと、組合せ最適化問題しか解けませんが、極めて高速で解くことができるため、お客様にメリットを出すことができます。
――組合せ最適化問題は、勤務シフトの作成や医療や学校での人員配置、製造業の部品調達など社会に多種多様に存在しています。社会的なニーズに応える技術なんですね。
小川:CMOSアニーリングが社会の生産性や効率を向上させていくと考えています。
寺崎:ただ、あまり広く知られていないです。AIだったら皆さんよく知っているのですが、組合せ最適化問題が世の中に数多くあって、それを高速に解くのが難しいということが肌感覚としてはわかっていても、CMOSアニーリングで早く解けることが意外と知られていません。これからアピールしていかなければと思っています。
――たしかに一般的には「なんでもAIに」といった風潮があると思いますが、それとは似て非なる問題ということですよね。
寺崎:はい。最終的に解決する問題自体は同じかもしれませんが、解決へのアプローチが違います。AIでは、AIから得られた示唆に従って人間が選択することが必要だと思いますが、CMOSアニーリングでは最適な選択肢がパッと1つ出てきます。
小川:例えば勤務シフトを作成するという課題であるなら「効率的な勤務シフトにするための示唆」というものをAIが与えてくれたとしても、「実際どう人を配分すればいいか」というのは別の難しい問題(組合せ最適化問題)になります。AIから得られた示唆に対して、CMOSアニーリングを活用して1つの勤務シフトという選択肢を示し、解決策を出すことができると思っています。
「CMOSアニーリング」の開発が社会に与える影響
――CMOSアニーリングは社会のどのような課題を解決し、役に立つのでしょうか?
寺崎:多くの選択肢がある中でどれを選べばいいかという問題が基本的に得意ですから、極論すると世の中全てのものは選択の連続だと思うので、どんな分野にでも使えると思っています。例えば、交通渋滞の解消は組合せ最適化問題にしやすいと思っています。
――CMOSアニーリングでカーナビが劇的に進化する可能性があるということですか?
寺崎:カーナビは自分が目的地に最も早くたどり着くことが目標になっていますが、それは車1台の問題です。CMOSアニーリングの場合はもう少し全体を見ているような感じで、どの車をどうすれば、全員の移動時間が一番短くなるかというように問題を解きます。局所的に見ると遅くなってしまう人が出るかもしれませんが、全体を見たときに皆が納得できるような解を出し、問題を解決します。
――ということは、カーナビというより高速道路のゲートの開けしめといった運用や電車の運行システムの管理に向いているということですね。
小川:もしカーナビ全てをCMOSアニーリングに繋げて最適化が出来れば、CMOSアニーリングがカーナビを制御して、街中の渋滞を緩和したり、全体のCO2の排出量削減するようなことも出来るかも知れません。
――CMOSアニーリングが実用化されると社会はどのように変わるのでしょうか?
寺崎:医療や金融に限るというものではありません。限りある人材をどう配置すれば最適化できるかという課題を解くこともできるので、日本の人口が減っていく時代において、社会全体を最適化できるのかなと思います。
小川:問題が大規模であればあるほど、他の手段では解けなくなるので、CMOSアニーリングという技術が活躍できます。
――新型コロナウイルスの感染拡大に伴う新しい生活様式の関係で大学などの授業や実習の予定やコールセンター等のシフトなども臨機応変な対応が求められていくので、CMOSアニーリングの技術が必要とされる場面は増えそうですね。
寺崎:CMOSアニーリングの場合、イジングモデルを1つ作ってしまえば、計算対象の人が増減しても変更するデータを入れ直せば即時計算ができるので楽に対応できます。シフトを作ることができる他の製品もリリースされていますが、人数制限等があることが多いようです。例えば同時に1,000人分を解きたいとなってくると大規模なものを高速に計算できるCMOSアニーリングの強みが出せると思います。
小川:シフトについては、三井住友フィナンシャルグループのコールセンター数ヵ所で活用した実証実験も行いました。すでに組まれたシフトをCMOSアニーリングで組み直すことで、過剰配置を80%削減することができました。複数のお客様との実証実験を経て、10月より「勤務シフト最適化ソリューション」をリリースしています。
――金融分野ではリスク低減に向けたポートフォリオ最適化や損害保険のポートフォリオ最適化にも取り組まれていますね。
寺崎:基本的にはポートフォリオをどう買うかというのを選択肢に、例えば金融商品を1,000用意したときに、どれをいくらずつ買うかという最適化問題になります。利益を保ったままリスクを最小化するというのを目標に、利益やリスクという要素をイジングモデルに全て落とし込んで、CMOSアニーリングで計算すると、解が1つ返ってきます。個人の持つポートフォリオでももちろん使えますが、選択肢が1万や10万といった規模になってくると大規模な計算ができるCMOSアニーリングの強みが出せることもあって、現在投資会社や損害保険会社で実証実験を実施しています。
――短期間で一般的な企業でも導入できますか? また、どのようにしてCMOSアニーリングを社会に提供していくのでしょうか?
小川:CMOSアニーリング技術の提供方法は、基本的には日立の社内にCMOSアニーリングを置いて、お客様が使いたいときにインターネット経由でアクセスしていただいて、当社がお客様の課題をイジングモデルに落とし込み、回答を返すという形式にしようと考えています。CMOSアニーリングは高速で回答を返しますし、サーバー自体をお客様側に置いても活用されない時間が多いことが想定できるため、複数のお客様にシェアしていただく方がコストも安くなって良いだろうという判断です。
――そういえば先日、NECとD-Waveが量子コンピューティング領域で協業という報道がありました。量子コンピュータ領域を含めて他社との違いはどういった点にありますか?
寺崎:D-Waveが開発しているのは量子コンピュータ(アニーリング型)なので、現時点で動くマシンを使ってノウハウを蓄積したいというNECの思いが協業という形になっているのだと感じました。日立としては、ゲート型量子コンピュータの研究もしているし、私たちが取り組んでいるCMOSアニーリング技術もありますので自社内で全てできるのが他社との違いになると思います。
小川:他社との比較でいうと、先ほどもお伝えしましたが、私たちはCMOSアニーリング本体をお客様にそのまま使ってもらうようなことはせず、サービス形式で提供してお客様にとって使いやすいようにして広げていきたいと考えています。そこが差別化のポイントになると思っています。
寺崎:他社の中には「マシンは提供するので、イジングモデルはお客様が作ってください」というスタンスのところもあるようですが、これでは、AIだけ渡されても何もできない、スパコンだけ渡されても使えないのと同じことです。お客様の業務内容を理解し、イジングモデルへの変換や使い方に対しても手厚くサポートするスタンスを取っているのが他社との違いですね。
日立の最先端技術の開発環境、バックアップ体制は?
――どのような体制で研究、開発を進めていらっしゃるのでしょうか?
小川:CMOSアニーリング本体の開発は我々ではなく、研究所やハードウェアの開発を担う部隊が開発してくれていて、その上に載せるソフトウェアを私たち金融第一システム事業部が金融などのジャンルに関わらず開発しています。他にもアプリケーションを開発する専門部署がありますので、一緒になって作っています。
――最先端の開発を進めていることもあり、守備位置が幅広い面白い体制になっているのですね。
寺崎:そうですね。最初に金融関係の部署で実証実験が上手くいきはじめたので、そのまま我々が継続して推進している感じです。
小川:今後は、CMOSアニーリングのような新しい技術が登場した時、その技術の光る所に気付いた人が先陣を切り、その技術を育てて、いろいろな分野に貢献していく体制の研究開発が増えていくと思います。今回はたまたま金融の事業部でしたが、他の業態のシステムエンジニアが新しい技術で先陣を切ってくれれば、そこが発端となって広がっていく気がしています。
――社内での開発者への支援などはどのようになっていますか?
寺崎:研修などは自由に受けさせてくれます。自分がデータサイエンスに特化していきたいなと思ったら、それを学ぶためのプログラムが用意されていたり、社内の認定制度があったりするのでモチベーションを持ってスキルアップに取り組めますね。
小川:半年に一回は必ず部下と面談をして、やりたいことに近づけるようカリキュラム等に配慮しています。
――最先端のことをやるために必要なスキルアップができるから、CMOSアニーリングといった技術に挑戦できているのですね。
寺崎:細かいことをいうと、CMOSアニーリング専用の研修やイジングモデルをどう作ればいいかといった研修があるわけではありませんが、それを支える技術を学べる研修や制度があるので役に立っています。CMOSアニーリングについては、プロジェクトメンバーみんなで勉強しています。
――CMOSアニーリングなど、新しい取り組みに対しての支援や協力体制はどのようになっていますか?
小川:会社からの支援はいろいろあります。まず、プロジェクトのための活動資金はもちろんのこと、開発は多くの部署が関わっていますので、部署間の橋渡しを幹部の方も一緒になってやってくれています。拡販の支援なども含めて会社としてかなりバックアップしてくれているので、CMOSアニーリングが育ってきていると感じています。
会社からは、金融にこだわらずに新しい社会イノベーションを起こしてほしいといわれているので新しい人と新しい技術を使って新しいことをどんどん生み出していきたいですね。
CMOSアニーリングで実現したい「夢」
――おふたりの、これから実現したい「夢」を教えてください。また、最後に読者へのメッセージをお願いします。
寺崎:CMOSアニーリングがメリットをもたらすことが出来る社会課題を探しているので、まずはそれをもっと見つけることが直近の夢です。さらにそれを継続していけば、いずれ日本全体の電力を最適化するとか、交通を最適化するとか、もっといけば世界規模の社会課題を解決することにも繋がると思うので、CMOSアニーリングの開発を継続し、社会の役に立つソリューションを生み出すことが最終的な夢です。
それと、皆さん一緒に CMOSアニーリングをやりませんか?と言いたいです。新しいことをやると大変なことも多いですが、新たな技術を作っているという達成感が得られます。社内でも社外でも新しいことに挑戦したいのにできていないという人は、ぜひ我々に声をかけてほしいと思っています。
小川:まず、CMOSアニーリングを社会全般に広げていきたいですね。続けて、より新しい光る技術があれば、それをさらに育てて、より広いことをやりたいと思っています。進んでいけば今の体制だけでは人手も不足します。数学力や物理力を生かして開発したいという、尖った人と一緒に仕事をさせてもらえたらうれしいです。
編集後記
報道などで「量子コンピュータ」を目にしても、まだまだ研究段階という認識でいたのですが、CMOSアニーリング技術で実現されている「未来」があるということを知り、さらにこの秋にはサービスがスタートしていると知り、日立製作所の技術力の高さに驚かされました。
CMOSアニーリングは量子コンピュータと違って、常温で稼働できたり、小型化を実現していたりするなど数多くのメリットがあり、将来的には量子コンピュータと共存していく可能性は高いと思います。
また、おふたりの新たな技術の研究・開発を通じて、世の中の不便なことや社会問題を解決するために貢献していきたいという姿勢に共感したエンジニアの方も多いのではないでしょうか。
今回のインタビューを通じて「次なる時代に息吹を与え続ける(Inspire the Next)」という日立製作所の企業メッセージは本物だと感じることができました。
取材/文:神田 富士晴
撮影:AtoJ
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