まずはヤマハの中にある新規事業やイノベーションの「癖」を理解していった

―― まず、北瀬さんの現在の役割とミッションについて教えてください。
北瀬:「好きがあふれる社会を創ろう」というパーパスのもと、社長直轄の新規事業開発部で部長を務めています。ミッションは大きく3つあり、新規事業創出とカルチャー変革(下図の「Incubation」)、イノベーション事業の牽引(下図の「Innovation」)、それからCVC投資およびM&Aエグゼキューション(下図の「CVC」)です。新規事業を作るだけではなく、ヤマハの持続的な成長に向けて、投資や買収・売却も含めた非連続成長の仕組みづくりを担当しています。

北瀬:Incubation領域では、2025年7月に開始した「TRANSPOSE(トランスポーズ)」という新規事業創出活動のもと、ゼロイチの事業開発やオープンイノベーション、グローバルの社内外ビジネスコンテストなどを推進しています。単に事業を作るだけではなく、挑戦するカルチャーを醸成することも重要な役割として担っています。
またInnovation領域では、これまで立ち上げてきたプロジェクトの成長や見極めを進めています。現在進めているプロジェクトは、音のユニバーサルデザイン化をサポートする「SoundUD」や、歌声合成技術の「VOCALOID」、ライブ関連システムである「Real Sound Viewing」「Distance Viewing」「GPAP」といったものが挙げられます。
さらにCVC領域では、シリコンバレーにある事業開発拠点「Yamaha Music Innovations」をベースとして、CVC投資に加えて、海外スタートアップとヤマハグループをつなぐ役割も担っています。

稲葉:2025年4月にヤマハへ入社されましたが、最初は何から着手されたのでしょうか?
北瀬:まずは、私自身がこれまでどういう考えで事業を作ってきたのかを、社内のメンバーに理解してもらうことから始めました。また、入社後すぐにヤマハの過去10年ほどのイノベーションの歴史を調べ、紐解いていきました。どのような新規事業が、どんな組織体制で生まれようとしてきたのか。続いているプロジェクトは、なぜ続いているのか。逆に、良いテーマに見えるのに消えてしまったものは、なぜ消えてしまったのか。そこから、ヤマハの中にある新規事業やイノベーションの「癖」を理解していきました。
―― 例えば、どのような癖が見つかったのでしょうか?
北瀬:一つ挙げられるのは、強い自前主義の事業開発です。一方で、新しい市場や事業機会に挑戦するためには、社内の力に加え、社外の知見や技術も柔軟に取り込むことが重要です。そのため、事業開発のアプローチを進化させるべく、7月末までに新規事業開発部としての組織力向上の3ヵ年計画を策定しました。軸にしたのは、「事業を作るプロセス」「共創」「コーポレートが持つ力をどう引き出すか」の3つです。並行して、既存プロジェクトも成長の余地があるかどうか、課題は何かを見極めていきました。結果として、この1年で4つのプロジェクトを整理しました。
稲葉:かなり早い意思決定ですね。
北瀬:もちろん、未来予測の収益性の見込みだけで判断したわけではありません。半年後にここまで達成できたら続ける、達成できなければやめる、という事実基準を重視して判断しました。新規事業では、続けることも止めることも、どちらも経営です。何かを成そうと思えば、何かをやめなければいけない。将来の経営幹部には、新しい事業を立ち上げる経験だけでなく、事業を撤退する経験も必要だと思っています。
稲葉:立ち上げと撤退の両方を経験することで、経営としての意思決定の幅が広がるということですね。
北瀬:はい。特に撤退は、ロジックだけでは進みません。想いが残りますし、人間模様も発生します。だからこそ相手の状況を理解し、人として向き合い、撤退後にその人がどこで仕事をするのかまでを考えなければいけません。こうした領域は、現時点ではAIだけでは代替できない、人間固有の役割だと考えています。
真剣に事業を作るなら、真剣に戦わないと人は成長しない

―― 先ほどおっしゃっていた、自社の強みを活かしながら、共創型の事業開発へ進化させるためにメンバーのマインドチェンジを促すのは大変だったと思いますが、その点はいかがでしょうか?
北瀬:ヤマハの歴史を紐解くと、事業開発に向けたイノベーションのDNAはしっかりとあるんです。ヤマハ発動機も、もともとはヤマハからのカーブアウトですし、過去にはリゾート事業なども手がけていました。外部と一緒に事業を作るDNAはあります。ただ、近年は音や音楽に経営資源を集中してきたため、外部と大きな事業を共創する機会が少なくなっていると認識しています。その流れを変え、本来持っている共創・イノベーションのDNAを「覚醒」させるための取り組みの一つが、社内外同一テーマによるグローバルビジネスコンテスト「TRANSPOSE Innovation Challenge」です。

北瀬:4ヵ月ほどで設計し、横浜市やパートナーの支援も得ながら募集を開始しました。結果として、社外からは63ヵ国・314件のスタートアップにご応募いただきました。社内だけのビジネスコンテストではなく、社内外がフェアに競う場にしたことが大きなポイントです。
―― 63ヵ国からの応募とは、大きな反響ですね。社外と戦うことで、現在地が見えますね。
北瀬:社内向けのビジネスコンテストは、これまで人材開発に重きが置かれることも多かったと思います。もちろん、それ自体にも意味や意義はありますが、新規事業開発部は事業を創るための部門です。ですから、社内から応募したチームも、世界中のスタートアップと同じリングで戦ってもらう。ファイナルに残る社内チームがゼロでも構わない、という前提で始めました。
社内だけでやっていると、落選したときに「審査員が分かっていない」となりがちです。でも同じようなテーマで海外のスタートアップがもっと先に進んでいることを知ると、自分たちの未熟な面も見えてきます。真剣に事業を作るなら、真剣に戦わないと人は成長しません。リアルな市場からのフィードバックを受けながら事業開発に挑戦することが大事だと、改めて実感しました。
―― たしかに、社内外を公平な条件で評価する姿勢が重要ということですね。
北瀬:自前で創る力も、当然ながら引き続き重要です。ヤマハ単独で勝てる、価値を大きくできるテーマであれば、自前でやれば良いです。ただ、新しい市場をヤマハだけで創るには時間もお金もかかります。テーマによっては外部と組んだ方が速く、大きく、投資対効果も高くなります。オープンイノベーションは、自前主義を捨てるというより、自前の事業開発力にもう一つの選択肢を「足す」ことだと捉えています。
稲葉:今年(2026年)のSXSWで発表された「Yamaha Creator Pass」も、他社との共創という観点で非常に印象的でした。

北瀬:「Yamaha Music Innovations」の取り組みですね。2025年8月ごろに「シリコンバレーチームも事業開発をやろう!」と話し、そこから準備を進め、2026年3月のSXSWで21社とともにサービスをローンチしました。音楽制作から配信までを一気通貫で提供するクリエイター向けの事業で、「初心者向け」「経験者向け」「Podcast向け」の3つのパスをご用意しています。4名の社内メンバーで進めたプロジェクトです。
稲葉:かつては組織規模の拡大が成長の象徴とされていましたが、今はむしろ「この少人数でここまでできる」ことが強みとして語られる時代になっていますよね。
北瀬:そう思います。AIエージェントをチームの一員のように組み込めば、本当にコアなメンバーだけで事業を大きくできる可能性があります。人を増やすリスクを抑えつつ、スピードを高めることができる時代に突入していると感じます。
「経営OS」と「新規事業開発OS」のバランス

稲葉:大企業が新規事業を進める際、特に大きな課題は何だとお考えですか?
北瀬:収益を上げている既存事業をうまく回すための「経営OS」と、新しい事業を作るための「新規事業開発OS」を、どう共存させるかです。評価や人事、事業の作り方、フェーズの考え方など、あらゆる点で違いがあります。新規事業で価値がある仕組みを既存事業へと循環させる仕組みを実装していかなければなりません。
稲葉:非常に難しい点ですね。新規事業を担う人材には、どのような要件が必要と思われますか?
北瀬:まずもって、「私たちはこういうことを成し遂げたい」という「強い想い」が必要だと考えています。上司に言われたから新規事業をやっているような人と一緒に事業を創りたいとは思いませんよね。強い想いからくる熱意や構想がなければ、仲間もステークホルダーも集まりませんし、市場も生まれません。
一方で、大企業で期待される新規事業は、数十・数百億円規模を見据えることが多いです。そうなると、素人だけでは勝てないので、参入する産業・ドメインのプロと、事業を作るプロの両輪が必要になってきます。社内にいれば社内から採用すれば良いし、いなければ外部から採用する。強い想いを持った人を中心に、必要な機能を持つプロを集めることが重要だと考えています。
―― 先ほどAIエージェント前提の時代になってきたとおっしゃっていましたが、AIと人の役割については、どのように見ていますか?
北瀬:パソコンだけでできる定型業務は、かなりの割合でAIに代替されていくと思っています。マーケット調査といったリサーチ業務や、ドキュメント作成、アイデアの発散など、弊社でもかなりの頻度でAIを活用しています。一方で、新規事業において「なぜ自社がこの市場に参入するのか」を「決める」ことは、まだまだ人の役割だと考えています。
もちろん、マーケットレポートや公開情報をAIに読ませれば、似たような事業企画は出てくるでしょう。その中で、なぜ私たちがリスクを取って参入するのか。理屈だけではない「胆力」や「大志」を持って決めることは、人間にしかできない領域だと思います。
稲葉:意思決定にもグラデーションがありますよね。例えば、定型的な意思決定はAIに委ねられるかもしれませんが、マイホーム購入のような大きな買い物の意思決定は、簡単には任せられません。ビジネスも同じで、リスクが小さいものは論理的に任せやすいと思いますが、一方で、複数のリスクやデータ化されていない情報を踏まえて判断する領域は、まだ人が担うべき部分が大きいと思います。
北瀬:AIが扱えるのは基本的にデータ化された世界ですが、私たちを取り巻く環境のすべてがデータ化されているわけではありません。また、人間の行動は合理性だけでは説明できません。だからこそ、人の心を動かし、リアルな世界で実行に移すコミュニケーションは、引き続き人が担わなければいけないと考えています。
お客さまと直接会うことで、想いや熱量が醸成されていく

―― 新規事業の評価は、既存事業とはまた異なる指標で測らないと、適正な形で判断できないと感じます。ヤマハではどのように設計されていますか?
北瀬:新規事業はすぐに売上や利益が立つわけではないので、私たちは「探索」「検証」「事業化」「収益化」という4つのフェーズに分け、それぞれに適した評価指標を作って運用しています。探索・検証フェーズでは、本格事業化にどれだけ近づいたかをプロセスで評価します。また、事業化フェーズでは売上高成長率を見ますし、収益化フェーズに入れば、既存事業と同様に売上や利益を見ていきます。

稲葉:横軸に事業開発ステージ、縦軸に累積投下時間を置いているのですね。
北瀬:はい。一定期間で次のステージに進む基準線を置き、基準より上側にあるプロジェクトは「課題あり」と見ます。もちろん、そこで即撤退というわけではありません。ここでは、お客さまが本当にいるのか、費用を支払ってくれるのか、事業規模に見合うセグメントなのか、などの視点で検討し見極めるトリガーとしています。事業開発は顧客開発でもありますからね。
稲葉:ファインディの調査でも、新規事業開発では作った後のGo-to-Marketやスケールアップ、営業・マーケティング部門との連携に課題を感じる企業が多いという結果が出ています。北瀬さんはどう見ていますか?
北瀬:グロースできない事業は、PMF(プロダクトマーケットフィット)が十分にできていないことが多いと思います。自分たちの提供価値が刺さるコアセグメントを極めきれていないわけです。少数の顧客の声を信じすぎて「このお客さまが買ってくれる」と思っても、投資すれば大きくなるセグメントなのかが見えていないままグロースフェーズに入ってしまう。そうすると伸びませんよね。
稲葉:セグメント自体が成長する市場なのか、また、そこに対して価値を提供しきれるのかを検証しなければいけないということですね。
北瀬:はい。PMFを高度化するには、データを起点にして検証のスピード、量、質を高める必要があります。AIを活用すれば、インタビュー設計、アポイントメント、分析のスピードを上げることができるので、検証の数を増やすことも理屈上は可能だと考えています。
あとは、事業開発投資の透明化を進めることも大事だと捉えています。新規事業では、複数のプロジェクトを一つのバケツに入れて管理すると、個々の事業の状況が見えにくくなります。特に大企業では、自分の人件費に対する意識が抜けやすく、外部に支払う費用は管理していても、時間が経てば人件費が投資として積み上がっていることを忘れてしまう傾向にあると感じます。そこで私たちの部門では、社内プロジェクトであっても疑似的に、スタートアップのように収益管理して、人件費も含めて投下時間を見るようにしています。
―― ヤマハ社内におけるデータドリブンな経営や意思決定の現状を教えてください。
北瀬:デジタル化はかなり進んでいますが、経営の意思決定に十分活用できているかというと、まだまだ課題があります。特に新規事業では、そもそものデータ化自体が発展途上です。エンジニアリングの進捗についても、旧来型の報告が多く、開発効率やチームのケイパビリティが十分に可視化されていないのが現状です。まずは経営を透明化し、見える化することが第一歩だと捉えています。

稲葉:弊社が提供している「Findy Insights」では、まさにそういった課題に着目し、AIを活用した事業づくりのスピード向上を目指しています。特に「何を、どう作るか」のうち、「どう作るか」はエンジニアリングの領域です。AIを用いて早く作ることも重要ですし、それをリードできる人材やものづくりの仕方をアップデートすることも必要です。
一方で、作るスピードが上がるほど、意思決定の重要性が高まります。AIによってアイデアが大量に生まれ、お客さまの声も増える中で、どの声をどう扱い、何を事業として進めるのか。そこを見える化で支援していくのが「Findy Insights」の役割です。

商談や顧客の声から得たインサイトを基に、ソリューションをアップデートする
稲葉:具体的には、商談やオンラインミーティング、ドキュメント、チャットツールなどに溜まっているデータを、意思決定の文脈として自動的に集約します。集約したデータをどの切り口で分類・分析・分解できるのかは、AIが得意とする領域なのでAIに任せ、共通のデータソースをもとに人間が意思決定することに集中する環境を提供しています。さらに分析や整理をAIに任せることで、お客さまやユーザーに会う時間を増やすこともできます。事業を上手に進めるには、先ほど北瀬さんがおっしゃった通り、想いや熱量が重要です。そこは、お客さまと直接会うことで醸成されていくものだと感じています。
北瀬:既存ツールにあるデータを活かしながら統合していくアプローチは非常に重要ですね。新しいツールに全部データを入力し直すとなると、面倒で人はやらなくなります。日々の業務の中で自然に生まれるデータを、自動で意思決定に使える形にすることが重要です。
AI時代だからこそ、ナラティブやストーリーがものすごく重要になっている

―― AIによって仮説検証やフィードバックループが速くなる時代に、新規事業開発担当者は何を意識すべきとお考えでしょうか?
稲葉:AIの活用はこれから先、さらに重要になっていくのは間違いないと思います。仕事のパートナーとしてAIを捉え、仮説検証の幅とスピードを上げていくことは、事業開発の当たり前になっていくでしょう。
ただ、アイデアが増えれば増えるほど、それを絞り込み、意思決定する難易度は上がります。だからこそ、意思決定をいかに再現性あるものにしていくかが重要です。個人のAI活用だけではなく、組織単位でAIをどう活用するか。新規事業の取り組みを個人に閉じず、組織として再現性ある取り組みにしていくことが、AI時代のイノベーションやコラボレーションの鍵になると考えています。
北瀬:ヤマハの新規事業開発で言えば、AI時代だからこそ、ナラティブやストーリーがものすごく重要になっていると感じます。「人の感情を動かす」という意味で、音と音楽の価値はさらに高まっていくでしょう。
実際、「TRANSPOSE Innovation Challenge」に応募いただいた各国の方々とお話をしていると、多くの方がヤマハとの接点に関する自身のナラティブで語ってくれました。「小学校の時にヤマハのリコーダーを使っていました」「今もヤマハの楽器を使っています」といった具合に、ヤマハという会社の事業が自分にとってどのような存在だったかを共有してくれるんです。これは本当に素晴らしいことだと思いました。
――とても良い話ですね。
北瀬:一方で、事業を作るスピードは劇的に変わっています。1年かかっていたものが3ヵ月でできるかもしれないし、1ヵ月でできるかもしれない。そこでAIに期待しているのは、仮説検証の量とスピードだけではありません。声の大きい人の意見が通り、愚直に活動している人の声が拾われないということは、組織でよく起こります。AIを活用すれば、プロジェクトに関わるすべてのデータを等しく扱い、チームの状況をフェアに判断する材料を作れると思っています。
―― エンジニアリングの貢献も、見えにくい領域ですよね。
北瀬:そうですね。トラブルがおおごとにならないように地道に潰しているのですが、その結果何も起こらないので、往々にしてその貢献が周囲に見えづらくなってしまう傾向があります。ですが実装勝負の時代には、エンジニアリングの方々の活躍がますます重要になります。だからこそ、その価値が正しく見えるようにし、モチベーション高く、納得感を持って事業開発に関われる仕組みを作りたいと考えています。AIとデータを使って、より速く、より大きく、社会実装できる力を高めていきたいですね。
稲葉:エンジニアが褒められる場面は少ない、という課題感は私たちにもあります。データによって見えにくい貢献を可視化し、エンジニアがより正当に評価される世界にしていくことは、「Findy」としても大事にしたいテーマだと捉えて、プロダクト開発を進めています。これからも引き続き、よろしくお願いします!


