https://qiita.com/nervebmd/items/687c214c4b420ce39181 の反論
脳細胞が一つの記憶を曖昧に機能として起動している時
脳細胞が曖昧な状態なのでどの状態でも生きたか死んだか言うことは不可能
つまり死んでいる機能しない状態でも、人間は本のような存在
#死んだら終わり
https://qiita.com/nervebmd/items/687c214c4b420ce39181 の
死んだら終わるという状態というのは、
私と死んだ私
つまり
ロボットと死んだ私は相対的に存在し、
他の生き物だから、私は生き戻ることは不可能という話
自然なことなので回避不可能
#死んでも、生き戻る
何次元を重ねて考えると
そこまで難しくない話で
いくつかの理念(意識)が存在してても機能という私は一つであってchild的な要素として力学してる(私という一つの機能を元で動いてる)
#ブラックホールを作って完全に壁を作り意識の移動を止め
https://qiita.com/nervebmd/items/687c214c4b420ce39181 では
ブラックホールのようなところでいる私を考えてこの文章を反論できると自然に思いつく
だから私はそこに私一人として存在するということ
という話が成立する。
でもブラックホールにいる私はブラックホールの中でばらばらとなって死ぬ
死んでいないとしても、死んだ状態と死んでいない状態が曖昧で
相対的にそう見えるだけとしても実際の現実では二人が一人か分からない
つまり現実では一人にすぎない夢は夢の夢つまり、幻
哲学に頼りすぎてもなにも出ない
#まとめると
人間は本のような存在ということを否定できない
でもhttps://qiita.com/nervebmd/items/687c214c4b420ce39181 のように
死んだ状態も否定できない
てっとり早い解析としては、両方存在すると見る考えも。