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福沢諭吉の「学問のすすめ」の紹介

Last updated at Posted at 2024-02-28

時々、SNSなどで「IT エンジニアは勉強するべきか」というテーマで議論が発生します。明治時代の日本人は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んで勉強することは当たり前の事と考えていました。

そこで、この記事では 30 歳前後の中堅社員向けに「学問のすすめ」を紹介します。

学問のすすめについて

明治5年(1872年)に福沢諭吉が書いた「學問ノスヽメ」が出版されました。この本は日本の人口が3000万人程の時代に300万部以上売れて、当時の大ベストセラーになりました。

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まんがでわかる 福沢諭吉『学問のすすめ』より

学問のすすめは「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の言葉で有名ですが、その後に「ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」と書かれていることはあまり知られていません。

そこで、以下に福沢諭吉の「學問ノスヽメ」の現代語訳を紹介します。

学問のすすめ 初編(現代語訳)

第1段落

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われる。だから、天から人が生まれるときは、すべての人が平等に生まれ、出自による貴賤の差別なく、身体と心の働きを通じて、天地の間にあるいろんなものを資産とし、衣食住の必要を満たし、自由でありながら、互いに他者の妨げにならず、お互いが安心してこの世を生きることが目的である。

しかし、今、広くこの人間の世界を見渡すと、賢い人もいれば愚かな人もいる。貧しい人もいれば裕福な人もいる。高い身分の人もいれば低い身分の人もいるのはなぜか。その理由は明確である。『実語教』には、「人が学ばなければ知恵がなく、知恵のない者は愚か者である」とある。だから賢い人と愚かな人の違いは学ぶか学ばないかによって生まれるものである。

世の中には難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。難しい仕事をする者を重要な身分の人と呼び、簡単な仕事をする者を身分の軽い人と呼ぶ。全ては心を使い、心を研ぎ澄まして取り組む仕事は難しく、手や足を使う身体の力仕事は比較的簡単だ。そのため医者、学者、政府の役人、または大きなビジネスをするビジネスマン、多くの使用人を雇う大地主などは、重要な身分であると言える。

原文

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

第2段落

身分が高ければ自然とその家も豊かで、他の人から見れば低い身分の者よりも優れている。しかし、その本質を尋ねると、ただその人が学問の力があるかないかによってその違いが生まれたものであり、天から定められた約束ではない。諺に言われるように、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与えるものである」と。だから、前述のように、人は生まれながらにして貴賤や貧富の差別はない。ただ学問を勉強し、物事をよく理解する者が貴人となり、富裕な者となり、学ばない者は貧しい者や使用人となる

原文

 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

第3段落

学問とは、難しい漢字を覚え、理解しにくい古文を読み解き、和歌を楽しんだり、詩を作るだけではない。これらの文学も自然に人の心を喜ばせるわけではなく、相当に調和のとれたものであるが、昔から世間の儒者や和学者が言うように、それが尊ばれるべきものではない。昔の時代、漢学者で家庭を持ち、上手な者は少なく、和歌を得意としていて商才のある町人も珍しかった。そのため、心のある親たちは、子供が学問に熱中するのを見て、将来の身分を持ち崩さないか心配することがあった。それは無理のないことだ。結局、その学問は実用的でなく、生計を立てる上で役に立たないという証拠である。

原文

 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

第4段落

それでは今、このような実りのない学問は後回しにし、主に取り組むべきは、人間が普段の生活に密接に関わる実学だ。例えば、いろはの四十七文字を覚え、手紙の書き方や帳簿のつけ方、算盤の使い方、天秤の扱い方などを身につけ、更に進んで学ぶべき項目は非常に多い。地理学は日本国内はもちろん、世界各国の風土や道案内を理解する学問だ。物理学は天地万物の性質を観察し、その働きを知る学問である。歴史は年代記の詳細なものであり、万国古今の状況を探求する書物だ。経済学は一身や一家の世帯から天下の世帯に至るまでを説くものである。修身学は自身の行動を整え、他者との交わりを築き、この世を生き抜く上での天然の法則を説くものだ。

原文

 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

第5段落

これらの学問を勉強するには、主に西洋の翻訳書を取り寄せて調査し、多くの場合、日本の仮名で情報を得たり、または若い頃から文才のある者には横文字も読ませる。各専門分野ごとに実践的な知識を身につけ、その道において物事の理を理解し、現代の要請に応じるべきだ。これが一般の人が身につけるべき実学であり、誰もが身分に関係なく理解すべき基本的な心得である。この心得を持ち、個々が自らの仕事に力を注ぎ、家業を営み、自立し、最終的には国家全体も独立すべきである。

原文

 これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。

第6段落

学問に取り組む際には、分別を理解することが肝要だ。人は天から生まれてきて、束縛されず、男は男、女は女で、自由に生きるべき存在である。しかし、ただ自由だけを主張して分別を知らなければ、わがままで放蕩に陥ることが多い。分別とは、天の道に基づき他人の妨げにならず、他人を尊重しながら自分の自由を実現することである。自由とわがままの違いは、他人に妨害をかけるかどうかにある。例えば、自分の金銭を使って何かをすることは、たとえそれが酒や遊びに溺れることであっても、自由に生きることに似ているようであるが、それは必ずしもそうではなく、自己の放蕩が他の人たちの手本となり、最終的には社会の風紀を乱し、他人の教訓に障害を与えることから、その金銭を使うことは罪であって許されない。

原文

 学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。

第7段落

また、自由と独立は個人だけでなく、国家にも関わるものである。日本はアジア州の東に位置する島国で、古くから外国との交流は少なく、自国の産物だけで生計を立て、不足を感じたことはなかった。しかし、嘉永年間にアメリカ人が来航し、外国との交易が始まり、その後も開国後には様々な議論があり、鎖国攘夷といった主張もあったが、その視野は非常に狭く、諺に言うところの「井の底の蛙」で、その議論は取るに足りないものであった。

日本も西洋諸国も同じ地球上にあり、同じ太陽に照らされ、同じ月を見上げ、海や空気を共有し、共通の文化を持つ人々である。ここに余るものは彼に分け与え、彼に余るものは我がものとし、お互いに学び合い、誇りを持ちつつも互いに助け合い、幸せを祈り合う。天の理と人道に従ってお互いの交流を築き、正義のためにはアフリカの黒人奴隷にも畏れ入り、道義のためにはイギリスやアメリカの軍艦にも臆せず、国家の恥辱があれば、日本国の人々は一丸となって国の威光を保ち、一国の自由独立を守るべきである。

原文

 また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。わが日本はアジヤ州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易のこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺に言う「井の底の蛙」にて、その議論とるに足らず。

日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

第8段落

しかし、支那人などのように、我が国以外に他国が存在しないかのように、外国の人を見ると一括りにして「夷狄(いてき)」と罵り、四つ足で歩く動物のように見下し、軽蔑し、自国の実力も計らずに勝手に外国人を追い払おうとする行為は、国の枠を越えており、個人の言動としては自然の自由を理解せずに我儘で放蕩なものと言えるでしょう。王政が一度新しくなって以来、日本の政風は大いに変わり、外交では万国の公法に基づいて国際交流を行い、国内では人々に自由と独立の理念を示し、すでに平民に苗字と乗馬が許されたことなど、開国以来の進展として称賛されるべきです。

原文

 しかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制一度新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。

第9段落

それゆえ、今後は日本国の人々において、生まれつきの身分や地位といったものはなくなり、むしろその人の能力や徳に応じて地位が与えられるようになるだろう。たとえば政府の官吏であっても、荒っぽい態度を取ってはいけない。重要なのはその人の能力と徳によってその職務を遂行し、国民のために国法を遵守することであり、それによってのみ尊敬されるべきである。個人の貴さではなく、国法の尊さが重要なのである。

かつての幕府時代には、東海道でお茶壺が通行するだけで、一般の人々が避けるような扱いを受けたことはよく知られている。また、御用の鷹や馬には通行する旅人ですら避け道を選んだ。これらはすべて、「御用」という言葉がつくだけで、石でも瓦でも恐るべき貴族のように見え、何世紀にもわたって人々はこれに嫌気が差し、その風習に慣れてしまったものである。しかし、これらは法の尊さでもなく、物事の貴さでもなく、単に政府の権威を利用して人々を恐れさせ、自由を妨げるための卑怯な手段に過ぎない。

今では日本全国でこのような卑しい制度や風習はなくなっており、人々は安心している。もし何か政府に不満があれば、それを抱えたままではなく、穏やかにその問題に取り組み、慎重に議論すべきである。天理と人情に合った方法であれば、自らの命を捨ててでも争うべきである。これこそが一国の人々にふさわしい分限の在り方である。

原文

 されば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。

旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながらまた自然にその仕来りに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。

今日に至りてはもはや全日本国内にかかる浅ましき制度、風俗は絶えてなきはずなれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平をいだくことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むることなく、その路を求め、その筋により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし。天理人情にさえ叶うことならば、一命をも抛ちて争うべきなり。これすなわち一国人民たる者の分限と申すものなり。

第10段落

前述のように、一人の人間も一つの国も、天の法則に基づいて不可侵で自由なものである。もし国の自由を妨げる者がいれば、それに対抗するのは世界中の国々を相手にするほど怖れるに足りない。同様に、一人の個人の自由を妨げる者がいれば、政府の官吏ですら躊躇うことなく対処されるだろう。特に最近では、農民・手工業者・商人・士族といった社会の四つの階級が平等である基本が確立されたことから、誰もが安心して生活でき、ただ天の理に従って自分のやりたいことを存分に行うべきだと言える。ただし、人はそれぞれの身分に応じて、その身分に相応しい能力や徳を持たねばならない。才徳を身につけるには、物事の理を知ることが不可欠です。物事の理解を深めるためには、文字を学ぶことが必要です。これが学問の緊急な必要性である。

原文

 前条に言えるとおり、人の一身も一国も、天の道理に基づきて不覊自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、いずれも安心いたし、ただ天理に従いて存分に事をなすべしとは申しながら、およそ人たる者はそれぞれの身分あれば、またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。これすなわち学問の急務なるわけなり。

第11段落

最近の様子を見ていると、農民、手工業者、商人の三つの社会階層は、その身分よりもかなり向上し、いずれは士族と肩を並べるくらいの勢いになってきている。今日でも、この三つの階層に属する人物がいれば、政府の役職に採用される可能性もある。だからこそ、自分の身分をよく見つめ、自分の立場を大切にし、品行の良くないことは避けなければならない。

無知で文盲の人ほど同情すべき存在はなく、悪人として非難するべきものでもない。知恵のない極みは恥を知らないことにつながり、己の無知が原因で貧困に陥り飢餓に直面するときは、己が身を責めずに無理に傍の裕福な人を恨んだり、極端な場合には仲間を結びつけて乱暴になることがある。恥を知らないと言わず、法を恐れずと言わず。天下の法度を頼りにして自分の安全を保ちつつ、家族の生計をたてながらも、都合のいい部分だけを頼りにして、己の私欲のためには法を破ることもあるだろう。

また、たまたま裕福で身分が確かである者であっても、お金を蓄える方法を知りながら子孫にそれを教えない場合がある。教えられない子孫であればその愚かさは怪しいものであり、最終的には遊び惰れて先祖の家督を一朝の煙とする者が少なからずいる。

原文

 昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。

およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴に及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。

あるいはたまたま身本慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。

第12段落

このような愚かな民衆を統治するには、理路整然として諭す方法がなければ、単に威圧するしかない。西洋には「愚民の上に苛き政府あり」という諺があるが、これは政府が厳しいのではなく、むしろ愚かな民衆が自ら不幸を招いているからだ。愚かな民衆に対して厳しい政府があるならば、賢明な民衆には良い政府があるというのが理屈である。したがって、今の日本でも人民がこれにあたり、政治も存在している。

もしも、人々の道徳や美徳が今よりも衰え、無学で文盲が広がることがあれば、政府の法も一段と厳格になるだろう。逆に、人々が学問に志し、物事の理を知り、文明に向かうことがあれば、政府の法も寛容で大らかなものとなるだろう。法の厳しさや寛容さは、結局は人々の徳と不徳によって自然に調整されるものである。誰しもが苛政を好み、良政を嫌う者はいないし、本国の富強を祈らない者もいない。外国の侮辱を許す者もいない。これは人としての常識である。

今の時代に生まれ、国のために尽くす心を持つ者は、必ずしも自らを苦しめ、思いを焦がすほどの心配はない。ただ、その大切な目標は、人情に基づいてますます一身の行動を正し、学問に熱心に励み、広く知識を深め、各自の身分にふさわしいほどの知徳を備え、政府が政策を実施しやすくなり、国民もその統治を受け入れて苦しむことなく、共に国家の平和を守ろうとすることのみである。今、私が勧める学問も主としてこの一点を趣旨としている。

原文

 かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏おどすのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災いなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。

仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。

今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政を施すに易く、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。

端書(はしがき)

今回、私が故郷の中津で学校を開くことになり、学問の趣旨を示すために、昔から交わりのある同郷の友人に見せるために一冊の本を作成した。しかし、ある人がこれを見て、「この冊子を中津の人だけでなく、広く世間に広めるべきだ」と勧めてくれたので、慶応義塾の活字版を使ってこれを印刷し、仲間たちに配布することにした。

明治四年未十二月
福沢諭吉
小幡篤次郎

原文

 このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。

参考文献

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