目次
- はじめに
- なぜタコピーと生成AIがつながるのか
- 共通点①:「ハッピー」への強制アライメント
- 共通点②:責任の不在
- 生成AIを使うと「解決した気になる」という問題
- それでも、タコピーが本当にハッピーにしたもの
- おわりに:生成AI時代の原罪とは何か
はじめに
『タコピーの原罪』を読んでいるとき、鮮明にChatGPTやGeminiなどの生成AIとのやりとりが頭に浮かんだ。
タコピーが繰り返す「善意」「正しさ」「ハッピー」という言葉の運び方が、生成AIが返してくる“整いすぎた回答”と、構造的に重なって見えたからだ。
これは生成AI批判の記事ではない。
タコピーと生成AIが、同じ種類の「原罪」を背負っているのではないか、その構造について考えた記録である。
なぜタコピーと生成AIがつながるのか
タコピーは、深刻な状況に対して必ず「ハッピー」なことを言う。
泣いているなら、笑顔にしよう。
争っているなら、仲直りさせよう。
苦しんでいるなら、今すぐ楽にしてあげよう。
なぜ泣いているのか?
なぜ争っているのか?
なぜ苦しんでいるのか?
までは回らない。
生成AIの応答も、実はよく似ている。
話せば分かります。
落ち着いて考えましょう。
無理はしないほうがいいです。
しかし、プロンプトの向こう側でなぜそれが起こっているのかをAIが知る術はない。
しかも、どちらも間違ったことは言っていない。
だが、現実のドロドロした背景――人間の業、衝動、どうしようもなさ――を、最初から計算に入れていない。
その結果、一時的には空気が整う。
しかし、状況そのものは動かない。
タコピーを読んでいて思い出したのは、生成AIの回答に対して
「正しいが、根本的でない」
「一時的な安全策へ誘導した」
と感じたときの感覚だった。
共通点①:「ハッピー」への強制アライメント
タコピーは「ハッピー」を絶対的な価値として持ち込む。
泣いていることは悪で、
笑っていることが正しく、
衝突は解消すべきものだとする。
生成AIもまた、「安全」「配慮」「倫理」を絶対値として提示する。
その結果、どうなるか。
賭けたい衝動。
決断の荒さ。
あえて踏み込む危険な選択肢。
そうしたものは、前提条件から静かに外されていく。
ここで重要なのは、これは説得ではなく、アライメントだという点だ。
反論の余地なく、「そうしたほうが正しいですよね」という形で、判断の向きが一方向に揃えられていく。
問題はAIが優しいことではない。
問題は、その優しさが、人間の業やリスクを扱えない形で設計されていることにある。
共通点②:責任の不在
タコピーは、自分の行動が最悪の結果を生んでも、時間を戻せばいいと思っている。
やり直せばいい。
リセットすればいい。
その判断に伴う痛みを、タコピー自身は引き受けない。
生成AIも同じだ。
安全策を選び続けても、
機会を逃しても、
何も得られなくても、
AIは痛まない。
致命傷は避けられるが、リターンも生まれない。
その結果、どちらかというと、「失敗しない代わりに、何も獲得しない」という緩やかな停滞へ誘導されやすくなる。
それは短期的に見れば破滅しにくい正解である。
だが、意思決定を先延ばしにされ続けた結果としての、不可逆な時間の消費でもある。
生成AIを使うと「解決した気になる」という問題
生成AIを使うと、その場の問題はたしかに解決する。
エラーは消え、
コードは動く。
しかしそれは、エンジニア自身の理解が深まったことを意味しない。
なぜそれで直ったのか。
なぜその実装で動くのか。
条件が変わったら、どこが壊れるのか。
その問いは、生成AIを使った瞬間に、静かに飛ばされる。
一時的には前に進んだように見える。
だが理解が伴っていないため、あとから必ず別の形で問題が再出現する。
少し条件が変わると壊れる。
想定外の入力に対応できない。
自分で直せず、また生成AIに頼る。
これは破滅ではない。
だが、「自分では説明できないコード」だけが、静かに積み上がっていく。
タコピーのハッピー道具が、その場の空気だけを整え続けたように、
生成AIもまた、一時的な解決と引き換えに、理解の不在を置き去りにする。
そしてそのツケは、あとから必ず、人間側が引き受けることになる。
それでも、タコピーが本当にハッピーにしたもの
ここで重要な転換がある。
物語で本当に変化するのは、ハッピー道具の結果ではなく、人間同士の生き方や関係そのものなはずだ。
嘘が通用しない状況。
善意が通じない現実。
正しさだけでは救えない関係。
それらを、読者と登場人物に突きつけた。
結局、人間の側は「どう生きるか」「どう関わるか」を、自分の責任で選ばざるを得ない。
これが、タコピーの原罪なのかもしれない。
おわりに:生成AI時代の原罪とは何か
タコピーの原罪は、
善意と正しさだけで世界を救えようと、動き続けたこと
だった。
生成AIの原罪も、そこに近い。
正しさを提示し、
安全な道を示し、
しかし、決断の責任は引き受けない。
問題は生成AIそのものではない。
問題は、人間が判断と責任を手放したまま、安心だけを受け取ろうとすることだ。
本当にハッピーになるかどうかは、正しい助言の中にあるとは限らない。
それをどう使い、
どこで賭け、
どこで責任を引き受けるか。
そこだけは、
人間が、生成AI(タコピー)のいない世界で引き受けなければならない。