──「人生をデータ設計で記録した男」の物語で、これとそれを同じ一つと見なすかは、現実ではなく、私が決めていた
〈ショートストーリー〉
年を取った。
ひとりになった部屋で、古いものを整理していた。出てきたのは、何冊かのノートと、紙の束だった。
いちばん古い紙に、見た映画が並んでいた。題名の右に、○。中学のころの、私の字だ。
冷蔵庫の扉に貼っていた、あのノートも、あった。剥がしたきり、捨てそびれていたらしい。めくると、私の字のあいだに、私のではない字が、混じっていた。牛乳、出。はいはい、と言いながら、それでも書いてくれていた行だった。あのころ私は、書かれなかった行のほうばかり、数えていた。
それから、息子の記録。生まれた日からの、身長、体重。そして、移動手段。
「二本足でしっかり歩く」。valid_from、その日の日付。valid_to、9999/12/31。
書いたときのことを、覚えている。公園で、息子が、おとーさーん、と駆けてきた。私は、しゃがんで、受け止めた。そして、誇らしく、書いた。間違えない。記録できている、と。
今、分かる。
私が書いたのは、息子が「歩ける」という、状態だった。あのとき本当に抱きとめた、駆けてくる小さな息子のほうは、どこにも書かなかった。あれは、二度と同じには起きない、一回きりのことだった。書けるものでは、なかった。
私は、握りやすいほうを、握っていた。動かない、名詞のほうを。流れて、二度と戻らない、本当のほうを、取りこぼして。
紙の上に残っているのは、ほんの少しだった。見た映画。背の伸び。健診の数値。年に何本。
でも、私が生きたのは、その隙間のほうだった。記録しなかった、無数の夜。書き留めなかった、ほとんどの日。それは、もう、どこにもない。覚えてすら、いない。
今ここにいる私は、その、書かれなかった膨大な日々の、いちばん最後に残った、一枚にすぎなかった。大半は、もう、失われていた。
最後に、自分の行を、開いた。
| valid_from | valid_to |
|---|---|
| 1987/04/03 | 9999/12/31 |
valid_from。私の、生まれた日。これを書いたのは、母だ。私ではない。私は、自分の始まりを、知らない。あとから、教わっただけだ。
valid_to。9999/12/31。
私が、自分で入れた。ずっと、終わらないものに入れてきた、あの日付。自分自身の行にも、当たり前のように、入れていた。
その9999/12/31を、実日付に書き換えるときが、近づいている。
でも、私には、書けない。自分の終わる日を、私は知らない。息子の最初の夜を、私が書けなかったように。始まりも、終わりも、私の行の両端は、私の手では書けないように、できていた。
そして、この「私」という、たった一行。これさえ、私が、いちばん粗く選んだ、切り方にすぎなかった。○をつけた子どもと、息子を受け止めた父と、今ここにいる老人を、私は、ひとつの行に、まとめていた。べつべつに数えることも、できたのに。
私は、9999/12/31を、消さなかった。
消すのは、私ではない。
ノートを、閉じた。
〈技術ノート〉── ○を、許す
現場の覚え書きだ。物語が見落とした構造を正す。ただし崩れた記録を裁くためではない。崩すには、たいてい理由がある。
全部は、記録できなかった。
だが、それは、失敗ではない。全部を記録しようとすれば、人は、生きる代わりに、記録することになる。それを、やりかけた男も、いた。記録に取りこぼしがあるのは、生きていた、何よりの証拠だ。
芸とは、何を出来事に値させるかを、選ぶことだ。すべてを一行に立てることは、できない。何を残し、何を流すか。それを選ぶことが、そのまま、生きることだった。
彼は、息子が駆けてきた、あの一回を、書かなかった。「二本足で歩く」と状態のほうを書いて、駆けてくる息子のほうは、書かなかった。
――書けなかった。
書かなかったから、私は、しゃがんで、受け止められた。書いていたら、私は、書いていた。受け止めては、いなかった。
だから、あの○を、許す。
「見た」と「まだ」しか持てなかった、あの紙を。いつ見たかも、何度見たかも取りこぼした、いちばん最初の嘘を。あれは、子どもが、自分の人生を、初めて手で握ろうとした、その握り方だった。粗くて、足りなくて、いとおしい。
私の行の、始まりを書いたのは、母だ。私ではない。終わりを書くのも、私ではないのだろう。両端は、いつも、ほかの誰かの手にある。それでいい。自分の始まりと終わりまで自分で握ろうとするのは、いちばん古い、いちばん大きな、握りすぎだ。
名詞か、動詞か。
答えは、書かない。書けば、それも、ひとつのマスタになる。動かない一語に、固まってしまう。私は、まだ、続いているのだから。
valid_to は、まだ、9999/12/31 のままだ。
ただ、それが「終わらない」という意味でないことは、もう、分かっている。終わりを、まだ書いていない。それだけのことだ。
いつか、書かれる。私ではない、誰かの手で。
(了)