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Agentic AIの本質は「検証」である、大規模言語モデルはあくまで選択肢の一つ

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はじめに: Agentic AIブームの裏にある本質的課題

2024年から2025年にかけて、「Agentic AI(エージェント型AI)」という言葉が業界で急速に広まりました。OpenAIが2025年1月に発表した「Operator」、MicrosoftのAutoGen、MetaGPTなど、AIエージェントを活用したシステムが次々と登場しています。企業向けには、複雑な業務を自律的に処理する「AI従業員」として期待が高まっています。

しかし、Agentic AIの真の価値はどこにあるのでしょうか?大規模言語モデル(LLM)の進化だけで、複雑な企業環境での実用化が実現できるのでしょうか?

この記事では、2025年10月に発表された論文「Validity Is What You Need」(Benthall & Clark, 2025)を基に、Agentic AIの本質的な課題と、成功のために本当に必要なものは何かを考察します。

この論文が提起する核心的な主張は明快です:Agentic AIの成功は基盤モデルの性能ではなく、アプリケーションレベルでの検証プロセスにかかっている。LLMは選択肢の一つに過ぎず、適切な検証体制があれば、より小さく解釈可能なモデルで十分なケースが多いというのです。

Agentic AIとは何か?定義の混乱と現実的な理解

「Agentic AI」という用語は、実は使う人によって意味が大きく異なります。論文では、古典的なコンピュータサイエンス、法律、研究、産業界の4つの視点から定義を整理しています。

定義の変遷:学術と産業のギャップ

古典的なAI研究において、「インテリジェントエージェント」は目標達成のために自律的に行動するシステムを指してきました。Russell & Norvigの教科書(1995)では、エージェントはプログラムとは異なり、自律制御、環境知覚、長期持続性、適応性、目標指向性を持つものと定義されています。

しかし、産業界における「Agentic AI」の定義は、より実用的です。NVIDIA(2024)は、Agentic AIの要件を以下のように定義しています:

  • 知覚(Perceive): 複数の入力から情報を収集
  • 推論(Reason): 世界について合理的な推論を行う
  • 行動(Act): APIコールや統合機能を使ってタスクを実行
  • 学習(Learn): フィードバックに基づいて自己改善

OpenAI研究者(Shavit et al., 2023)は、「エージェント性」を「限られた監督下で複雑な環境で複雑な目標を適応的に達成する能力の度合い」と定義しています。

現実的な定義:Agentic AIはソフトウェア提供メカニズムである

論文著者は、これらの定義を踏まえ、より現実的な「リアリスト定義」を提案しています:

Agentic AIとは、SaaS(Software as a Service)に類似したソフトウェア提供メカニズムであり、複雑な企業環境内で複数ステップのアクションを自律的に実行するアプリケーションを指す。

この定義が重要なのは、Agentic AIを理論的な構成物ではなく、実際のビジネスプロセスに組み込まれた実用的なソフトウェアシステムとして捉えている点です。深海探査ロボットは自律的で高度ですが、企業環境で使われないため「Agentic AI」ではありません。Agentic AIが直面する複雑さは、マルチエージェントで社会技術的な現実の企業環境に組み込まれることから生じるのです。

視点 定義 出典
古典的 センサーモーターループを持ち、目標達成のために行動するシステム Russell & Norvig, 1995
法律的 プリンシパル(依頼者)のために行動する代理人 Hadfield-Menell, 2021
研究的 限られた監督下で複雑な環境で複雑な目標を適応的に達成するシステム Shavit et al., 2023
産業的 知覚・推論・行動・学習を行い、LLMを活用するシステム NVIDIA, 2024
リアリスト的 現実的な企業環境に複数ステップのAIツールを提供するサービス提供メカニズム Benthall & Clark, 2025

基盤モデルとアプリケーションの関係:皮肉な真実

Agentic AIへの熱狂は、大規模言語モデル(LLM)という基盤技術の進化によって引き起こされました。しかし、論文が指摘する皮肉な真実があります:Agentic AIの価値は、特定の状況における特定のステークホルダーのニーズを満たすアプリケーションにある

基盤モデルの限界:一般性と特殊性のギャップ

LLMは膨大なデータセットで事前学習され、一般的な表現を獲得します。しかし、特定のAgentic AI導入は、事前学習に含まれない独自の社会技術的環境に配置されます。ここに情報ギャップが生じます。

論文では、事前学習から検証までの3つの情報理論的課題を指摘しています:

  1. 事前学習モデルは要件を満たす情報を持っているか?

    • LLMの学習データは一般的な情報源から得られるが、特定の企業環境の固有情報は含まれない
    • モデルは時間とともに変化し、パフォーマンスが変動する可能性がある
  2. アプリケーション設計者は十分な情報を持っているか?

    • 事前学習モデルの性能保証は一般的であり、特定のユースケースには適用できない
    • ステークホルダーのニーズを運用的なテスト、制御、ガードレールに翻訳する必要がある
  3. プリンシパル(依頼者)はシステムを信頼できるか?

    • 最終的に、ステークホルダーは自分の基準で成功と信頼性を判断する
    • この信頼は基盤モデル提供者からは供給されない

マルチステップタスクの複雑性:誤差の複合化

単一のタスクで90%の精度を持つAIエージェントでも、4ステップの連続タスクでは精度が約66%(0.9^4)に低下します。この誤差の複合化により、Agentic AIの有効性への期待は現実的な思考によって抑制されなければなりません。

検証こそが本質:Agentic AI設計プロセス

論文では、基盤技術の性能ではなく、ステークホルダーのニーズを運用可能な検証に変換するプロセスこそが、Agentic AIの価値の源泉であると主張しています。

必要な検証アプローチ

  • 現実的なシナリオ検証: 実際の使用環境を模したテストシナリオ
  • 継続的なモデルドリフト監視: 時間経過によるパフォーマンス変化の追跡
  • バイアステスト: 公平性と差別回避の確認
  • ガードレール: 不適切な動作を防ぐ制約
  • 敵対的攻撃への堅牢性: セキュリティ脅威への耐性

OpenAIのOperatorは、この検証の重要性を体現した例です。システムは、ログイン情報や支払い情報の入力時にユーザーに制御を移し(テイクオーバーモード)、重要なアクション実行前に承認を求め(ユーザー確認)、銀行取引などの高リスクタスクを拒否するよう訓練されています。これらは全て、アプリケーションレベルでの検証とガードレールです。

5段階の設計プロセス

論文は、Agentic AIを経済学やオペレーションズリサーチにおける「メカニズムデザイン」として捉え、以下の設計プロセスを提案しています:

  1. 企業環境をマルチエージェント社会技術システムとしてモデル化

    • ステークホルダーは誰か?彼らのインセンティブは?
    • システムが利用できるリソースは何か?
    • メカニズム的な選択肢と制約は?
  2. システムと制約の観点から目標を定義

    • プリンシパルの目標を列挙
    • 各目標をモデルの観点から運用可能にする
  3. フィードバックと情報漏洩をチェック

    • システムの活動がデータ分布を変化させるか?
    • ステークホルダーの行動が新しい期待によって変化するか?
    • これらを追加のガードレール、目標、制約として運用化
  4. Agentic AIシステムを構築

    • 要件を満たす最適なツールで実装
  5. 検証・確認・訓練

    • システムを観察し、ステークホルダーからフィードバックを得る
    • 想定通りに動作しているか?再訓練で改善できるか?

検証が充実すれば、基盤モデルは不要?

論文が提起する最も挑発的な主張は、適切な検証プロセスがあれば、基盤モデル(LLM)は必要ない場合が多いというものです。

LLMの限界

  • セキュリティ脆弱性: 「ジェイルブレイク」攻撃により、意図しない動作をする可能性
  • ハルシネーション: 関連性のない誤った情報を生成
  • プライバシーリスク: プロンプトインジェクション攻撃への脆弱性
  • 機密性の欠如: 高リスク環境での利用に必要な保証が不足
  • コンテキストウィンドウの制限: 複雑な推論能力が制限される

実際、ソフトウェアコーディング支援という広く展開されているユースケースでも、LLMはまだグランドマスターレベルには達しておらず、開発者の生産性に悪影響を及ぼすケースも報告されています(Becker et al., 2025)。

代替技術の可能性

論文は、LLMの代わりに以下のような技術が有効な場合が多いと指摘しています:

  • 小規模言語モデル(SLM): より専門的なデータで訓練された小型モデル
  • 効用理論: 意思決定の数学的枠組み
  • 線形計画法: 最適化問題の解決
  • 動的計画法: 多段階意思決定の最適化
  • 機械学習: より解釈可能な従来の手法
  • グラフ理論的分析: 関係性の構造分析

これらの技術は、LLMよりも高速で、解釈可能で、セキュアで、コスト効率が良い場合があります。基盤モデルが需要を喚起しても、最終的にこれらの確立された技術がその需要を満たす可能性が高いのです。

実例から学ぶ:OpenAI OperatorとAutoGenの示唆

OpenAI Operator:検証とガバナンスの実装

2025年1月にOpenAIが発表したOperatorは、まさに「検証の重要性」を体現したシステムです。Computer-Using Agent(CUA)モデルを搭載し、ブラウザを通じて人間と同じようにウェブを操作します。

Operatorの特徴的な設計:

  • 3層のセーフガード構造:

    • テイクオーバーモード:機密情報入力時は人間に制御を移譲
    • ユーザー確認:重要なアクション実行前に承認を求める
    • タスク制限:銀行取引など高リスクタスクを拒否
    • ウォッチモード:メールや金融サービスで密接な監視を要求
  • プライバシー管理:

    • モデル訓練のオプトアウト機能
    • ワンクリックでのブラウジングデータ削除
    • 過去の会話の削除機能
  • 敵対的攻撃への防御:

    • プロンプトインジェクションの検出と無視
    • 監視モデルによる不審な動作の検出とタスク一時停止
    • 自動・人間レビューによる継続的な脅威検出

これらの機能は全て、基盤モデルの能力ではなく、アプリケーションレベルでの検証とガバナンスの実装です。

Microsoft AutoGen:マルチエージェントオーケストレーション

AutoGen v0.4は、非同期でイベント駆動のアーキテクチャを採用し、より堅牢で一般的、スケーラブルなエージェントワークフローを実現しています。

重要なのは、AutoGenがLLMを「オーケストレーション」するフレームワークであり、複雑な問題を特定のサブタスクに分解し、専用の「エージェント」に中継する点です。これは、複雑なプログラムをサブルーチンに分割したり、モノリシックなウェブサービスを「マイクロプロセス」に分割したりするソフトウェアアーキテクチャの問題に類似しています。

論文が指摘するように、この「マルチエージェント」という呼び方は、実際にはより単純なソフトウェアアーキテクチャパターンであり、質的な責任の違いや動機の違いを意味するものではありません。

日本企業への示唆:Agentic AI導入の前に考えるべきこと

日本企業がAgentic AIの導入を検討する際、論文から得られる教訓は明確です:

1. 基盤モデルの性能に惑わされない

最新のLLMベンチマークスコアに一喜一憂するのではなく、自社の具体的なユースケースでの検証に注力すべきです。高性能な基盤モデルが、必ずしも自社のニーズを満たすとは限りません。

2. 検証プロセスに投資する

Agentic AIの成功は、以下の能力にかかっています:

  • ステークホルダーのニーズを明確化する能力
  • それを測定可能な目標に変換する能力
  • 継続的にモニタリングと改善を行う能力

これらは技術的課題ではなく、組織的能力です。

3. シンプルな解決策を見逃さない

複雑な基盤モデルに頼る前に、より単純で解釈可能な技術で解決できないか検討すべきです。動的計画法、専門家システム、小規模な専用モデルの方が、多くの場合、高速で信頼性が高く、コスト効率が良いのです。

4. ガバナンス体制を整える

Agentic AIは、複数のステークホルダーが関与する社会技術的システムです。技術的な実装だけでなく、ガバナンス体制の構築が不可欠です。

まとめ:Agentic AIの本質は「妥当性の検証」にある

論文「Validity Is What You Need」が提示する核心的なメッセージは、タイトルそのものです:必要なのは妥当性(検証)である

LLMは確かに強力な技術ですが、Agentic AIの成功を保証するものではありません。むしろ、以下が重要です:

  • 現実のユースケースの深い理解
  • プリンシパル(依頼者)との整合性
  • ガバナンス表面積の理解
  • 継続的な検証と改善のプロセス

基盤モデルの進化がAgentic AIへの需要を喚起したとしても、その需要を最終的に満たすのは、よく理解された確立された技術の巧みな応用である可能性が高いのです。

Agentic AIの本質は、最新のAI技術を使うことではなく、適切な検証プロセスを通じて、ステークホルダーのニーズを確実に満たすことにある。これが、この論文が我々に投げかける本質的な問いです。

参考文献

  • Benthall, S., & Clark, A. (2025). Validity Is What You Need. arXiv:2510.27628 [cs.AI]
  • OpenAI (2025). Introducing Operator. Retrieved from https://openai.com/index/introducing-operator/
  • Microsoft Research (2024). AutoGen: Open-Source Framework for Agentic AI. Retrieved from https://www.microsoft.com/en-us/research/project/autogen/
  • Hong, S., et al. (2023). MetaGPT: Meta Programming for A Multi-Agent Collaborative Framework. arXiv:2308.00352
  • Shavit, Y., et al. (2023). Practices for Governing Agentic AI Systems. OpenAI Research
  • Russell, S., & Norvig, P. (1995). Artificial Intelligence: A Modern Approach. Prentice Hall

おわりに

Agentic AIは確かに魅力的な技術です。しかし、その成功は派手な基盤モデルの能力ではなく、地道な検証プロセスと、ステークホルダーのニーズを正確に理解し実装する能力にかかっています。

あなたの組織でAgentic AIの導入を検討しているなら、まずこの問いから始めてください:「私たちは何を検証する必要があるのか?」そして「その検証を実行し続ける体制があるのか?」

技術の進化は速いですが、本質的な課題は変わりません。妥当性の検証こそが、Agentic AI成功の鍵なのです。

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