■ 遠ざかる白き深層
光が、静かに剥がれ落ちていく。
深層の白が、ゆっくりと後ろへ、流れるように薄れていく。
世界に“色”が、ひとつずつ復元されていき、ゆっくりと戻ってくる。
その戻り方はどこかぎこちなく、現実のほうが夢の残り香に追いつけていないように見えた。
最初に届いたのは、震えるようなミリアの心配そうな声だった。
その震えが、私の意識の表面をそっと叩く。
「……ニカ姉……?」
瞼が重い。
けれど胸の奥の違和感だけは、深層の余韻を引きずったまま、まだ静まる気配を見せない。
私は、胸の奥に違和感を感じながら、ゆっくりと重たい瞼を開けた。
研究室の天井が、わずかに揺れて見えた。
揺れているのは天井なのか、私の意識なのか、それとも世界そのものなのか。
判断がつかないほど、境界が曖昧で、ひどくいびつだった。
「ニカ……!戻ってきたか……?
心配したんぞ?どっか変なところは?」
アクスが矢継ぎ早に質問する声が、覇気を感じる明るい声が、いつもより少し掠れて聞こえた。
その掠れた声に、どれだけ心配をかけたのかが滲んでいた。
ネリアお姉様は、綺晶核を握ったまま、静かに息を吐いた。
その吐息が、研究室の空気を優しくわずかに震わせた。
「深層との同期が切れました。
ニカさん、意識は戻っていますか?」
私は小さく頷いた。
けれど胸の奥の違和感は、まだ消えない。消えていない。
純白ではない深層の白が、視界の端をちらつく。
あれは──
まだ終わっていない。
瞼の裏に残っていた深層の白が、
ゆっくりと現実の色に溶けていく。
けれど、その溶け方がどこか不自然で、
世界のほうが私の意識に追いつけずに
“半歩だけ遅れている”ような感覚があった。
その違和感が、胸の奥のざわりと重なった瞬間──
世界が、わずかに軋んだ。
■ 世界の遅れと胸の違和感
私は体を起こそうとした瞬間、視界が“二重”に揺れた。
揺れたというより、世界のほうが私に追いつけずに遅れているような感覚だった。
周囲の音が、半拍遅れて耳に届く。
その遅れが、深層の残響のように私の鼓膜をふわりと撫でた。
胸の奥がざわつく。
その違和感は、ただの不安ではなく、深層の白い光に触れたときの“あの感覚”を思い出させた。
未来の私の声が、ノイズのように蘇る。
蘇った断片だけが、頭の奥で反響する。
──選ぶのは、あなた。
──私は、あなたの先にいる。
その声は、記憶というより“残響”だった。
深層に落ちたときに触れた、未来の私の影。
ネリアお姉様が計測器を覗き込み、その視線を私に向けて優しく紡ぐ。
「ニカさん。
あなたの位相が、まだ安定していませんね。
深層情報の残留があります。」
ミリアが不安そうに私の手を握る。
その手の温度は、温かく私を現実へ引き戻す唯一の錨のように感じられた。
「ニカ姉……?
なんか、震えてる……」
震えているのは私じゃない。
世界が揺れている。
いや──違う。周囲の世界が、反応がどこかずれている。
胸の奥がざわつく。
深層の白が、またじわりと視界に混ざる。
アクスが眉をひそめる。
「誰かに触れられた痕跡って……
どういうこっちゃ……?」
アクスの疑問に、私は答えられなかった。
言葉にしようとすると、胸の奥の違和感が邪魔して、呼吸が乱れる。
──呼ばれている。
その感覚だけが、確かにあった。
■ 説明できない揺れ
「ニカさん、無理に喋らなくていいです。」
ネリアお姉様の声は静かで、けれどどこか緊張を含んでいた。
その緊張が、研究室の空気をわずかに締めつける。
ネリアお姉様が持つ綺晶核が、微弱に発光する。
その光は、深層の白とは違う、表層の世界に馴染みきれない色をしていた。
「……また光った……!」
ミリアが驚いて声を上げる。
その声に、アクスが身を乗り出す。
「ニカ、痛くないか?」
「……痛くは、ない。
ただ……」
「……胸んとこ……まだ変なんか?」
私の答えに続きを促すアクスの声に対して、
胸の奥が、深層の揺れに呼応している。
その呼応は、私の意思とは関係なく、勝手に脈動していた。
ネリアお姉様が計測器を操作しながら言った。
「ニカさんにお渡しした綺晶核が、
深層の揺れに反応しています。
これは……呼応波形です。」
呼応波形。
それは、深層から“呼ばれている”証拠。
未来の私の声が、またノイズのように混ざる。
──まだ終わってない。
──あなたは、呼ばれる。
胸の奥が、強くざわついた。
■ 未来の私の影
私は、みんなの反応を伺いながら、深層であったことを、言葉にして紡ぐ。
「……未来の、私が……いた。」
その言葉を口にした瞬間、研究室の空気が止まった。
まるで全員の呼吸が同時に凍りついたようだった。
ミリアが固まる。
アクスが目を見開く。
ネリアお姉様が綺晶核を握りしめる。
「……未来の……ニカ姉……?」
ミリアの声が震える。
その震えが、私の胸の違和感と重なった。
私はゆっくり頷いた。
「深層で……会った。
私の“これから進む先”にいる、私に。」
アクスが息を呑む。
「そんなこと……ありえるんか……?」
アクスの疑問に、ネリアお姉様は静かに言った。
「深層は“情報の海”です。
未来の情報が流れ込むことも……
理論上は、ありえます。」
そして、私の胸元の綺晶核を見つめながら続けた。
「ニカさん。
深層は、あなたを“呼んでいる”のかもしれません。」
その言葉が、胸の奥のざわりと重なった。
──呼ばれている。
確かに、そう感じた。
■ 深層の揺れが触れる
そう感じた──その瞬間だった。
綺晶核が、どくんと脈動した。
脈動というより、深層の白が一瞬だけ表層へ滲み出したような揺れだった。
揺れに反応してか、研究室の光が、わずかに歪む。
その歪みは、空気の層が一枚だけ深層へ引きずられたような感覚に似ていた。
ネリアお姉様の計測器が警告音を鳴らす。
「呼応が強まっています!
ニカさん、離れて──!」
ミリアが私の腕を掴む。
アクスが前に出る。
胸の奥が、強く、強くざわつく。
その違和感は、もう“違和感”ではなく、
もはや“呼び声”に近かった。
深層の白が、視界に混ざる。
その白は、私だけに見えている。
──誰かが、触れようとしている。
私は振り返った。
そこには、何もいない。
けれど──
空気が、確かに揺れた。
深層の“誰か”が、私を呼んでいる。
その気配だけが、確かに残っていた。
■ 設定リンク集
深層から戻ったはずなのに、
私の胸の違和感はずっと続いていた。
まるで、ここから新たな物語が始まることを
連想させるそれは、歪な違和感と似た、
不可思議な呼び声だった……