TL;DR
- 「誰でもできる仕事」と呼ばれる業務ほど、OJTもベテランも引き継ぎも必要で、人によって品質差が出ます。この時点でラベルと実態がねじれています。
- プロダクトを持たない会社は、知識を手順書・ナレッジ・育成プロセスに固定化します。中でも文書に落としきれない暗黙知を運べるのは「人を育てる仕組み」だけです。
- 競争力は組織の仕組みに溜まるのか、それとも明日辞めるかもしれない誰かの頭の中に溜まっているのか。問いはこれだけです。
あるとき、こんなたとえを聞きました。
「現場の仕事は、家の中を掃除する仕事。我々は、その家を設計し、建てる仕事だ」
その場では何も言いませんでしたが、違和感だけが残りました。掃除は維持であり、設計・建築は創造である。現場はノンコアであって、上流こそがコアである。たとえとしてはきれいに整っています。でも、どこかがずれているように感じました。
しばらく考えて、ずれの正体がわかりました。家は建てたら終わりますが、業務は終わらないんです。 建築は完成品を引き渡して現場を去ります。けれど業務運用は、引き渡しの瞬間から毎日回り続けます。「掃除」という言葉が指していたのは、実は「終わらない運用そのもの」だったのです。そして、その家で毎日起きるトラブルを捌き続けるためには、建てる段階では見えない別種の知識が必要になります。
このたとえには、もう一つの取り違えがあります。「掃除なんて誰でもできる」という前提です。本当に、そうなのでしょうか。
「誰でもできる仕事」が存在するなら、なぜOJTが必要なのか
本当に誰でもできる仕事というのは、結果も品質も、誰がやっても変わらない仕事のことです。教育も引き継ぎもいりません。やり方を覚える必要すらなく、出てくるアウトプットが人によってブレないものです。自動販売機のボタンを押す行為が、それに一番近いのかもしれません。
だとすると、おかしいのです。「誰でもできる」と言われている仕事に、なぜOJTが必要なのでしょうか。なぜベテランが抜けると質が落ちるのでしょうか。なぜ引き継ぎを雑にやると事故るのでしょうか。なぜ人によって品質差が出るのでしょうか。
もしOJTが必要なら、その仕事はもう「誰でもできる仕事」ではありません。 教育を要するということは、そこに渡すべき何かがあるということだからです。
エンジニアなら、この感覚に覚えがあるはずです。「この修正なら誰でもできるでしょ」と言われたタスクが、3日後に障害になります。「運用なんて誰でもできる」と言われていたのに、いざとなると、あの人しか障害対応できません。「ただのデータ入力」「ただの問い合わせ対応」と呼ばれていた仕事が、引き継ぐ段になって初めて、どこにも書かれていない判断基準の塊だったと気づきます。
今日はこの矛盾を入口に、話を進めていきます。
「誰でもできる仕事」ほど、暗黙知が分厚い
外から見ると、定型業務は薄っぺらく見えます。「書類処理でしょ?」「問い合わせ対応でしょ?」という具合です。冒頭の「掃除でしょ?」も同じ目線です。ところが中に入ると、景色が一変します。
たとえば制度に関わる事務であれば、制度知識、ケースごとの微妙な差異、どこでエスカレーションすべきかの判断、クレーム対応の呼吸、繁閑の業務量予測——これらが一つの作業の裏に折り重なっています。そしてそのほとんどが、どのマニュアルにも書かれていません。ベテランの頭の中にしかないのです。
つまり「誰でもできる仕事」というラベルは、業務領域固有性の高さを、外側から見えなくしているだけなのです。薄く見えるのは、それが薄いからではなく、暗黙知が見えないところに沈んでいるからです。教育や引き継ぎが必要だという事実そのものが、「これは誰でもできる仕事ではない」という何よりの証拠になっています。
そして厄介なのは、このラベルが言う側にとって都合がいいことです。発注する側はコストを下げる理由になり、任せる側は責任を軽くできます。だから「誰でもできる仕事」という言葉は、実態と合っていなくても、しぶとく生き残ります。
図1:「誰でもできる仕事」のラベルと実態のねじれ
「ノンコア」は、そもそも誰の視点の言葉なのか
この見えなさが、業界全体の自己認識にまで広がると、もっと根の深い話になります。冒頭の「掃除と建築」のたとえも、突き詰めればここに行き着きます。
業務委託(BPO)の世界には「BPOとはノンコア業務の外部委託である」という定番の自己紹介があります。コア業務は競争力や利益に直結する中核業務、ノンコア業務は事業に必要だが直接の収益には結びつきにくい補助業務、という定義です。
ここでよく見てほしいのですが、この定義は全部発注する側の視点で書かれています。クライアントから見れば、書類処理も問い合わせ対応も本業ではありません。だから外に出します。その判断は正しいのです。
問題は、受注した側がこの言葉をそのまま自分に貼ってしまうことです。クライアントにとってのノンコアは、たしかにクライアントにとってはノンコアでしょう。でも、それを請けて運営している事業者にとって、その業務はノンコアなのでしょうか。その「ノンコア業務」の品質が落ちれば赤字になり、改善すれば黒字になります。収益がまるごとそこに乗っているのです。視点が入れ替わっているのに、ラベルだけが引き継がれている。収益の源泉を、自分でノンコアと呼んでいる。
なぜこのねじれが起きるのでしょうか。人材派遣業と並べると、輪郭がくっきりします。
| 人材派遣業 | 業務受託(BPO) | |
|---|---|---|
| 価値の源泉 | 人を集め、繋ぎ、契約を管理する仕組み | 業務そのものの遂行品質と改善能力 |
| 研修・指揮命令 | 主に発注側に帰属 | 受注事業者が自前で担う |
| 利益の出方 | 紹介・管理のフィー | 契約金額と実コストの差分 |
| 現場業務の位置づけ | 事業者にとってはコアではない | 事業者にとってのコアそのもの |
人材派遣業では、派遣された人がやる業務は派遣事業者のコアではありません。研修も指揮命令も発注側にあり、事業者の価値は「集める・繋ぐ・管理する」に集約されます。ところが業務受託は構造が違います。人を自分で採用し、自分で育て、自分のノウハウで改善し、契約金額と実コストの差分から利益を取ります。この差分を生むのは契約交渉ではなく、現場の遂行品質と改善能力です。 だとすれば、現場業務こそが収益の源泉です。「現場はノンコア」というメンタルモデルは、おそらく派遣業の構造を無意識に引きずったまま、認識だけがアップデートされていないのだと思います。
そして現場をノンコア扱いし続けると、見えにくい代償が出ます。コアと認識されていない領域には、改善投資もコンプライアンスの目も向きにくくなります。収益の源泉を付属物として扱うのですから、考えてみれば倒錯しています。コアと思っていない場所に、人は本気の投資をしません。
プロダクトを持たない会社は、知識を何に固定化するのか
ここで競争力の話になります。問いをこう立て直すと、見通しがよくなります。プロダクトを持つ会社は、知識を「機能」に固定化できます。一度作った機能はプロダクトに固定され、人が入れ替わっても全顧客に再利用され続けます。では、プロダクトを持たない業務受託事業者は、知識を何に固定化するのでしょうか。
固定化先は、一つではありません。手順書、業務フロー、テンプレート、KPI設計、報告フォーマット、提案書の雛形、ナレッジベース。これらは人が作ったものですが、作られた後は人から切り離されて、組織の資産として再利用できます。「個人の頭の中にあった知識」を「人が変わっても使える形」に変換したもの、と言ってもいいでしょう。経営学のコア・コンピタンス論(プラハラード&ハメル)が言う「横断して再利用できる組織的能力」は、プロダクトを持たない会社では、こうした組織資産の束として現れます。
つまり競争力は、個人知を組織資産に変換し、移転し、再利用する仕組みに溜まります。プロダクト企業がそれを「機能」という器に流し込むのに対し、業務受託事業者は手順書やナレッジや育成プロセスという複数の器に流し込みます。器の形が違うだけで、やっていることは同じです。
ただし、ここに厄介な非対称があります。手順書やテンプレートに落とせる知識は、まだ幸せなほうです。問題は、文書に落としきれない暗黙知です。冒頭で挙げた、どこでエスカレーションするかの判断、クレーム対応の呼吸、繁閑の読み——これらはマニュアル化しようとしても、こぼれ落ちる部分が必ず残ります。そして、こぼれ落ちた分を運べる器は、最終的に「人を育てる仕組み」しかありません。ベテランの頭の中にしかない判断を、OJTや伴走を通じて次の人に移します。これだけは、テンプレートでは代替できないのです。
だから、複数ある固定化先の中でも、**最も難しく、最も真似されにくいのが「人を育てる仕組み」**です。手順書は他社にコピーされても、暗黙知を移植する仕組みはそう簡単に模倣できません。プロダクトを持たない会社の競争力の核が人材育成にあると私が考えるのは、それが唯一の受け皿だからではなく、最後まで文書化に抵抗する知識を運べる、最も模倣困難な器だからです。
そして怖いのはその裏側です。この仕組みを持たない会社では、暗黙知はどこに溜まっているのか。 ——個人の頭の中です。文書化もされず、移す仕組みもないまま、ベテランの勘やエースの段取りに乗っています。つまり、その人が辞めた瞬間、競争力も一緒に退職する。
冒頭の「掃除なんて誰でもできる」という言葉は、突き詰めるとここに行き着きます。誰でもできないのは、その人の頭の中にしか暗黙知がないからであり、それは裏を返せば、会社がその知識を組織資産に変換せず、個人に預けっぱなしにしている、ということです。
で、その「育てる仕組み」は何を育てるのか
暗黙知を次の人に移す仕組みが育てる中身は、実はこの連載でずっと書いてきたものそのものです。「QCDを意識しろ」と単語で投げるのではなく、品質を担保するなら手順書がいる、この表を一緒に埋めましょう、と実務の階段まで降りていける人材です(参照:「『QCDを意識しろ』と言われて現場の目が死ぬ理由」)。前の記事は伝え方の話に見えて、本質はベテランの頭の中の知識を新人に移植する「知識移転」の話でもありました。こういう移転は、放っておいて勝手には起きません。仕組みがあって初めて、再現性をもって回ります。
おわりに
冒頭のたとえに戻ります。家を建てる人と、その家で毎日起きることを捌き続ける人。組織が本当に失いたくない知識は、案外、後者の頭の中に溜まっているのかもしれません。「掃除」や「誰でもできる仕事」というラベルは、便利です。口にした瞬間、その仕事は軽くなり、教育投資も改善投資も後回しにする理由になります。けれど、もしその仕事にOJTが必要なら、それはもう誰でもできる仕事ではありません。そこには渡すべき暗黙知があり、その暗黙知こそが、会社の競争力の正体です。
プロダクトを持たない会社の強さは、知識を組織資産に変換し、移転し、再利用する仕組みに溜まります。その中で、最後まで文書化に抵抗する暗黙知を運べるのが「人を育てる仕組み」であり、ここが最も模倣されにくい競争力の核になります。現場を「誰でもできる仕事」と見なした瞬間、その仕組みへの投資は後回しになり、暗黙知は個人に預けられたまま、人が抜けるたびに蒸発します。
最後に、いくつか問いを置いて締めます。
- あなたの現場に「誰でもできる仕事」と呼ばれている業務はありますか。それ、本当に明日新人が来て同じ品質で回せますか。
- あなたの会社の競争力は、いまどこに溜まっていますか。組織の仕組みの中ですか、それとも、明日辞めるかもしれない誰かの頭の中ですか。
これは現時点での仮説です。皆さんの反応で精緻化していきたいと考えています。
会社が本当に失いたくない知識は、設計図の中ではなく、毎日その家を回し続ける人の頭の中にあります。
家を建てる人ではなく、その家で毎日起きることを捌き続ける人の頭の中にこそ、いちばん真似のできない知識が溜まっているのです。
