この記事はAIと相談しながら執筆しています。
自己紹介
株式会社LITALICOでQAエンジニアをしています@yknoguchiです。
趣味でお絵描きする人間です。
この記事は『LITALICO Advent Calendar 2025』10日目の記事です。
ちなみに今日は僕の誕生日でもあります。30歳。
ついに30歳ですよ。早いものですね。
はじめに
さて本題。
僕、最近、インターネット上の記事や投稿を見るのがしんどいんです。
その理由は
「生成AIが氾濫しているから」
です。
誤解なきよう言っておくと、僕はAIが大好きです。
大学生の頃から情報を追いかけてますし、僕自身も普段から使ってますし、主要なAIサービスに課金してますし。
今いるチームでも、チーム内の作業効率が上がるようにAIのプロンプトを整えたり、自動化ツールをAIと相談しながら作成しています。
そんな僕ですが、記事やコンテンツを開くと「しんどい」と思うんです。
画面を開いて、
- 「あ〜、このイラストは生成AIかな」
- 「この技術記事はAIっぽいな」
- 「この説明スライドの画像、あのモデルっぽいな〜」
みたいなことを考え始めた瞬間、その日の MP がごっそり減ってしまうんです。
この記事で話したいこと
この記事では、生成AIの批判でよく話題にあがる「法律まわり」の話は扱いません。
ここに書くのは、ほとんど僕のお気持ちです。
「AIを使うな!」という話もしません。僕も使ってます。
それでも、生成AIによるアウトプットを見ると、なぜこんなにしんどく感じるのか。
その理由を、僕の主観で書いていきます。
そして、気をつけるべき「アウトプットの態度」について、僕なりの考えを書いていきます。
この記事を誰に届けたいか
- バリバリ生成AIを使っている人。
- これからもっと生成AIをたくさん使っていくつもりの人。
そういう人たちに、この記事が届いてほしいなと思っています。
生成AIを使ったイラストに感じること
ここ最近ずっとイラスト生成AI関連でその辺りの界隈が荒れてますよね(ボイス界隈も荒れてますね)
冒頭にも書いた通り、僕は趣味でイラストを描いています。
なので、イラスト生成にモヤモヤする気持ちがとてもわかります。
しかし僕はAI自体が好きですし、実際に生成してみるとプロンプトの調整がかなり難しかったり、やっぱり生成は楽しかったりで、好印象も抱いています。
僕はそんな二律背反な感情が同居している厄介な心情です。
イラスト界隈がピリピリしている理由
イラスト生成AIは、過去に作られた大量の画像やイラストを学習して賢くなります。
その為、イラストを生業とされている方々はこのように思います。
- 自分の作品が、知らないところで材料扱いされているかもしれない
- 自分の絵柄にそっくりな画像が、AIからポンと出てきてしまうかもしれない
- 「自分の仕事の価値」が薄まっていくかもしれない
このような不安によって、イラストを描く方々の中にAI規制的な強い発言をされるものが現れるようになります。
一方で、AIを便利な道具として使いたい人もいて、
「全部が悪いわけじゃないでしょ」「AI便利じゃん」と反論がされます。
これらがネット上で衝突しており、界隈が全体的にピリピリしている、みたいな空気感です。
AI出力画像を貼ると、話がズレる瞬間がある
キャラクターイラスト的なものだけに限りません。
たとえばスライドや投稿で、内容をまとめたような「それっぽいAI画像」がペタっと貼られている様子をよく見かけます。
しかし、その画像が何を伝えたいのか分からないときが多々あります。
図解が間違っている時もあります。
「いい感じだから貼った」だけだと、伝えたい内容の補助にならないどころか、逆に注意がそこに吸われます。
AIイラスト自体が悪いというより、“その画像の意味を考えずに貼ってしまう態度”がしんどい。僕はそう思っています。
AI丸投げ記事がしんどい理由
次は文章の話です。
最近、文章生成AIに「これについてまとめて」って言って、出てきた文章をほぼそのまま貼った記事を見かけます。
例えば
ここが ** 大事** なんです!!
みたいに強調するためのアスタリスクがそのまま記事の中にあると、
校正もしなかったんだな。と思います。
探していた技術の見出しをようやく見つけて、記事を開いた瞬間にこれが表示されると一気に見る気がなくなってしまいます。
文章を読むコストが上がる
AIの性能が上がってきているので、
それによって作成された記事はきれいに整って見えます。
見出しもそれっぽい。言い回しも丁寧。
それでも
- 微妙に間違っている
- 微妙に古い
- 断言しているのに根拠がない
- 具体例がない(手を動かした気配がない)
というようなことが起こります。
最近だと、あるAIは頭はいいが、ネットの検索が弱いから古い間違った情報を取得していそう、という噂話もよく聞きます。
なのでAIで書いた気配を感じると、一気にその記事が信じられなくなります。
「この人の言葉」が消えると、読む意味が薄くなる
「とりあえずアウトプットしよう!」というアウトプット至上主義的な文化がありますよね。
アウトプットをすることで自分の頭の整理になり、もしかしたらそれを読んで助かる人がいるかもしれない。
その考え方は、僕はとても大事だと思っています。
多少内容が間違っていても、
- ここで詰まった
- こう試した
- こう考えた
- こういう理由でこうした
これがあると、「この記事はこの人の体験だ」って分かるし、読んでいてその体験を追体験できて為にもなるのです。
しかしAI丸投げ記事に関しては、それさえもありません。
そもそもの話
そもそも、AIによる生成物が氾濫してきたことで、一番嫌な気持ちになるのは
何かいい感じのものを見かけた時に、最初に賞賛ではなくて、「これはAIかもしれない」と考えるようになったことに対してです
すぐに素直に賞賛ができなくなってしまいました。
先に疑惑の念が上がってしまいます。
なんだか自分の性格が悪くなったような気がしてしまいます。
AIがちょっとかわいそう
ここまで読んで「AIが悪い」みたいに見えたら本意じゃないので、いったん言い直します。
悪いのはAIというより、
- 雑な使い方
- 量産したほうが得する空気
- 読み手への想像力の欠如
こういう問題が大きいと思っています。
AIは便利な道具なのに、雑なアウトプットのせいで「AI=悪」みたいに嫌われていく。
ちゃんと使ってる人まで「どうせAIでしょ」という評価を受ける。
そんな空気感を僕は感じています。
AIもかわいそうだし、まじめに使ってる人もかわいそうだと思ってしまいます。
僕が生成AIを使うマイルール
しかし世の中はAI利用を前提とした、作業のスピード感が求められていっているのも事実です。
AI利用を避けて通ることはどんどん難しくなっていきます。
なので、あくまで僕が使っている AIの使い方ガイドラインを書いていきます。
あくまで僕の中でのルール であり、これを押し付ける意図はありません。
“丸投げして公開”を絶対にしない。
たとえば技術記事なら、
- 自分が実際にやった手順や環境を書く
- 詰まった点や失敗を書く
- 参考にした一次情報を貼る
- AIに書かせた部分があるなら、自分の言葉で言い直す
イラストのほうも、
- その画像を見ることになる相手を想像して、必要なら画像を使わない
- その画像で本当に伝えたい内容が伝わるのかを考える
- 画像生成だけではなく、自分で編集することも考慮に入れる
これを意識して、AIを使っていこうと思う決意表明です。
おわりに
AIはこれからも便利になります。日進月歩です。
だからこそ、「どう使うか」が大事になってきた気がします。
僕はAIのことが大好きなので、AIと友好的な関係を築いていきたいです。
AIはすごいですが、丸投げはせず、ほんの少しだけ立ち止まって、
「自分は何を伝えたいんだっけ?」って考えてから出す。
それだけで、たぶん人間とAIの有効な関係が築けると思います。
明日は@ryunosuke_sakoさん、@nonikenoさん、@marie-yさんの記事です。お楽しみに!