はじめに
Transition Edge Sensor(TES)は、超伝導転移の極めて急峻な抵抗変化を利用して、微小なエネルギー付与を高感度に検出する検出器である。TES が安定に動作するための最重要条件の一つが 定電圧バイアスであることはよく知られている。
半導体カロリメータでは定電流、TESは定電圧、で動作させます。
しかし実際の TES 実験系では、「定電圧を直接印加する」ことはほぼ不可能であり、代わりに シャント抵抗を用いた疑似的な定電圧バイアスが用いられる。
下記の記事でも、疑似的な定電圧バイアスが前提となっているが、なぜ疑似的な定電圧バイアスで良いのかは説明していない。
本記事では、
- なぜ定電圧バイアスが必要なのか
- なぜ「疑似的」にしなければならないのか
- それが TES 特有の数値スケールに起因する必然である理由
を、具体的なオーダー評価を交えて解説してみます。
1️⃣ なぜ TES には定電圧バイアスが必要なのか(復習)
TES は転移温度付近で
R = R(T, I)
という強い温度依存性を持つ。
定電圧 (V) でバイアスすると、
- 温度 ↑
→ 抵抗 ↑
→ 電流 (I = V/R) ↓
→ ジュール加熱 (P = I^2 R) ↓
という 負の電熱フィードバック(Electro-Thermal Feedback; ETF) が自然に働く。
この ETF によって、
- 温度揺らぎが抑制される
- 応答が高速化する
- 動作点が自己安定化する
という TES の性能の根幹が成立する。
2️⃣ TES の電圧スケールはどれほど小さいか
ここからが本題である。
TES の典型的な動作点は:
-
抵抗
R_{\rm TES} \sim 1\text{–}10~\mathrm{m\Omega} -
動作電流(臨界電流より十分小さい)
I_{\rm TES} \sim 1\text{–}5~\mu\mathrm{A}
したがって TES にかかる電圧は
V_{\rm TES} = I_{\rm TES} R_{\rm TES}
\sim 1\text{–}50~\mathrm{nV}
📌 nV(ナノボルト)スケールである。
3️⃣ なぜ「直接の定電圧バイアス」は不可能なのか
❌ 理由①:電圧源が nV 精度で制御できない
室温側の電子回路では:
- DAC の量子化誤差
- 電圧リファレンスのドリフト
- 1/f ノイズ
- 増幅器の入力オフセット
これらは µV〜nV レベルで存在する。
「nV を安定に出す電圧源」は、実質的に存在しない
❌ 理由②:配線抵抗が TES より大きい
冷凍機内の配線やボンディングを含めると、
R_{\rm wire} \sim 10\text{–}100,\mathrm{m\Omega}
はあり得る。(室温までの配線抵抗を考えるともっと高いことも多いでしょう。)
このとき電圧降下は
V_{\rm wire} = I~R_{\rm wire}
\sim 10\text{–}500~\mathrm{nV}
👉 TES の電圧降下より大きい。つまり、
- 室温側で「TES に何 V かかっているか」を
- 制御・定義することが原理的にできない
❌ 理由③:熱起電力(Seebeck 効果)
異種金属接合に温度差があると、ゼーベック(Seebeck 効果)により、
\sim \mu\mathrm{V/K}
オーダーの熱起電力が自然に発生する。
これは TES の動作電圧より 2–3 桁大きい。
4️⃣ 解決策:シャント抵抗による疑似的定電圧バイアス
回路の基本構成
- TES と 非常に小さいシャント抵抗 $R_s$ をTESに並列接続
- 外部から 一定のバイアス電流 $I_{\rm bias}$ を流す
- 条件:
R_s \ll R_{\rm TES}
なぜこれで定電圧になるのか
並列回路では電圧は共通である。
しかも、
R_s \ll R_{\rm TES}
であれば、電流の大部分はシャント抵抗を流れる。
よって回路電圧は
V \approx I_{\rm bias} R_s
でほぼ決まり、TES の抵抗変動にはほとんど依存しない。
👉 結果として TES には定電圧が印加される
これが「疑似的定電圧バイアス」である。
5️⃣ 数値で見ると、すべてが腑に落ちる
典型値を入れると:
-
シャント抵抗
R_s \sim 0.1\text{–}1~\mathrm{m\Omega} -
バイアス電流
I_{\rm bias} \sim 10\text{–}50~\mu\mathrm{A}
すると、
V_{\rm bias} = I_{\rm bias} R_s
\sim 1\text{–}50~\mathrm{nV}
👉 TES が必要とする電圧スケールが自然に生成される
重要なのは:
- TES電圧を「作っている」のは DAC(digital to analog converter) 側ではない
- **電流 × 抵抗という受動要素で決まっている
6️⃣ 疑似的定電圧バイアスと ETF の関係
TES の抵抗が上昇すると:
- TES 電流 ↓
- TES のジュール加熱 ↓
これは 理想的な定電圧バイアスと同じ符号の ETFを与える。
したがって、
- ETF の安定性
- 応答速度
- 線形性
は、理想的定電圧バイアスと等価になる。
7️⃣ まとめ
-
TES の動作電圧は nV スケール
-
その電圧を 電圧源として直接制御することは不可能
-
シャント抵抗を用い、
- 比較的大きく安定な電流
- 超低抵抗
の積として電圧を「受動的に決める」
-
これにより 実質的な定電圧バイアスと負の ETFが実現される
👉 疑似的定電圧バイアスは回避策ではなく、TES では必然の設計原理である
電池ボックスは 9V の角型アルカリ電池を内蔵しており、可変抵抗を使用すること
でバイアス電圧を自在に決定できる。また、 TES とシャント抵抗 Rs を並列に配置することで疑似的
定電圧を実現している。バイアスの配線の途中には並列回路に流れる電流を適度に抑えるために、バ
イアス抵抗 Rb として 10 kΩ の
最後に、このような事情を踏まえて、実際の回路図を復習しておきましょう。
基本となる実際の回路図の確認
TES + シャントの「疑似定電圧バイアス」に、SQUID電流読み出し(入力コイル)+フラックス・ロック・ループ(FLL:フィードバック+Rfb) まで入れた、典型的な構成を ASCII回路図で描きます。(実装で細部は違いますが、原理が伝わる標準形です。)
(Room temperature electronics) (Cold stage)
+10 V bias source
┌───────┐
│ 10V │
└───┬───┘
│
│ I_bias set by R_bias (approx constant)
┌───┴───┐
│R_bias │ ~10 kΩ
└───┬───┘
│ node voltage = V_bias (nV scale at TES)
o---------------------------.
│ │
│ │
┌───┴───┐ ┌────┴────┐
│ R_s │ ~ mΩ │ R_TES │ ~ 10 mΩ (T dependent)
└───┬───┘ └────┬────┘
│ │
│ I_TES │
│ │
│ ┌──┴──┐ │S
│ │ L_in│ SQUID input coil │Q
│ │ (M) │ (mutual inductance to Φ) │U
│ └──┬──┘ │I
│ │ │D
'---------------------------o
│
GND (return)
┌───────────────────────────────────────────┐
│ SQUID │
│ │
│ Φ_in = M * I_TES + M_fb * I_fb │
│ │
│ V_squid = SQUID(Φ_total) │
└───────────────┬───────────────────────────┘
│ V_squid
│
┌────────┴────────┐
│ Preamp / FLL │ (room temperature)
│ (integrator) │
└────────┬────────┘
│ V_out (servo output)
│
│ (feedback current)
┌────┴─────┐
│ R_fb │ (feedback resistor)
└────┬─────┘
│ I_fb = V_out / R_fb
│
┌───────┴────────┐
│ L_fb (M_fb) │ feedback coil
│ (couples Φ_fb) │ to SQUID loop
└───────┬────────┘
│
GND
Measured signal (most common):
V_out ∝ I_TES (because FLL keeps Φ_total ≈ constant)
図の読み方
-
TES枝の電流 $I_{\rm TES}$ が 入力コイル $L_{\rm in}$ を流れ、SQUIDに磁束
\Phi_{\rm in} = M~I_{\rm TES}を与えます($M$ は相互インダクタンス)。
-
SQUIDは磁束 $\Phi$ に対して周期的な $V_{\rm squid}(\Phi)$ 応答を持つため、そのままだと線形ではありません。
-
そこで FLL(Flux-Locked Loop)で
- SQUID出力 $V_{\rm squid}$ を増幅・積分し、
- フィードバック電流 $I_{\rm fb} = V_{\rm out}/R_{\rm fb}$ を流して
- フィードバックコイル $L_{\rm fb}$ で逆向きの磁束 $\Phi_{\rm fb}=M_{\rm fb}I_{\rm fb}$ を加え、
- 全磁束 $\Phi_{\rm total}=\Phi_{\rm in}+\Phi_{\rm fb}$ を一定(ロック) に保ちます。
-
ロックされている限り
M~I_{\rm TES}+M_{\rm fb}~I_{\rm fb}\approx 0よって
I_{\rm TES}\approx -\frac{M_{\rm fb}}{M}~I_{\rm fb} =-\frac{M_{\rm fb}}{M}\frac{V_{\rm out}}{R_{\rm fb}}となり、測定出力 $V_{\rm out}$ が $I_{\rm TES}$ に比例します。
🔍 補足事項:
「疑似的」定電圧バイアスとは何がどこまで成り立つ?(数学的説明)
ここまでの説明では「シャント抵抗を用いることで TES には定電圧が印加される」
と述べてきたが、厳密には完全な定電圧ではない。
この節では、
- どの量が厳密に決まっていて
- どの近似のもとで「定電圧」とみなせるのか
を、回路方程式から明示的に確認する。
回路電圧の厳密式
TES 抵抗を温度依存を持つ
R_{\rm TES}(T)
とし、シャント抵抗 $R_s$ と並列接続し、一定のバイアス電流 $I_{\rm bias}$ を流す。
このとき、TES+シャント抵抗の合成抵抗は
R_{\rm eq}(T)
=
\left(
\frac{1}{R_s}
+
\frac{1}{R_{\rm TES}(T)}
\right)^{-1}
=
\frac{R_s R_{\rm TES}(T)}{R_s + R_{\rm TES}(T)}
したがって回路全体の電圧は
V(T)
=
I_{\rm bias}
\frac{R_s R_{\rm TES}(T)}{R_s + R_{\rm TES}(T)}
📌 この式は近似なしで厳密である。
「完全な定電圧ではない」ことの意味
TES の抵抗が温度に依存する以上、
\frac{dV}{dT} \neq 0
であり、電圧は TES の状態に完全に独立ではない。
この意味で、本方式は数学的に正確に言えば「完全な定電圧バイアス」ではない。
これが「疑似的」という形容が付く理由である。
では、なぜ定電圧とみなして良いのか?
鍵となるのは比
\varepsilon = \frac{R_s}{R_{\rm TES}}
である。TES の実際の設計では
R_s \ll R_{\rm TES}
が常に満たされるように選ばれている。この条件のもとで、回路電圧を展開すると
V(T)
=
I_{\rm bias} R_s
\left[
1
-
\frac{R_s}{R_{\rm TES}(T)}
+
\mathcal{O}\!\left(
\left(\frac{R_s}{R_{\rm TES}}\right)^2
\right)
\right]
すなわち、
- 主項:
V \simeq I_{\rm bias} R_s - TES の温度依存は 小さな補正項としてのみ現れる
電圧変動の抑制がどれくらい強いか
TES 抵抗が $\delta R_{\rm TES}$ だけ変化したときの相対電圧変動は、厳密には、
\frac{\delta V}{V}
=
\frac{R_s}{R_s + R_{\rm TES}}
\frac{\delta R_{\rm TES}}{R_{\rm TES}}
で与えられる。
相対変化 $\delta V / V$ の作り方の補足だけ。
\delta V
= I_{\rm bias}
\frac{R_s^2}{(R_s + R_{\rm TES})^2} ~ \delta R_{\rm TES}
一方、元の電圧は
V
= I_{\rm bias}
\frac{R_s R_{\rm TES}}{R_s + R_{\rm TES}}
なので、割り算すると:
\frac{\delta V}{V} = \frac{
\displaystyle
\frac{R_s^2}{(R_s + R_{\rm TES})^2}
~ \delta R_{\rm TES}
}{
\displaystyle
\frac{R_s R_{\rm TES}}{R_s + R_{\rm TES}}
}
さらに $R_s \ll R_{\rm TES}$ を用いると
\frac{\delta V}{V}
\approx
\left(
\frac{R_s}{R_{\rm TES}}
\right)
\frac{\delta R_{\rm TES}}{R_{\rm TES}}
📌 電圧の揺らぎは$\displaystyle R_s / R_{\rm TES}$ という小さな係数で強く抑制される。
物理的な意味
-
TES 抵抗は温度で大きく変化する
-
しかし回路電圧は
- シャント抵抗が十分小さい限り
- その変化をほとんど「感じない」
したがって、
- 数学的には完全な定電圧ではないが
- 物理的・実用的には
定電圧バイアスとして振る舞う
なぜ ETF の符号は変わらないのか
TES に流れる電流は
I_{\rm TES}
=
\frac{V(T)}{R_{\rm TES}(T)}
であり、転移領域では
\frac{dI_{\rm TES}}{dT} < 0
が成り立つ。
そのため、
- 温度上昇
→ TES 電流減少
→ ジュール加熱減少
という 負の電熱フィードバック(ETF) の符号は「完全な定電圧でなくても」維持される。
まとめ(補足の要点)
シャント抵抗を用いた TES バイアスでは、回路電圧は
V(T) = I_{\rm bias} \frac{R_s R_{\rm TES}(T)}{R_s + R_{\rm TES}(T)}
で厳密に与えられ、TES の温度依存性を完全には排除できない。
しかし $R_s \ll R_{\rm TES}$ の条件下では
V(T) \simeq I_{\rm bias} R_s
が高精度で成立し、電圧変動は$\displaystyle R_s / R_{\rm TES}$に比例して強く抑制される。
この意味で本方式は「疑似的定電圧バイアス」と呼ばれる。