はじめに
「光は粒なのか波なのか」という議論は古典物理から量子論まで長年続いてきました。ノーベル賞物理学者のウィリス・E・ラムは1995年の論文「Anti-Photon」において、光を安易に光子(フォトン)と呼ぶことに苦言を呈しています。彼は「光子というものは存在しない。その言葉は歴史的偶然による誤用であり、『光(radiation)』や『量子光学』といった言葉で十分代替できる」と述べ、電磁場を粒子的に捉えすぎることへの警鐘を鳴らしました。この発言は、光のコヒーレント(coherent)という概念にも通じるものがあります。実際、「コヒーレント」という言葉は量子光学と天文学(波動光学に近い)で意味合いが大きく異なり、誤解を生みがちです。本記事では、その違いを順を追って解説します。
Van Cittert–Zernike定理については、下記を参照ください。
そもそも光子って何?って思った方はこちら。
量子光学におけるコヒーレント状態とは?
量子光学で「コヒーレント状態」と言えば、レーザー光を理想化したような電磁場の量子状態を指します。数学的には、光子の消滅演算子(破壊演算子)$\hat{a}$の固有状態として定義され、$\hat{a}|\alpha\rangle = \alpha |\alpha\rangle$($\alpha$は複素数)という式で表されます。直感的には「光の波(振幅と位相)をそのまま量子状態にしたもの」で、シュレーディンガーが探求した「最も古典的に近い量子状態」です。
コヒーレント状態の重要な特徴の一つは光子数分布がポアソン分布に従うことです。ポアソン分布とは、平均値と分散が等しく、観測される光子数が統計的に独立に発生することを意味します。例えばコヒーレント状態の光では、光子数$n$の確率分布が $P(n) = e^{-\langle n\rangle}\frac{\langle n\rangle^n}{n!}$ となり、ゆらぎ(分散)が平均光子数$\langle n\rangle$に等しくなります。この結果、2次の相関関数と呼ばれる指標 $g^{(2)}(0)$(時間差0での強度相関)は1になります。定義式で書けば、例えば古典的には
$g^{(2)}(0) = \frac{\langle I(t)^2 \rangle}{\langle I(t)\rangle^2},$
量子論的には $g^{(2)}(0) = \frac{\langle n(n-1)\rangle}{\langle n\rangle^2}$ であり、ポアソン分布ではこれが1になるのです。言い換えれば、レーザーの理想状態であるコヒーレント状態では 光子検出イベントに相関がなく、全くランダム(ショットノイズ限界)に検出されます。コヒーレント状態は完全な一次コヒーレンスと統計的独立性を併せ持つため、「古典的なコヒーレント光」に最も近い量子状態と言われます。
以下では、単一モードのコヒーレント状態に対して
$g^{(2)}(0)=\dfrac{\langle \hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a\rangle}{\langle \hat a^\dagger \hat a\rangle^2}=1$
が成り立つことを、演算子恒等式と期待値の計算を段階的に導出します。
前提と記号
- 交換関係:$[\hat a,\hat a^\dagger]=1$
- 光子数演算子: $\hat n=\hat a^\dagger \hat a $
- コヒーレント状態:$\hat a\lvert\alpha\rangle=\alpha\lvert\alpha\rangle$($\alpha\in\mathbb C$)、正規化 $\langle\alpha\vert\alpha\rangle=1$
ステップ1 : n(n-1) と生成消滅演算子の関係
$\hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a = \hat n(\hat n-1)$ の恒等式を示します。
証明:
$\hat n(\hat n-1)=\hat a^\dagger \hat a ~ \hat a^\dagger \hat a-\hat a^\dagger \hat a$ ですが,
$$
\hat a~\hat a^\dagger=\hat a^\dagger \hat a + 1
$$
を用いると
$$
\hat a^\dagger \hat a\hat a^\dagger \hat a=\hat a^\dagger(\hat a~\hat a^\dagger)\hat a
=\hat a^\dagger(\hat a^\dagger \hat a+1)\hat a
=\hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a + \hat a^\dagger \hat a.
$$
よって
$$
\hat n(\hat n-1)=\big(\hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a + \hat a^\dagger \hat a\big)-\hat a^\dagger \hat a
=\hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a.
\qquad\square
$$
この恒等式から、二次相関の分子は「二次の階乗モーメント」
$$
\langle \hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a\rangle
=\langle \hat n(\hat n-1)\rangle
$$
に等しいことが分かります。したがって
$$
g^{(2)}(0)=\frac{\langle \hat n(\hat n-1)\rangle}{\langle \hat n\rangle^2}.
$$
ステップ2:コヒーレント状態での n(n-1)の値
コヒーレント状態での $\langle \hat n\rangle$ と $\langle \hat n(\hat n-1)\rangle$
方法A(正規順序の置換則を用いる簡潔法)
コヒーレント状態では、正規順序($\hat a^\dagger$が左、$\hat a$が右)の任意の演算子 $f(\hat a^\dagger\hat a)$ の期待値が
\langle \alpha| :f(\hat a^\dagger\hat a): |\alpha\rangle
= f(\alpha^*~\alpha)
で与えられます。$\hat n=\hat a^\dagger\hat a$ および $\hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a$ は正規順序なので
$$
\langle \hat n\rangle = \langle \alpha|\hat a^\dagger \hat a|\alpha\rangle
= \alpha^*\alpha = |\alpha|^2,
$$
$$
\langle \hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a\rangle
= (\alpha^*)^2 \alpha^2 = |\alpha|^4.
$$
よって
$$
\langle \hat n(\hat n-1)\rangle=|\alpha|^4,\qquad
\langle \hat n\rangle=|\alpha|^2.
$$
方法B(固有状態の性質だけで逐次計算)
固有値方程式 $\hat a|\alpha\rangle=\alpha|\alpha\rangle$ を2回作用させると
$$
\hat a\hat a|\alpha\rangle=\alpha^2|\alpha\rangle.
$$
同様にブラ側は $\langle\alpha|\hat a^\dagger=\alpha^*\langle\alpha|$ から
$$
\langle\alpha|\hat a^\dagger \hat a^\dagger=(\alpha^*)^2\langle\alpha|.
$$
ゆえに
$$
\langle \hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a\rangle
= \langle\alpha| \hat a^\dagger \hat a^\dagger ,(\hat a \hat a|\alpha\rangle)
= \langle\alpha| \hat a^\dagger \hat a^\dagger ,(\alpha^2|\alpha\rangle)
= (\alpha^*)^2 \alpha^2 \langle\alpha|\alpha\rangle
= |\alpha|^4,
$$
また
$$
\langle \hat n\rangle=\langle\alpha|\hat a^\dagger \hat a|\alpha\rangle
= \langle\alpha|\hat a^\dagger(\alpha|\alpha\rangle)
= \alpha\langle\alpha|\hat a^\dagger|\alpha\rangle
= \alpha \alpha^* = |\alpha|^2.
$$
ステップ3:コヒーレント状態に対して g2(0)の計算
$g^{(2)}(0)$ の評価
以上より
$$
g^{(2)}(0)
=\frac{\langle \hat n(\hat n-1)\rangle}{\langle \hat n\rangle^2}
=\frac{|\alpha|^4}{(|\alpha|^2)^2}
=1.
$$
すなわち、単一モードのコヒーレント状態では $g^{(2)}(0)=1$ になります。これは光子数分布が平均 $\mu=|\alpha|^2$ をもつポアソン分布であり、二次の階乗モーメントが $\langle n(n-1)\rangle=\mu^2$ になる事実と一致します。
補足:古典定義との対応
正規順序 (normal ordering) の定義
量子光学でいう正規順序 (normal ordering) とは、すべての生成演算子 $\hat a^\dagger$ を左側に、すべての消滅演算子 $\hat a$ を右側に並べ替える操作のことです。
例:
$$
:\hat a \hat a^\dagger: = \hat a^\dagger \hat a
$$
一般に、期待値を計算するときに
\langle :f(\hat a^\dagger~ \hat a): \rangle
は「クラシカルな複素数 $\alpha, \alpha^* $ を代入した関数 $f(\alpha^*,\alpha)$」に対応します。
→ これが「正規順序=古典確率のように扱える」所以です。
古典的ランダム変数としての強度 $I(t)$ に対し
$$
g^{(2)}(0)=\frac{\langle I(t)^2\rangle}{\langle I(t)\rangle^2}
$$
と書くことがあります。量子論では $\hat I\propto \hat a^\dagger \hat a$ で、正規順序に対応する二次相関が
$$
g^{(2)}(0)=\frac{\langle : \hat I^2 :\rangle}{\langle \hat I\rangle^2}
=\frac{\langle \hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a\rangle}{\langle \hat a^\dagger \hat a\rangle^2}
$$
に相当します。この対応を押さえておくと、古典確率過程(ポアソン)の直感と量子光学の結果が綺麗に一致して理解できます(これについて疑問が湧く人向けに下で補足しています。)。
強度演算子とその二乗
強度演算子を $\hat I = \hat a^\dagger \hat a = \hat n$ とすると、
$$
\hat I^2 = \hat a^\dagger \hat a \hat a^\dagger \hat a
= \hat a^\dagger(\hat a \hat a^\dagger)\hat a
= \hat a^\dagger(\hat a^\dagger \hat a + 1)\hat a
= \underbrace{\hat a^\dagger \hat a^\dagger \hat a \hat a}_{:\hat I^2:} + \hat a^\dagger \hat a.
$$
この最後の $\hat a^\dagger \hat a = \hat n$ が余分に出てきます。
この項の物理的意味は、
- $:\hat I^2:$ の部分は「実際の同時計数(光子が2個検出されるイベント)」に対応します。
- 一方、$\hat n$ の項は「演算子の交換関係のせいで生じる余分な項」で、検出されない「真空のゆらぎ」寄与を含んでいます。
実際に真空状態 $|0\rangle$ に対して計算すると:
$$
\langle 0|\hat I^2|0\rangle = \langle 0| \hat n|0\rangle = 0,
$$
つまり「真空で実際にカウントされる光子はゼロ」です。
ただしこの $\hat n$ 項は、量子論的には「ゼロ点揺らぎの寄与」と考えられるものです。
正規順序にすることでこれを明示的に排除し、検出器で実際に数えられる光子イベントと対応づけます。
改めて整理すると、量子光学の二次相関関数は
$$
g^{(2)}(0) = \frac{\langle n(n-1)\rangle}{\langle n\rangle^2}.
$$
- ポアソン分布(=コヒーレント状態):
$\langle n(n-1)\rangle=\mu^2$ → $g^{(2)}(0)=1$ - 熱分布:
$\langle n(n-1)\rangle=2\mu^2$ → $g^{(2)}(0)=2$
という違いが出ます。
上の、「古典確率過程(ポアソン)の直感と量子光学の結果が綺麗に一致」という意味は、単純に下記のように普通にポアソン分布(コヒーレント状態の場合は)で計算した結果と同じですよ、という意味です。
直和での計算(指数・階乗の消去)
平均 μ のポアソン分布 $P(n)=e^{-\mu}\dfrac{\mu^n}{n!}$ に対し
$$
\langle n(n-1)\rangle
=\sum_{n=0}^\infty n(n-1) P(n)
=e^{-\mu}\sum_{n=0}^\infty n(n-1)\frac{\mu^n}{n!}.
$$
$n(n-1)\frac{1}{n!}=\frac{1}{(n-2)!}$ を使い、$m=n-2$ と置換すると
$$
\langle n(n-1)\rangle
=e^{-\mu}\sum_{m=0}^\infty \frac{\mu^{m+2}}{m!}
=e^{-\mu}\mu^2\sum_{m=0}^\infty \frac{\mu^{m}}{m!}
=\mu^2.
$$
生成関数(確率母関数)でも一発
ポアソン分布の確率母関数(PGF)は
$$
G(z)=\sum_{n=0}^\infty P(n)z^n=\exp{\mu(z-1)}.
$$
階乗モーメントは $G''(1)$ で与えられます:
$$
G'(z)=\mu e^{\mu(z-1)},\quad
G''(z)=\mu^2 e^{\mu(z-1)}
;\Rightarrow;
G''(1)=\mu^2=\langle n(n-1)\rangle.
$$
波動光学におけるコヒーレンスとVan Cittert–Zernikeの定理
一方、天文学や古典的波動光学で「コヒーレント」と言えば、主に波の位相が揃っていて干渉し得る状態を指します。例えば恒星からの光は、一見ランダム位相で出てくるインコヒーレント光ですが、遠方で観測すると一部にコヒーレンス(干渉性)が現れます。これを定量的に示すのがVan Cittert–Zernikeの定理です。定理によれば、「十分遠方の(空間的にインコヒーレントな)光源について、観測平面上の二点間の 相互相関(互いの波動のコヒーレンス) は、光源の強度分布のフーリエ変換に等しい」とされています。平たく言えば、「大きな光源ほど波面のコヒーレンスが低下するし、小さな光源(点源)ほど高い干渉性を示す」ということです。
この定理の物理的な意味を直感的に説明してみます。例えば池に石を2つ落とすと、近くでは波紋は複雑に乱れ(各石からの波が位相関係なく重なるため空間的にインコヒーレント)、遠く離れると二つの波はだんだん滑らかに重なり合って位相の揃った円形波に見えてきます。光の場合も同様で、遠方(観測点)では異なる点から出た光が重なって部分的に干渉性を帯びるのです。この空間的コヒーレンスの度合いは、観測点間の距離や光源の見かけの大きさ(角直径)によって決まり、干渉計で測定される 可視度(visibility) として現れます。実際、電波天文学や光学干渉計では、遠く離れた望遠鏡同士で受けた信号の相関(干渉縞のコントラスト)から光源の構造を逆算しています。Van Cittert–Zernike定理はその理論的基盤であり、「干渉計で測ったコヒーレンス=空間強度分布のフーリエ変換」という関係式で表現されます。
HBT効果と二次のコヒーレンス:熱光はなぜ g(2)=2 になるか?
コヒーレンスの概念は時間的な強度ゆらぎ(光子の到着統計)にも拡張できます。1956年、ハンバリー・ブラウンとツイッス(Hanbury Brown and Twiss, HBT)は、星からの光を用いた有名な実験で強度干渉計を発明しました。これは光を二つの検出器で受け、その強度相関(同時に光子が検出される確率)を測るものです。HBT実験により、熱的な光源(スターライトやランプの光)の場合、時間差$\tau=0$での強度相関が強く、$g^{(2)}(0)$が2になることが示されました。この現象は 「光子バンチング(凝集)」 と呼ばれ、熱光では光子がランダムよりもまとまって検出されやすい(統計的に束になりやすい)ことを意味します。
なぜ熱光で$g^{(2)}(0)=2$となるのでしょうか?熱光は量子光学的にはボース=アインシュタイン分布に従う多光子状態で、光子数の分散が平均$\langle n\rangle$よりも大きく(具体的には$\langle (\Delta n)^2 \rangle = \langle n \rangle^2 + \langle n \rangle$となる)、ゆらぎが大きい状態です。HBT効果では、このゆらぎに起因する強度の自己相関が観測されたのです。実際、熱光に対しては一般に
$g^{(2)}(\tau) = 1 + |g^{(1)}(\tau)|^2$
という関係が成り立ちます。$\tau=0$では一次相関$|g^{(1)}(0)|=1$ですから、$g^{(2)}(0)=2$となるわけです。言い換えると、熱光は一次のコヒーレンスが完全でも(同じ場所・同じ時刻では当然そうなります)、強度ゆらぎの相関という点では最大限にランダム性を超えた束射効果を示すということになります。
対照的に、先述のコヒーレント状態(レーザー光など)はポアソン統計でしたから、$g^{(2)}(0)=1$で光子の到着には束になろうとする傾向がなく、完全にランダムな独立事象になります。さらに極端な例では、単一光子状態(光子数1の固定された状態、例えば単一光子源)では1つ検出された時点で次の光子は存在しないため$g^{(2)}(0)=0$となり、これをアンチバンチング(反束化)と呼びます。HBT強度干渉計は、このように光の統計性を測ることで、光源がレーザー的か熱的か、あるいは単一光子かといった光の量子状態を区別することを可能にしました。
-
天文観測の立場
- 星や銀河の光は「熱的放射」→多モード → $g^{(2)}(0)>1$。
- レーザーやメーザーは「コヒーレント状態」→モード数に依らず $g^{(2)}(0)=1$
-
観測との関係
- HBT干渉計での二次相関が観測できるのは、「光が熱的(ボース分布)」であることの指標。
- 逆に、もし宇宙からの光が本当に「コヒーレント状態」だったら、HBT効果は消えてしまう。(パルサーなどで電子の巨視的な運動よる「コヒーレント放射」など、理論はあるが、観測的に検証できてない。)
多モードの熱放射とポアソン統計:宇宙観測への応用
宇宙に目を向けると、ほとんどの天体はレーザーやメーザー(一種の宇宙レーザー)でもない限り熱的な放射(黒体放射に近いスペクトル)をしています。恒星や銀河からの光は、無数の原子や電子から放射された光の集合体であり、一つのモード(単一周波数・単一位相)ではなく極めて多数のモードの重ね合わせです。前節で述べた$g^{(2)}(0)=2$のバンチング効果は単一モードの熱光で顕著ですが、もし独立した熱的モードがたくさん集まったらどうなるでしょうか?結論から言えば、独立な光のモードが$M$個ある場合、強度相関は $1 + \frac{1}{M}$ まで低減されます。極端にモード数が多い場合($M \to \infty$)、$g^{(2)}(0)$は1に近づき、統計はポアソン分布に収束します。これは、多数の独立な光源からの寄与が重なれば、ゆらぎが平均化されて 「大数の法則」的に安定な出力(比例光) になることを意味します。
宇宙の熱的放射はまさにこの多モードの極致と言えます。例えばX線天文学では、天体からのX線光子の到着はしばしばポアソン過程(完全にランダムな到着事象)であると仮定されています。観測では一つ一つのX線光子を検出し、その数は平均的な到着率に従ってポアソン分布すると考えるのが一般的です。これは、X線源となる高温プラズマ中の無数の粒子からの放射が独立しているためで、結果として全体の光子到着は相互に相関のないランダム過程になるからです。
同様に、可視光や赤外で観測する恒星の放射も、厳密には各原子・分子が放つ無数の微小な光束の足し合わせと見做せます。こうした多モードの熱放射では、HBT効果によるバンチングは単一モードの場合ほど顕著ではなく、観測上はほぼ$g^{(2)}(0)\approx 1$(ポアソン統計)と見積もられることが多いです。実際、1960年代に行われた可視光のHBT実験では、ごく狭帯域の光と明るい星(アークトゥルス)を用いてようやく数%程度の相関を検出しましたが、それ以降の天文学的観測では強度相関よりもむしろ干渉計による振幅(一次)相関測定の方が主流となりました。可視光の直接干渉のアプローチではCHARAが有名です。
近年になって、高速検出器を用いた光子相関による量子天文学の試みも復活しつつあります。下記で、未来の宇宙干渉計のアイディアについて簡単に紹介します。
古典的な HBT 強度干渉計が衰退した理由と現代版LPIの登場
宇宙強度干渉計について再度挑戦が始まろうとしているようです。
HBT型強度干渉計と LPI プロジェクトの比較
1. 古典的 HBT 強度干渉計(1950〜60年代)
-
原理
二つの望遠鏡に到来した光子の「到着時間の同時性(相関)」を調べる。
→ 実際には $g^{(2)}(\tau=0)$ を測定する。 -
必要条件
- 「同時に光子が2つの望遠鏡に入る」=光子到着レートが十分に高いこと。
- 古典的な光電子増倍管でナノ秒レベルの時間分解能しかなかったため、ほとんどの天体では検出が困難。
-
制約
- 高い時間分解能がないと見かけの同時計数は雑音に埋もれる。
- 結果として、非常に明るい星(シリウスなど)にしか使えなかった。
- S/N は「光子数レート × 相関の強さ × 観測時間」で決まり、暗い星では桁違いに長時間が必要。
2. 現代版:LPI (La Palma Interferometer)
-
新しい検出器技術
- SPAD (Single-Photon Avalanche Diode) → ピコ秒精度で単一光子を検出可能。
- 光子到着時間をナノ秒以下の精度で記録できるので、相関信号を効率的に積分できる。
-
システム技術
- GPSや専用クロックによるピコ秒精度の時間同期。
- 大面積の既存望遠鏡(Cherenkov 望遠鏡など)をアレイ化して「受光面積」を大幅に増大。
-
メリット
- 古典的 HBT に比べて S/N が大幅に改善。
- かつては「めっちゃ明るい星」しか測れなかったのが、数等級暗い星にもアクセス可能になりつつある。
- 可視光でハッブル級の角分解能(ミリ秒角〜数十マイクロ秒角)を実現可能と期待。
3. 仕組みの違いを数式で整理
-
HBT で測定する量
$$
g^{(2)}(\tau) = \frac{\langle I_1(t) I_2(t+\tau) \rangle}{\langle I_1(t)\rangle \langle I_2(t)\rangle}
$$- $\tau=0$ のとき、空間的コヒーレンスが高い(=有効モード数が少ない)ほど、 $g^{(2)}(0) > 1$。
- 光子数が少ないと、分子(同時計数)が検出限界に沈む。
-
S/N 比の近似
$$
\mathrm{S/N} \propto \sqrt{N_{\text{pairs}}} \cdot |g^{(2)}(0)-1|
$$ここで $N_{\text{pairs}}$ = 観測時間内の有効光子ペア数。
→ 古典的 HBT は $N_{\text{pairs}}$ が小さすぎて問題だった。 -
現代版の改良
- SPAD + 高速クロック → $N_{\text{pairs}}$ を効率的にカウント
- 大望遠鏡アレイ → 光子数レートを大幅に増加
4. まとめ表
項目 | 古典的 HBT (1950–60s) | LPI (2020s–) |
---|---|---|
検出器 | 光電子増倍管(ns分解能) | SPAD(ps分解能) |
同期 | 電気的配線のみ | GPS/原子時計による遠隔同期 |
対象天体 | ごく明るい恒星のみ | 暗い恒星・銀河核も視野に |
必要光子レート | 高(10⁶〜10⁷/s レベル) | 改良により10²〜10³/sでも長時間積分で可能 |
角分解能 | ミリ秒角級 | ハッブル級〜将来的にはマイクロ秒角 |
古典的 HBT 強度干渉計は「同時に光子が2つ来る必要」があったため、明るい恒星にしか使えませんでした。
しかし LPI は
- 高速・高感度の光子検出器、
- 大規模望遠鏡アレイ、
- 高精度の時間同期
によって、この制約を大幅に緩和しています。その結果、「HBT型強度干渉計」の原理は同じでも、対象天体の明るさ制限が大幅に緩んで実用的になったのが現代版の特徴です。
Quantum VLBI も登場
最近では、離散量や連続量を用いた量子VLBIのアイディアや実験も活発に議論されています。エンタングルした光子(あるいはスクイーズド光)を非局所的に相関を取るというアイディアです。
まとめ
以上の議論を整理すると、「コヒーレント」という言葉の指す内容は量子光学と宇宙観測(波動光学)で大きく異なることが分かります。
- 量子光学におけるコヒーレント状態 – 光子消滅演算子の固有状態で、ポアソン分布($g^{(2)}(0)=1$)を示す。レーザー光の理想モデルであり、検出イベントに相関がない(完全な独立統計)。
- 波動光学(天文学)におけるコヒーレンス – 光波の位相が揃って干渉できる性質を指す。Van Cittert–Zernike定理により、遠方では光源の角サイズに応じた部分的な空間コヒーレンスが生じ、干渉計で測定可能。
- 強度干渉計と統計的コヒーレンス – HBT効果により、熱光では光子がバンチングし$g^{(2)}(0)=2$、コヒーレント光では$g^{(2)}(0)=1$、単一光子では$g^{(2)}(0)=0$となることが確認された。これは光の量子状態の違いによる。
- 宇宙からの光の統計 – 星や銀河の放射は多モードの熱的光であり、複数の独立した発光が重なっているため統計的にはほぼポアソン分布に従う(事実上$g^{(2)}(0)\approx1$)。宇宙背景放射など黒体放射も、単一モードの理想熱光とは異なり、多モードの平均化でゆらぎが抑えられる。
最後に、ラムの言葉に戻れば、「光子」という概念にとらわれすぎず、状況に応じて波としてのコヒーレンスと粒子としての統計の両面から光を理解することが大切だと言えるでしょう。量子光学と天文学、それぞれの文脈で培われてきた「コヒーレント」の概念を行き来することで、光の本質への理解が一層深まるはずです。