作ろうと思ったきっかけについて
※読み飛ばしOK
2022年に生成AIが流行り始めてからというもの,世はまさに生成AIブームといえます.
その波はビジネスの世界にも影響を与えており,どの会社でもAI活用が叫ばれ,「リスキリング」という言葉が使われることもあります.
もはや単にAIと会話するだけでは古い.「AIエージェント元年」と呼ばれた2025年には,複雑なタスクをこなせる「AIエージェント」が脚光を浴びました.
僕も学生時代からAIには興味がありましたので,Qiitaで最新記事を追うなどしてAI動向には目を光らせていました.
…というとカッコいいんですけど,実際にはトレンドに上がってきた記事をただ読むだけ.
AI関連のワードは何となく入ってきますが,それが何なのか,どう便利なのか,どう使うのか,感覚的なところは何も理解していません.
プログラミング学習でもそうですよね.インプットとアウトプットは5:5の比率がよいとされます.
今までの僕は,インプットばかりで実践せず知識だけ持っている状態でした.
ということで,「とりあえず何か触れてみよう」というざっくりしたテーマから始まりました.
作成したもの
実は,僕は小説を書いています.
過去に書いた小説について,その内容を思い出したいときがあります.
しかしそのためにわざわざ全部読み直す,または該当箇所を探すのは面倒なので,AIに尋ねられるようにしようと考えました.
手順としては以下の通り.
- 小説の内容を分割して保存する
- 分割された文章のうち,ユーザーから問い合わせられた話題に関連の強い文章を取得するMCPサーバを作成する
- AIに尋ねることで小説の内容を説明してもらう
ちなみに,今回使用する小説は処女作『夢』です.読みたい人は以下から読んでね.三日目まであるよ.
この記事を読むためにとりあえずあらすじだけ知っておきたいという方はこっちの方がオススメ.
環境
使用したものは以下.
Python
小説の内容を分割して保存するときに使います.
- Python 3.14
- openai 2.15.0
- sqlite-vec 0.1.6
TypeScript
MCPサーバに使います.
- typescript 5.9.3
- @modelcontextprotocol/sdk 1.25.3
- better-sqlite3 12.6.2
- openai 6.16.0
- zod 4.3.6
Ollama
エンベディングに使います.
小説の内容をベクトル化して保存する時と,ユーザーの問い合わせをベクトル化する時.
- Ollama 0.13.5
Claude Desktop
実際の会話のインターフェースとして使用します.
- Claude Desktop 1.1.799
ソース
小説の内容を分割して保存する
小説の内容はプレーンテキストで保存しているので,普通にテキストで取得してから分割します.
その内容をベクトル化したものと一緒にデータベースへ保存しておき,類似度検索できるようにします.
分割の単位について,この小説は「一日目」「二日目」「三日目」に分かれているので,その単位で分割することを考えていました.
しかし,エンベディングする文字列として長すぎる旨のエラーが出ました.
そこで,僕の小説が「*」で分割されていることを利用して,そこでチャンクを分けることを考えました.
しかしこの長さでも,区切りによっては「長すぎる」エラーが出ます.
という事で,エラーが出たらチャンクをさらに二つに分割して,それぞれで保存するようにします.
ちなみにデータベースはsqlite3を使用します.
sqlite3-vecというライブラリを使用すれば,ベクトルデータの保存が可能です.
import struct
import sqlite3
import sqlite_vec
import openai
# データ変換
def serialize(vector):
# float配列をbyteデータにする
return struct.pack(f"{len(vector)}f", *vector)
# 真ん中に近いピリオドで分割した文字列を返す
def split_middle(text):
middle = len(text) // 2
i = 1
char = text[middle]
while char != ".":
char = text[middle + i]
i += 1
return text[:middle + i], text[middle + i:]
# データベースファイルを開く
db = sqlite3.connect("データベースファイルのパス.適当に設定してね")
db.enable_load_extension(True)
sqlite_vec.load(db)
db.enable_load_extension(False)
cur = db.cursor()
# 保存先テーブルを作成する
cur.execute("drop table if exists vec")
cur.execute("""
create virtual table if not exists vec using vec0 (
embedding float[768],
content text
)
""")
# ollamaへの接続を用意
client = openai.OpenAI(
base_url="http://localhost:11434/v1",
api_key="anything",
)
# コーパスから全文取得
with open("corpus/夢.txt", "r", encoding="utf-8") as fp:
data = fp.read()
# チャンクに分ける
chunks = data.split("""
*
""")
for chunk in chunks:
# エンベディング実行
try:
chunk = [chunk]
embeddings = client.embeddings.create(
model="nomic-embed-text",
input=chunk,
)
except:
chunk = split_middle(chunk[0])
embedding = client.embeddings.create(
model="nomic-embed-text",
input=chunk,
)
# エンベディングしたデータを登録する
for embedding, content in zip(embeddings.data, chunk):
cur.execute(
"insert into vec (embedding, content) values (?, ?)",
[serialize(embedding.embedding), content]
)
# コミット
db.commit()
# ファイルを閉じる
db.close()
これで,分割した文章とそれをベクトル化したデータがデータベースに保存されました.
分割された文章のうち,ユーザーから問い合わせられた話題に関連の強い文章を取得するMCPサーバを作成する
では,ユーザーの問い合わせに関連のある文章を返す部分です.
「RAGでいいのでは?」と思われるかもしれませんが,今回は以下の理由でMCPサーバを作成することになっています.
- 一つの小説をチャンクに分けたかった
- sqliteを使用してのあいまい検索が難しそうであった
- MCPやってみたかった
- あとエンベディングもやってみたかった
という事でソースをドーンと貼ってしまいます.
import { z } from 'zod';
import { McpServer } from '@modelcontextprotocol/sdk/server/mcp.js';
import { StdioServerTransport } from '@modelcontextprotocol/sdk/server/stdio.js';
import Database from 'better-sqlite3';
import * as sqliteVec from 'sqlite-vec';
import { OpenAI } from 'openai';
// サーバーのインスタンスを作成
const server = new McpServer({
name: 'novel-mcp',
version: '1.0.0',
});
// ツール追加
server.registerTool(
'get_novel_info',
{
title: '小説の一部を取得する',
description: '小説『夢』に記載されている文章のうち,指定された話題に近い記述を抜き出して最大10件取得します.',
inputSchema: {
content: z.string().min(1).describe('話題'),
},
outputSchema: {
chunks: z.array(
z.string().describe('小説内の一部の文章')
),
},
},
async ({ content }) => {
// データベース情報を取得
const db = new Database('データベースのパスを入れてね.フルパスじゃないと動かないかも');
db.loadExtension(sqliteVec.getLoadablePath());
// ollama準備
const client = new OpenAI({
baseURL: 'http://localhost:11434/v1',
apiKey: 'anything',
});
// エンベディング実行
const response = await client.embeddings.create({
model: 'nomic-embed-text',
input: [content], // 長すぎるとエラーになるが,一旦考えない
});
// 結果取得
const stmt = db.prepare(`
select
content,
vec_distance_cosine(embedding, vec_f32(?)) as distance
from
vec
order by distance asc
limit 10
`);
const records = stmt.all(new Float32Array(response.data[0].embedding));
const data = {
chunks: records.map(record => record.content)
};
return {
structuredContent: data,
content: [
{
type: 'text',
text: JSON.stringify(data),
},
],
};
}
);
// 実行メイン関数
async function main() {
// stdioトランスポート(標準入出力)を作成
const transport = new StdioServerTransport();
// サーバーをトランスポートに接続して開始
await server.connect(transport);
}
main().catch((error) => {
console.error('Server error:', error);
process.exit(1);
});
AIに尋ねることで小説の内容を説明してもらう
あとは上記で作成したMCPサーバをClaude Desktopに設定するだけです.
簡単ですね.
ちょっとハマったなんて言えない
{
// 省略
"mcpServers": {
"novel": {
"command": "npx",
"args": [
"tsx",
"index.tsのフルパスを書いてね"
]
}
}
}
実際の動作
※ここから先は,小説『夢』に関するネタバレを含みます.
さて,では早速質問していきましょう.
AIに対する質問として選んだのはこちら.
小説『夢』に登場する「僕」の親について,どのような性格であるのか分析して
あえて難しいお題にしてみました.
プロンプトエンジニアリングとしては,「~~の観点から分析して」「~~形式にまとめて」「ここで,『僕』の親とは~~」のように色々な情報を付加したい所ではありますが,この曖昧な指示でどんな回答が来るか,どのように検索してくれるか,それを試す意味でシンプルな質問になっています.
また,小説を読んでくださった方は分かると思いますが,この作品において主人公の両親は重要な役割を担っています.主役二人と比べてセリフは少ないものの,主人公の人格形成に大きな影響を及ぼしており,作品全体の雰囲気すら左右していると思います.果たしてAIがその辺りの機微も読み取ってくれるかどうか.
そしてAIの回答がこちら.
ちなみにモデルはSonnet 4.5です.
小説『夢』に登場する「僕」の親について分析するため、まず作品から関連する記述を探してみます。
{
`content`: `僕の父 親 母`
}
取得できた配列はこんな感じ.
[
"\n「ねえ,もう少しだけ遡ってみようよ」\n「遡る? 時間をか?」\n「そう.君が生まれたその日まで.せっかくだから見ておきたいと思わない?」\n「……」\n「きっと,いいものが見られるよ.だからお願い,ね,ね,いいでしょ?\n つまらなかったらすぐに帰ればいいんだし」\n「そうだな,じゃあ少しだけ,見に行ってみようか──」\n",
"\n「お風呂は私と一緒に入っちゃいましょうね」\n とにかく今日の母は上機嫌だ.こんな誘いを彼女に苦笑いで拒否されてもまだ機嫌がいい.\n「じゃあ,お風呂から上がったらドライヤーかけてあげるから.私が上がってきたときもドライヤーお願いね」\n もしかしたら,彼女のことを本当に自分の娘のように思っているのかもしれない.\n もし僕が男ではなくて女だったなら,母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか.\n",
"\n 階下に降りると,ちょうど母と彼女が朝食の準備をしているところだった.\n「あ,今起きたんだ! 寝坊助さん」\n 彼女が僕の方を見てなぜかニヤニヤと楽しそうに言う.\n「お前が起きるのが早すぎるんだよ」\n 出来るだけ気取って答えると,彼女は「ふふっ」と笑った.\n「気づいてないの?」\n「え?」\n「君の寝ぐせ,とんでもないことになってるよ」\n「ええ?」\n 慌てて洗面所に行き,鏡に向かうと,彼女の言う通りご機嫌な髪形が顔を覗かせた.前髪はぐしゃぐしゃだし,後ろ髪は重力に逆らって植物のように上へ伸びている.\n これは,笑われるわけだ.\n 時間はかかったがなんとか寝癖を直して戻ると,もう朝食の準備はあらかた終わっており,みんなが食卓に並んでいた.\n どうやら彼女は母から色々と教わりながらの料理だったらしい.母は「この子ったらかなり覚えが早いのよ」と上機嫌だった.\n 彼女が作った卵焼きは,巻くことこそ何とか成功している風だったが,等間隔に切れておらず右から左に行くにつれてだんだん細くなっていた.\n「すごくおいしいよ」と褒めると彼女は素直にうれしそうな顔をした.\n その卵焼きは,ほとんど僕と母が食べた.\n",
"\n 夕食はすき焼きだった.\n 兄たちは泊まらずに,日が出ているうちに帰って行ったらしい.お土産として仕事仲間から貰ったという牛肉をくれたらしい.\n「とてもいいお肉なのよ」と母は上機嫌だった.\n「さあどんどん食べなさいね」と白菜やシイタケや春菊や肉を次々と彼女の取り皿に入れていた.\n 彼女はあまり食欲がなさそうだったが,受け取った分はすべて食べていた.\n",
"\n 家には帰らず,近所のラーメン屋で昼食をとった.\n 駅の近くにあり,小学生だった僕らが毎日素通りする背景だったラーメン屋だ.\n 彼女は子供用の小さなサイズのものを頼んで少しずつ小皿に分けながら食べていたが,あまり食欲がないらしく半分近く残した.\n 僕は豚骨ラーメンを頼んでいたが,あまり満腹にならなかったので彼女の残した分も食べた.\n 昨日運動したからだろうか,いつもより食欲があった.\n",
"\n そこは病室だった.\n ドラマやアニメの感動するシーンでよく見るような.\n 憔悴しきった母が弱々しく笑っている.\n 興奮冷めやらぬ様子の父が真っ赤な赤ん坊の顔を覗き込んで笑っている.\n 僕と彼女は,同じ部屋にいながら,何も言わずにそれを眺めている.\n 立ち呆けている僕たちを気にする者はいない.彼らには僕たちが見えていない.\n「あなた,名前はちゃんと考えてきてくれたんでしょうね」\n はしゃいでばかりいる父に母が言う.父は赤ん坊の方を見ながら答えた.\n「ああ,考えてきた.『あつし』だ.字は『危篤』の『篤』な」\n「ちょっと,もう少しいい例えはなかったの.由来はあるんでしょうね」\n「もちろんあるさ.この字には,誠実だとか,真面目だとか,人情に厚いみたいな意味があるんだ」\n「色々調べたのね」\n「この子は,きっと優しい子になるよ.いざとなったら,自分を犠牲にしてでも他人を助けてしまうくらいには」\n「あんまり不吉なこと言わないでよ」\n「不吉じゃないぞ,姓名診断だってかなりよかったんだ」\n「あなた,昔はそんなもの信じてなかったじゃない」\n 母はまた笑って,言った.\n「あつし.森田篤.いい名前じゃない」\n 僕と彼女は,どちらからともなく手を繋いだ.\n 固く,固く繋ぎ合った.\n",
"\n 兄の部屋に,昨日のように布団を二組敷いた.\n カーテンを少し開けて,大きな窓からふたりで夜空を見上げた.\n「流れ星,ないね」\n「そう簡単には見つからないさ」\n 流れ星は見当たらなかったが,快晴なのもあって昨日よりもよく星が見えた.\n「じゃ,今夜は頑張ってね」\n 彼女がおどけるように僕を見上げながら言う.\n「ああ,頑張るよ」\n 僕も少しふざけて答えた.\n 今日は,すぐには寝付けないかも知れない.\n",
"\n「ふふ,ボロっちくなっちゃったね」\n 我慢できずに駆け出した彼女が,くるくると周りを見渡しながら言う.\n 両親はもともと用事があったそうで出かけてしまい,残された僕たちは,二人がいつも集まっていたあの公園に行ってみようということになったのだ.\n 公園自体はあの頃のまま残っていたが,休日だというのに特に人はいなかった.\n きっともう何年も,誰もこの公園で遊んでいないのではないかという気がした.\n 二つだけ並んでいるブランコは,鎖が錆びつき,支柱部分はところどころ塗装が剥がれている.このブランコで遊んだら,きっと手に鉄の臭いが染みついてなかなか取れなくなってしまうだろう.象を模した滑り台は,もともと鮮やかではなかったピンク色がさらに抜けて,何度も踏みにじられた雪のように汚い色になっている.滑り台の出口にある砂場は雑草が生い茂り,もはや砂場と砂場ではないところの違いが分からない.申し訳なさそうに並ぶそれらの遊具を端に追いやって公園の大半を占めているグラウンド部分も雑草まみれだ.サッカーやゲートボールは絶対に出来ないだろう.\n 遊具だけではない.公園を囲う柵は押せば壊せそうなほど頼りない.入り口に立つ看板も文字の判別がほとんどできない状態になっていて,もはや看板としての役割を果たせていない.\n 正直,見ていて気持ちのいいものではなかった.彼女も,少し見渡しただけで飽きたようにつまらない表情になっていた.\n 不変なものなんてないと分かっていても,思い出の場所の変わり果てた姿は心が痛かった.\n その時,公園の入り口から誰かが入ってくるのが見えた.夫婦と小さな子供.母親は妊娠しているようで大きなお腹を抱えて辛そうに歩いている.小さな子供は男の子.まだ二歳か三歳くらいだろうか,母親と父親の間を行ったり来たりするようによちよち歩いている.そして,父親は──僕の兄だった.\n",
"\n アラームが鳴った.\n 午前六時のアラームだ.\n スマホのアラーム設定を切っておくのを忘れていた.\n 大きな窓から差し込む陽の光には,昨日のような攻撃的な強さはない.\n カーテンを開いてみると,曇り空が広がっていた.雨が降りそうというほどではないが,昨日ほど気温が上がることもないだろう.\n ふと隣の布団を見ると,昨日一緒に寝たはずの彼女がいない.\n 昨日のように先に起きたのではない.彼女は,彼女がいるべき世界に帰ったのだ.\n 予感はあった.きっと,このあたりが潮時なのだろうと思う.\n 階下に降りると,母が朝食の用意をしているところだった.\n 彼女がまだ起きてこないことを聞かれたので,今朝早いうちに上司が迎えに来たのだと嘘を吐いた.\n あまりに非常識な嘘だったが,母は疑う様子もなく残念そうにしていた.\n 端正に切りそろえられた卵焼きが机の中央に鎮座する朝食をとり,僕は自分の家に帰ることを両親に告げた.\n 父は「そうか」とだけ言って頷き,母は「気を付けてね」と言った.\n 家の裏に無造作に停めていたクロスバイクにカギを挿す.道路まで押して歩く.車輪がチリチリと軽い音を奏で,抵抗なく進んでいく.僕が自転車を押しているはずなのに,自転車が僕の歩みを杖のように補助してくれているような感覚になる.相棒のような心強さがある.\n メッセンジャーバッグをリアキャリアに括り付ける.身軽になった僕は,ひょいとサドルにまたがる.\n ペダルを踏む.年季の入ったアルミ製のペダルがギシャリと小気味のいい音を立て,僕の想いに呼応するようにクランクが回る.連れ添った年月の長さを感じさせるチェーンが確実に動力を伝達し,軽いタイヤが滑らかに回りだす.\n 軽い.\n 一人で自転車に乗るとこんなにも軽いのかと思った.今ならいくらでも速く,いくらでも遠くへ走れる気がする.\n 空を見上げると灰色の雲が陰鬱に広がっている.でも,このくらいの方が涼しくていい.\n 行きは上った道を,今度は下る.\n ハンドルを握る僕の手を優しく包み込むように風が吹く.風圧に負けじと前を見つめると,いろいろなものが視界に映っては消えていく.\n 今まで気づかなかったが,道路にはいろいろなものが落ちている.軍手の片方.コンビニで売っている袋菓子のゴミ.マスク.もともと何だったのかよく分からない布切れ.\n 落とし主は,落としたことに気づかなかったのだろうか.気づいたが,拾うほどでもないからそのままにしたのだろうか.不要になったからわざと捨てたのだろうか.\n 僕はそれらを見つけるたび,自転車を止めて拾い,メッセンジャーバッグに詰めた.バッグが中身で膨らめば膨らむほど僕の悲しみも膨らむようだった.\n 自転車に乗っていると,自然とメロディが頭の中に流れてくる.\n 昔見ていたアニメの,当時そんなに夢中になった記憶もない,フルバージョンを知っているわけでもない曲のワンフレーズ.\n \n きみだけが過ぎ去った坂の途中は\n あたたかな陽だまりがいくつもできてた\n 僕ひとりがここで優しい温かさを思い返してる\n \n Liaの『時を刻む唄』.ずっと一緒にいた恋人が死んでしまい,唐突に一人の世界に放り出されてしまったことに悲しみ,二人でいた頃を懐古するような曲.\n 下り坂が終わる.平地に戻る.もう,惰性では進めない.ペダルを踏み込んで,目の前を睨んだ.\n",
"\n「あれ,どうしてこんなところに来たの?」\n 彼女が楽しそうに聞く.この人はどんな時でも楽しそうだった.\n ここは家の近くにあるカフェの前で,今まさに扉を開けようとしているところだった.\n 僕はしゃがみ込み,彼女と目線を合わせて言った.\n「いろいろと分からないことはあるけど,その中でも重大なことが残っている」\n「?」\n「お前が魔法によってその姿になって僕のもとに来たことは分かった.でも,魔法で来たということは,もしかしたら,僕以外の人間にはお前の姿が見えないかもしれない」\n「そうだね,まだ君としか会っていないから,確かにそれは不明だね」\n「だから手っ取り早い方法として,何か店に入って,店員の反応を見るのがいい.それに,調査の前にまず腹ごしらえだよ.僕はまだ朝食をとっていない」\n「そうだね.でもひとついい?」\n「なんだ?」\n「もし私の姿がほかの人に見えなかったとしたら,今の君,すごく不審者だよ」\n 僕は即座に立ち上がり,訳もなく手の甲をズボンの尻でごしごし擦った.\n 彼女がいたずらっ子のように笑っているのが見なくても分かる.\n「入るぞ」\n 僕は自分に言い聞かせるように,カフェの自動ドアをくぐった.\n"
]
この情報だけでは不十分と感じたのか,追加で以下のようにツールを呼び出していました.
もう少し具体的な情報を探してみます。
{
`content`: `母 上機嫌 性格`
}
[
"\n「お風呂は私と一緒に入っちゃいましょうね」\n とにかく今日の母は上機嫌だ.こんな誘いを彼女に苦笑いで拒否されてもまだ機嫌がいい.\n「じゃあ,お風呂から上がったらドライヤーかけてあげるから.私が上がってきたときもドライヤーお願いね」\n もしかしたら,彼女のことを本当に自分の娘のように思っているのかもしれない.\n もし僕が男ではなくて女だったなら,母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか.\n",
"\n 兄の部屋に,昨日のように布団を二組敷いた.\n カーテンを少し開けて,大きな窓からふたりで夜空を見上げた.\n「流れ星,ないね」\n「そう簡単には見つからないさ」\n 流れ星は見当たらなかったが,快晴なのもあって昨日よりもよく星が見えた.\n「じゃ,今夜は頑張ってね」\n 彼女がおどけるように僕を見上げながら言う.\n「ああ,頑張るよ」\n 僕も少しふざけて答えた.\n 今日は,すぐには寝付けないかも知れない.\n",
"\n 午後は,生きていれば彼女も通うはずだった中学校へ向かった.と言っても,外から眺めただけだが.\n グラウンドでは野球部がどこかの学校を招いて練習試合をしていた.得点板は遠くて見えなかった.\n 練習試合といえど,生徒たちは一所懸命にプレイしているようだった.一つ一つのプレイには雄たけびのような歓声が上がっていたし,一人一人が必死になって走っているように見えた.\n 僕が中学生だったころはそうでもなかったと記憶しているが,今は監督が厳しくなっているのだろうか.それとも強豪校になったのだろうか.夏の大会の予選が近いのかもしれない.\n ゴールデンウイークなのに仕事なんて大変だな,と,少しだけ顧問を憐れんだ.\n 彼女はそんな様子を食い入るように眺めていた.\n 少し,羨ましそうでもあった.\n",
"\n 夕食はすき焼きだった.\n 兄たちは泊まらずに,日が出ているうちに帰って行ったらしい.お土産として仕事仲間から貰ったという牛肉をくれたらしい.\n「とてもいいお肉なのよ」と母は上機嫌だった.\n「さあどんどん食べなさいね」と白菜やシイタケや春菊や肉を次々と彼女の取り皿に入れていた.\n 彼女はあまり食欲がなさそうだったが,受け取った分はすべて食べていた.\n",
"\n 階下に降りると,ちょうど母と彼女が朝食の準備をしているところだった.\n「あ,今起きたんだ! 寝坊助さん」\n 彼女が僕の方を見てなぜかニヤニヤと楽しそうに言う.\n「お前が起きるのが早すぎるんだよ」\n 出来るだけ気取って答えると,彼女は「ふふっ」と笑った.\n「気づいてないの?」\n「え?」\n「君の寝ぐせ,とんでもないことになってるよ」\n「ええ?」\n 慌てて洗面所に行き,鏡に向かうと,彼女の言う通りご機嫌な髪形が顔を覗かせた.前髪はぐしゃぐしゃだし,後ろ髪は重力に逆らって植物のように上へ伸びている.\n これは,笑われるわけだ.\n 時間はかかったがなんとか寝癖を直して戻ると,もう朝食の準備はあらかた終わっており,みんなが食卓に並んでいた.\n どうやら彼女は母から色々と教わりながらの料理だったらしい.母は「この子ったらかなり覚えが早いのよ」と上機嫌だった.\n 彼女が作った卵焼きは,巻くことこそ何とか成功している風だったが,等間隔に切れておらず右から左に行くにつれてだんだん細くなっていた.\n「すごくおいしいよ」と褒めると彼女は素直にうれしそうな顔をした.\n その卵焼きは,ほとんど僕と母が食べた.\n",
"\n「さあ,遠慮しないでどんどん食べなさいね」\n 今日の母は上機嫌だ.\n「私ね,本当は娘が欲しかったのよね」\n そう言いながら彼女の小皿に次々とおかずをよそう.ぶりの刺身,れんこんや里芋の煮物,鯛の焼いたもの,から揚げ…….\n この家は四人家族で,僕の上に兄がいる.年は二つしか違わないが,中身は全くと言っていいほど違う.優秀な兄だ.証券会社に勤め,同期の中でも抜きん出た業績を残しているらしい.話を聞く限り上司からも気に入られているようだ.\n「娘といえば,お兄さんとこの出産予定日はもう来月なんだってね」\n 母は嬉しそうに父に報告する.母は兄のことを「お兄さん」と呼ぶ.母は兄の前で僕のことを何と呼んでいるのだろうか.少なくとも僕と兄がいる場で,母が僕について話しているところを見たことがない.\n 父はコクリと頷くだけで,特に返事はしない.でもその仕草は,満足しているようにも,自分のことのように誇っているようにも見える.あまり口には出さないが態度には出る人だ.兄が結婚どころか彼女の気配すら見せなかった二十代前半の頃はいつも険しい顔をしていた.彼女の気配すらないのは今の僕も同じなのだが,それについて何か反応を見せたことはなかった.そもそも,恋人がいるかどうかを聞かれた記憶もない.\n「お兄さんったら,名前をどうすればいいかってずっと相談してくるのよ.二人目なんでしょ,もう慣れてるでしょって言っても『慣れることはない,名前を決めるなんて責任が重大すぎる』なんて言っちゃって,可愛いところあるんだから」\n 久しぶりに帰った僕の,今の生活が話題に上がることはない.まるで知らない家庭の内輪話を聞いているようだ.\n「悩んで決めさせればいい.親の願いを名前に込めたって子供には通じないものだ」\n 父はワサビの山を箸で崩しながら言う.\n 僕の名前にはどんな願いが込められているのだろう.そもそも願いは込められているのだろうか.幼い頃から今だって,両親が僕に何か期待したことなんて一度もなかった.\n「そうは言ってもね,あんた,お兄さんの気持ちも考えなさいよ.あの子変に真面目なんだから,きっとどうでもいいことまで考えてるわよ」\n 母は,さっきは笑っていた兄を今度は擁護する.父は,また「放っておけ,俺たちの子供ではないんだから」というようなことを言う.母は,対抗するように「子供ではないけど孫ではあるでしょ,全くの無関係ってわけではないの」と反論する.\n こういう言い合いの時に,両親のどちらかが僕に意見を求めてきたことも,記憶の限りでは一度もなかった.\n",
"\n「ねえ,もう少しだけ遡ってみようよ」\n「遡る? 時間をか?」\n「そう.君が生まれたその日まで.せっかくだから見ておきたいと思わない?」\n「……」\n「きっと,いいものが見られるよ.だからお願い,ね,ね,いいでしょ?\n つまらなかったらすぐに帰ればいいんだし」\n「そうだな,じゃあ少しだけ,見に行ってみようか──」\n",
"\n アラームが鳴った.\n 午前六時のアラームだ.\n 別に今日は六時に起きる必要なんかない.スマホのアラーム設定をオフにするのを忘れていた.\n 大きな窓から朝陽が差し込み,僕の顔を,頬を,まつ毛を照らしている.\n やはり太陽光は偉大だ.朝に弱い僕でも,だんだん頭が覚醒してくるのを感じる.\n 朝だ.\n 降り注ぐ陽の光は,僕の顔を照らすだけでは飽き足らず,部屋を舞う埃一つ一つまで丁寧に白く染める.舞い散る埃たちは,不規則に自由自在に動いて,まるでたくさんの幼子が思い思いにはしゃぎまわっているかのようだ.\n 飽きるまでそれを眺めてから,ゆっくりと体を起こす.窓の方を見ると,雲一つない晴天の中,太陽だけが自分の存在を激しくアピールしている.\n 今日は暑くなりそうだ.\n ふと隣の布団を見ると,昨日一緒に寝たはずの彼女がいない.僕より先に起きたのだろうか.昨日はカーテンを閉めて寝たはずだから,僕より早く起きた彼女が開けて行ったのだろう.\n 昨日運動したからだろうか,今日は寝起きがいい.ひとつ大きなあくびをし,体を伸ばした.\n",
"\n アラームが鳴った.\n 午前六時のアラームだ.\n スマホのアラーム設定を切っておくのを忘れていた.\n 大きな窓から差し込む陽の光には,昨日のような攻撃的な強さはない.\n カーテンを開いてみると,曇り空が広がっていた.雨が降りそうというほどではないが,昨日ほど気温が上がることもないだろう.\n ふと隣の布団を見ると,昨日一緒に寝たはずの彼女がいない.\n 昨日のように先に起きたのではない.彼女は,彼女がいるべき世界に帰ったのだ.\n 予感はあった.きっと,このあたりが潮時なのだろうと思う.\n 階下に降りると,母が朝食の用意をしているところだった.\n 彼女がまだ起きてこないことを聞かれたので,今朝早いうちに上司が迎えに来たのだと嘘を吐いた.\n あまりに非常識な嘘だったが,母は疑う様子もなく残念そうにしていた.\n 端正に切りそろえられた卵焼きが机の中央に鎮座する朝食をとり,僕は自分の家に帰ることを両親に告げた.\n 父は「そうか」とだけ言って頷き,母は「気を付けてね」と言った.\n 家の裏に無造作に停めていたクロスバイクにカギを挿す.道路まで押して歩く.車輪がチリチリと軽い音を奏で,抵抗なく進んでいく.僕が自転車を押しているはずなのに,自転車が僕の歩みを杖のように補助してくれているような感覚になる.相棒のような心強さがある.\n メッセンジャーバッグをリアキャリアに括り付ける.身軽になった僕は,ひょいとサドルにまたがる.\n ペダルを踏む.年季の入ったアルミ製のペダルがギシャリと小気味のいい音を立て,僕の想いに呼応するようにクランクが回る.連れ添った年月の長さを感じさせるチェーンが確実に動力を伝達し,軽いタイヤが滑らかに回りだす.\n 軽い.\n 一人で自転車に乗るとこんなにも軽いのかと思った.今ならいくらでも速く,いくらでも遠くへ走れる気がする.\n 空を見上げると灰色の雲が陰鬱に広がっている.でも,このくらいの方が涼しくていい.\n 行きは上った道を,今度は下る.\n ハンドルを握る僕の手を優しく包み込むように風が吹く.風圧に負けじと前を見つめると,いろいろなものが視界に映っては消えていく.\n 今まで気づかなかったが,道路にはいろいろなものが落ちている.軍手の片方.コンビニで売っている袋菓子のゴミ.マスク.もともと何だったのかよく分からない布切れ.\n 落とし主は,落としたことに気づかなかったのだろうか.気づいたが,拾うほどでもないからそのままにしたのだろうか.不要になったからわざと捨てたのだろうか.\n 僕はそれらを見つけるたび,自転車を止めて拾い,メッセンジャーバッグに詰めた.バッグが中身で膨らめば膨らむほど僕の悲しみも膨らむようだった.\n 自転車に乗っていると,自然とメロディが頭の中に流れてくる.\n 昔見ていたアニメの,当時そんなに夢中になった記憶もない,フルバージョンを知っているわけでもない曲のワンフレーズ.\n \n きみだけが過ぎ去った坂の途中は\n あたたかな陽だまりがいくつもできてた\n 僕ひとりがここで優しい温かさを思い返してる\n \n Liaの『時を刻む唄』.ずっと一緒にいた恋人が死んでしまい,唐突に一人の世界に放り出されてしまったことに悲しみ,二人でいた頃を懐古するような曲.\n 下り坂が終わる.平地に戻る.もう,惰性では進めない.ペダルを踏み込んで,目の前を睨んだ.\n",
"\n クロスバイクをマンションの駐輪場の一番奥に停めて,しっかりと施錠する.\n カギを挿して家のドアを開ける.数日ぶりなのに,随分長い間家を空けていたような気がした.\n メッセンジャーバッグをカバン掛けに仕舞い,机に向かう.\n 昨日と一昨日に見た夢は,どちらも未来に関するものだった.いくら魔法の力であっても,過去を変えることはできない.実際に夢の中でも過去を変えることはできなかった.\n なら,未来を変えればいい.\n 僕は,埃をかぶっていたノートパソコンを開いた.学生時代にレポート作成に使っていて,社会人になってほとんど使わなくなっても何となく捨てずに持っていたものだ.\n 小学生以来だが,小説を書いてみようと思ったのだ.もう一度だけ,夢を追ってみたいと思った.でも,急に思い立ったものだから特に書きたい題材があるわけではないしネタもない.\n だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う."
]
{
`content`: `父 性格 態度`
}
[
"\n 家には帰らず,近所のラーメン屋で昼食をとった.\n 駅の近くにあり,小学生だった僕らが毎日素通りする背景だったラーメン屋だ.\n 彼女は子供用の小さなサイズのものを頼んで少しずつ小皿に分けながら食べていたが,あまり食欲がないらしく半分近く残した.\n 僕は豚骨ラーメンを頼んでいたが,あまり満腹にならなかったので彼女の残した分も食べた.\n 昨日運動したからだろうか,いつもより食欲があった.\n",
"\n「ねえ,もう少しだけ遡ってみようよ」\n「遡る? 時間をか?」\n「そう.君が生まれたその日まで.せっかくだから見ておきたいと思わない?」\n「……」\n「きっと,いいものが見られるよ.だからお願い,ね,ね,いいでしょ?\n つまらなかったらすぐに帰ればいいんだし」\n「そうだな,じゃあ少しだけ,見に行ってみようか──」\n",
"\n 夕食はすき焼きだった.\n 兄たちは泊まらずに,日が出ているうちに帰って行ったらしい.お土産として仕事仲間から貰ったという牛肉をくれたらしい.\n「とてもいいお肉なのよ」と母は上機嫌だった.\n「さあどんどん食べなさいね」と白菜やシイタケや春菊や肉を次々と彼女の取り皿に入れていた.\n 彼女はあまり食欲がなさそうだったが,受け取った分はすべて食べていた.\n",
"\n「お風呂は私と一緒に入っちゃいましょうね」\n とにかく今日の母は上機嫌だ.こんな誘いを彼女に苦笑いで拒否されてもまだ機嫌がいい.\n「じゃあ,お風呂から上がったらドライヤーかけてあげるから.私が上がってきたときもドライヤーお願いね」\n もしかしたら,彼女のことを本当に自分の娘のように思っているのかもしれない.\n もし僕が男ではなくて女だったなら,母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか.\n",
"\n 兄の部屋に,昨日のように布団を二組敷いた.\n カーテンを少し開けて,大きな窓からふたりで夜空を見上げた.\n「流れ星,ないね」\n「そう簡単には見つからないさ」\n 流れ星は見当たらなかったが,快晴なのもあって昨日よりもよく星が見えた.\n「じゃ,今夜は頑張ってね」\n 彼女がおどけるように僕を見上げながら言う.\n「ああ,頑張るよ」\n 僕も少しふざけて答えた.\n 今日は,すぐには寝付けないかも知れない.\n",
"\n 午後は,生きていれば彼女も通うはずだった中学校へ向かった.と言っても,外から眺めただけだが.\n グラウンドでは野球部がどこかの学校を招いて練習試合をしていた.得点板は遠くて見えなかった.\n 練習試合といえど,生徒たちは一所懸命にプレイしているようだった.一つ一つのプレイには雄たけびのような歓声が上がっていたし,一人一人が必死になって走っているように見えた.\n 僕が中学生だったころはそうでもなかったと記憶しているが,今は監督が厳しくなっているのだろうか.それとも強豪校になったのだろうか.夏の大会の予選が近いのかもしれない.\n ゴールデンウイークなのに仕事なんて大変だな,と,少しだけ顧問を憐れんだ.\n 彼女はそんな様子を食い入るように眺めていた.\n 少し,羨ましそうでもあった.\n",
"\n クロスバイクをマンションの駐輪場の一番奥に停めて,しっかりと施錠する.\n カギを挿して家のドアを開ける.数日ぶりなのに,随分長い間家を空けていたような気がした.\n メッセンジャーバッグをカバン掛けに仕舞い,机に向かう.\n 昨日と一昨日に見た夢は,どちらも未来に関するものだった.いくら魔法の力であっても,過去を変えることはできない.実際に夢の中でも過去を変えることはできなかった.\n なら,未来を変えればいい.\n 僕は,埃をかぶっていたノートパソコンを開いた.学生時代にレポート作成に使っていて,社会人になってほとんど使わなくなっても何となく捨てずに持っていたものだ.\n 小学生以来だが,小説を書いてみようと思ったのだ.もう一度だけ,夢を追ってみたいと思った.でも,急に思い立ったものだから特に書きたい題材があるわけではないしネタもない.\n だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う.",
"\n「いらっしゃいませ.二名様でよろしいでしょうか?」\n 果たして,それは実にあっけなかった.\n「はい」とも「ああ」ともつかぬ曖昧な挨拶を返し,「空いてるお席にどうぞ」との言葉に甘えて,店の隅にある,パーテーションで区切られた二人用のスペースに向かい合わせで座ることにした.\n「さて,入ったからには何か注文しようか」\n モバイルオーダー用のタブレットを手に取り「モーニングセット」と書かれたボタンをタップすると,彼女は心底驚いたように言った.\n「こ,これ,なに? 画面を触って操作したの?」\n「? 初めて見た? モバイルオーダーだよ」\n「モアイ?」\n 彼女はいつも明るい人だったが,あまりふざける人ではなかった.今も嘘をついているようには見えない.\n「えっと,もしかしてだけど,お前,今の年齢以降の記憶がない……?」\n 彼女は当たり前のように答えた.\n「え? 今の年齢以降って,君にとっては過去かもしれないけど,私にとっては未来のことだよね?」\n「それは,今の時代のお前が魔法によってその姿になったってわけではなくて,二十年前のお前が,二十年前の姿のまま,ここへ来たってことか?」\n「そう.私は心も体も小学生の状態」\n 参った.僕はてっきり,「今の時代」の彼女が「二十年前の姿」になって僕のもとに来たのだと思っていた.しかし彼女ははっきりと言っていたではないか.「きっと二十年前の時代とかからこの時代に来たんだよ」と.\n 当初の目論見が外れ呆然としたが,ひとまず僕は適当なセットを,彼女はコーヒーが苦手なのでアイスの乗ったジュースを注文した.\n「マズいな……」\n 僕は思わず独り言ちたが,それはしっかり彼女にも聞こえていた.\n「マズいって,何が?」\n 僕はいったん頭の中で整理してから,考えていたことを話した.\n「お前,小学五年生になる前の春休みに,どこかに引っ越していったんだよ.春休みは会えなかったから,僕も五年生になるまでそのことを知らなかった.引っ越し後のことも引っ越し先の住所も僕は知らない.今日はひとまず引っ越し後にどうしていたのかをお前に聞く予定だったんだよ」\n「引っ越し? 私が?」\n「ああ,何も聞いてなかったのか?」\n「何も聞いていない.少なくとも『今の私』はね」\n ややこしいが,彼女の言う「今の私」というのは,二十年前当時の彼女のことだろう.\n「そういえばお前は,二十年前の何月からここに来たんだ?」\n「さあ? 分からないけど,たぶん春か秋じゃないかな.薄手の長袖着てるし」\n 秋から五月にワープしたというのは考えにくいから,彼女は二十年前の五月から来たと考えるのが妥当だろう.それなら引っ越しまで一年弱ある.親から引っ越しのことを何も聞いていなくても不思議ではない.もしかしたら引っ越し自体がまだ決まっていなかったかもしれない.仮に秋だとすれば約半年後.さすがに教えていてもいいと思うが,急に決まった引っ越しであれば,それもありうる.\n「そういえば,何がきっかけで君は私が引っ越ししたと知ったの? 引っ越し先の住所も知らないってことは,私は引っ越し後に君へ手紙を送ったりはしなかったんだね.それに引っ越し自体を知らなかったってことは,引っ越し理由も分からないまま?」\n 某名探偵と違って中身も子供なのに,やはり彼女は冴えている.\n「お前の引っ越しを知ったのは,近所のおばさんからだよ.お前が五年生の始業式に来なかったから,風邪でも引いたのかと思って家まで行ったんだ.そうしたら文房具屋はシャッターが閉まっていて,中に人がいる様子もなかった.どうすればいいか分からなくなっているところに隣のおばさんが来て,いろいろ教えてくれたんだ.\n まず,そのおばさんも引っ越しするなんて知らなかったこと.\n 次に,引っ越し先は誰も知らないと思われること.おばさんは,引っ越しの様子を見かけたからお前の家の引っ越しを知っただけで,お前の親から直接引っ越しについて伝えられたりはしていないそうだ.\n 手紙についてはお察しの通り,お前からは一通も来なかった.僕も住所を知らないから出しようがなくて,小学四年生の終業式で会ったのが,二人が話した最後だ.\n 引っ越し理由も知らない.たぶんおばさんも知らないだろう」\n「なるほどね.引っ越しが春休みということは,クラスでお別れ会みたいなものもなし,かな.もしかしたら春休みに入るまで,引っ越しのことを学校にすら伝えていなかったかもね」\n「あるいは,学校に連絡はしていたが,『生徒には伝えないでほしい』と頼んでいたか,だな.引っ越しによる転校には多分色々と手続きがいるはずだから,さすがに直前で伝えてどうにかなるものではないと思う」\n 僕がそう言うと,彼女は珍しく感嘆したような表情になる.頭の冴えで言えば彼女の方がうわてだと思うが,さすがにこればかりは大人と子供の差だ.この年齢差で勝って喜んでいるのも情けないが.\n「まとめると,こうだね.私は小学四年生の春休みに突然引っ越した.引っ越し先や引っ越し理由は不明.私が君に手紙を書かなかったのが,私自身の意思なのか両親に止められたのかは分からないけど,少なくとも私たち一家はあの学校や近所の人たち,そして君と一切の関係を断つつもりだった」\n「そうだ.つまるところお前がこれから過ごす二十年間のことは何一つ分からないし,それを解くための手がかりもない」\n 誰も知らない彼女の二十年間に何かがあったことはまず間違いないだろう.しかし,それを知るためのヒントが何も無いのであればどうしようもない.\n「……これは,長くなりそうだな」\n 五里霧中だ.お互い無言になった時,二人の注文した料理が届いた.\n",
"\n「これ,結構多いんだな……」\n すでに限界を迎えつつある腹をさすり,まだ半分近く残っているモーニングセットのパンケーキを睨む.\n 二十代に入ってから異様に落ち込んだ食欲はそのまま戻ることなく,重い料理になると一人前を食べきるのは難しくなってきてしまった.\n 今もそうだ.メニューの写真には比較対象がなかったから分からなかったが,値段から想像していたよりも大きめのパンケーキに僕の胃袋は降伏寸前だった.\n「ここ,家から近いんだよね? 量とか知らなかったの?」\n 彼女がアイスをつつきながら言う.いつになく上機嫌だ.考えてみれば,小学生にとってカフェなんてそう頻繁に来る場所ではないだろう.スイーツだって簡単には食べられない.嬉しいはずだ.\n「ここにカフェがあることは知っていたけど,入ったのは今日が初めてだよ.いつもはただの風景だった」\n「ふうん,なんで? アイスとかケーキとか,いろいろあるのに」\n「近い場所にあると興味が湧かないんだ」\n「大人はそういうものなんだね.お金があるから,好きなもの食べ放題なのに」\n 僕も子供のころは,お金をたくさん持っていて好きなものを買い放題な大人を羨ましいと思って見ていた.でもいざ自分が大人になってみると,体型だとか貯金だとか将来だとか,あるいは置く場所がないだとかどうせすぐに使わなくなるだとか,そういう余計な事ばかり考えてしまう.\n 人は,「今欲しい」「今食べたい」という気持ちを,一体何歳で忘れてしまうのだろう.\n「僕も子供のころはそう思っていたよ.でも,お金があっても物に興味を持てないんだ」\n 彼女は不思議そうに「ふうん」と言うだけだった.\n これ以上喋ると悲しくなってきそうなので,曖昧に頷いてこの話題はここで終わらせることにした.\n「そうか,君は今大人なんだなあ」\n 彼女は急に思いついたようにしみじみと言った.\n「もう学校は卒業しているんでしょ? 働いていたりするの?」\n「ああ,卒業してる.院まで行ったから社会人になるのは遅かったけどね」\n「いん?」\n「大学院だよ.大学に追加して,もう二年勉強したんだ」\n「二年も追加で勉強したの? すごいなあ,勉強熱心なんだね.学校の宿題とか,面倒なのに」\n 進学した理由が「まだ働きたくないから」だと知ったら,彼女は笑うだろうか.呆れるだろうか.\n「それで,今はどんな仕事をしているの?」\n「Webデザイナー……って分かるかな,ホームページ……も分かるかな,とにかく,デザイン系の仕事だよ」\n 彼女は驚いたように聞き返した.\n「デザイナー? 小説家にはならなかったの?」\n そうだった.僕は小学生のころ,あんなに彼女の前で「将来は小説家になるんだ」と言ってきたんだった.\n「ああ,小説は……もうやめたんだ」\n 煮え切らない返事に不思議そうな顔になりながらも,彼女は理解を示してくれた.\n「そうなんだ,でも,あの時よりも夢中になれるものが見つかったってことだよね」\n 何も答えられなかった.本当はそうではない.そんな無邪気で明るく前向きな理由で小説家を諦めたんじゃない.でも,それを正直に言うのも憚られた.\n パンケーキを一口分切り出し,悲鳴を上げる胃に無理やり押し込む.今思い出してしまった苦い記憶まで胸の奥に再びしまい込むように.\n「ところで,デザイナーって,どんなお仕事なの?」\n「つまらない仕事だよ」\n ぴしゃりと答えた.\n「人に言うと『すごい仕事だね』って言ってもらえるけど,実情はそんなもんじゃない.給料はたいして高くないし,重箱の隅をつつくようなことでひたすら責め続けられるし,納期は急に変わるし,『誰にでもできる仕事だろう』と見下されることだってある」\n 皿の上のパンケーキを見つめたまま,堰を切ったように愚痴があふれ出した.",
"\n 気づくと,また公園にいた.\n 思わずうずくまって顔を覆った.\n さっき駆けつけた時,彼女はすでにこと切れていた.\n 既に車は走り去っていて,ボロ布のように投げ出された彼女の体だけがそこにあった.\n とっさに顔か頭をかばったのか,腕は傷だらけになっていて,勢い余った車に轢かれたのかふくらはぎのところで関節が一つ増えたかのようになっている.\n あの時よりもさらに幼くなった彼女に対して,その小さな体では受け止められないほど大きな衝撃を受けたのだ.\n 残酷な現実に,残虐な風景に,思わず顔をそらして目をつむった.直視できなかった.\n 僕が動けないでいるうちに,また数年,時間が巻き戻ったのだ.\n また救えなかった.何もできなかった.\n 僕たちの大切な思い出を潰してまで取った行動は,何の意味もなかった.\n 僕の取った行動は,結果的には悪い方向へ動いただけだった.\n 動く気になれず,そのままうずくまり続けた.\n どうせ周りから僕の姿は見えない.何をしてもいい.\n しばらくそうしていると,ゆっくりと車が停車する音が聞こえた.子供たちの声も聞こえる.\n これは,きっと,移動図書館だ.僕が初めて長編の本に触れて,物書きになりたいと思ったきっかけの日だ.\n そこまで考えて違和感に気づいた.\n 僕は,僕と彼女の出会いを阻害した.なのに,僕が小説に出会った日に巻き戻っている.\n 僕は,僕と彼女が出会った日に巻き戻った時,てっきりこう思った.彼女が魔法を練習しているときに事故に巻き込まれた未来を防げなかったから,より過去に戻ったのだと.彼女が魔法の練習中に事故に遭うのはもう避けようがないから,より過去に戻って根本的な原因を消す発想になったのだと.しかしこれは,どうもそれとは関係がないようだ.\n もし僕と彼女が出会わなかった歴史に固定されたなら,この日に巻き戻るわけがない.\n なぜなら,僕は,「僕が小説家を目指さなかったなら,彼女が僕のために魔法を練習することもない」と無意識化で考えたからだ.\n もしこの日,僕が移動図書館で本を読まなかったなら,僕は小説家を目指さない.\n 僕と彼女は出会うが,彼女は僕のために魔法を練習することはない.\n つまり,まだ,最悪の事態は防げる.\n 僕は移動図書館の車が泊まっているところへ向かう.あまり大きくない車なので,中に乗り込んで本を読めるようなタイプではない.軽トラを改造したような小さな車体で,両側面が開いてそこが本棚になっている造りだ.\n 探してみたが,子供の頃の僕はまだ来ていないようだ.だが,いつになるか分からないがそのうち僕も来る.その前にどうにかしなければならない.\n 移動図書館に向かう僕の手を掴むなりして,さっきの彼女のように驚かすことも考えたが,それが原因で事故になる可能性も考えるとやめた方がいい.\n ふと見ると,車を運転してきた人は本棚の前で子供に本を紹介している.何気なく運転席を見るとカギが挿しっぱなしだしドアは開きっぱなしだ.近くに子供しかいないので不用心になっているようだった.\n 思いついた.この車を盗んでどこかへ運んでしまえば,子供の僕は本を読めなくなる.かなり荒っぽい方法になってしまうが,この世界の人間には僕を見たり僕の声を聞いたりできないことを考えると手段は限られる.\n ドアに触れて動かしてしまわないよう慎重に運転席に乗り込み,足元を確認する.幸いにもオートマ車だ.一応マニュアル免許を持ってはいるが,もちろん教習所以外でマニュアル車に乗ったことはないので今は絶対に運転できないだろう.数年ぶりの運転がオートマで助かった.\n 深呼吸し,発車の段取りをゆっくり思い出す.どうせ周りから僕は見えていない.ゆっくり準備して構わない.\n 意を決してドアを勢いよく閉めた.外にいた運転手や子供たちが困惑する気配だけ伝わってきた.間髪入れずにカギをまわしてエンジンをかける.アクセルを踏み込んで急発進した.\n 本棚の本がバラバラと落ちていく音を背後に聞きながらまた加速する.万一運転手に追いつかれでもしたら計画が破綻してしまう.\n 目の前に一時停止標識があるがこれも無視させてもらう.\n 地面に十字のマークが書かれた小さな交差点に,加速しながら突っ込む.\n その時,何か軽いものに勢いよくぶつかる音がした.慌ててブレーキを踏む.なぜか車が加速した.間違えてアクセルを踏んだのだ.\n 今度こそブレーキを踏もうとして,制御を失った車はそのまま民家の塀に激突した.シートベルトが胸や腹に食い込み,一瞬息が詰まった.エアバッグが勢いよく飛び出て僕の視界をふさぐ.\n なんとか,怪我をせずに済んだ.\n 気が動転したまま運転席から転げ出て,何に衝突したのかを見てしまった.\n 彼女だった.\n 軽トラのバンパーと塀に挟まれて,顔と腕だけが助けを求めるように外に出ている.\n 焦点の合わない両目からはすでに生気を感じられず,額から血が流れている.\n まだ小学一年生か二年生のはずだ.その彼女を,僕が,この手で殺してしまった.\n これまでとは比にならない後悔と自責の念が湧き上がる.焦りすぎていた.どうせ運転手に追いつかれてもドアロックをしていれば車を取り返されることはないのだから,もっと慎重に運転するべきだった.\n やはり僕は彼女の前に存在するべき人間ではなかったのだと思った.何をしても彼女にとって最悪な方向へしか進まない.\n どこまでも低能で,稚拙で,白痴で,無能だ.\n 追いついてきた運転手が,子供たちに「大人を呼んできてくれ」と叫ぶ.怖いもの見たさで近づいてくる子供を「あっちに行っていなさい」と追い払う.\n 運転手は車に乗り込みエンジンと格闘していたようだが,完全に壊れていることを悟るとドアを押して車を動かそうとし始めた.\n 呼ばれた大人たちが集まってそれを手伝う.\n やがて彼女は車と塀の間から助け出された.\n 大人のうちの誰かが「救急車を呼んでくる」と家に駆け戻る.\n 大人のうちの誰かが懸命に心臓マッサージをしている.\n 僕は,何もできないで,ずっとそれを眺めていた.\n"
]
{
`content`: `兄 両親 期待`
}
[
"\n 家には帰らず,近所のラーメン屋で昼食をとった.\n 駅の近くにあり,小学生だった僕らが毎日素通りする背景だったラーメン屋だ.\n 彼女は子供用の小さなサイズのものを頼んで少しずつ小皿に分けながら食べていたが,あまり食欲がないらしく半分近く残した.\n 僕は豚骨ラーメンを頼んでいたが,あまり満腹にならなかったので彼女の残した分も食べた.\n 昨日運動したからだろうか,いつもより食欲があった.\n",
"\n「ねえ,もう少しだけ遡ってみようよ」\n「遡る? 時間をか?」\n「そう.君が生まれたその日まで.せっかくだから見ておきたいと思わない?」\n「……」\n「きっと,いいものが見られるよ.だからお願い,ね,ね,いいでしょ?\n つまらなかったらすぐに帰ればいいんだし」\n「そうだな,じゃあ少しだけ,見に行ってみようか──」\n",
"\n 夕食はすき焼きだった.\n 兄たちは泊まらずに,日が出ているうちに帰って行ったらしい.お土産として仕事仲間から貰ったという牛肉をくれたらしい.\n「とてもいいお肉なのよ」と母は上機嫌だった.\n「さあどんどん食べなさいね」と白菜やシイタケや春菊や肉を次々と彼女の取り皿に入れていた.\n 彼女はあまり食欲がなさそうだったが,受け取った分はすべて食べていた.\n",
"\n「お風呂は私と一緒に入っちゃいましょうね」\n とにかく今日の母は上機嫌だ.こんな誘いを彼女に苦笑いで拒否されてもまだ機嫌がいい.\n「じゃあ,お風呂から上がったらドライヤーかけてあげるから.私が上がってきたときもドライヤーお願いね」\n もしかしたら,彼女のことを本当に自分の娘のように思っているのかもしれない.\n もし僕が男ではなくて女だったなら,母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか.\n",
"\n 兄の部屋に,昨日のように布団を二組敷いた.\n カーテンを少し開けて,大きな窓からふたりで夜空を見上げた.\n「流れ星,ないね」\n「そう簡単には見つからないさ」\n 流れ星は見当たらなかったが,快晴なのもあって昨日よりもよく星が見えた.\n「じゃ,今夜は頑張ってね」\n 彼女がおどけるように僕を見上げながら言う.\n「ああ,頑張るよ」\n 僕も少しふざけて答えた.\n 今日は,すぐには寝付けないかも知れない.\n",
"\n 午後は,生きていれば彼女も通うはずだった中学校へ向かった.と言っても,外から眺めただけだが.\n グラウンドでは野球部がどこかの学校を招いて練習試合をしていた.得点板は遠くて見えなかった.\n 練習試合といえど,生徒たちは一所懸命にプレイしているようだった.一つ一つのプレイには雄たけびのような歓声が上がっていたし,一人一人が必死になって走っているように見えた.\n 僕が中学生だったころはそうでもなかったと記憶しているが,今は監督が厳しくなっているのだろうか.それとも強豪校になったのだろうか.夏の大会の予選が近いのかもしれない.\n ゴールデンウイークなのに仕事なんて大変だな,と,少しだけ顧問を憐れんだ.\n 彼女はそんな様子を食い入るように眺めていた.\n 少し,羨ましそうでもあった.\n",
"\n クロスバイクをマンションの駐輪場の一番奥に停めて,しっかりと施錠する.\n カギを挿して家のドアを開ける.数日ぶりなのに,随分長い間家を空けていたような気がした.\n メッセンジャーバッグをカバン掛けに仕舞い,机に向かう.\n 昨日と一昨日に見た夢は,どちらも未来に関するものだった.いくら魔法の力であっても,過去を変えることはできない.実際に夢の中でも過去を変えることはできなかった.\n なら,未来を変えればいい.\n 僕は,埃をかぶっていたノートパソコンを開いた.学生時代にレポート作成に使っていて,社会人になってほとんど使わなくなっても何となく捨てずに持っていたものだ.\n 小学生以来だが,小説を書いてみようと思ったのだ.もう一度だけ,夢を追ってみたいと思った.でも,急に思い立ったものだから特に書きたい題材があるわけではないしネタもない.\n だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う.",
"\n「いらっしゃいませ.二名様でよろしいでしょうか?」\n 果たして,それは実にあっけなかった.\n「はい」とも「ああ」ともつかぬ曖昧な挨拶を返し,「空いてるお席にどうぞ」との言葉に甘えて,店の隅にある,パーテーションで区切られた二人用のスペースに向かい合わせで座ることにした.\n「さて,入ったからには何か注文しようか」\n モバイルオーダー用のタブレットを手に取り「モーニングセット」と書かれたボタンをタップすると,彼女は心底驚いたように言った.\n「こ,これ,なに? 画面を触って操作したの?」\n「? 初めて見た? モバイルオーダーだよ」\n「モアイ?」\n 彼女はいつも明るい人だったが,あまりふざける人ではなかった.今も嘘をついているようには見えない.\n「えっと,もしかしてだけど,お前,今の年齢以降の記憶がない……?」\n 彼女は当たり前のように答えた.\n「え? 今の年齢以降って,君にとっては過去かもしれないけど,私にとっては未来のことだよね?」\n「それは,今の時代のお前が魔法によってその姿になったってわけではなくて,二十年前のお前が,二十年前の姿のまま,ここへ来たってことか?」\n「そう.私は心も体も小学生の状態」\n 参った.僕はてっきり,「今の時代」の彼女が「二十年前の姿」になって僕のもとに来たのだと思っていた.しかし彼女ははっきりと言っていたではないか.「きっと二十年前の時代とかからこの時代に来たんだよ」と.\n 当初の目論見が外れ呆然としたが,ひとまず僕は適当なセットを,彼女はコーヒーが苦手なのでアイスの乗ったジュースを注文した.\n「マズいな……」\n 僕は思わず独り言ちたが,それはしっかり彼女にも聞こえていた.\n「マズいって,何が?」\n 僕はいったん頭の中で整理してから,考えていたことを話した.\n「お前,小学五年生になる前の春休みに,どこかに引っ越していったんだよ.春休みは会えなかったから,僕も五年生になるまでそのことを知らなかった.引っ越し後のことも引っ越し先の住所も僕は知らない.今日はひとまず引っ越し後にどうしていたのかをお前に聞く予定だったんだよ」\n「引っ越し? 私が?」\n「ああ,何も聞いてなかったのか?」\n「何も聞いていない.少なくとも『今の私』はね」\n ややこしいが,彼女の言う「今の私」というのは,二十年前当時の彼女のことだろう.\n「そういえばお前は,二十年前の何月からここに来たんだ?」\n「さあ? 分からないけど,たぶん春か秋じゃないかな.薄手の長袖着てるし」\n 秋から五月にワープしたというのは考えにくいから,彼女は二十年前の五月から来たと考えるのが妥当だろう.それなら引っ越しまで一年弱ある.親から引っ越しのことを何も聞いていなくても不思議ではない.もしかしたら引っ越し自体がまだ決まっていなかったかもしれない.仮に秋だとすれば約半年後.さすがに教えていてもいいと思うが,急に決まった引っ越しであれば,それもありうる.\n「そういえば,何がきっかけで君は私が引っ越ししたと知ったの? 引っ越し先の住所も知らないってことは,私は引っ越し後に君へ手紙を送ったりはしなかったんだね.それに引っ越し自体を知らなかったってことは,引っ越し理由も分からないまま?」\n 某名探偵と違って中身も子供なのに,やはり彼女は冴えている.\n「お前の引っ越しを知ったのは,近所のおばさんからだよ.お前が五年生の始業式に来なかったから,風邪でも引いたのかと思って家まで行ったんだ.そうしたら文房具屋はシャッターが閉まっていて,中に人がいる様子もなかった.どうすればいいか分からなくなっているところに隣のおばさんが来て,いろいろ教えてくれたんだ.\n まず,そのおばさんも引っ越しするなんて知らなかったこと.\n 次に,引っ越し先は誰も知らないと思われること.おばさんは,引っ越しの様子を見かけたからお前の家の引っ越しを知っただけで,お前の親から直接引っ越しについて伝えられたりはしていないそうだ.\n 手紙についてはお察しの通り,お前からは一通も来なかった.僕も住所を知らないから出しようがなくて,小学四年生の終業式で会ったのが,二人が話した最後だ.\n 引っ越し理由も知らない.たぶんおばさんも知らないだろう」\n「なるほどね.引っ越しが春休みということは,クラスでお別れ会みたいなものもなし,かな.もしかしたら春休みに入るまで,引っ越しのことを学校にすら伝えていなかったかもね」\n「あるいは,学校に連絡はしていたが,『生徒には伝えないでほしい』と頼んでいたか,だな.引っ越しによる転校には多分色々と手続きがいるはずだから,さすがに直前で伝えてどうにかなるものではないと思う」\n 僕がそう言うと,彼女は珍しく感嘆したような表情になる.頭の冴えで言えば彼女の方がうわてだと思うが,さすがにこればかりは大人と子供の差だ.この年齢差で勝って喜んでいるのも情けないが.\n「まとめると,こうだね.私は小学四年生の春休みに突然引っ越した.引っ越し先や引っ越し理由は不明.私が君に手紙を書かなかったのが,私自身の意思なのか両親に止められたのかは分からないけど,少なくとも私たち一家はあの学校や近所の人たち,そして君と一切の関係を断つつもりだった」\n「そうだ.つまるところお前がこれから過ごす二十年間のことは何一つ分からないし,それを解くための手がかりもない」\n 誰も知らない彼女の二十年間に何かがあったことはまず間違いないだろう.しかし,それを知るためのヒントが何も無いのであればどうしようもない.\n「……これは,長くなりそうだな」\n 五里霧中だ.お互い無言になった時,二人の注文した料理が届いた.\n",
"\n「これ,結構多いんだな……」\n すでに限界を迎えつつある腹をさすり,まだ半分近く残っているモーニングセットのパンケーキを睨む.\n 二十代に入ってから異様に落ち込んだ食欲はそのまま戻ることなく,重い料理になると一人前を食べきるのは難しくなってきてしまった.\n 今もそうだ.メニューの写真には比較対象がなかったから分からなかったが,値段から想像していたよりも大きめのパンケーキに僕の胃袋は降伏寸前だった.\n「ここ,家から近いんだよね? 量とか知らなかったの?」\n 彼女がアイスをつつきながら言う.いつになく上機嫌だ.考えてみれば,小学生にとってカフェなんてそう頻繁に来る場所ではないだろう.スイーツだって簡単には食べられない.嬉しいはずだ.\n「ここにカフェがあることは知っていたけど,入ったのは今日が初めてだよ.いつもはただの風景だった」\n「ふうん,なんで? アイスとかケーキとか,いろいろあるのに」\n「近い場所にあると興味が湧かないんだ」\n「大人はそういうものなんだね.お金があるから,好きなもの食べ放題なのに」\n 僕も子供のころは,お金をたくさん持っていて好きなものを買い放題な大人を羨ましいと思って見ていた.でもいざ自分が大人になってみると,体型だとか貯金だとか将来だとか,あるいは置く場所がないだとかどうせすぐに使わなくなるだとか,そういう余計な事ばかり考えてしまう.\n 人は,「今欲しい」「今食べたい」という気持ちを,一体何歳で忘れてしまうのだろう.\n「僕も子供のころはそう思っていたよ.でも,お金があっても物に興味を持てないんだ」\n 彼女は不思議そうに「ふうん」と言うだけだった.\n これ以上喋ると悲しくなってきそうなので,曖昧に頷いてこの話題はここで終わらせることにした.\n「そうか,君は今大人なんだなあ」\n 彼女は急に思いついたようにしみじみと言った.\n「もう学校は卒業しているんでしょ? 働いていたりするの?」\n「ああ,卒業してる.院まで行ったから社会人になるのは遅かったけどね」\n「いん?」\n「大学院だよ.大学に追加して,もう二年勉強したんだ」\n「二年も追加で勉強したの? すごいなあ,勉強熱心なんだね.学校の宿題とか,面倒なのに」\n 進学した理由が「まだ働きたくないから」だと知ったら,彼女は笑うだろうか.呆れるだろうか.\n「それで,今はどんな仕事をしているの?」\n「Webデザイナー……って分かるかな,ホームページ……も分かるかな,とにかく,デザイン系の仕事だよ」\n 彼女は驚いたように聞き返した.\n「デザイナー? 小説家にはならなかったの?」\n そうだった.僕は小学生のころ,あんなに彼女の前で「将来は小説家になるんだ」と言ってきたんだった.\n「ああ,小説は……もうやめたんだ」\n 煮え切らない返事に不思議そうな顔になりながらも,彼女は理解を示してくれた.\n「そうなんだ,でも,あの時よりも夢中になれるものが見つかったってことだよね」\n 何も答えられなかった.本当はそうではない.そんな無邪気で明るく前向きな理由で小説家を諦めたんじゃない.でも,それを正直に言うのも憚られた.\n パンケーキを一口分切り出し,悲鳴を上げる胃に無理やり押し込む.今思い出してしまった苦い記憶まで胸の奥に再びしまい込むように.\n「ところで,デザイナーって,どんなお仕事なの?」\n「つまらない仕事だよ」\n ぴしゃりと答えた.\n「人に言うと『すごい仕事だね』って言ってもらえるけど,実情はそんなもんじゃない.給料はたいして高くないし,重箱の隅をつつくようなことでひたすら責め続けられるし,納期は急に変わるし,『誰にでもできる仕事だろう』と見下されることだってある」\n 皿の上のパンケーキを見つめたまま,堰を切ったように愚痴があふれ出した.",
"\n 気づくと,また公園にいた.\n 思わずうずくまって顔を覆った.\n さっき駆けつけた時,彼女はすでにこと切れていた.\n 既に車は走り去っていて,ボロ布のように投げ出された彼女の体だけがそこにあった.\n とっさに顔か頭をかばったのか,腕は傷だらけになっていて,勢い余った車に轢かれたのかふくらはぎのところで関節が一つ増えたかのようになっている.\n あの時よりもさらに幼くなった彼女に対して,その小さな体では受け止められないほど大きな衝撃を受けたのだ.\n 残酷な現実に,残虐な風景に,思わず顔をそらして目をつむった.直視できなかった.\n 僕が動けないでいるうちに,また数年,時間が巻き戻ったのだ.\n また救えなかった.何もできなかった.\n 僕たちの大切な思い出を潰してまで取った行動は,何の意味もなかった.\n 僕の取った行動は,結果的には悪い方向へ動いただけだった.\n 動く気になれず,そのままうずくまり続けた.\n どうせ周りから僕の姿は見えない.何をしてもいい.\n しばらくそうしていると,ゆっくりと車が停車する音が聞こえた.子供たちの声も聞こえる.\n これは,きっと,移動図書館だ.僕が初めて長編の本に触れて,物書きになりたいと思ったきっかけの日だ.\n そこまで考えて違和感に気づいた.\n 僕は,僕と彼女の出会いを阻害した.なのに,僕が小説に出会った日に巻き戻っている.\n 僕は,僕と彼女が出会った日に巻き戻った時,てっきりこう思った.彼女が魔法を練習しているときに事故に巻き込まれた未来を防げなかったから,より過去に戻ったのだと.彼女が魔法の練習中に事故に遭うのはもう避けようがないから,より過去に戻って根本的な原因を消す発想になったのだと.しかしこれは,どうもそれとは関係がないようだ.\n もし僕と彼女が出会わなかった歴史に固定されたなら,この日に巻き戻るわけがない.\n なぜなら,僕は,「僕が小説家を目指さなかったなら,彼女が僕のために魔法を練習することもない」と無意識化で考えたからだ.\n もしこの日,僕が移動図書館で本を読まなかったなら,僕は小説家を目指さない.\n 僕と彼女は出会うが,彼女は僕のために魔法を練習することはない.\n つまり,まだ,最悪の事態は防げる.\n 僕は移動図書館の車が泊まっているところへ向かう.あまり大きくない車なので,中に乗り込んで本を読めるようなタイプではない.軽トラを改造したような小さな車体で,両側面が開いてそこが本棚になっている造りだ.\n 探してみたが,子供の頃の僕はまだ来ていないようだ.だが,いつになるか分からないがそのうち僕も来る.その前にどうにかしなければならない.\n 移動図書館に向かう僕の手を掴むなりして,さっきの彼女のように驚かすことも考えたが,それが原因で事故になる可能性も考えるとやめた方がいい.\n ふと見ると,車を運転してきた人は本棚の前で子供に本を紹介している.何気なく運転席を見るとカギが挿しっぱなしだしドアは開きっぱなしだ.近くに子供しかいないので不用心になっているようだった.\n 思いついた.この車を盗んでどこかへ運んでしまえば,子供の僕は本を読めなくなる.かなり荒っぽい方法になってしまうが,この世界の人間には僕を見たり僕の声を聞いたりできないことを考えると手段は限られる.\n ドアに触れて動かしてしまわないよう慎重に運転席に乗り込み,足元を確認する.幸いにもオートマ車だ.一応マニュアル免許を持ってはいるが,もちろん教習所以外でマニュアル車に乗ったことはないので今は絶対に運転できないだろう.数年ぶりの運転がオートマで助かった.\n 深呼吸し,発車の段取りをゆっくり思い出す.どうせ周りから僕は見えていない.ゆっくり準備して構わない.\n 意を決してドアを勢いよく閉めた.外にいた運転手や子供たちが困惑する気配だけ伝わってきた.間髪入れずにカギをまわしてエンジンをかける.アクセルを踏み込んで急発進した.\n 本棚の本がバラバラと落ちていく音を背後に聞きながらまた加速する.万一運転手に追いつかれでもしたら計画が破綻してしまう.\n 目の前に一時停止標識があるがこれも無視させてもらう.\n 地面に十字のマークが書かれた小さな交差点に,加速しながら突っ込む.\n その時,何か軽いものに勢いよくぶつかる音がした.慌ててブレーキを踏む.なぜか車が加速した.間違えてアクセルを踏んだのだ.\n 今度こそブレーキを踏もうとして,制御を失った車はそのまま民家の塀に激突した.シートベルトが胸や腹に食い込み,一瞬息が詰まった.エアバッグが勢いよく飛び出て僕の視界をふさぐ.\n なんとか,怪我をせずに済んだ.\n 気が動転したまま運転席から転げ出て,何に衝突したのかを見てしまった.\n 彼女だった.\n 軽トラのバンパーと塀に挟まれて,顔と腕だけが助けを求めるように外に出ている.\n 焦点の合わない両目からはすでに生気を感じられず,額から血が流れている.\n まだ小学一年生か二年生のはずだ.その彼女を,僕が,この手で殺してしまった.\n これまでとは比にならない後悔と自責の念が湧き上がる.焦りすぎていた.どうせ運転手に追いつかれてもドアロックをしていれば車を取り返されることはないのだから,もっと慎重に運転するべきだった.\n やはり僕は彼女の前に存在するべき人間ではなかったのだと思った.何をしても彼女にとって最悪な方向へしか進まない.\n どこまでも低能で,稚拙で,白痴で,無能だ.\n 追いついてきた運転手が,子供たちに「大人を呼んできてくれ」と叫ぶ.怖いもの見たさで近づいてくる子供を「あっちに行っていなさい」と追い払う.\n 運転手は車に乗り込みエンジンと格闘していたようだが,完全に壊れていることを悟るとドアを押して車を動かそうとし始めた.\n 呼ばれた大人たちが集まってそれを手伝う.\n やがて彼女は車と塀の間から助け出された.\n 大人のうちの誰かが「救急車を呼んでくる」と家に駆け戻る.\n 大人のうちの誰かが懸命に心臓マッサージをしている.\n 僕は,何もできないで,ずっとそれを眺めていた.\n"
]
そしてついに,回答を生成してくれました!
取得した情報をもとに、「僕」の両親の性格を分析します。
小説『夢』に登場する「僕」の両親は、対照的な性格をもつ二人として描かれています。
## 母親の性格
母親は**明るく世話好きで、感情表現が豊かな人物**です。彼女(魔法で現れた少女)が訪れた際には終始「上機嫌」で、料理を教えたり、一緒にお風呂に入ろうと誘ったり、食事の際には次々とおかずをよそうなど、母性的で積極的な世話焼きの姿勢が目立ちます。「この子ったらかなり覚えが早いのよ」と嬉しそうに話す様子からは、人を褒めて育てる優しさも感じられます。
しかし、その一方で**息子である「僕」への関心の薄さ**が印象的です。「もし僕が男ではなくて女だったなら、母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか」という僕の内省からは、母親が娘を望んでいたことが窺えます。実際、「私ね、本当は娘が欲しかったのよね」と明言する場面もあり、彼女に対して「本当に自分の娘のように思っているのかもしれない」と僕自身が感じています。
母親の関心は主に兄に向けられており、兄のことを「お兄さん」と呼び、兄の結婚や出産予定を嬉しそうに話題にします。一方で、僕の現在の生活が話題に上がることはなく、「まるで知らない家庭の内輪話を聞いているようだ」と僕は感じています。
## 父親の性格
父親は**寡黙で感情を表に出さないタイプ**です。「あまり口には出さないが態度には出る人」と描写され、コクリと頷くだけで特に返事をしないことが多い人物です。「放っておけ、俺たちの子供ではないんだから」というような発言からは、距離を置いた冷静な態度が読み取れます。
僕が誕生した日の回想シーンでは、「興奮冷めやらぬ様子」で「真っ赤な赤ん坊の顔を覗き込んで笑っている」姿が描かれ、「篤」という名前に「誠実」「真面目」「人情に厚い」という意味を込め、「この子は、きっと優しい子になるよ」と期待を語っています。しかし現在の描写では、兄の成功には満足しているようですが、僕に対しては恋人の有無を聞いた記憶もなく、関心を示した様子はありません。
## 両親の共通点:差別的な愛情
二人に共通するのは、**兄への明確な偏愛と、僕への無関心**です。兄は証券会社で活躍し、結婚もして子供もいる「優秀な兄」として、両親の誇りとなっています。「兄が結婚どころか彼女の気配すら見せなかった二十代前半の頃はいつも険しい顔をしていた」父親ですが、「彼女の気配すらないのは今の僕も同じ」であるにもかかわらず、僕に対しては何の反応も示しません。
夕食の場面では、両親が兄の名前の相談について言い合いをする中で、「両親のどちらかが僕に意見を求めてきたことも、記憶の限りでは一度もなかった」という描写があり、家庭内での僕の存在の希薄さが強調されています。
このような両親の姿勢は、僕の自己肯定感の低さや、将来への無気力さにも影響を与えていると考えられます。
えっ? 普通に凄くないですか?
本記事冒頭で紹介した「処女作『夢』について語りたい」の記事,僕じゃなくてAIが書いた方がよかったんじゃないですかね.
兄弟に対する両親の態度の違いや,それが「僕」にどのような影響を与えているかについて,しっかり分析できています.
キャラクターとしての「彼女」とガールフレンドとしての「彼女」をしっかり区別していたり,質問では全く話題に挙げていない「兄」についてもちゃんと言及してくれています.
正直言って予想以上ですね,ここまでちゃんと分析してくれるなんて.
今後の展望
さて,予想以上にあっさりうまくいってしまった今回のMCPサーバですが,弱点もあります.
分割されたチャンクにはそのシーン単体の文章しか入っておらず,そのシーンに至るまでのストーリーやシーン同士の前後関係が入っていないという点です.
今回の回答では,AIは一つ一つのシーンについては理解しているようでしたが,シーン同士のつながりについては言及がありませんでした.
本当は,「この作品のオチは何ですか?」という質問をする予定だったんですよね.
この小説の最後の一行「だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う.」の意味についてAIが解説してくれたら凄いなと思っていました.
実際に聞いてみたところ,以下のような回答でした.
小説『夢』のオチは何ですか?
小説『夢』についてお答えするために、作品の情報を検索させていただきます。
{
`content`: `オチ 結末 終わり`
}
[
"\n 夕食はすき焼きだった.\n 兄たちは泊まらずに,日が出ているうちに帰って行ったらしい.お土産として仕事仲間から貰ったという牛肉をくれたらしい.\n「とてもいいお肉なのよ」と母は上機嫌だった.\n「さあどんどん食べなさいね」と白菜やシイタケや春菊や肉を次々と彼女の取り皿に入れていた.\n 彼女はあまり食欲がなさそうだったが,受け取った分はすべて食べていた.\n",
"\n「ねえ,もう少しだけ遡ってみようよ」\n「遡る? 時間をか?」\n「そう.君が生まれたその日まで.せっかくだから見ておきたいと思わない?」\n「……」\n「きっと,いいものが見られるよ.だからお願い,ね,ね,いいでしょ?\n つまらなかったらすぐに帰ればいいんだし」\n「そうだな,じゃあ少しだけ,見に行ってみようか──」\n",
"\n 気づくと,また公園にいた.\n 思わずうずくまって顔を覆った.\n さっき駆けつけた時,彼女はすでにこと切れていた.\n 既に車は走り去っていて,ボロ布のように投げ出された彼女の体だけがそこにあった.\n とっさに顔か頭をかばったのか,腕は傷だらけになっていて,勢い余った車に轢かれたのかふくらはぎのところで関節が一つ増えたかのようになっている.\n あの時よりもさらに幼くなった彼女に対して,その小さな体では受け止められないほど大きな衝撃を受けたのだ.\n 残酷な現実に,残虐な風景に,思わず顔をそらして目をつむった.直視できなかった.\n 僕が動けないでいるうちに,また数年,時間が巻き戻ったのだ.\n また救えなかった.何もできなかった.\n 僕たちの大切な思い出を潰してまで取った行動は,何の意味もなかった.\n 僕の取った行動は,結果的には悪い方向へ動いただけだった.\n 動く気になれず,そのままうずくまり続けた.\n どうせ周りから僕の姿は見えない.何をしてもいい.\n しばらくそうしていると,ゆっくりと車が停車する音が聞こえた.子供たちの声も聞こえる.\n これは,きっと,移動図書館だ.僕が初めて長編の本に触れて,物書きになりたいと思ったきっかけの日だ.\n そこまで考えて違和感に気づいた.\n 僕は,僕と彼女の出会いを阻害した.なのに,僕が小説に出会った日に巻き戻っている.\n 僕は,僕と彼女が出会った日に巻き戻った時,てっきりこう思った.彼女が魔法を練習しているときに事故に巻き込まれた未来を防げなかったから,より過去に戻ったのだと.彼女が魔法の練習中に事故に遭うのはもう避けようがないから,より過去に戻って根本的な原因を消す発想になったのだと.しかしこれは,どうもそれとは関係がないようだ.\n もし僕と彼女が出会わなかった歴史に固定されたなら,この日に巻き戻るわけがない.\n なぜなら,僕は,「僕が小説家を目指さなかったなら,彼女が僕のために魔法を練習することもない」と無意識化で考えたからだ.\n もしこの日,僕が移動図書館で本を読まなかったなら,僕は小説家を目指さない.\n 僕と彼女は出会うが,彼女は僕のために魔法を練習することはない.\n つまり,まだ,最悪の事態は防げる.\n 僕は移動図書館の車が泊まっているところへ向かう.あまり大きくない車なので,中に乗り込んで本を読めるようなタイプではない.軽トラを改造したような小さな車体で,両側面が開いてそこが本棚になっている造りだ.\n 探してみたが,子供の頃の僕はまだ来ていないようだ.だが,いつになるか分からないがそのうち僕も来る.その前にどうにかしなければならない.\n 移動図書館に向かう僕の手を掴むなりして,さっきの彼女のように驚かすことも考えたが,それが原因で事故になる可能性も考えるとやめた方がいい.\n ふと見ると,車を運転してきた人は本棚の前で子供に本を紹介している.何気なく運転席を見るとカギが挿しっぱなしだしドアは開きっぱなしだ.近くに子供しかいないので不用心になっているようだった.\n 思いついた.この車を盗んでどこかへ運んでしまえば,子供の僕は本を読めなくなる.かなり荒っぽい方法になってしまうが,この世界の人間には僕を見たり僕の声を聞いたりできないことを考えると手段は限られる.\n ドアに触れて動かしてしまわないよう慎重に運転席に乗り込み,足元を確認する.幸いにもオートマ車だ.一応マニュアル免許を持ってはいるが,もちろん教習所以外でマニュアル車に乗ったことはないので今は絶対に運転できないだろう.数年ぶりの運転がオートマで助かった.\n 深呼吸し,発車の段取りをゆっくり思い出す.どうせ周りから僕は見えていない.ゆっくり準備して構わない.\n 意を決してドアを勢いよく閉めた.外にいた運転手や子供たちが困惑する気配だけ伝わってきた.間髪入れずにカギをまわしてエンジンをかける.アクセルを踏み込んで急発進した.\n 本棚の本がバラバラと落ちていく音を背後に聞きながらまた加速する.万一運転手に追いつかれでもしたら計画が破綻してしまう.\n 目の前に一時停止標識があるがこれも無視させてもらう.\n 地面に十字のマークが書かれた小さな交差点に,加速しながら突っ込む.\n その時,何か軽いものに勢いよくぶつかる音がした.慌ててブレーキを踏む.なぜか車が加速した.間違えてアクセルを踏んだのだ.\n 今度こそブレーキを踏もうとして,制御を失った車はそのまま民家の塀に激突した.シートベルトが胸や腹に食い込み,一瞬息が詰まった.エアバッグが勢いよく飛び出て僕の視界をふさぐ.\n なんとか,怪我をせずに済んだ.\n 気が動転したまま運転席から転げ出て,何に衝突したのかを見てしまった.\n 彼女だった.\n 軽トラのバンパーと塀に挟まれて,顔と腕だけが助けを求めるように外に出ている.\n 焦点の合わない両目からはすでに生気を感じられず,額から血が流れている.\n まだ小学一年生か二年生のはずだ.その彼女を,僕が,この手で殺してしまった.\n これまでとは比にならない後悔と自責の念が湧き上がる.焦りすぎていた.どうせ運転手に追いつかれてもドアロックをしていれば車を取り返されることはないのだから,もっと慎重に運転するべきだった.\n やはり僕は彼女の前に存在するべき人間ではなかったのだと思った.何をしても彼女にとって最悪な方向へしか進まない.\n どこまでも低能で,稚拙で,白痴で,無能だ.\n 追いついてきた運転手が,子供たちに「大人を呼んできてくれ」と叫ぶ.怖いもの見たさで近づいてくる子供を「あっちに行っていなさい」と追い払う.\n 運転手は車に乗り込みエンジンと格闘していたようだが,完全に壊れていることを悟るとドアを押して車を動かそうとし始めた.\n 呼ばれた大人たちが集まってそれを手伝う.\n やがて彼女は車と塀の間から助け出された.\n 大人のうちの誰かが「救急車を呼んでくる」と家に駆け戻る.\n 大人のうちの誰かが懸命に心臓マッサージをしている.\n 僕は,何もできないで,ずっとそれを眺めていた.\n",
"\n 家には帰らず,近所のラーメン屋で昼食をとった.\n 駅の近くにあり,小学生だった僕らが毎日素通りする背景だったラーメン屋だ.\n 彼女は子供用の小さなサイズのものを頼んで少しずつ小皿に分けながら食べていたが,あまり食欲がないらしく半分近く残した.\n 僕は豚骨ラーメンを頼んでいたが,あまり満腹にならなかったので彼女の残した分も食べた.\n 昨日運動したからだろうか,いつもより食欲があった.\n",
"\n アラームが鳴った.\n 午前六時のアラームだ.\n スマホのアラーム設定を切っておくのを忘れていた.\n 大きな窓から差し込む陽の光には,昨日のような攻撃的な強さはない.\n カーテンを開いてみると,曇り空が広がっていた.雨が降りそうというほどではないが,昨日ほど気温が上がることもないだろう.\n ふと隣の布団を見ると,昨日一緒に寝たはずの彼女がいない.\n 昨日のように先に起きたのではない.彼女は,彼女がいるべき世界に帰ったのだ.\n 予感はあった.きっと,このあたりが潮時なのだろうと思う.\n 階下に降りると,母が朝食の用意をしているところだった.\n 彼女がまだ起きてこないことを聞かれたので,今朝早いうちに上司が迎えに来たのだと嘘を吐いた.\n あまりに非常識な嘘だったが,母は疑う様子もなく残念そうにしていた.\n 端正に切りそろえられた卵焼きが机の中央に鎮座する朝食をとり,僕は自分の家に帰ることを両親に告げた.\n 父は「そうか」とだけ言って頷き,母は「気を付けてね」と言った.\n 家の裏に無造作に停めていたクロスバイクにカギを挿す.道路まで押して歩く.車輪がチリチリと軽い音を奏で,抵抗なく進んでいく.僕が自転車を押しているはずなのに,自転車が僕の歩みを杖のように補助してくれているような感覚になる.相棒のような心強さがある.\n メッセンジャーバッグをリアキャリアに括り付ける.身軽になった僕は,ひょいとサドルにまたがる.\n ペダルを踏む.年季の入ったアルミ製のペダルがギシャリと小気味のいい音を立て,僕の想いに呼応するようにクランクが回る.連れ添った年月の長さを感じさせるチェーンが確実に動力を伝達し,軽いタイヤが滑らかに回りだす.\n 軽い.\n 一人で自転車に乗るとこんなにも軽いのかと思った.今ならいくらでも速く,いくらでも遠くへ走れる気がする.\n 空を見上げると灰色の雲が陰鬱に広がっている.でも,このくらいの方が涼しくていい.\n 行きは上った道を,今度は下る.\n ハンドルを握る僕の手を優しく包み込むように風が吹く.風圧に負けじと前を見つめると,いろいろなものが視界に映っては消えていく.\n 今まで気づかなかったが,道路にはいろいろなものが落ちている.軍手の片方.コンビニで売っている袋菓子のゴミ.マスク.もともと何だったのかよく分からない布切れ.\n 落とし主は,落としたことに気づかなかったのだろうか.気づいたが,拾うほどでもないからそのままにしたのだろうか.不要になったからわざと捨てたのだろうか.\n 僕はそれらを見つけるたび,自転車を止めて拾い,メッセンジャーバッグに詰めた.バッグが中身で膨らめば膨らむほど僕の悲しみも膨らむようだった.\n 自転車に乗っていると,自然とメロディが頭の中に流れてくる.\n 昔見ていたアニメの,当時そんなに夢中になった記憶もない,フルバージョンを知っているわけでもない曲のワンフレーズ.\n \n きみだけが過ぎ去った坂の途中は\n あたたかな陽だまりがいくつもできてた\n 僕ひとりがここで優しい温かさを思い返してる\n \n Liaの『時を刻む唄』.ずっと一緒にいた恋人が死んでしまい,唐突に一人の世界に放り出されてしまったことに悲しみ,二人でいた頃を懐古するような曲.\n 下り坂が終わる.平地に戻る.もう,惰性では進めない.ペダルを踏み込んで,目の前を睨んだ.\n",
"\n 階下に降りると,ちょうど母と彼女が朝食の準備をしているところだった.\n「あ,今起きたんだ! 寝坊助さん」\n 彼女が僕の方を見てなぜかニヤニヤと楽しそうに言う.\n「お前が起きるのが早すぎるんだよ」\n 出来るだけ気取って答えると,彼女は「ふふっ」と笑った.\n「気づいてないの?」\n「え?」\n「君の寝ぐせ,とんでもないことになってるよ」\n「ええ?」\n 慌てて洗面所に行き,鏡に向かうと,彼女の言う通りご機嫌な髪形が顔を覗かせた.前髪はぐしゃぐしゃだし,後ろ髪は重力に逆らって植物のように上へ伸びている.\n これは,笑われるわけだ.\n 時間はかかったがなんとか寝癖を直して戻ると,もう朝食の準備はあらかた終わっており,みんなが食卓に並んでいた.\n どうやら彼女は母から色々と教わりながらの料理だったらしい.母は「この子ったらかなり覚えが早いのよ」と上機嫌だった.\n 彼女が作った卵焼きは,巻くことこそ何とか成功している風だったが,等間隔に切れておらず右から左に行くにつれてだんだん細くなっていた.\n「すごくおいしいよ」と褒めると彼女は素直にうれしそうな顔をした.\n その卵焼きは,ほとんど僕と母が食べた.\n",
" 夢を見た.\n 小学生時代の夢だ.\n 人生経験の乏しい僕は,恥ずかしいことに,もう二十年も昔のことを平気で夢に見る.\n 場所は小学校の裏にあった公園で,半分ほどは広いグラウンドに申し訳程度の遊具が並んでいて,もう半分は小高い丘になっていた.\n その丘は遊歩道が通っていて,いくつか東屋があり,よく高齢者が散歩に使っている.その遊歩道の途中に,子供しか通り抜けられないような木々の隙間があって,そこを抜けた先が僕と彼女の秘密基地だった.\n 彼女は大きな木の根にちょこんと座り,ランドセルを机代わりにして計算ドリルを開いていた.そこが彼女の定位置だった.彼女の家は文房具屋で,放課後すぐは地元の小学生や中学生が訪れる定番の場所だった.子供がいたら邪魔になるから閉店の時間まで外で遊んでいろと言われて,家で宿題をすることができなかった.\n お世辞にも美人とは言えない人だった.両目の距離は異様に離れていたし,歯並びが悪くて四角顔だった.そんななりだから学校では避けられ,家にも帰れないからこんなところに籠ってばかりいた.でも笑うと愛嬌のある,一人っ子だからか少し我儘なところもあるが素直な子だった.\n 僕は少し離れた落ち葉のベッドに寝転がって,大抵は本を読むかノートを開いて鉛筆を握っているかのどちらかだった.将来は小説家になるんだと無邪気に信じていた僕は,勉強と称して図書館で借りた分厚い本を読むか,子供なりに小説用ノートに文章を書き散らすかしていた.\n その日はたぶん,後者だったと思う.「もし小学校の地味な子が魔法を使えるようになったら?」のような,今思い返すと恥ずかしいテーマの話を,彼女の店で買ったノートに,几帳面に章立てまでしながら書いていた時だった.\n 地平線はオレンジに染まっていたけれど,曇った空は青色と灰色のちょうど中間のような色をしている中途半端な時間だった.書いていた物語は序盤の方で,主人公の女の子が,自分が魔法を使えることに偶然気づく場面だった.自分が魔法を使えることに驚きつつも,この魔法があればできることがたくさんあると気づき,喜び勇んで計画を立て始める少女の嬉しそうな様子をどう表現すればいいのか悩んでいたときだった.\n 彼女は急に思い出したように計算ドリルから顔を上げ,一番星でも見つけたみたいに明るい様子で言った.\n「ねえ,男の人って,三十歳になって結婚していなかったら魔法が使えるようになるって知ってた?」\n 僕は書いている物語についての話を彼女にしていなかったので,偶然にも彼女が魔法についての話をし始めたことに驚きつつも答えた.\n「聞いたことはあるよ」\n「それって,女の人でも可能なのかな?」\n「別に男の人でも実際に魔法が使えたりするわけではないと思うけど.信じてるの?」\n「ううん,私も本気で信じてるわけじゃないんだ」\n なんだよそれ,と言おうとして彼女の方を向いたとき,想像していたよりもずっと彼女が真剣な顔をしていることに気づき,何も言えなくなった.\n「でも,もしも,もしもだよ.もしも君が三十歳になっても結婚していなくて,そしてもしも本当に魔法が使えるようになったとしたら,その魔法で,私も魔法を使えるようにしてほしいんだ」\n「そんなことできるのかな」\n「魔法だもん.きっと何でもありだよ」\n「……それができたとして,その魔法で何をするつもりなの?」\n そこで初めて彼女は目をそらし,うつむき加減で恥ずかしそうに言った.\n「それは,内緒だよ.今は言えない」\n 彼女は秘密主義な子だった.僕が何か聞いても教えてくれないことは多かった.だから僕もそれ以上は気にせず,「ふうん」とだけ答えてまたノートに目を落とした.彼女もそれ以上は魔法についての話を振ってきたりはしなかった.\n",
"\n「お風呂は私と一緒に入っちゃいましょうね」\n とにかく今日の母は上機嫌だ.こんな誘いを彼女に苦笑いで拒否されてもまだ機嫌がいい.\n「じゃあ,お風呂から上がったらドライヤーかけてあげるから.私が上がってきたときもドライヤーお願いね」\n もしかしたら,彼女のことを本当に自分の娘のように思っているのかもしれない.\n もし僕が男ではなくて女だったなら,母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか.\n",
"\n「いらっしゃいませ.二名様でよろしいでしょうか?」\n 果たして,それは実にあっけなかった.\n「はい」とも「ああ」ともつかぬ曖昧な挨拶を返し,「空いてるお席にどうぞ」との言葉に甘えて,店の隅にある,パーテーションで区切られた二人用のスペースに向かい合わせで座ることにした.\n「さて,入ったからには何か注文しようか」\n モバイルオーダー用のタブレットを手に取り「モーニングセット」と書かれたボタンをタップすると,彼女は心底驚いたように言った.\n「こ,これ,なに? 画面を触って操作したの?」\n「? 初めて見た? モバイルオーダーだよ」\n「モアイ?」\n 彼女はいつも明るい人だったが,あまりふざける人ではなかった.今も嘘をついているようには見えない.\n「えっと,もしかしてだけど,お前,今の年齢以降の記憶がない……?」\n 彼女は当たり前のように答えた.\n「え? 今の年齢以降って,君にとっては過去かもしれないけど,私にとっては未来のことだよね?」\n「それは,今の時代のお前が魔法によってその姿になったってわけではなくて,二十年前のお前が,二十年前の姿のまま,ここへ来たってことか?」\n「そう.私は心も体も小学生の状態」\n 参った.僕はてっきり,「今の時代」の彼女が「二十年前の姿」になって僕のもとに来たのだと思っていた.しかし彼女ははっきりと言っていたではないか.「きっと二十年前の時代とかからこの時代に来たんだよ」と.\n 当初の目論見が外れ呆然としたが,ひとまず僕は適当なセットを,彼女はコーヒーが苦手なのでアイスの乗ったジュースを注文した.\n「マズいな……」\n 僕は思わず独り言ちたが,それはしっかり彼女にも聞こえていた.\n「マズいって,何が?」\n 僕はいったん頭の中で整理してから,考えていたことを話した.\n「お前,小学五年生になる前の春休みに,どこかに引っ越していったんだよ.春休みは会えなかったから,僕も五年生になるまでそのことを知らなかった.引っ越し後のことも引っ越し先の住所も僕は知らない.今日はひとまず引っ越し後にどうしていたのかをお前に聞く予定だったんだよ」\n「引っ越し? 私が?」\n「ああ,何も聞いてなかったのか?」\n「何も聞いていない.少なくとも『今の私』はね」\n ややこしいが,彼女の言う「今の私」というのは,二十年前当時の彼女のことだろう.\n「そういえばお前は,二十年前の何月からここに来たんだ?」\n「さあ? 分からないけど,たぶん春か秋じゃないかな.薄手の長袖着てるし」\n 秋から五月にワープしたというのは考えにくいから,彼女は二十年前の五月から来たと考えるのが妥当だろう.それなら引っ越しまで一年弱ある.親から引っ越しのことを何も聞いていなくても不思議ではない.もしかしたら引っ越し自体がまだ決まっていなかったかもしれない.仮に秋だとすれば約半年後.さすがに教えていてもいいと思うが,急に決まった引っ越しであれば,それもありうる.\n「そういえば,何がきっかけで君は私が引っ越ししたと知ったの? 引っ越し先の住所も知らないってことは,私は引っ越し後に君へ手紙を送ったりはしなかったんだね.それに引っ越し自体を知らなかったってことは,引っ越し理由も分からないまま?」\n 某名探偵と違って中身も子供なのに,やはり彼女は冴えている.\n「お前の引っ越しを知ったのは,近所のおばさんからだよ.お前が五年生の始業式に来なかったから,風邪でも引いたのかと思って家まで行ったんだ.そうしたら文房具屋はシャッターが閉まっていて,中に人がいる様子もなかった.どうすればいいか分からなくなっているところに隣のおばさんが来て,いろいろ教えてくれたんだ.\n まず,そのおばさんも引っ越しするなんて知らなかったこと.\n 次に,引っ越し先は誰も知らないと思われること.おばさんは,引っ越しの様子を見かけたからお前の家の引っ越しを知っただけで,お前の親から直接引っ越しについて伝えられたりはしていないそうだ.\n 手紙についてはお察しの通り,お前からは一通も来なかった.僕も住所を知らないから出しようがなくて,小学四年生の終業式で会ったのが,二人が話した最後だ.\n 引っ越し理由も知らない.たぶんおばさんも知らないだろう」\n「なるほどね.引っ越しが春休みということは,クラスでお別れ会みたいなものもなし,かな.もしかしたら春休みに入るまで,引っ越しのことを学校にすら伝えていなかったかもね」\n「あるいは,学校に連絡はしていたが,『生徒には伝えないでほしい』と頼んでいたか,だな.引っ越しによる転校には多分色々と手続きがいるはずだから,さすがに直前で伝えてどうにかなるものではないと思う」\n 僕がそう言うと,彼女は珍しく感嘆したような表情になる.頭の冴えで言えば彼女の方がうわてだと思うが,さすがにこればかりは大人と子供の差だ.この年齢差で勝って喜んでいるのも情けないが.\n「まとめると,こうだね.私は小学四年生の春休みに突然引っ越した.引っ越し先や引っ越し理由は不明.私が君に手紙を書かなかったのが,私自身の意思なのか両親に止められたのかは分からないけど,少なくとも私たち一家はあの学校や近所の人たち,そして君と一切の関係を断つつもりだった」\n「そうだ.つまるところお前がこれから過ごす二十年間のことは何一つ分からないし,それを解くための手がかりもない」\n 誰も知らない彼女の二十年間に何かがあったことはまず間違いないだろう.しかし,それを知るためのヒントが何も無いのであればどうしようもない.\n「……これは,長くなりそうだな」\n 五里霧中だ.お互い無言になった時,二人の注文した料理が届いた.\n",
"\n「これ,結構多いんだな……」\n すでに限界を迎えつつある腹をさすり,まだ半分近く残っているモーニングセットのパンケーキを睨む.\n 二十代に入ってから異様に落ち込んだ食欲はそのまま戻ることなく,重い料理になると一人前を食べきるのは難しくなってきてしまった.\n 今もそうだ.メニューの写真には比較対象がなかったから分からなかったが,値段から想像していたよりも大きめのパンケーキに僕の胃袋は降伏寸前だった.\n「ここ,家から近いんだよね? 量とか知らなかったの?」\n 彼女がアイスをつつきながら言う.いつになく上機嫌だ.考えてみれば,小学生にとってカフェなんてそう頻繁に来る場所ではないだろう.スイーツだって簡単には食べられない.嬉しいはずだ.\n「ここにカフェがあることは知っていたけど,入ったのは今日が初めてだよ.いつもはただの風景だった」\n「ふうん,なんで? アイスとかケーキとか,いろいろあるのに」\n「近い場所にあると興味が湧かないんだ」\n「大人はそういうものなんだね.お金があるから,好きなもの食べ放題なのに」\n 僕も子供のころは,お金をたくさん持っていて好きなものを買い放題な大人を羨ましいと思って見ていた.でもいざ自分が大人になってみると,体型だとか貯金だとか将来だとか,あるいは置く場所がないだとかどうせすぐに使わなくなるだとか,そういう余計な事ばかり考えてしまう.\n 人は,「今欲しい」「今食べたい」という気持ちを,一体何歳で忘れてしまうのだろう.\n「僕も子供のころはそう思っていたよ.でも,お金があっても物に興味を持てないんだ」\n 彼女は不思議そうに「ふうん」と言うだけだった.\n これ以上喋ると悲しくなってきそうなので,曖昧に頷いてこの話題はここで終わらせることにした.\n「そうか,君は今大人なんだなあ」\n 彼女は急に思いついたようにしみじみと言った.\n「もう学校は卒業しているんでしょ? 働いていたりするの?」\n「ああ,卒業してる.院まで行ったから社会人になるのは遅かったけどね」\n「いん?」\n「大学院だよ.大学に追加して,もう二年勉強したんだ」\n「二年も追加で勉強したの? すごいなあ,勉強熱心なんだね.学校の宿題とか,面倒なのに」\n 進学した理由が「まだ働きたくないから」だと知ったら,彼女は笑うだろうか.呆れるだろうか.\n「それで,今はどんな仕事をしているの?」\n「Webデザイナー……って分かるかな,ホームページ……も分かるかな,とにかく,デザイン系の仕事だよ」\n 彼女は驚いたように聞き返した.\n「デザイナー? 小説家にはならなかったの?」\n そうだった.僕は小学生のころ,あんなに彼女の前で「将来は小説家になるんだ」と言ってきたんだった.\n「ああ,小説は……もうやめたんだ」\n 煮え切らない返事に不思議そうな顔になりながらも,彼女は理解を示してくれた.\n「そうなんだ,でも,あの時よりも夢中になれるものが見つかったってことだよね」\n 何も答えられなかった.本当はそうではない.そんな無邪気で明るく前向きな理由で小説家を諦めたんじゃない.でも,それを正直に言うのも憚られた.\n パンケーキを一口分切り出し,悲鳴を上げる胃に無理やり押し込む.今思い出してしまった苦い記憶まで胸の奥に再びしまい込むように.\n「ところで,デザイナーって,どんなお仕事なの?」\n「つまらない仕事だよ」\n ぴしゃりと答えた.\n「人に言うと『すごい仕事だね』って言ってもらえるけど,実情はそんなもんじゃない.給料はたいして高くないし,重箱の隅をつつくようなことでひたすら責め続けられるし,納期は急に変わるし,『誰にでもできる仕事だろう』と見下されることだってある」\n 皿の上のパンケーキを見つめたまま,堰を切ったように愚痴があふれ出した."
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申し訳ございませんが、検索結果を見る限り、この小説『夢』は明確な「オチ」という形では終わっていないようです。
この作品は、主人公が小学生時代の女の子との思い出を回想し、彼女が魔法によって過去から現代に現れるという物語です。検索結果から読み取れる展開では:
- 主人公は30歳で独身となり、彼女との約束通り「魔法が使える」ようになる
- 過去から現れた彼女(小学生の姿のまま)と再会する
- 主人公は彼女の死を防ごうと過去に何度も戻るが、毎回彼女の死を防げず、最終的には自分自身が彼女を轢いてしまう
- 物語の最後は、彼女が元の世界に帰った後、主人公が一人で自転車に乗って帰路につく場面で終わる
「オチ」というよりは、救えなかった過去への後悔と、それでも前に進もうとする主人公の姿が描かれた、切ない余韻を残す終わり方のようです。明確な解決や驚きの展開というよりも、喪失感と諦念が漂う結末となっています。
はい.全然理解してないですね.
もう少しちゃんと聞いてみようと思います.
小説『夢』の最後の一文「だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う.』について,これはどういう意味ですか?
この一文を理解するために、小説『夢』の関連部分を検索してみます。
{
`content`: `だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う`
}
[
"\n「ねえ,もう少しだけ遡ってみようよ」\n「遡る? 時間をか?」\n「そう.君が生まれたその日まで.せっかくだから見ておきたいと思わない?」\n「……」\n「きっと,いいものが見られるよ.だからお願い,ね,ね,いいでしょ?\n つまらなかったらすぐに帰ればいいんだし」\n「そうだな,じゃあ少しだけ,見に行ってみようか──」\n",
"\n クロスバイクをマンションの駐輪場の一番奥に停めて,しっかりと施錠する.\n カギを挿して家のドアを開ける.数日ぶりなのに,随分長い間家を空けていたような気がした.\n メッセンジャーバッグをカバン掛けに仕舞い,机に向かう.\n 昨日と一昨日に見た夢は,どちらも未来に関するものだった.いくら魔法の力であっても,過去を変えることはできない.実際に夢の中でも過去を変えることはできなかった.\n なら,未来を変えればいい.\n 僕は,埃をかぶっていたノートパソコンを開いた.学生時代にレポート作成に使っていて,社会人になってほとんど使わなくなっても何となく捨てずに持っていたものだ.\n 小学生以来だが,小説を書いてみようと思ったのだ.もう一度だけ,夢を追ってみたいと思った.でも,急に思い立ったものだから特に書きたい題材があるわけではないしネタもない.\n だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う.",
"\n 兄の部屋に,昨日のように布団を二組敷いた.\n カーテンを少し開けて,大きな窓からふたりで夜空を見上げた.\n「流れ星,ないね」\n「そう簡単には見つからないさ」\n 流れ星は見当たらなかったが,快晴なのもあって昨日よりもよく星が見えた.\n「じゃ,今夜は頑張ってね」\n 彼女がおどけるように僕を見上げながら言う.\n「ああ,頑張るよ」\n 僕も少しふざけて答えた.\n 今日は,すぐには寝付けないかも知れない.\n",
"\n「お風呂は私と一緒に入っちゃいましょうね」\n とにかく今日の母は上機嫌だ.こんな誘いを彼女に苦笑いで拒否されてもまだ機嫌がいい.\n「じゃあ,お風呂から上がったらドライヤーかけてあげるから.私が上がってきたときもドライヤーお願いね」\n もしかしたら,彼女のことを本当に自分の娘のように思っているのかもしれない.\n もし僕が男ではなくて女だったなら,母の人生は今より幾許か幸せだったのだろうか.\n",
"\n 夕食はすき焼きだった.\n 兄たちは泊まらずに,日が出ているうちに帰って行ったらしい.お土産として仕事仲間から貰ったという牛肉をくれたらしい.\n「とてもいいお肉なのよ」と母は上機嫌だった.\n「さあどんどん食べなさいね」と白菜やシイタケや春菊や肉を次々と彼女の取り皿に入れていた.\n 彼女はあまり食欲がなさそうだったが,受け取った分はすべて食べていた.\n",
"\n アラームが鳴った.\n 午前六時のアラームだ.\n 別に今日は六時に起きる必要なんかない.スマホのアラーム設定をオフにするのを忘れていた.\n 大きな窓から朝陽が差し込み,僕の顔を,頬を,まつ毛を照らしている.\n やはり太陽光は偉大だ.朝に弱い僕でも,だんだん頭が覚醒してくるのを感じる.\n 朝だ.\n 降り注ぐ陽の光は,僕の顔を照らすだけでは飽き足らず,部屋を舞う埃一つ一つまで丁寧に白く染める.舞い散る埃たちは,不規則に自由自在に動いて,まるでたくさんの幼子が思い思いにはしゃぎまわっているかのようだ.\n 飽きるまでそれを眺めてから,ゆっくりと体を起こす.窓の方を見ると,雲一つない晴天の中,太陽だけが自分の存在を激しくアピールしている.\n 今日は暑くなりそうだ.\n ふと隣の布団を見ると,昨日一緒に寝たはずの彼女がいない.僕より先に起きたのだろうか.昨日はカーテンを閉めて寝たはずだから,僕より早く起きた彼女が開けて行ったのだろう.\n 昨日運動したからだろうか,今日は寝起きがいい.ひとつ大きなあくびをし,体を伸ばした.\n",
"\n 家には帰らず,近所のラーメン屋で昼食をとった.\n 駅の近くにあり,小学生だった僕らが毎日素通りする背景だったラーメン屋だ.\n 彼女は子供用の小さなサイズのものを頼んで少しずつ小皿に分けながら食べていたが,あまり食欲がないらしく半分近く残した.\n 僕は豚骨ラーメンを頼んでいたが,あまり満腹にならなかったので彼女の残した分も食べた.\n 昨日運動したからだろうか,いつもより食欲があった.\n",
"\n 階下に降りると,ちょうど母と彼女が朝食の準備をしているところだった.\n「あ,今起きたんだ! 寝坊助さん」\n 彼女が僕の方を見てなぜかニヤニヤと楽しそうに言う.\n「お前が起きるのが早すぎるんだよ」\n 出来るだけ気取って答えると,彼女は「ふふっ」と笑った.\n「気づいてないの?」\n「え?」\n「君の寝ぐせ,とんでもないことになってるよ」\n「ええ?」\n 慌てて洗面所に行き,鏡に向かうと,彼女の言う通りご機嫌な髪形が顔を覗かせた.前髪はぐしゃぐしゃだし,後ろ髪は重力に逆らって植物のように上へ伸びている.\n これは,笑われるわけだ.\n 時間はかかったがなんとか寝癖を直して戻ると,もう朝食の準備はあらかた終わっており,みんなが食卓に並んでいた.\n どうやら彼女は母から色々と教わりながらの料理だったらしい.母は「この子ったらかなり覚えが早いのよ」と上機嫌だった.\n 彼女が作った卵焼きは,巻くことこそ何とか成功している風だったが,等間隔に切れておらず右から左に行くにつれてだんだん細くなっていた.\n「すごくおいしいよ」と褒めると彼女は素直にうれしそうな顔をした.\n その卵焼きは,ほとんど僕と母が食べた.\n",
"\n「さあ,遠慮しないでどんどん食べなさいね」\n 今日の母は上機嫌だ.\n「私ね,本当は娘が欲しかったのよね」\n そう言いながら彼女の小皿に次々とおかずをよそう.ぶりの刺身,れんこんや里芋の煮物,鯛の焼いたもの,から揚げ…….\n この家は四人家族で,僕の上に兄がいる.年は二つしか違わないが,中身は全くと言っていいほど違う.優秀な兄だ.証券会社に勤め,同期の中でも抜きん出た業績を残しているらしい.話を聞く限り上司からも気に入られているようだ.\n「娘といえば,お兄さんとこの出産予定日はもう来月なんだってね」\n 母は嬉しそうに父に報告する.母は兄のことを「お兄さん」と呼ぶ.母は兄の前で僕のことを何と呼んでいるのだろうか.少なくとも僕と兄がいる場で,母が僕について話しているところを見たことがない.\n 父はコクリと頷くだけで,特に返事はしない.でもその仕草は,満足しているようにも,自分のことのように誇っているようにも見える.あまり口には出さないが態度には出る人だ.兄が結婚どころか彼女の気配すら見せなかった二十代前半の頃はいつも険しい顔をしていた.彼女の気配すらないのは今の僕も同じなのだが,それについて何か反応を見せたことはなかった.そもそも,恋人がいるかどうかを聞かれた記憶もない.\n「お兄さんったら,名前をどうすればいいかってずっと相談してくるのよ.二人目なんでしょ,もう慣れてるでしょって言っても『慣れることはない,名前を決めるなんて責任が重大すぎる』なんて言っちゃって,可愛いところあるんだから」\n 久しぶりに帰った僕の,今の生活が話題に上がることはない.まるで知らない家庭の内輪話を聞いているようだ.\n「悩んで決めさせればいい.親の願いを名前に込めたって子供には通じないものだ」\n 父はワサビの山を箸で崩しながら言う.\n 僕の名前にはどんな願いが込められているのだろう.そもそも願いは込められているのだろうか.幼い頃から今だって,両親が僕に何か期待したことなんて一度もなかった.\n「そうは言ってもね,あんた,お兄さんの気持ちも考えなさいよ.あの子変に真面目なんだから,きっとどうでもいいことまで考えてるわよ」\n 母は,さっきは笑っていた兄を今度は擁護する.父は,また「放っておけ,俺たちの子供ではないんだから」というようなことを言う.母は,対抗するように「子供ではないけど孫ではあるでしょ,全くの無関係ってわけではないの」と反論する.\n こういう言い合いの時に,両親のどちらかが僕に意見を求めてきたことも,記憶の限りでは一度もなかった.\n",
"\n「あれ,どうしてこんなところに来たの?」\n 彼女が楽しそうに聞く.この人はどんな時でも楽しそうだった.\n ここは家の近くにあるカフェの前で,今まさに扉を開けようとしているところだった.\n 僕はしゃがみ込み,彼女と目線を合わせて言った.\n「いろいろと分からないことはあるけど,その中でも重大なことが残っている」\n「?」\n「お前が魔法によってその姿になって僕のもとに来たことは分かった.でも,魔法で来たということは,もしかしたら,僕以外の人間にはお前の姿が見えないかもしれない」\n「そうだね,まだ君としか会っていないから,確かにそれは不明だね」\n「だから手っ取り早い方法として,何か店に入って,店員の反応を見るのがいい.それに,調査の前にまず腹ごしらえだよ.僕はまだ朝食をとっていない」\n「そうだね.でもひとついい?」\n「なんだ?」\n「もし私の姿がほかの人に見えなかったとしたら,今の君,すごく不審者だよ」\n 僕は即座に立ち上がり,訳もなく手の甲をズボンの尻でごしごし擦った.\n 彼女がいたずらっ子のように笑っているのが見なくても分かる.\n「入るぞ」\n 僕は自分に言い聞かせるように,カフェの自動ドアをくぐった.\n"
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この最後の一文は、物語全体の枠組みを明かす重要な締めくくりです。
主人公は、魔法の力で数日間にわたって不思議な体験をします。検索結果から分かるように、小さな女の子の姿をした存在と過去や未来の夢を見たり、実家に帰って家族と過ごしたりという数日間でした。
そして物語の最後、主人公は学生時代に使っていたノートパソコンを開き、「小説を書いてみよう」と決意します。本文には以下のように書かれています:
> 小学生以来だが,小説を書いてみようと思ったのだ.もう一度だけ,夢を追ってみたいと思った.でも,急に思い立ったものだから特に書きたい題材があるわけではないしネタもない.
> だからまずは,僕自身が経験したこの不思議な数日間について,したためてみようと思う.
つまり、**私たち読者が今まで読んできた小説『夢』そのものが、主人公が自分の体験を書き記した作品である**という構造になっているのです。この最後の一文によって、物語が円環を描くように完結します。
「したためる」は「書き記す」という意味の古風な表現で、主人公が自分の経験を小説として書き起こそうとする意志を示しています。夢を諦めかけていた主人公が、この不思議な体験を通じて再び創作への情熱を取り戻し、未来を変えようとする前向きな決意を表す結末となっています。
えーっすっげえ!!!!
ちゃんと理解してる!!!
理解してるじゃん!!!!!!!
驚きで言葉も出ません.
これもう僕いらないですね.
次からお前が俺の小説について語ってくれ.
余談
最初の質問をしたとき,Claudeから心配されました.
大丈夫です,これはフィクションですよ.
