*: 2026.5.23加筆
はじめに
身体には多くの関節が存在し,多リンク・多自由度構造を有する.このため全身運動は,その軌道,速度,加速度などを含めると無限の選択肢があることになる.ところが,コップを掴む,投げるなどのタスクを行うと,おおよそ,多くのヒトが似たような運動パターンで動作を行う.自由度が削減されている.私はこのような自由度の削減による運動のパターン化を運動パターン生成と呼んでいる.
運動やタスクの目的以外に,身体運動を拘束するものがあるから,運動パターンが生成されると考えるのが自然だろう1.
この運動パターンを生成するルールがどのようなものかを調べるのが,バイオメカニクスの研究目的の一つである.
そこで多くの研究者たちは,観測結果から,スポーツに限らず身体運動を記述できるルールを当てはめ,研究者の都合で身体をモデル化(フィッティング)する事が多い.モデル化できれば,その理由にこだわらない立場である.「きっと◯◯のような理由があると推察される」などと理由を述べておけば,研究はうまくまとまる.
このような「数理モデルとしては説明できるだろうが,実際の身体の拘束に照らすと無理がある」モデル化やフィッティングや切り抜きの研究に対し2,「物理的,生物的なもっともらしさ」「無駄の無さ」「自然さ」「ヒトの都合と力学拘束から導かれる理」を意識し,必然性(理由)にこだわり,物理的に尤もらしさを強調したのがPhysically Plausible Biomechanics(PPB)3である.適当な日本語訳がないのでとりあえず,長ったらしいが「身体合理性に基づくバイオメカニクス」「物理的に尤もらしいバイオメカニクス」となる.
しかし,妥当性は絶対的なものではないので,できるだけ正確に,精度よく,合理的に,辻褄の合う説明をすることしか違いがない.
バイオメカニクスは力学ベースなので,そもそも物理ベースで,違和感があるだろうが,ここでの物理は,「理(ことわり)」で理由を物理的・数理的に説明し,その数理から現象を説明することを目指している.いろいろな事象の相互作用を数理でつなげ,多くの辻褄(道理)が合うように説明したいだけである.「道理」の理とも言える.ただし,「辻褄が合えばなんでも良い」という立場ではない.物理的・生物的な道理のある辻褄である.
その理を考えるために,まずは,我々の身体運動を一体どのようなものが拘束するのか考えていきたい.
拘束の意味*
身体を骨格系の構造としてみるなら,骨格系が与える解剖学的・構造的な拘束も自由度をかなり制限し幾何学的・運動学的な範囲を狭める,それにともない静力学・動力学的にも拘束を与える.たとえば,肘関節や膝関節は蝶番構造で,これは伸展・屈曲方向に対して可動域を与えるが,それに直交する軸まわりには動かない.運動を行うと,このような関節の幾何学拘束は二階微分することで関節に力が発生し,力学拘束になる4.たとえば肘関節の内外反方向の運動を行えば,関節には反力として内外反のトルクが作用する(筋肉が発揮するのではなく,靭帯や骨に作用する).
さらにアクチュエータとしての筋肉は,よりヒトらしい拘束を与える.筋肉もロボットのモータも力学的には似たような性質と持つ.また性能は遥かにヒトの筋肉のほうが優れているが,どちらも粘性抵抗というエネルギーを消散する性質を持ち,特にヒトでは運動パターンを強く拘束する.つまり経済性を考慮すると無視できない拘束となる.これは次の記事「Physically Plausible Biomechanicsって何?(2)」で述べる予定だ.
拘束とは運動の範囲を狭めるものであるが,身体運動のルールを考えたときに,そのルールは拘束の範囲を大きく逸脱しないか?考えておくべきだ.たとえば投げるときに,手先は投擲方向に向かってリリースするという運動の拘束が作用するが,発見したルールは,それと矛盾しないかと.
強い拘束・弱い拘束
たとえば解剖学的な拘束は,運動できる範囲をかなり制限する幾何学的な拘束で,「強い(タイトな,厳しい)」拘束と言える.このような等式拘束はある意味厳密な拘束だ.一方,運動の目的や,経済性の拘束は,運動を拘束するものの,ある程度の範囲や揺らぎを与える「弱い(ルーズな,緩い)」拘束と言える.
拘束にも色々あるが,UCM(Uncontrolled Manifold)解析は,現実的ではないが,拘束を考えるうえで面白い例題である.最後に補足した5.
身体運動を拘束するもの
身体運動を拘束するものを以下の4つに分類した.もう少し良い整理があるかもしれないが,とりあえず,以下のようにまとめた.
- 力学・エネルギー的拘束(Mechanical-Energetic constraint)
- 幾何学・構造拘束(Geometric-Structural constraint)
- タスク拘束(Task constraint)
- 身体–環境インターフェース(Interface constraint)
これらは,互いに相互作用する.以下に補足する.
1. 力学・エネルギー的拘束(Mechanical-Energetic constraint)
- 本質:身体を壊さず・無駄なく動かすという,生命維持に直結する要請
- 物理的核:筋の力学的性質(特に粘性散逸) → エネルギーの消散
- 速く動くとエネルギーは消散する(動かさない方が効率良い.本来は速く動かしたいので禅問答的)
- 構成要素(互いに相互作用する)
- 経済性・効率(単位パフォーマンスあたりのコスト)
- 疲労(時間・繰り返し依存的な発揮能力の低下)
- 怪我リスク(組織耐性を超える損傷)
- エネルギー回生(エネルギーの循環)
- 性格:多くの場面でタスク拘束より優先される(後述)
2. 幾何学・構造拘束(Geometric-Structural constraint)
- 本質:身体が多リンク・閉ループ構造であることが課す,力とエネルギーの分配・伝達のルール
- 力学拘束との関係:構造拘束を介し,力学・エネルギー的拘束の現れ方(どの部位がどう働くか)が決まる
- end-effector(手・足部)周りの筋力は体幹・下肢に比べて弱い
- 大きな出力・エネルギーが必要なとき,動力は身体全体から供給される
- 負荷は単純な「伝達」ではなく,身体全体への「分配」として現れる
- end-effector(手・足部)周りの筋力は体幹・下肢に比べて弱い
3. タスク拘束(Task constraint)
- 本質:何を達成すべきか,どのように達成すべきかが課す条件
- 構成要素(以下はトレードオフ関係にある)
- 目的の達成・最大化:速く投げる,遠くへ,正確に掴む
- 正確性・安定性:的に当てる,転ばない
- この正確性の拘束を忘れがち
- 身体の末梢(end-effector)や,身体重心を拘束する
- 内的拘束との関係:タスクの最大化は,1と2の拘束下での制約付き最適化として実現される(無制約の最大化ではない)
4. 身体–環境インターフェース(Interface constraint)
- end-effectorは環境との力学的接点として機能することがある
- 環境からの外力・反力が,(1)(2)の拘束に影響し,相互作用する
- end-effectorの弱さは,構造拘束(2)と環境からの外力(4)の交点で顕在化する
目的最大化とトレードオフ
ここで述べた各拘束は相互作用する.そのトレードオフ構造を無視した解析は,実際の身体運動を反映しないこともある.そのことを念頭の置いておく必要があるだろう.
疲労・怪我とのトレードオフ
スポーツのタスクを考えると,多くの研究は,目的や効果(例えば,速く投げる,速く走る)のため,どの筋肉を強化すればよいか?というタスク最大化ばかり考えてしまう.しかし,その最大化だけを考えると,身体に過剰負荷がかかるだろう.そのような最適化された運動は,疲れ,怪我を誘発する運動パターンに帰着してしまう.やり投げのように,たとえ6本しか投擲しなくても,怪我や疲労を避ける拘束(効率や経済性)とは無縁ではない.
正確性とのトレードオフ
野球のバッティングなら,試合でのスイングとは異なり,「マン振り(フルスイング)で」とお願いすると,一般にさらにパワフルなスイングをすることが可能だ.
しかし,ゴルフスイングで「全力でお願いします」と伝えても,実際にはさほど変わらないスイングをすることが多い.もしボールがなければスイングが変わるかもしれないが,ボールに当てるという行為の中で,ボールに当てるという拘束は,かなりゴルフクラブへの動力生成を拘束してしまう.
当てるなどの目的は,無意識のうちに我々の運動を強く拘束している.
最適化
最適化してフィッティングすること自体,間違いではない.モデルが尤もらしければ良いだろう.
ただし,どのようなレベルで記述するかは重要だ.機械学習でよくあるのは,速度最大化だけ目的関数に書き込み,身体などの構造を拘束条件に加え,あとは学習に任せるという方法.これに対して,次の記事で述べる予定の,具体的な方法を目的関数に取り込むことが,同じ結果を生むだろうか.試していないので,なんとも言えないが,筆者は強化学習のような方法では解を得ることはないだろうと考えている.
また,よくある最適化は,目的関数に,要素を重み係数で加算する書き方だ.ここで述べたように,矛盾する構造(相互作用)をどのように取り込むかも課題となる.
おわりに
ここで取り上げた拘束はあくまでも条件にすぎない.これらの拘束下でタスクを最適化するために,必然的に我々の運動パターンは拘束される.そこで,今後の記事で,これらの条件を満たすように,ヒトはいったいどのように運動パターン生成するのかその原理について述べる予定で,次の記事「Physically Plausible Biomechanicsって何?(2)拘束から運動パターンへ ― 無駄のない動き」では,いくつかのヒトらしい拘束について述べる.
参考文献
[1]: 中川ら: 健常者におけるダーツ投擲動作のUCM解析による関節間協調の解明, ロボティクス・メカトロニクス講演会, 2013, 2A1-I01 (https://www.robot.t.u-tokyo.ac.jp/~yamashita/paper/E/E214Final.pdf)
[2]: 伊藤:体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉,文藝春秋,2022
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制御屋は対象物を制御しやすくするために,自由度を削減したい.極論すると自由度が削減できれば何でも良い.ベルンシュタイン問題を制御屋が解釈すると,自由度削減が主たる目的となる.シナジー解析はその典型だ.筋シナジーとは,筋活動の自由度を削減して制御しようとすることであり,それを協調と捉えている.しかし,無数のシナジーの組み合わせが生まれるだけで,なぜそのようなシナジーが必要かの説明は,彼らにとってどうでもよい.身体は動かす筋肉をパターン化(シナジー化)したいのではなく,異なる要請(拘束)からシナジー化しているだけと解釈すべきでは? ↩
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恐らくご本人はそう考えていないだろうとは推察されるので,私の主観からそう見えてしまうだけである. ↩
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物理的バイオメカニクスとはあまりよいネーミングではない.「身体にとって尤もらしい・無理のない・自然な理由がある」という意味での「理」を意図したい.そこで,AIにBiologically Plausibleという用語を教えてもらった.「数理モデルとしては動くが,実際の生体の制約に照らすと無理がある」モデルに対して,「生体的に尤もらしい(biologically plausible)」モデル,という対比らしい.「生体的に尤もらしいバイオメカニクス(Biologically Plausible Biomechanics)」は,「研究者の都合で構成された不自然な解釈に対する批判的立場」ということになる.英語圏の神経科学・計算生物学では,"biologically plausible" という形容詞を使うらしい.
そこで,Physically Plausible Biomechanicsという名称を考えた.暫定的だが.本来は,「物理法則と矛盾しない・物理的に実現可能な範囲にとどまる」という意味だが,「物理的に尤もらしい範囲に運動を制約して捉える」バイオメカニクスを意図する.「物理ベース」とは違う.日本語では「物理的に尤もらしいバイオメカニクス」あるいは「物理整合的バイオメカニクス」あたりか?
ただし,「Physically Plausible」は,CG界でもともと「見た目が物理的にもっともらしい」という意味で,すでに使用されているので注意が必要だ. ↩ -
ラグランジュ拘束 ↩
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UCM(Uncontrolled Manifold)解析は,少し数学的な説明になるが,身体に自由度(関節の数)の冗長性がある場合,手先の速度$\boldsymbol{v}$を定めると,それを実現する関節の動かし方$\dot{\boldsymbol{q}}$($\boldsymbol{q}$は関節角度)は,無限ではなくある広がり中に制約されるので,ヒトはその冗長性を利用し柔軟に運動を行っており,揺らぎはその制約された広がりの中で発生する,という考えである.一種の適応でもあり,ベルンシュタイン問題への回答である.数理的には手先速度は$$\boldsymbol{v} = J(\boldsymbol{q}) $$と書くことができ,この逆関数は冗長性があるため,$$\dot{\boldsymbol{q}} = J(\boldsymbol{q})^{-1} \boldsymbol{v}$$の$J(\boldsymbol{q})^{-1}$は一位に定まらず,広がりを持つが,それが多次元の滑らかな曲面(多様体)のような広がりとして記述される.ヒトの柔軟性は,この曲面のなかで揺らぎながら運動するということを意図している.
しかし,この解析は拘束を考える上で面白い考えに基づいているが,現実問題としての課題が多い.例えば多くの実証はダーツの投擲などの解析[1]のように2次元平面で行われているが,自由度を論じるなら3次元の解析で行うべきで,肘の蝶番関節のような関節拘束も含むべきである.関節拘束を入れて解くことはできるが,並進を含めて多自由度になると解析に使用する数式は膨大になり現実的でなくなる.
また,手先の幾何学拘束と関節速度は先程の式のように書けるが,これを力学問題で記述すると$$\boldsymbol{\tau}=J^T \boldsymbol{f}$$のように冗長性がなくなる.ここで$\boldsymbol{\tau}$は関節トルク,$\boldsymbol{f}$は手先力である.つまり,手先に作用する力$\boldsymbol{f}$が定まるなら(ボールに作用する力が一定なら),静力学的に関節のトルク$\boldsymbol{\tau}$も一位に定まり,冗長性はないことを意味する.手先に作用する力を制御する立場では,冗長性など発生しない.制御問題としては運動学問題で考えるよりも,力学で考える方が合理的で,身体の冗長性などもはやどうでもよくなってしまう.桑田さんの投球では,非常に正確に投げているので,御本人はいつも同じ位置で正確にリリースしていると考えていたが,他の被験者と比較しても,そのリリース位置はひときわばらついていて,ご自身も意外であったという実験報告がある[2].これはUCM解析のような適応では説明ができず,力学のUCM解析版を考えるべきであろう. ↩

