はじめに
最近 COMSOL Multiphysics (COMSOL) を使って TES(Transition Edge Sensor)の熱シミュレーションを進める中で、
熱がどのくらいの速さで広がるのかという感覚が曖昧だったことに気づきました。
COMSOL では熱が吸収体内を伝わる様子を直接シミュレーションできますが、
その前提として 「どの程度の時間スケールで広がるのか」 をオーダーで把握しておくと、
応答の解釈やデバイス設計が理解しやすくなると思います。
また、近年では 熱が広がるまでのわずかな時間差を位置情報として利用する TES も開発されており、
熱拡散のスケールを掴んでおくことは、シミュレーションと実デバイスの両方を結びつけるうえで必要だと感じました。
そこで本記事では、
- 熱拡散を決める基本量
- デバイス寸法に対する拡散時間の見積もり
- その時間スケールが位置感度型 TES とどう関わるか
を簡潔に整理します。
なお、熱伝導方程式の導出については、以下の記事がとてもわかりやすいです:
熱伝導方程式
まず、熱の流れはフーリエの法則に従います。
q = -k \nabla T
ここで、$q$ は熱流束、$k$ は熱伝導率、$T$ は温度です。
温度勾配の大きい方向へ熱が流れることを表しています。
一般のエネルギー保存則(対流を含む形)
熱エネルギーの時間変化は、次のようになります。
\rho c \frac{\partial T}{\partial t}
+ \rho c\, \mathbf{u} \cdot \nabla T
+ \nabla \cdot q
= Q
- $\rho$:密度 (kg/m³)
- $c$:比熱 (J/kg·K)
- $\mathbf{u}$:物質の流速
- $Q$:体積あたりの発熱源 (W/m³)
固体中では熱輸送は拡散のみで決まる
TES 吸収体・配線・メンブレンはすべて固体であり、
内部に流れ(対流)は存在しないため、速度項 $\mathbf{u}$ は $\mathbf{0}$ となります。
フーリエの法則 $q = -k\nabla T$ を代入すると、
\rho c \frac{\partial T}{\partial t} = k \nabla^2 T + Q
内部発熱がない場合 $(Q = 0)$ では、
\frac{\partial T}{\partial t} = \alpha \nabla^2 T
ここで、熱拡散係数 $\alpha$ は
\alpha = \frac{k}{\rho c}
拡散スケールの見積り
1 次元の熱拡散方程式は次の形です:
\frac{\partial T}{\partial t} = \alpha \frac{\partial^2 T}{\partial x^2}
ここで、$\alpha$ は熱拡散係数です。
もし、初期時刻 $t = 0$ において、熱が $x = 0$ に局所的に入力された(デルタ関数的加熱)とすると、解はガウス分布になります。
(導出はこちらの記事を参照。)
T(x, t)
= \frac{1}{\sqrt{4\pi\alpha t}}
\exp\!\left(-\frac{x^2}{4\alpha t}\right)
ガウス分布の標準偏差 $\sigma$ で置き換えると
\sigma = \sqrt{2\alpha t}
となります。
つまり、時間 $t$ のときに熱が広がっている典型的な距離スケールは
L(t) \sim \sigma = \sqrt{2\alpha t}
これを時間 $t$ について解くと、
t_{\mathrm{diff}} \approx \frac{L^2}{2\alpha}
実例:低温 Au の物性値で計算
X 線検出用の TES は極低温($\sim 100$ mK)で動作します。
本記事では、吸収体材料として一般的な金(Au) の低温物性値を用いて、
吸収体内の熱拡散に要する典型的な時間スケールを見積もります。
| 物性 | 値 | 単位 |
|---|---|---|
| 比熱 $c$ | $5.91\times10^{-4}$ | J/(kg·K) |
| 密度 $\rho$ | $1.93\times10^{4}$ | kg/m³ |
| 熱伝導率 $k$ | $4.57$ | W/(m·K) |
(出典:太田 2019, 修士論文 / 東京大学・ISAS 山崎研究室, https://www.isas.jaxa.jp/home/yamasaki/group.html)
熱拡散係数:
\alpha = \frac{k}{\rho c}
= \frac{4.57}{(1.93\times10^{4})(5.91\times10^{-4})}
≈ 0.40\ \mathrm{m^2/s}
この $\alpha$ のオーダーが分かると、
吸収体内で熱がどのくらいの時間で均一化するかの見通しが立ちます。
COMSOL との関係
COMSOL の数値シミュレーションでは、まさにこの熱伝導方程式が有限要素法によって解かれています。一方で、TES では電気回路(シャント抵抗・インダクタンス)による Joule 熱などとの熱結合、超伝導転移に伴う非線形応答などが重なるため、実際の温度応答はより複雑なものになります。
それでも、ここで見積もった 熱拡散係数 $\alpha$ や
拡散時間 $t_{\mathrm{diff}}$ のスケール感があると、
シミュレーション結果や実測波形との距離感がとりやすくなると思います。
参考:COMSOL における有限要素法と熱伝導方程式
https://www.comsol.com/multiphysics/finite-element-method
応用例:熱拡散時間を利用した位置感度型 TES
ここまで見てきた 拡散時間のスケールは、
実際の検出器設計にも応用されています。
その一例として、位置感度型 TES(Position-sensitive Transition Edge Sensor) と呼ばれる方式を紹介します。
拡散時間のスケール
t_{\mathrm{diff}} \approx L^2 / (2\alpha)
は、吸収体内で熱がどれくらいの速さで伝わるかを決める重要な量です。
例えば Au 吸収体中で、1 mm 離れた位置に熱が伝わる場合:
t_{\mathrm{diff}}
\approx \frac{(10^{-3})^2}{2 \times 0.4}
\approx 1.2\times10^{-6}\ \mathrm{s}
= 1.2\ \mu\mathrm{s}
このように、熱が伝わるまでにわずかな遅れが生じることを利用した検出器が、位置感度型 TES です。
原理のイメージは次のような形です:
TES1 ────●────────── TES2
X-ray
熱は左右へ広がる
近い方が早く立ち上がる → 位置推定(この例では TES1 が先に反応)
吸収点に近い側の TES が先に温度上昇を検出するため、
二つの TES の信号立ち上がり時間差 $\Delta t$ から
X 線がどの位置で吸収されたかを推定できます。
この技術は、X線天文学における高空間分解能の X 線検出器を目指した開発として研究が進められています。
参考:Noda et al. 2022
https://doi.org/10.1117/12.2629086
まとめ
熱の広がり方は、熱拡散係数
\alpha = \frac{k}{\rho c}
と、サイズに対応する 拡散時間
t_{\mathrm{diff}} \approx \frac{L^2}{2\alpha}
で見積もることができます。
低温 Au では $\alpha \sim 0.4\,\mathrm{m^2/s}$ 程度となり、
ミリメートルスケールで熱が伝わるにはマイクロ秒オーダーの時間 が必要になります。そして、この時間スケールを利用した TES について紹介しました。
本記事が、COMSOL での熱シミュレーションや TES の応答を考える際の「時間スケールの目安」として役立てば幸いです。