前回の記事では、エンコーダがテキスト、画像、音声といったデータをAIの共通言語である「テンソル」に変換する役割を解説しました。しかし、エンコーダが生成したデータは、まだAIの「思考」の中にしかありません。では、AIはどのようにしてその「思考」を私たちの目に見える形、耳に聞こえる形、そして言葉として表現するのでしょうか?
今回の記事では、AIモデルにおける「理解」と「生成」の役割を担う、エンコーダとデコーダのペアについて、そしてすべてのAIがデコーダを必要としない理由を、具体的なモデルを交えて見ていきましょう。
データを「理解」するエンコーダ、情報を「生成」するデコーダ
AIモデルは、大きく分けて エンコーダ(Encoder)とデコーダ(Decoder) の2つの主要なコンポーネントで構成されることがあります。
- エンコーダ: 入力されたデータを理解する役割を担います。画像、テキスト、音声など、あらゆる種類のデータを「埋め込みベクトル(テンソル)」という形式に変換し、データの意味や文脈を抽出します。これは、AIの「目」や「耳」にあたる部分と言えます。
- デコーダ: エンコーダが理解した埋め込みベクトルを、私たちが理解できる形式に変換して出力する役割を担います。テキストを生成したり、画像を生成したり、音声を合成したりするのが主なタスクです。これは、AIの「声」や「手」にあたると考えられます。
例えば、画像から説明文を生成するAIは、まず画像エンコーダで画像を埋め込みベクトルに変換し、次にテキストデコーダがそのベクトルから適切な文章を生成します。
デコーダが特に重要なのは、エンコーダが出力した埋め込みベクトル(通常は2階以上のテンソル)を受け取り、それをテキストなら2階、画像なら4階といったように、出力したいデータの種類に応じたN階のテンソルに再構築する点です。この再変換によって、AIは思考を具体的な形に落とし込むことができるのです。
ただし、ここで注意しないといけないのはベクトルへと変換する際に損失が発生してしまう点です。これはベクトルへ変換する際に特徴を捉えることを重視するために完全な情報を保持することはしないためです。つまり、復元後のテンソルは元の画像そのものではなくなってしまいます。しかし、デコーダが与えられたテンソル(画像や音声等)そのものを返す必要はないので、これは問題とはなりません。
すべてのAIに「デコーダ」は必要ない? BERTの事例
エンコーダとデコーダの両方を持つモデルが多い一方で、エンコーダのみで構成されるAIも数多く存在します。その代表例が、Googleが開発した大規模言語モデルBERTです。
BERTは、文章の文脈を深く理解することに特化したモデルです。与えられた文章の意味を読み解き、意味のある埋め込みベクトルを生成する役割だけを担います。
では、なぜBERTのようなエンコーダ単体のモデルが、これほどまでに普及したのでしょうか?
その理由は、エンコーダとデコーダの役割を分離することで、組み合わせの自由度が飛躍的に高まるからです。BERTが生成した「理解」のベクトルは、特定の形式に縛られません。この汎用的なベクトルを、目的のタスクに合わせた様々なデコーダと組み合わせることで、マルチモーダルなタスクを含む多様なAIシステムを構築できます。
例えば、以下のようなシステムが考えられます。
- テキスト分類: BERTの出力ベクトルに、クラス分類を行うシンプルなデコーダを組み合わせる。
- 音声生成: BERTにより表現された出力ベクトルに、音声合成を行うデコーダを組み合わせる。
- 画像生成: BERTにより表現された出力ベクトルに、画像生成を行うデコーダを組み合わせる。
このように、BERTのような汎用性の高いエンコーダは、単一のタスクだけでなく、複数のデコーダと連携することで、テキストから画像生成、テキストから音声合成など、異なるモダリティ(データ形式)をまたいだ複雑なタスクにも応用できるのです。
実際、大規模なAIシステムでは、エンコーダが出力した情報を基に、専門化されたデコーダや外部ツールが非同期に出力を担うことが多く見られます。例えば、GeminiのDeep Research機能は、リサーチエージェントが非同期で大量の情報を収集・分析し、その成功を待ってから最終的なレポートとして自然言語処理と組み合わせた出力を提供します。
結論:AIモデルの設計はタスク次第
エンコーダがデータをAIの言語に翻訳する 「理解」の役割 を担い、デコーダがその翻訳された内容を人間の言語に再変換する 「生成」の役割 を担うということが、AIの基本的な構造の一つです。
しかし、すべてのAIモデルが両方のコンポーネントを持つ必要はありません。達成したいタスクが 「理解」 に特化しているのか、それとも 「生成」 を必要とするのかによって、モデルの設計は大きく異なります。
現在のAIモデルにおけるマルチモーダルな出力は、主に各デコーダが独立して出力を行い、それらを非同期に組み合わせることで実現されています。これは、専門化されたデコーダの性能を最大限に活かすための効率的な設計です。
しかし、研究の最前線では、単一のモデルが複数のモダリティ(データ形式)を同時に生成する、より統合的なアプローチも試みられています。今後、AIはより人間の感覚に近い、シームレスな出力生成能力を獲得していくかもしれません。
補足
本記事でいう「理解」という表現は、AIが人間のようにテキストやテンソルの「意味」を意識的に把握していることを意味するわけではありません。 あくまで、エンコーダがデータから統計的な 「特徴」や「文脈」を抽出し、数値的な関連性を見出す プロセスを、便宜上「理解」と呼んでいる点に留意が必要です。