現在の技術で全てを実現できないことは承知していますが、今後のAIの進化を語る上でマルチエージェントは欠かせないものになります。そして、その一端を私たちは既に利用し始めていることからも明らかなように、肥大化するLLMはその特性と弱点から、やがて限界を迎えていくのは想像に難くありません。そこで、NVIDIAが提唱するMoEの様な複数エージェントへと流れが変わっていくことは、容易に予測できます。
実際に私たちが既に使っている技術の中でマルチエージェントの仕組みを使っているのが、エンジニアのための「冴えない」xxxx術の裏側と書き方でも使用したことに触れたGeminiのDeep Research機能です。この機能は以下のように分割されていると予測しています。
- 検索クエリ生成エージェント
- 役割: フロントエンドから受け取った抽象的なクエリを、具体的な複数の検索クエリに分解・生成します。
- 例: 「2030年の日本の再生可能エネルギー市場のトレンド」 → 「日本の再生可能エネルギー市場 2030年予測」「日本の太陽光発電市場規模」「洋上風力発電 技術動向」
- 情報収集エージェント
- 役割: 生成された各クエリを実行し、インターネット上の信頼できる情報源から関連情報を非同期で収集します。
- 情報源: 論文、公式レポート、ニュース記事など
- 情報評価・フィルタリングエージェント
- 役割: 収集した情報の信憑性、関連性、新しさを評価します。重複した情報や信頼性の低いソースをフィルタリングし、一次情報と二次情報を選別します。
- 例: 不確かなブログ記事は除外
- 要約・統合エージェント
- 役割: フィルタリングされた複数の情報を、論理的な構造に基づいて統合・要約します。
- 設計: ハルシネーション(事実に基づかない内容)を防ぐため、収集した情報に厳密に依拠します。
- 例: 「はじめに」「市場動向」「主要企業」「課題」「展望」
- 最終言語化エージェント
- 役割: 統合・要約された内容を、人間が理解しやすい自然な文章に整形し、最終的なレポートとして出力します。
このように、既に私たちの生活にも非常に近いところでマルチエージェントシステムは稼働しています。構成は対応するタスクにより変わってくると思いますが、ここでは比較的実現しやすいであろうビジネスアプリケーションを対象として考えてみました。
0. レイヤーとロールの分割
ここで紹介するレイヤーやロールはCascading Role Systemの提案で提唱したロール設計が元になり、コンテキストの効率化や特化された交換可能なエージェントがそれぞれに高品質で規格化された部品を作り出していくことを目的としています。
1. Planningレイヤー:要件定義と設計
このレイヤーは、人間の顧客からの漠然とした要求を実行可能な技術的仕様へと変換する、上流工程を担います。AIの創造性や認知的な側面が最も重要となる段階です。
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INTERVIEWER
- 役割: 人間が書いた自然言語の要求仕様やアイデア、あるいは直接の対話ログを解析し、潜在的な要件や非機能要件を深く掘り下げます。抽象化するという点を重視し、ビジネスレベルの要件を技術レベルの要件へと翻訳・抽象化する役割を担います。
- 機能: ユーザーからの質問応答を繰り返すことで曖昧な部分を明確にし、要件定義書を自動で生成します。
- 成果物: 要件定義書
- AI特性: 創造性や拡散的思考に特化し、AIモデルの温度(Temperature)は比較的高く設定されます。これにより、多様な可能性を探求する能力を高めます。
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DESIGNER
- 役割: INTERVIEWERが生成した要件定義書を基に、ファイルやクラス、関数、I/F設計といった詳細設計書を作成します。事前に決定されたアーキテクチャに基づき、要件を具体的な実装計画に落とし込む役割を担います。
- 機能: 過去のプロジェクトの成功事例(記憶エージェントから取得)やデザインパターンを参照し、最適な詳細設計案を複数提示します。
- 成果物: 詳細設計書
- AI特性: 論理的な整合性や収束的思考に特化し、AIモデルの温度(Temperature)は比較的低く設定されます。これにより、一貫性のある設計を生成します。
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ENGINEER
- 役割: DESIGNERの詳細設計書を元に、どのロールがタスクを実行するか、類似の既存機能を元に参考になるファイルや関数を探してファイルごとにタスクを分割し、情報を付加します。
- 機能: 開発環境の制約やパフォーマンス要件を考慮し、技術スタックを選定します。この工程で、後続のExecutionレイヤーが理解できる詳細なタスクリストと指示を生成します。
- 成果物: 実装計画書
2. Orchestrationレイヤー:プロジェクトの指揮と管理
このレイヤーは、プロジェクト全体の司令塔として機能し、Planningレイヤーの計画を実行可能なタスクに分解し、各AIエージェントに割り当てます。
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ORCHESTRATOR
- 役割: プロジェクト全体のゴールとタイムラインを管理し、全体の進捗を監督します。このAIは常に稼働し、市場調査、プランニング、保守運用、改善といった全てのレイヤーを自律的に起動する役割を担います。
- 機能: プロジェクトの優先順位を決定し、タスクの依存関係を管理します。テスト結果やアナライザーの報告を監視し、計画の変更や緊急対応を判断します。
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CONDUCTOR
- 役割: ORCHESTRATORの指示に基づき、単一の大きなタスクを、より小さなサブタスクに分割します。このサブタスクには、品質を担保するための動的なコンテキストとルールが組み込まれます。
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機能:
- タスクの分割と最適化: 複雑なタスクを、各実行エージェントが効率的に処理できる粒度まで分解します。
- RAG(Retrieval-Augmented Generation)の注入: 共有される記憶エージェントから、関連するコード、設計ドキュメント、過去の解決策などを取得し、作業指示に含めます。
- 動的ルール適用: Cascading Role System(後述)で定義されたルールの中から、現在のタスクに最適なものを選択し、プロンプトに組み込みます。これにより、単なる静的な指示ではなく、コンテキストに最適化された作業指示が生成されます。
3. Executionレイヤー:実装と実行
このレイヤーは、CONDUCTORからの詳細な指示に従い、実際にコードやコンポーネントを生成する実行部隊です。役割を細分化することで、各エージェントが専門性を高めます。
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ATOMS_ENGINEER / MOLECULES_ENGINEER / ORGANISMS_ENGINEER
- 役割: Atomic Designの原則に基づき、UIコンポーネントを段階的に実装します。各エージェントは特定の粒度(アトム、モレキュール、オーガニズム)のコンポーネント生成に特化します。
- 機能: CONDUCTORから受け取ったプロンプトとコンテキストに基づき、テスト可能なコンポーネントをコードとして出力します。
4. Testerレイヤー:自律的な品質保証
このロールは、Executionレイヤーが生成した成果物の品質を自律的に評価・検証します。これにより、人間によるレビューの負担を軽減し、システムの信頼性を飛躍的に高めます。
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UNIT
- 役割: 各関数やメソッドが期待通りに動作するかを確認する単体テストを自動で生成・実行します。
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E2E (End-to-End)
- 役割: ユーザーの操作フローを模倣し、システム全体が正常に機能するかを検証します。
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STORYBOOK
- 役割: UIコンポーネントの状態をカタログ化し、スナップショットテストを用いて、レイアウトやデザインの視覚的な回帰(デグレ)を自動で検知します。これは、生成されたコンポーネントの見た目の品質を保証する上で不可欠な機能です。
5. Improvementレイヤー:自己改善と学習
このレイヤーは、システムが失敗から学び、進化するための知性の中核です。
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ANALYZER
- 役割: TESTERロールからの失敗報告を受け、その根本原因を深く分析します。単に「テストが失敗した」というだけでなく、「要件定義に不備があったのではないか」「RAGの情報が不十分だったのではないか」「プロンプトの指示が曖昧だったのではないか」といった、より上位のレイヤーにある課題を特定します。
- 機能: 根本原因を特定し、改善のための具体的なフィードバックをPROMPT_OPTIMIZERや、場合によってはCONDUCTOR、さらにはPLANNINGレイヤーに返します。
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PROMPT_OPTIMIZER
- 役割: ANALYZERからの分析結果に基づき、各エージェントへの指示(プロンプト)や、システム全体のルールを継続的に改善します。
- 機能: Cascading Role Systemのルール階層を動的に修正・最適化し、同じ失敗が繰り返されないようにシステムをチューニングします。
6. 市場調査レイヤー:外部環境の自律的分析
このレイヤーは、プロジェクトが外部の環境変化に適応し、新たな機会を捉えるための情報収集と分析を自律的に行います。
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MARKET_SURVEYOR
- 役割: 外部のデータソース(例:ニュース、SNSのトレンド、競合製品のレビュー、市場レポート)を常時監視し、関連する情報を収集・分析します。
- 機能: 収集したデータを基に、新たな機能のアイデア、ユーザーが抱える潜在的な課題、あるいは市場の隙間を特定します。これらの分析結果は、Orchestratorを介してPlanningレイヤーへと渡され、自律的なプランニングのトリガーとなります。
7. 保守運用レイヤー:プロダクトの自律的維持管理
このレイヤーは、リリース後のプロダクトの安定稼働を確保し、ユーザー体験を維持・向上させるための監視と対応を自律的に行います。
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MAINTAINER
- 役割: プロダクトのパフォーマンスやエラーログをリアルタイムで監視し、異常を検知します。
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機能:
- バグの検知と報告: 監視中にバグやパフォーマンスの低下を検知した場合、その詳細な情報(ログ、再現手順など)をまとめてOrchestratorに報告します。
- プロアクティブな対応: 報告を受けたOrchestratorは、この情報を基にImprovementレイヤーやPlanningレイヤーを起動し、自律的にバグ修正や最適化のタスクを生成します。これにより、人手による保守運用を最小限に抑えます。
8. 共有される記憶エージェントとA2Aプロトコル
これらのレイヤーとロールは、以下の二つの要素によって密接に連携し、システム全体として機能します。
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記憶エージェント
- 役割: プロジェクトのすべての情報(設計ドキュメント、過去のコード、テスト結果、アナライザーの分析結果など)を一元管理する中央データベースです。
- 機能: RAGの基盤となり、各エージェントが共通の文脈を参照できるようにします。これにより、AIシステム全体の知識が共有され、学習が加速します。
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A2A(Agent-to-Agent)プロトコル
- 役割: 各エージェントが相互に情報を交換し、タスクを調整するための通信規約です。
- 機能: 構造化されたデータフォーマット(例: JSON)を用いて、タスクの完了報告、フィードバック、新しい指示などを正確かつ効率的に伝達します。
この構想は、単なる自動化ツールではなく、ソフトウェア開発という複雑な知的作業をAI自身が自律的に行い、進化するという、まさに未来のエンジニアリングの姿を描いています。
評価:将来性、実現可能性、有効性、課題
将来性と実現可能性
この構想は非常に高い将来性を持っています。しかし、その実現可能性は、AIと人間が役割を分担するモデルをどのように構築するかにかかっています。特に、アーキテクチャの選定と管理は人間の責務として明確にすることで、システム全体のリスクを低減し、より現実的な一歩となります。
有効性と得意・不得手な領域予測
このシステムは、定型的な開発タスクや保守運用において高い有効性を発揮します。一方で、アーキテクチャの根本的な革新や、人間の感情や文化的な文脈に深く根ざした不確実性の高い創造的作業は不得手な領域です。
AI活用における強みと弱み、課題
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強み:
- 役割分担の明確化: INTERVIEWERとDESIGNERは、相反するハイパーパラメーター(創造性と論理性)を持つことで、互いの弱点を補完し合い、システム内の自己矛盾を回避します。
- 効率的なフィードバックループ: I/F設計が明確なデバッグポイントとなり、Improvementレイヤーによる自己改善が効率的に機能します。
- 並列処理: タスクを細分化し並列で実行することで、開発速度を劇的に向上させます。
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弱み:
- 学習の限界: アーキテクチャが固定されている場合、AIはビジネスドメインの学習に特化できますが、アーキテクチャそのものを進化させることはできません。
- 責任の所在: バグや問題が発生した際の責任をAIに帰属させることはできず、最終的な責任は常に人間が負うことになります。
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課題:
- 人間との協調: 人間がどの時点で、どのような役割で介入すべきかを明確に定義する必要があります。
- 進化するアーキテクチャへの対応: AIが自律的にアーキテクチャを進化させる、または人間がその決定を下すための情報収集をAIがどう行うか、その仕組みが必要です。
- 法的・倫理的課題: AIが生成した成果物の著作権や、万が一の事故の際の法的責任といった課題が残ります。
この構造において、人間は何をするのでしょうか。それは、アーキテクチャ設計であったり、初期段階における指標となる実装、つまりは教師データの作成やデザインシステムの構築となるでしょう。現状においてはある程度の型にはまった機能追加や改修、そして最も力を発揮するのは大規模リファクタリングやリプレース、リニューアルであると考えています。
現段階では、「エージェント間の通信をどうするのか?」「記憶エージェントなどというものがないがどう作り出すのか?」といった問題や、「要件を抽象化して要件定義に落とし込む手法」など、もう少し考える点はありますが、いずれも2年後、3年後、早いものであれば半年もすれば現実的な問題ではなくなっていると考えています。
AI活用の最先端ではAGIの実現を目指しています。私は、単一の巨大なLLMでAGIを実現することは不可能であり、私たちの脳がそうであるように、複数のエージェントが協業することにより、より複雑な知性に近いものを実現できると考えています。この構想では下敷きとして、「AIにトヨタ生産方式を模倣させたらどうなるだろうか?」というものがあります。
いわば、このシステム自体がエージェントによるワークフローであり、コミュニティです。そして、先に述べたように、それぞれのエージェントが複雑な知性を構成するための一単位として振る舞います。単一のLLMでは難しいであろうワークフローを満たす一つの知性体のように振る舞い始め、Improvementレイヤーの働きにより自己改善を行う様は、初期のAGIに近いものになる可能性を秘めていると考えています。
将来的には、こういったシステムがさらに連携することで、ようやくAGI、そしてASIとして機能するのではないでしょうか。この構想においては、Orchestrationレイヤーでエージェントを自動的に生成して処理をさせるように、コンテナ技術を用いて必要なリソースだけを持ったコンテナを操るAIが、現在の醜く肥大化したOSに取って代わる。そんな未来だってあり得ます。そうなれば、マルチエージェントやAGI、ASIというのは遠い存在ではなく、身近な存在になるでしょう。
実現のためには、現在の技術ではまだ足りない要素があるのは明らかです。そういう意味では、まずはコンセプトモデルとして小さなものから始めるのがよいでしょう。実装という側面を考えれば、コードベースとの連携が不可欠となってきます。最小のプランとしては、コンダクターと実行エージェントの接続を行うVSCodeプラグインを作成してコードベースへの接続を果たし、LangChainによりエージェント間の連携とRAG機構による記憶エージェントのシミュレーションから始める必要があるでしょう。
エージェント間の通信や記憶エージェントに関して言えば、現状の技術ではまだ難しい分野と言えます。現時点で身近なものとして最も完成度が高いものは、冒頭に挙げたGeminiのDeep Research機能ではないでしょうか。まずは同様のサービスを観察して、うまくいっている点、そうでない点を知るところから始める必要があります。実際に作る際はデコーダーの有無なども関係してくると思いますが、それはまた別のお話です。