📝概要
この記事は、一度エンジニアの道を諦めた私が、5年間のブランクを経て新人研修で再構築した心の物語です。
技術的な内容は一切ありません。
キャリアに不安を感じるあなたや、新しい才能を応援したいと願う方の、背中をそっと押すきっかけになれば嬉しいです。
【目次】
1.
はじめに
2.
完璧主義という名の呪縛
3.
温かい環境がくれた気づき
4.
心の鎧を脱ぎ、再び立ち上がった日
5.
エラーは「頼れる相棒」だった
6.
美しさを追求するエンジニアへ
7.
新しいエンジニアの道
8.
最後に
【 文字数 】約4,000字
【 所要時間 】約8分
では、始めましょう。
はじめに
私は一度、エンジニアの道を諦めました。
これから大活躍するぞと心躍らせていた矢先、心身のバランスを崩し、これまでのように働くことができなくなってしまったのです。
エンジニアを続けたい気持ちとは裏腹に、立ち止まるしかありませんでした。
それから5年。
月日が経っても、エンジニアへの憧れは消えませんでした。
「もう一度、あの場所へ行きたい」という想いが、ずっと私の胸の中にありました。
生まれて初めてのコーディングで感じたあの楽しさ。
そして、技術で未来を創っていく同期や先輩方の姿が、目に焼き付いて離れなかったからです。
彼らの自由な姿、誇りを持って働く姿に、心から憧れていました。
諦めきれなかった想いを胸に、私は新しい会社で新人研修に必死で臨みました。
それはもう、脅迫感にも近い集中力でした。
「一度は勉強したのだから、実務経験もあるのだから、きっとできるはずだ」と、自分に言い聞かせていました。
しかし、現実は甘くありません。
研修自体は適切なスピードと内容だと感じていたのですが、私の心は「私はもっとできる」「余裕でこなせるはずだ」という気持ちでいっぱいになり、頭が真っ白になってしまったのです。
過去に学んだ技術をほとんど使いこなせず、できないことが重なるばかりで、強い焦りを感じていました。
完璧主義という名の呪縛
今思えば、研修が始まってすぐの私は、自分の中に潜む「完璧主義」という名の呪縛に苦しんでいました。
すべてを完璧に理解しなければならない。
エラーは私の理解不足の証拠だ。
そうやって自分を追い込んでいたのです。
エラーが出るたびに、「お前は何も理解していないぞ」と責められているように感じ、怖くてたまりませんでした。
それはコードのエラーだけではありませんでした。
過去の自分に比べて今の私は何もできない、という現実が、私の価値を否定しているように思えたのです。
一度エンジニアの道を諦めた私にとって、「周りから認められること」だけが、再びここにいてもいいという存在証明のように感じられました。
視野が、そして視界が、どんどん狭くなっていきました。
しかし、当時はそのことに気づきませんでした。
気づいていれば、あんなに焦ったり、思い詰めたりしなかったでしょう。
とにかく周りに褒められたくて、自分の価値を認めてもらいたくて、ひたすら必死に頑張っていました。
そして、いつの間にかキャパオーバーになっていたのです。
温かい環境がくれた気づき
このまま進んでいたら、また私はエンジニアの道を歩けなくなっていたでしょう。
しかし、今回はそうならなかった。
それは、周囲の温かい環境があったからです。
講師や研修メンバー、そしてメンターが、心から安心できる場を作ってくれました。
「すごい、頑張ってるね」「それ、私も知りたい!」と、私の努力や疑問を肯定してくれる言葉。
そして、「頑張りすぎないでね」「キツイときは休んでいいから」と、ブレーキのかけ方を教えてくれる言葉。
温かい言葉の数々が、心の根底にあった恐怖を少しずつ溶かしてくれました。
失敗しても見捨てられない。
そう思えたときから、私は他者との関わりを恐れなくなりました。
そのとき初めて、自分の視野が狭くなっていたことを自覚したのです。
「なぜこんなにも息苦しく手を動かしていたのだろう」と、首を傾げたほどです。
「大丈夫。この人たちになら『カッコ悪い』って思われてもいい。『できない人間』って思われてもいい」
そんな信頼を周囲の人に感じ、初めて自分の弱さを見せることができました。
完璧でなくてもいいんだと思えて、ようやく肩の力が抜けていったのです。
誰かに質問し、誰かと笑い合う。
当たり前の人間関係、和やかな雰囲気。
それがどれだけありがたいことか。
心理的安全性が、いかに自分の心を左右するのかを実感しました。
心の鎧を脱ぎ、再び立ち上がった日
温かい環境のおかげで、完璧主義の呪縛は少しずつ薄れていきましたが、私にはまだどうしても乗り越えられない壁が残っていました。
それが、エラーへの恐怖でした。
私にとってエラーとは、自己否定の象徴でした。
それでも、私はこの壁を乗り越えたいと強く願うようになりました。
このままでは、せっかく戻ってきたエンジニアの道を、また不完全燃焼で終わらせてしまう。
そう感じたからです。
そしてある日、私はふと自分自身に原点を問いかけました。
「そもそも、なぜ、私はエンジニアになりたいんだったっけ?」
その答えは、とてもシンプルでした。
プログラミングを始めたばかりの頃、初めて書いたコードが動いた瞬間の、あの純粋な好奇心と、湧き上がるようなワクワク感です。
あの時の私は、誰かの評価や、完璧な知識を求めていたわけではない。
ただ、自分の手で何かを創り出すことが純粋に楽しかったのです。
その楽しさの先に、私が思い描いた理想のエンジニア像がありました。
それは、常に「なぜ?」と問い続け、物事の本質を探求するプロフェッショナルです。
お客様が「1+1が2にならない」と困っているときに、「それは1+3をしているからですね。3を1にすれば2になりますよ」と解決するだけでは不十分です。
「そもそも、なぜ1+3をしていたのか」「なぜ2という結果がほしいのか」といった、根本的なニーズを深く考えることができるエンジニアになりたい。
エラーは「頼れる相棒」だった
この理想像に近づくため、私は考え方を変えました。
エラーと、ちゃんと向き合おう。
エンジニアになりたかった原点を忘れ、視野が狭くなっていた私には、そんな当たり前のことすらできませんでした。
しかし、改めてエラーを読んでみると、それは単純に「こうすれば動くようになるよ」「ここに困っているから動かないよ」と、教えてくれているだけの存在でした。
むしろ、それは私にとって「なりたい自分」に近づくための羅針盤のようでした。
まるで私の成長を導いてくれる、頼れる相棒のように感じられるようになったのです。
エラーの解決方法をネットで調べ、人に聞き、ひとつひとつ解決していく。
すると、プログラミングが正常に動く。
その瞬間、両手を上げて飛び上がりました。
初めてプログラミングに触れたときの感動を、また味わったような感覚でした。
美しさを追求するエンジニアへ
エラーは怖い存在ではない。
そう分かると、プログラミングとも誠実に向き合えるようになりました。
不思議なことに、過剰なコードを書こうとする自分は薄れていき、シンプルで、分かりやすく、読みやすいものを求めるようになったのです。
100%完璧に実装する必要はなく、むしろ外側から過剰に飾ったコードはごちゃごちゃして見にくい。
芯の通ったコードは一本筋が通っていて、本当に美しい。
コードは、他者に読まれるためにあるもの。
ならば、そこにシンプルさ、読みやすさ、あるいは「美しさ」を追い求めることが、エンジニアとしての誇りなのではないか。
今回の研修でそう思い至り、そんな誇り高きエンジニアになりたいと強く思うようになりました。
そして、研修を通じて私はもう一つ大切なことに気づきました。
システムは私自身の一部であるという感覚です。
我が子の世話をするように、システムを健やかに成長させるには、まず自分自身が健やかでなければなりません。
自分の心が元気でなければ、ユーザーを喜ばせるシステムは作れない。
だから、自分自身を大切にし、リフレッシュすることも、エンジニアとして大切な仕事なのだと学びました。
新しいエンジニアの道
2ヶ月間の研修は、休むこともありましたが、最後までやり遂げることができて本当によかったです。
大きな意味がありました。
大切なことを思い出せたのです。
エンジニアとして、また長い道を歩き始めました。
もちろん、この先も様々な壁にぶつかるでしょう。
でも、もう焦りません。
道端の花を眺め、景色を楽しみながら、一歩ずつ進んでいく。
心身を健やかに保ちながら、お客様に寄り添い、私自身も内面的な成長を楽しむ道。
そんな『自分らしいエンジニアの道』を歩んでいきたいと心から感じられた研修でした。
まとめ
研修が始まった頃、私は褒められたくて必死でした。
その気持ちは今でも、もちろんあります。
でも、それはもう「自分を認めてもらえない」という焦りからくるものではありません。
頑張った成果を誰かと分かち合いたいという前向きな気持ちです。
そして、この記事を書きながら、私の学びや努力は、誰かに評価されることだけが全てではないのだと改めて気づきました。
こうして文章にできたこと、それ自体が私の大切な成果物です。
お読みくださりありがとうごさいました