注意
老害ポエムなので、大きな心を持った暇な方だけ読んでください。単なる自己満足で書いています。
はじめに
gitがメジャーになったのがプログラマとして現役を退いた後なので、自分の成果物をリアルタイムでコミットすることはなかった。最後に商用コードを書いたイスラエルの会社ではSubversionが使われていたし、その会社もその後にArmに買収されてしまったし…自分の周囲を見回しても同世代だとアカウントは持っているけど、空っぽって感じ。まぁ、みんな見栄で、「色々作ったけど、公開出来るようなものは無いんだよね…」とのたまう。まぁ、半分ホントで半分は学習してないんだろうな、と自分を重ねて思う…
まぁ、そんな感じでも cloning してビルドするくらいはしているんだろうなとは思う。今はGitlabを使っている。Githubがメジャーなのは言うまでもないけど、自分がgitを習った弊社CTOが大のAnti-Microsoftなので、Githubを使わなかったのが大きな理由。表面的な動作は変わりがないし、CI/DIなんかはGitlabの方が若干先んじていたので、この辺りは今の会社でGithubのアクションの話題とかが出てもついて行ける副次効果があった。
動機
zipで固めたクソコードがゴロンと自鯖にあった。主に昔に作ったGameboy Color(GBC)やGameboy Advance(GBA)のコードだ。昨今では「富豪環境」でレトロゲーを作る人もいるし、TeamKNOxの辺境の自鯖に訪ねてきてくれて、コードの使用許諾を訊いてくれる方も居たので自鯖が消滅しても自分の存在証明のクソコードは残しておこうと決意した。
思ひ出
Gameboy Color用に作った代表的なものを挙げてみる。
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GB-PDA
当時はPalm PilotなどのPDAが出始めていて似たような形状なので、「よし、GBCでやってやろうぜ!」って中学生的な思考で作られたプログラム。様々なミニプログラムのランチャー的な要素が強いけど、データの共有もやったりしてた。フレームワーク自体は当時、一緒に活動してた高専時代の友人がゴリゴリ書いてた。これを見たUKのチートツールメーカのDATELが「コードの一部を使わせて欲しいので、ライセンス形態を教えて欲しい。」と問い合わせがあった。当時は適当に作っていたので、「Use at your own risk」って答えた。それに加えて、「そっちも非公式(任天堂の許諾を得てない)で開発してるなら色々と話がしたいから、UKに招待してくれ。」ってダメ元で言ったら、往復JALのビジネスクラス、バーミンガムとロンドンの宿泊日程を全部アレンジして招待してくれた。多分、全部正規料金だから、二人で200万円くらいはかかっているはず。その後、自分自身はノキアに転職したので、UI設計とか色使いとか今で言う、UXに活かせた気がする。MBC3相当のカートリッジがあれば試せると思う。 -
神経衰弱
手作りおもちゃで子供を遊ばせたいと親なら誰でも思う。大抵は公園で遊ぶようなカミ飛行機や竹とんぼを作るんだろうけど、ギークのオヤジはそんなことしない、それをGBCで実現した。ゲーム自体はかなりの難易度を設定したけど、ムスメがクリアした時には感動した。これの開発は書籍にもしてある、法外な古本価格でびっくりしているw
この前の本で開発に目覚めた若妻からファンレターが来て、目黒でお会いしたのも良い思い出だ。このゲームはノーマルGameboy用の白黒だが、彼女がGameboy Color用にカラー化してくれた。その後は「愛の流刑地」の様な展開にはならなかったが…
なお、このゲームはエミュレータでも楽しめるので、ぜひその難易度を試してみて欲しい。 -
GBDK
これは自分が作ったものではないけど、Gameboyの開発環境として外すことは出来ないので追記する。これの作者の Pfof. Pascal Felberには会えたし、ローザンヌの彼の自宅にも泊めてもらった。当時はまだEPFLで助手をしてた、その余暇で開発したのだ。
その他のコード
現在はpythonでデータ分析遊びやメカナムホイールローバを作っているので、それらのコードをチョボチョボとコミットしている。
おわりに
gitを使いこなせていない証明のようなコミットスタイルですが、「お墓を生前に準備する人のほうが長生きする」こんな言葉があるように、これからも長生きしてクソコードを量産して、コミットして行きたいと思います。まぁ、ミームとなってネット上を彷徨うのかな?と思うとワクワクします。