新幹線設計からLumadaによるDX推進まで、デザイン思考を実践。 日立が500人の「デザインシンカー」特殊部隊を育成する理由。
モノからコトへと人々の経験価値がシフトしていく中、ビジネス現場で急速に求められるようになってきた「デザインシンキング(デザイン思考)」。顧客のインサイトを芯でとらえた提案とプロダクト開発を進めるための思考的アプローチとして、多くの企業での啓発・教育が加速しています。
今回は、そんなデザインシンキングを10年以上かけて研究・実践し続けている日立製作所による「デザインシンカー」の育成に迫ります。
同社ではデジタル事業の推進に必要なデジタル人財を以下5パターンに類型化し、3万人規模に拡充するという目標を掲げ 育成を強化してきました。
そのデジタル人財のひとつである「デザインシンカー」は、デザイン思考を活用して、顧客企業のインサイト発見と本質的なDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進できる人財です。日立では、このデザインシンカーの育成を急ピッチで推進しており、組織を横断しての相談が増えているといいます。
具体的にどのような背景から日立でデザインシンカーが生まれ、どんな実績と取り組みを進めているのか。デザインシンカー育成の担い手と、実際にデザインシンカーとしての学びを進め、現場での実践を重ねている技術者に、それぞれお話を伺いました。
目次
プロフィール
サービス&プラットフォームビジネスユニット Lumada CoE NEXPERIENCE推進部 デザイン協創G 主任技師(ビジネスコンサルタント)
水・環境ビジネスユニット 企画本部 技術開発部
抽象的な相談を具体化する「超上流工程」のプロフェッショナル
――今回は日立の「デザインシンカー育成」についてということで、まずはデザインシンキングが必要とされる背景を教えてください。
枝松:背景としては、不確実性の高い時代においてお客さまのデジタルシフトに向けた期待にしっかりと応えたい、という点が挙げられます。
日立はメーカーとしての立場もあれば、技術やコンサルティングでお客さまに寄り添うパートナーとしての立場もあります。私自身、新卒で日立に入社して以来、一貫して事業や業務に関するコンサルティングサービスを提供してきたのですが、それこそ新サービスの立ち上げから業務改善まで、お客さまは様々な悩みを抱えています。
それが、時代の変遷とともにどんどんと抽象化している印象があります。相談を受ける側である私たちも、お客さまと共に寄り添って、しっかりと解決すべき課題を探索し、最も望ましい将来構想を考えながら、新しい価値を協創していかねばなりません。そのための武器として、デザインシンキングがかつてないほど効果的になってきていると感じます。
――それに対して日立のデザインシンカーは、具体的にどうやって課題解決を進めているのですか?
枝松:我々が「Exアプローチ」と呼んでいるデザインシンキングを活用した実践活動により、お客さまと共に課題解決を進めていきます。その際に、お客様の「経験価値」を重視することが1つのポイントです。
――Exアプローチとは、どんな手法なのでしょう?
枝松:これは「Experience Oriented Approach」の略で、これまで日立がメーカーとして自社製品のエクスペリエンス(経験価値)を創出するために行ってきたプロセスや手法を、お客さま向けの協創活動に体系化したものです。
具体的には、エスノグラフィ調査、各種インタビュー調査、オリジナルとなるExテーブルや成果物視点で物事のプロセスを表現するPRePモデルの活用など、様々な手法を活かしています。
――なるほど。具体的には、どんな領域で活躍する人財のイメージですか?
枝松:例えば企業のDXを進める際、ビジョン戦略策定からシステム化計画までの「超上流工程」を推進するのは、非常に難しいと思います。そして難しいが故に、解決すべき課題が曖昧なまま、ソリューションの導入が先走ってしまうケースが散見されます。
日立のデザインシンカーは、今お伝えしたExアプローチを活用して、この難易度の最も高い超上流工程部分を滞りなく進めることができる存在と捉えています。
日立には、各領域に精通した優秀なデータサイエンティストやエンジニアがたくさんいます。それこそ、新幹線の内装を設計する際にも、社内の各メンバーと有機的に連携することで、超上流工程を含めたDXを進めています。
日立が長年培ってきたデザインシンキング手法を用いたお客さまとの協創活動「Exアプローチ」
――このExアプローチ自体は、いつ頃からスタートしたのでしょうか?
枝松:それぞれの手法自体はかなり前から社内で活用されていたものもありますが、「Exアプローチ」という呼び方になり体系化されたのは2009年からになります。
直接のきっかけは、2008年に京都信用金庫様(以下、京都信金様)と取り組んだ営業店窓口システムの刷新ですね。
――どんなプロジェクトだったのでしょうか?
枝松:簡単にお伝えすると、店舗へと来店されるお客さまへの「おもてなし」を向上する、というテーマでご相談を受けました。
「おもてなし」は解釈の幅が広いので、要件定義ができないんですよね。だからそのまま開発サイドに依頼しようとしても、「おもてなしって何?」となるわけです。
そこで、日立のSEは社内のデザイナー達と「まずはおもてなしを解きほぐそう」と考えて、京都信金様の経営層や営業部門、システム部門、事務部門など、計10名程の方に集まってもらって、半年かけて数回のワークショップを行いました。
何をもっての「おもてなし」なのかを具体化して、新しく導入するシステムのねらいや効果など、あるべき姿を徹底的に可視化していったわけです。
――おもてなしのようなフワっとした相談だと、最終成果物の手戻りが多く発生しそうですね。
枝松:一般的にはそうなのですが、半年間のワークショップでステークホルダー間の認識を徹底的にすり合わせたおかげで、開発段階での手戻りは非常に少なくすることができました。
ここでの取り組みで良い結果が出たので、事業領域を広げていこうとなり、現在のNEXPERIENCE推進部につながっていく組織化が進んでいきました。
――インサイトに基づいたワークショップやインタビューと聞くと、一般的にはマーケティング部門に収斂される印象なのですが、そうではなく独立した部門として設置されたのは何故なのでしょうか?
枝松:デザインシンカーが活用する手法自体、マーケティングはもちろん、システム開発の設計段階や業務改革など、様々な領域に応用できるものだと考えています。
例えば、先ほどお伝えしたエスノグラフィ調査も、元々は文化人類学のアプローチをゼロックス子会社であるPARC(Palo Alto Research Center)が商品開発へと応用したことが始まりです。
日立の場合も、大規模システムの開発工程で手戻りが発生しないようにプロジェクトマネジメントを強化するという流れと並行して、そもそも最初のイメージ合わせの精度をもっと上げるという取り組みとして、当時のデザイン研究所がデザインシンキングに基づいたワークショップをやるようになった、という流れがあります。
1年間みっちりと、実践的な協創アプローチを学んでもらう
――枝松さんは普段、どのようなことをされているのですか?
枝松:今お話ししたNEXPERIENCE推進部のコンサルタントとして、デザインシンキングが必要となる社内各プロジェクトの相談対応や実際のお客さまへの対応を行いながら、デザインシンカーの育成研修で講師も行なっています。
――デザインシンカー研修では、具体的にどんなことをやるのでしょう?
枝松:具体的には「プロフェッショナル人財」向けの1年間の特別業務研修と、基礎的な内容を学ぶ2日間の「ベーシック人財」向け研修があります。後者については、デザインシンキングの基礎的な考え方を理解し、プロフェッショナルとの共通言語のもとで実践できる人財を育成することが目的となります。
また前者については、各部門が今後の成長を期待するメンバーにNEXPERIENCE推進部に在籍してもらい、プロフェッショナルによる座学と現場でのOJTを通じて、より実践的な協創アプローチを学んでもらいます。
――超上流工程って、それこそカバー範囲が広く考えるべきことも多いと思うのですが、研修受講者にはどの範囲まで教えているのですか?
枝松:一通り全部教えています。
とは言え、得意不得意があったり、事業部に戻ったときに活かせるか否かでだいぶ違うのも事実なので、3ヶ月に1回は各メンバーと面談をして、どんな手法が本人に合っているのかをすり合わせた上で、そこを伸ばしていくようにしています。
――なるほど。人気の手法やスキルって、何かありますか?
枝松:人によりけりではありますが、インタビューや可視化手法がすごく良かった、と言ってくれるメンバーは多いですね。つまりは、お客さまから聞き出すスキルと、表現するためのアウトプットのスキルです。
特に後者については、短期的な成果として、パワポのような資料がすごく読みやすくなるといったケースもよく聞いています。
もちろん、既存業務のアウトプットだけではなく、福崎さんのように、実際にワークショップをやるなどして積極的に応用しているメンバーもいます。
既存業務に「重ねる」ような形でExアプローチを実践
――ぜひ、福崎さんの1年間の研修体験や、その後の実践のお話も伺わせてください。まずは、デザインシンカー研修を受けられる前のご経歴について、簡単に教えてください。
福崎:私自身は大学の頃から水環境に関する研究をしていたこともあり、ドクター取得後に日立に入社してから5年間は、膜を使った水処理技術の開発に従事していました。
デザインシンカー研修としてExアプローチ推進部(現在のNEXPERIENCE推進部)に在籍することになったのは2019年で、そこで1年間学んだのちに、2020年からは所属元の水環境ビジネスユニットに戻って、海外ビジネスの事業企画や仮説検証、各種ソリューションの立上げなどをやっています。
――本当に丸1年間は業務から離れるんですね。
福崎:そうですね。研修の中でOJTとして実際の案件に入ることにはなるものの、本務とは違う内容ですからね。
――実際に研修を終えられて、現在はどんなことに応用されているのですか?
福崎:現在の本務は海外事業の立ち上げ計画なので、その中でもデザインシンキングのエッセンスは活かしていますし、プラスαとして、そこから逸れた部分でも、例えば国内のチームのお
手伝いをする形で、デザインシンカーとして顧客協創プロジェクトに参画しています。
具体的に言うと、お客様の課題を深掘りするようなワークショップを企画して、自分自身でそのファシリテーションをやったり、あるいはNEXPERIENCE推進部のメンバーにファシリテーションはお任せして、自分は連携のハブとして立ちまわるケースもあります。お客さまの状況をお伺いして、単純にお客さまの要望に回答するだけではなく、Exアプローチで「超上流工程」から伴走させて頂いた方が良いのではないかといった形で逆提案をしたケースもありました。
――専門的な内容をいざ実務面で活かそうとすると、現場との乖離が発生して、チームとしてなかなかうまく機能しないという、例えば海外研修後などの話を耳にします。実際のところ、そのあたりの現場での反応って、どうなのでしょうか?
福崎:今お話しされたような状況って、おそらく既存のやり方をドラスティックに変えようとするから起こるのではないかと思います。私の場合は、プロジェクトを進める上で既存のやり方を変えようとしている訳ではなくて、「新たな要素」を足している形で、その部分に私が投入されているので、関係するメンバーに最初は戸惑いがあったとしても、一度経験された後は、「なるほど」という感じで上手く取り入れて貰っている印象です。
既存業務に「重ねる」ような形で、より良いものにしているので、現場としては納得度も高いのではないでしょうか。
「困ったらデザインシンカーに相談しよう」となってほしい
――お話を伺っていると、プロのデザインシンカーは組織的には「遊軍」のようなものになるのでしょうか?
枝松:遊軍というよりかは、特殊部隊ですかね。「主力部隊」である事業部門が事業を展開する中で、何か今までのやり方ではうまくいかない事態が発生したときに、特殊部隊が入ることで状況を打開するというイメージだと思います。戦略も考えるし、軍師でもあるわけです。
――なるほど。プロフェッショナル人財の他に、先ほどベーシック人財のお話もありましたが、デザインシンキングそのものの社内での底上げとしては、どんな状況なのでしょうか?
枝松:先ほどお伝えしたような2日間のベーシック研修がある他、日立では日立アカデミーという社内教育を司る専門機関もあるので、研修やeラーニングといった形で、そこへのコンテンツ提供も行なっています。
あとは、研修を学んだメンバー一人ひとりによる発信も、大きいのではないかと感じています。
――と言いますと?
福崎:例えば私の場合、1年間の研修で学んだ内容を自分なりに消化して、自分の仲間にプレゼンテーションするという事を所属元に戻ってから続けて来ました。そのプレゼンを全て録画して、社内の動画共有システムに載せて配信したんですね。それを始めて現在で一年近く経ちますが、延べ回数で1,000回以上再生されていて、多くの人がちゃんと見てくれていることがわかりました。実際に本部長クラスの方から、「いつも見てるよ」とお声掛け頂く事もあります。
こうやって緩やかに考え方を広げる活動をしていると、社内のデザインシンキングの底上げにもなりますし、「困ったらデザインシンカーに相談しよう」という意識の醸成にも繋がると感じています。
――いいですね。実際にデザインシンカーが携わって成果の出た案件としては、どんなものがあるのでしょうか?
枝松:例えば、株式会社SUBARU(当時、富士重工業)様が展開するSUBARUブランドの特約店(ディーラー)向けタブレット商談支援システム(SUBARU Sales Support システム)は、まさにExアプローチを活用して生まれたものですね。
枝松:商談シーンでSUBARUならではの「安心と愉しさ」を提供するには何が必要かという観点で、先ほどの京都信金様と同様にスタッフインタビューや現場調査を行なっていき、営業プロセスの可視化を進めていきました。
一般的に営業活動って、何通りもプロセスがあるので、手法を可視化するのは非常に難しいです。しかし、成果という観点に着目すると、最終的なアウトプットは「売りたい車」に集約されることになり、成果物ベースで考えると非常にシンプルなプロセスとして表現することができます。
このようなPReP(Products Relationship Process)モデルを活用するなどして店舗内商談フローを可視化して、お客さまの待ち時間を減らしつつ商談の質を維持するという「もっとわくわくするクルマ選び」のあり方を実現しました。
日立には、自分の得意分野を軸に様々な方向へとシフトして拡張していけるフィールドがある
――デザインシンカー育成を進めていく上での今後の目標などについても、教えてください。
枝松:まずは、デザインシンカーになった人たちには、そのフィールドでしっかりとデザインシンキングを使ってもらいたいと思っています。何がお客さまにとって解決したい課題なのか、という現場把握の部分でぜひ使って欲しいと思います。
その上で、従業員全員がこれをできるようになると、「日立に相談したら、どんなにふわっとした内容でも具体化してくれる」という論点設定のプロ組織になれるだろうと考えています。
会社としては、今年度中にプロフェッショナル人財を500名まで増やすことをめざしており、この4月に「デザインシンカーコミュニティ」なるものを組織化して、イベントや最新情報の発信を積極的に進めていく予定です。
――着々と社内浸透を進めていますね!福崎さんはいかがでしょうか?
福崎:私が研修を受けていた際の定期的なメンターとの面談の中で、特に印象的だったアドバイスが2つあります。「自分の言葉で説明してごらん」と「(所属元に戻ったら)とにかく実践してください」です。後者は枝松さんからの言葉です。
私自身はこれを素直に受け取ってやっているだけなのですが、それによって周囲の反応も変化してきていると感じます。あとは、社内連携のハブとしての役割への自負も強くなってきました。
――どういうことですか?
福崎:私が今いる水・環境ビジネスユニットで、1年間の特別業務研修を受けたのは、私が初めてなんです。前例がないので、周りからすればデザインシンカーがプロジェクトに加わった時に何が起きるか、ピンと来ない人が多いわけです。そんな中で良い意味でやりたい放題、伸び伸びと自分に何が出来るか伝えて、そして実際にやって見せるという事を続けているわけです。そのことで、価値を認めてくれる人が周りに増えて来た様に感じますし、実際に複数のプロジェクトへの参画依頼を受け取る様になってきました。
また、私の所属するビジネスユニットには、社内連携が進むことでもっとお客さまに大きな価値を提供できるポテンシャルがあると強く思っているので、私自身が社内の連携のハブになる役割を担って、デジタルがわかる人、お客さまの課題に現実解を構想し、見積もりを作れる人をつなげていくことが、引き続き大事だと感じています。
――ありがとうございます。最後に、読者の皆さまへメッセージをお願いします。
福崎:私自身、元々は研究者になるつもりでドクターまで取ったわけですが、その知識やスキルを活かして技術開発に従事して、さらにデザインシンキングを身につけて、現在はそれをコンサルティングにも活かしている。そのように、自分の能力を重ねつつ、従事する活動を少しずつ変えていっています。
そういう意味で考えると、日立には、自分の得意分野を軸に様々な方向へと自分の能力を拡張して、活動の幅を広げていけるフィールドがあると感じています。
現在、研究者の世界でも、複数の専門性をもっていることが当たり前の時代になってきているように思います。私自身もそのような意識があったので、新たなスキルを身に着けながら仕事が出来る今の環境は恵まれていると感じますし、今の専門性を軸としつつも活躍の幅を広げていきたい人には、お薦め出来る職場だと思っています。
枝松:日立には、従業員の特性を活かしつつ新しいことにも挑戦していくという意識のある人が、マネジメント側に多い印象です。つまり、いろんなやり方を実践させてみようという、懐の深さがあると感じます。
規模だけを見ると大企業ではありますが、社会に貢献できる仕事を、比較的若いうちから責任をもってやることができるので、次のステージを探す技術者にはぜひチャレンジしてほしいと思います。
編集後記
「日立では、それこそ新幹線のような大きなプロダクトの開発の中でもデザインシンキングを取り入れています」
インタビューを進める中で、特に印象的だった言葉です。スケールが違いますね。
今回の取材でも明らかになった通り、デザインシンカーそのものは、それ単体でプロとして活用していけるのはもちろん、既存業務での成果をより高みへともっていくための「重ね」のスキルでもあると言えます。
そういう観点で、最後に福崎様がおっしゃっていたように、日立はスキルや技術そのものをシフトして拡張していくのに最適なフィールドだと感じます。
取材/文:長岡 武司
撮影:平舘 平
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