ディープラーニングのゴッドファーザーのもとで、世界最先端のAI研究に没頭する日立の研究者に迫る
「ディープラーニングのゴッドファーザー」ヨシュア・ベンジオ教授が所長を務めるMILA(Montreal Institute of Learning Algorithms)。この世界最先端の研究機関とともに、日立製作所が、ディープラーニング技術の共同研究をしていて、新たな技術開発に挑んでいることをご存知でしたか?
今、日立が推進しているAI研究テーマやこれから実現しようとしていること、世界や未来に与えるインパクトについて、日立からMILAに赴いて客員研究員を務めているフォン・グエン氏に伺いました。
目次
プロフィール
Researcher & Visiting Scholar at Mila – Center for Technology Innovation、Hitachi、Ltd.
世界のAI研究を牽引している「MILA」とはどんな組織なのか?
――MILA(Montreal Institute of Learning Algorithms)の名はよく記事などで拝見しますが、どんな特徴がある研究機関なのでしょうか?
グエン:MILAは世界最大規模のディープラーニングの研究所の1つで、所長は、ヨシュア・ベンジオ教授です。ベンジオ教授は「ディープラーニングのゴッドファーザー」と呼ばれています。世界中のAIの研究者がMILAに集っていて、500人もの研究者が多種多様なAIのトピックを研究しています。テーマも強化学習やディープラーニングの理論、最適化、さらにAIを社会のためにどう役立てるかなど多種多様です。
MILAに関して面白いポイントは、単独での研究を行うだけでなく、数多くの企業や研究機関を巻き込んでいて、同じ場所にAIのスタートアップやベンチャーキャピタルなどが集まっていることです。さらにMILAには応用研究の部門もあり、AI技術の応用研究をしています。MILAには世界中で知られている企業もコーポレートラボを置いており、研究所の枠を超えてAIに関するエコシステムになっていると言ってもいいと思います。
日立製作所が今、北米で進めているAI研究のアウトライン
――日立とMILAがコラボレーションすることになった“きっかけ”は何だったのでしょうか?
グエン:日立製作所は、様々なAI分野の研究、社会実装に関わっています。それをさらに深堀りして、世界最高レベルのAIの研究所とのコラボレーションを模索する中でMILAをパートナーに選択しました。
きっかけは、2018年にモントリオールで開催されたAI分野の世界最大のカンファレンス「NeurIPS(ニューリップス:Neural Information Processing Systems)」でした。そこに日立の社員も参加し、世界最高のAI研究所の1つとしてプレゼンをしたMILAに日立の社員が訪問する機会を得たのです。実際にMILAの施設やエコシステムを見て、探していたAI研究のパートナーの候補になり得ると判断できたので、当時の部長に話を持っていきました。
そして、部長自らがMILAの研究者たちに会い、MILAのエコシステムが素晴らしいことや、ベンジオ教授が率いる世界最高レベルの研究所であることを実感し、コラボレーションはスタートしました。
――日立製作所が、今、モントリオール大学のMILAで行っている研究はどのようなものですか?
グエン:取り組みは大きく3つあります。1つ目は、AIに推論を組み込み、今までとは違うディープラーニングを作ることにあります。これまでと異なるディープラーニングは「System2」と呼ばれています。
ベンジオ教授は、これまでのディープラーニングを「System1」と呼んでいます。これは人間の思考における「無意識」に相当し、非常に速い思考である半面、信頼性が低いものです。そして相関関係に依存しており、因果関係を理解できません。そのため、これまでのディープラーニングは思考としてはたいへん速く、無意識的なものという特徴がありました。ただ、これだけでは充分ではないので、未来のAIは「System1」と新たな「System2」を組み合わせたものにしていくべきではないかと教授は考えています。
「System2」の特長はゆっくりと思考することです。推論(reasoning)、あるいは論理(logic)を組み込み、そして、これまでで言う記号的AIを組み入れていくというのが基本的な方向性です。
グエン:取り組みの2つ目は「強化学習」です。強化学習とはアルゴリズムのことで、基本的には人間や動物の学習の仕方を真似するものです。鍵になるのは報酬です。例えば、何か良いことをしたら報酬としてチョコレートをあげると、「その行為は良いことだから、もっとやっていい」と理解できます。反対に悪いことをしたら叱ると、それ以上繰り返さないというものです。
日立はMILAと協業してこの新しい強化学習のアルゴリズムを研究し、事業に応用しようとしています。応用の例としては、鉄道の運行スケジュールの管理や作業員の派遣スケジューリングの作成です。
3つ目が「アノマリー検知」です。日立はMILAとともにアノマリー検知の改善に取り組んでいます。機械の発する音に何か異常があるかどうかを検知する技術に結びつけようとしており、「機械の音に関してアノマリー検知をする」ことをテーマに掲げています。
将来的にはもっと増えていくと思いますが、現在は、この3つの分野で協業しています。
――今、日立とMILAのコラボレーションに関わる研究員は何人くらいいますか?
グエン:今のところ私だけですが、2019年に数日間、20人以上のメンバーが日立とMILAが共催したワークショップに参加し、その期間はともに活動をしました。
日立とMILAが共創して生み出す「明るい未来」
――日立とMILAのコラボレーションは、双方にどんなメリットが生まれますか?
グエン:いくつかメリットがあると思いますが、まず、研究活動における交流が最大のメリットだと思います。というのは、日立はAI研究の中でもとくに応用分野に特化してきていました。それはつまりAIを実際の事業にどう使うのか、現実の問題をどう解いて、社会実装するのかというとことに力を入れてきたわけです。
一方でMILAはむしろ理論的なところ、知能に関する理論、あるいはAI、ディープラーニングの理論といった基礎研究に力を入れています。よって、この二者が様々なアイデアを交換して交流することで、双方は研究を強化していくことができるわけです。
理論や基礎研究が足されないまま日立だけでAIの研究を進めても、大規模なイノベーションを起こすことはなかなか難しいと思います。しかし協業し、日立が実際の問題に対してAIを応用した結果をMILAにフィードバックすることで、MILAは今後のAIの方向性を考えたり、新たな理論が必要であることを考えたりできます。そして、考えたことを新たに研究に活かしていくことができ、双方が補い合う形で研究を進めることができるようになります。
――研究の他に、モントリオールならではのメリットがあったりしますか?
グエン:モントリオールは、今、北米におけるAIのハブのような存在になっていて、シリコンバレーからも人財が集まっています。それに伴い、非常に多くのAIスタートアップあるいはイノベーションのプログラムなどが立ち上がっていて、私たち日立がこれに参加できるメリットも見逃せませんね。様々な新しいアイデアに触れたり、あるいは有望なスタートアップを見つけたりすることができるわけです。それが将来の日立のコラボレーションや投資先の候補にもなります。
――MILAのリサーチャー(研究員)のレベルの高さを実感したエピソードや開発事例を教えてください。
グエン:例えば、当時、MILAの博士課程の学生(Ian J. Goodfellow)が発明した「GAN(敵対的生成ネットワーク:Generative Adversarial Networks)」です。ディープフェイクなど、GANの技術は様々なところで応用されています。ディープフェイクは例えば、どんな顔でもどんな身体でも画像を組み合わせることができるような技術です。
他にも、MILAは「Theano」と呼ばれるディープラーニングのフレームワークを世界に先駆けて発明しています。これはGoogleが「TensorFlow(テンソルフロー)」を発明する前のことで、Theanoは世界中のディープラーニングの研究者に非常に広く使われました。MILAがディープラーニングのフレームワークのパイオニアであると言えます。
TensorFlowが台頭し、Theanoは「今後新しいバージョンを出さず、メンテナンスもしない」と発表していますが、現在でも誰でも利用できます。
MILAでは、こういった非常に重要な技術が発明されており、世界中のAI研究者からの高い評価につながっています。
――最先端のディープラーニング研究では様々な課題や「推論ができない」といった指摘に対してどんなアプローチをしているのですか?
グエン:難しい質問ですね。いくつか例があります。現在のディープラーニングはデータの中からパターンを見つけ出すのは上手で、さらにデータ内の相関性を学ぶことに優れていますが、一方でデータ間の因果関係を検出するのが困難です。おっしゃるように推論能力がないわけです。これが今のディープラーニングの限界といえるわけですが、MILAは別の方法として、データと新しいアルゴリズムを使って因果関係の学習にトライしています。
つまり「データの中のどの変数が原因になって、どの変数がその原因から影響を受けた結果であるか」を学ぶようなアルゴリズムを開発しています。非常にシンプルなデータを使った試行ではAIで推論は可能で因果関係を学べることが証明されていますが、まだまだ検証が必要です。
もう1つの例をあげると、MILAではニューラルネットワークの新しい学習方法を探っています。理由としては、現在、学習においてはバックプロパゲーション(誤差逆伝播法:Backpropagation)がメインのアルゴリズムとなっていますが、一方で神経科学の研究者からは、これは人間の脳がものを学ぶメカニズムではないと指摘されているからです。
――日立とMILAが共創して一緒に研究、チャレンジしている事例は具体的にどのようなものがあるのでしょうか?
グエン:さきほど、研究テーマが「System2」の研究、「強化学習」そして「アノマリー検知」の3つであるとお伝えしたので、この事例をあげていきたいと思います。
「System2」の研究は理論的なものではあるのですが、もし、ディープラーニング「System2」の開発が成功すると、幅広く活用することができるものになります。
グエン:現在、ディープラーニングでは、AIにデータセットを使って学習させますが、実際に学習をしたデータ分布と同じ分布の中で使わないと良い結果が出ないことがわかっています。例えば、顔の認識であれば、アジア人の顔をデータとして学習したら、アジアでその機能を使えば良い結果が出ますが、同じものを欧米で使ってもデータの分布が違うので良い結果が出ないわけです。「System2」ができると、ディープラーニング、あるいはニューラルネットワークで「OOD(分布外:Out Of Distribution)」のデータを生成できるようになります。つまり、アジア人の顔で学習をさせたAIを、データ分布が違う欧米に持っていっても充分使えることになります。
グエン:つぎに「強化学習」の事例です。日立はMILAと、強化学習を鉄道の運行計画システムや運行のスケジューリングシステムに応用することを共同研究しています。強化学習アルゴリズムで最適な意思決定が可能になると、例えば、電車の運行スケジュールに問題があったときに取るべき多種多様な選択肢から最適なものを素早く判断できるようになります。とくにラッシュの時間帯は、駅に電車を止めたままにしておいたり、行き先を変更したり、同じ線路上に電車が入らないようにしたりといった選択を効率的に素早く判断する必要があるわけです。
グエン:「アノマリー検知」の応用例は機械の異常音を検知する用途です。機械の音から故障を予防したり、予防保守に使ったりすることができます。AIなら音のデータを24時間モニタリングし続けられますから、人間の技術者の負荷を減らすこともできます。
――ディープラーニング、AIの研究は、今後、世界や人類、社会の発展にどのように貢献していくのでしょうか?
グエン:とても興味深く、面白い質問ですね。ディープラーニングがこれから進化していったらどうなるかということだと思いますが、まず、より高度な知能を持ったシステムを作ることができるようになります。
また、スーパーコンピューティングによって全く新しい知識を発見することができるようになります。例えば今、ディープラーニングによって囲碁の世界では人間の名人よりも囲碁が強いマシンが登場して、今や人間に対して、新しい碁の手であるとか定石を教えるといったところまで来ています。
新薬開発においては、薬に使える新しいタンパク質がAIによって発見されたニュースを目にした人も多いでしょう。このように将来、ディープラーニングが発展してさらに精度をあげていくと、インパクトが出てくると思っています。
今後は、インテリジェントなマシンが反復的な作業を人間に代わって行うようになるので、人間にとっても経済にとっても良い影響をもたらします。人間が反復的な作業をせずに、より創造的な仕事に集中して、家族と多くの時間を過ごすことができるようになるからです。AIと人間が共存して、まるで某アニメの「猫型ロボット」のような友だちになる時代がくると思っています。
――グエンさんは世界でも有数のAI都市モンリオールから、現在の日本のAI研究レベルや状況をどのようにご覧になっていますか?
グエン:ほとんどのAIに関するイノベーションは北米で起こっています。そして多種多様なアイデア、あるいはブレイクスルー的な技術が、北米、とくにカナダのモントリオールやトロント、そしてアメリカで生まれていることはご存知のとおりです。一方、日本はと言いますと、こういった北米で生まれたAIのブレイクスルー的な技術を注意深く観測・把握をしています。
日本が強いのはこういった技術を応用して実際の問題に応用して最適化していくところだと思いますが、研究基盤は充分ではないように見受けられます。応用と基礎研究というのはトレード・オフの関係にあるので、基礎研究は北米が大きく進んでおり、日本は応用の方に力を入れている状態です。今後、大きなイノベーションをしていくために、日本でももっと理論的な研究をやっていってほしいと感じています。
――MILAと共創していくことで、これから未来の日立はどう変化していくと思われますか?
グエン:MILAとコラボレーションした大きな理由は、北米、とくに今モントリオールにAIの基礎研究のリソースが豊富にあるからです。そしてコラボレーションすることによって、ディープラーニングの基礎研究に関する最先端の成果に他社に先駆けて触れることができます。私はMILAで取り入れた知識や情報を日立に伝えることで、日立が日本の競合他社よりも最先端の基礎研究に基づいた、よりよい技術的な応用開発をしていってほしい、そう変化してほしいと考えています。
最先端のAIに関わる研究者としての「夢」とは?
――グエンさんのリサーチャーとしての研究理念や叶えたい「夢」はなんですか?
グエン:研究者として、私がミッションとして考えているのは、日立の事業上の様々な問題を解決できる新しいソリューションやアルゴリズムを開発したいということです。これはとても面白いミッションです。なぜなら、そういったものを作るには、本当に毎日学ぶ必要があるからです。とくにAIや機械学習の分野は進歩が早いために毎月のように新しい知識であるとか、あるいはもののやり方、方法が生まれてきます。そういった事柄を研究者としてしっかり学び、得た知識を使って新しいソリューションや新しいシステムを発明していきたいと思っています。
そして、私の夢はアニメに出てくるような「猫型ロボット」の開発です。私は子供の頃、このアニメを読んで育ちました。猫型ロボットは目で見ることができ、話すことができ、そして、知能を持って思考をすることができる、まさにAIを体現するものだと思います。私の夢は人間と共存して友だちになれるAIを作ることです。私がAIや機械学習を研究分野に選んだのも、そういうマシンを作りたいという夢があるからです。いつか、作れるようになりたいと思い、研究しています。
――最後に日本の研究者やエンジニアにメッセージをお願いします!
グエン:AIや機械学習は、これから何十年何百年に渡って最もチャレンジングな科学分野の1つになっていくと思います。AIを進歩させていくために私たちは力を注いでいかなければいけません。多くの人がAIは人間にとって危険なものになるのではないかというようなことを言っています。しかし、私自身はさきほども申し上げたように、AIは便利なものであり、そして、人間と共存することができると信じています。
AIを使うことによって、人間の生活がより快適になり、家族と過ごす時間が増えて、より創造的な仕事にエネルギーを割くことができるようになります。ハリウッド映画でよくある、AI搭載のロボットが人間の生命を危機にさらすような未来を心配する必要はないと言いたいですね。私たちの倫理の力や想い、情熱をもってすれば、科学やAIをより明るい未来のために発展させていくことが必ずできると信じています。
編集後記
「猫型ロボット」のようなAIを開発したいというグエン氏の目が、キラキラと輝いていたのが印象的でした。一つひとつの質問に丁寧に答えてくださる真摯な姿勢から、研究にかける情熱が感じられ、つい日立のキャッチフレーズ「Inspire the Next」が頭に思い浮かびました。研究者一人ひとりの熱い思いが科学技術を前に進めていることがわかり、日立とMILAが作り出す「Next」の未来に今後目が離せません。
取材/文:神田 富士晴
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