この記事はLITALICO Engineers Advent Calendar 2025 カレンダー4 の 7日目の記事です
TL;DR(3行でわかる本記事の要点)
- ハルシネーションは「事実誤り」だが、生成AIの原理上避けられない「統計的な外れ値」である
- その外れ値を分析することで、学習データの偏りや隠れた市場ニーズなどの「新しい相関」を発見できる
- 原理(次トークン予測)を理解し、ハルシネーションを「バグ」から「ヒント」に変える視点を持とう
はじめに:車の運転と仕組みの関係
車の仕組みを知らなくても、車は運転できます。エンジンの内部構造を理解していなくても、アクセルとブレーキとハンドルの使い方を覚えれば、目的地に到着することは可能です。
しかし、もしあなたが「燃費を最大限に良くしたい」「山道を安全に走りたい」「レースで勝ちたい」といった特定の目的を持っているなら、話は変わってきます。エンジンの特性、トランスミッションの仕組み、タイヤと路面の関係——これらの原理を理解して初めて、車の性能を最大限に引き出せるようになります。
生成AIも同じです。
「ちょっとした文章を書いてもらう」「簡単な質問に答えてもらう」といった基本的な使い方なら、原理を知らなくても問題ありません。しかし、データ分析で新しい仮説を見つけたい、外れ値から隠れたパターンを発見したい、ハルシネーションを逆に活用したい——そんな高度な使い方をするなら、生成AIの原理を理解する必要があります。
本記事では、ハルシネーションが「なぜ起こるのか」を生成AIの原理から解説し、その理解を元に「外れ値や予想外の出力から、隠れた相関や新しい発見をどう得るか」を考えていきます。
生成AIの本質:「次の単語を予測する統計エンジン」
トークン予測という仕組み
生成AI(特に大規模言語モデル)の核心は、シンプルに言えば 「次に来る単語(トークン)を予測する統計モデル」 です。
例えば、「今日の天気は」という入力があったとき、モデルは過去に学習した膨大なテキストデータから、「晴れ」「曇り」「雨」などの単語が次に来る確率を計算します。
入力: "今日の天気は"
↓
モデルの内部処理(確率分布の計算)
↓
出力候補:
- "晴れ" (確率: 40%)
- "曇り" (確率: 30%)
- "雨" (確率: 20%)
- "快晴" (確率: 5%)
- その他 (確率: 5%)
この確率分布から、最も高い確率の単語を選ぶ(または確率に基づいてサンプリングする)ことで、次の単語が決まります。そして、その単語を含めた文脈で再度次の単語を予測し……というプロセスを繰り返すことで、文章が生成されていきます。
統計的パターン認識の光と影
生成AIは、学習データ内の統計的パターンを認識し、再現します。
- 「春といえば桜」というパターンが頻出していれば、春の話題で桜が出やすい
- 「AI技術の発展」という文脈の後に「深層学習」という単語が続きやすい
- 「営業時間は」の後に「9時から17時」のような時間表現が来やすい
これは強力です。人間が明示的にルールを教えなくても、データから暗黙のパターンを学習してくれます。
しかし、ここに落とし穴があります。
生成AIは「真実」や「事実」を理解しているわけではなく、あくまで統計的に"らしい"パターンを出力しているに過ぎません。学習データに偏りがあれば、その偏りを反映した出力になります。データに存在しないパターンは(基本的には)生成できません。
そして、この仕組みこそが、ハルシネーションを引き起こす根本原因です。
ハルシネーションが起こるメカニズム
ハルシネーションとは何か
ハルシネーション(Hallucination)とは、生成AIが事実に基づかない、もっともらしい嘘を出力する現象です。
例:
- 存在しない論文の引用を生成する
- 架空の統計データを作り出す
- 実在しない企業名や製品名を提示する
- 事実と異なる歴史的事実を述べる
なぜハルシネーションは起こるのか?
ハルシネーションの原因は、生成AIの原理そのものに内在しています。
1. 確率分布からのサンプリング
生成AIは、次のトークンを選ぶ際に確率分布を使います。確率が高い選択肢を選ぶことが多いですが、ランダム性(temperature)を導入することで、低確率の選択肢も選ばれることがあります。
この「低確率だが統計的に"あり得る"選択肢」を積み重ねていくと、全体としては非現実的な内容になることがあります。
"論文のタイトルは"
→ 統計的に論文タイトルっぽい単語の組み合わせ
→ でも実在しない論文タイトルが生成される
2. 学習データの不足・偏り
モデルが学習していない情報や、学習データが少ない領域では、モデルは「パターンの補完」を試みます。
例えば、「2024年の○○社の売上高は」と聞かれたとき、学習データに2024年のデータが含まれていなければ、過去のトレンドや類似企業のパターンから「統計的にありそうな数字」を生成します。しかし、それは事実ではありません。
3. 文脈の一貫性の優先
生成AIは、文脈の一貫性を保とうとします。一度「この論文によれば」と言ってしまったら、その後に続く文章は「論文の内容っぽい」ものになります。
たとえ実在しない論文でも、文章全体の整合性を保つため、もっともらしい内容を生成し続けます。
4. 「知らない」と言えない構造
人間は「知らない」と答えることができますが、生成AIは基本的に何かしらの出力を生成することを求められる構造になっています。確率分布が平坦でない限り、何かを出力します。
「わからない」という選択肢が学習データで十分に強化されていない限り、モデルは「統計的にそれっぽい何か」を出力してしまいます。
ハルシネーションは"バグ"ではない
重要なのは、ハルシネーションは生成AIの"バグ"ではなく、その原理の必然的な帰結だということです。
統計的パターン認識という仕組みを使っている限り、ハルシネーションをゼロにすることはできません。これは生成AIの「弱点」であると同時に、「特性」でもあります。
外れ値としてのハルシネーション:違った角度から見る
ここからが本題です。
ハルシネーションを「困った問題」として捉えるのではなく、「統計モデルが生み出した外れ値」として捉え直してみましょう。
外れ値が教えてくれること
統計や機械学習の世界では、外れ値(Outlier) は単なるノイズではなく、重要なシグナルであることがあります。
- 外れ値が示す「例外的なケース」が、実は新しいセグメントを表している
- 外れ値が、データ収集プロセスの問題を浮き彫りにしている
- 外れ値が、モデルが捉えきれていない複雑なパターンを示唆している
生成AIのハルシネーションも同じです。なぜそのハルシネーションが起こったのかを分析することで、モデルの学習データや統計的パターンについて、新しい洞察が得られます。
ハルシネーションから隠れた相関を見つける
生成AIがハルシネーションを起こしたとき、それは「モデルがどんな統計的関連性を学習しているか」の現れです。
例1:架空の製品名から市場ニーズを発見
あるプロンプトで「次世代の健康管理デバイス」について聞いたところ、生成AIが架空の製品「HealthSync Pro X」を生成したとします。
この架空の製品名を分析すると:
- "Health" = 健康
- "Sync" = 同期、連携
- "Pro" = プロフェッショナル、上位版
- "X" = 最新、次世代
これは、学習データ内で「健康デバイスには"同期機能"が頻繁に言及される」「プロ向け製品には"Pro"が付く」「最新製品には"X"が使われる」といった統計的パターンがモデルに学習されていることを示しています。
つまり、ハルシネーションの内容から、「健康デバイス市場では、デバイス間連携が重要視されている」という隠れたトレンドに気づけるかもしれません。
例2:ありえない組み合わせから新しいアイデア
「AIとアートの融合」について質問したところ、モデルが「量子コンピューティングを使った感情表現アート」という(現時点では非現実的な)回答を生成したとします。
これは、学習データ内で:
- AIとアートの文脈で「新しい表現手法」が語られることが多い
- 量子コンピューティングが「未来技術」として言及される
- 感情とAIの関係が議論されている
という複数のパターンが存在し、それらがモデル内で潜在的に結びついていることを示しています。
実際には技術的に成立していなくても、この「ありえない組み合わせ」が、将来の研究テーマや製品開発のヒントになるかもしれません。
例3:データの偏りを可視化する
「Rust言語の2024年最新機能」について質問したところ、生成AIが2020年頃の古い機能を挙げたり、他のプログラミング言語の機能と混同した回答を生成したりすることがあります。
これは、学習データのカットオフ日(学習データの収集時点)が古かったり、人気言語に比べて特定言語の最新ドキュメントが少ないことを示しています。つまり、学習データに時系列的・技術領域的な偏りがあることを、ハルシネーションが可視化しているのです。
この気づきは、「このモデルはいつ時点の情報まで持っているか」という限界の把握や、最新情報を扱う際の検証の必要性への認識につながります。
原理を知っているからこそできる解釈
ここで重要なのは、生成AIの原理を知っているからこそ、ハルシネーションを正しく解釈できるということです。
もし「生成AIは正しい答えを出すもの」と思っていたら、ハルシネーションは単なる「エラー」です。しかし、「統計的パターンを再現するもの」と理解していれば、ハルシネーションはモデルが学習したパターンの現れであり、そこから新しい洞察を得る材料になります。
これが、冒頭の「車の原理を知る」ことの意味です。
実践:ハルシネーションから気づきを得る方法
では、具体的にどうやってハルシネーションから洞察を得るのでしょうか?
1. ハルシネーションを記録・分類する
まず、生成AIの出力で「事実と異なる」または「意外な」内容を見つけたら、それを記録します。
- どんな質問/プロンプトに対して?
- どんな内容のハルシネーションか?
- なぜそのハルシネーションが起こったと考えられるか?
2. パターンを探す
複数のハルシネーションを見比べて、共通するパターンを探します。
- 特定のキーワードの組み合わせで起こりやすい?
- 特定のドメイン(業界、分野)で多い?
- 時系列的な情報が絡むと起こりやすい?
3. 逆にプロンプトを設計する
「このパターンが本当にモデルに学習されているのか」を確認するため、意図的にプロンプトを変えて試します。
【元のプロンプト】
「AIを活用したマーケティング手法を教えてください」
→ ハルシネーション: "NeuroMarketing AI Platform"という架空のツール
【検証プロンプト】
「マーケティングでよく使われるAIツールの特徴は?」
→ 「顧客行動分析」「パーソナライゼーション」「予測モデリング」
【気づき】
"Neuro"というキーワードは、脳科学×マーケティング(ニューロマーケティング)のトレンドと、AI技術が結びついて生成された可能性が高い。
つまり、マーケティング領域でニューロサイエンスとAIの融合が注目されているのでは?
4. 外部データで検証する
ハルシネーションから得た仮説を、実際のデータで検証します。
- Google Trendsで関連キーワードの検索ボリューム推移を見る
- 学術論文データベースで関連論文の出版数を確認する
- 特許データベースで関連技術の出願数を調べる
5. フィードバックループを作る
得られた気づきを、次のプロンプト設計に活かします。
【改善前】
「新しいマーケティング手法を教えて」
【改善後】
「ニューロサイエンスとAIを組み合わせたマーケティング手法について、
具体的な企業事例と技術的なアプローチを教えてください。
もし不確実な情報がある場合は、その旨を明記してください。」
原理を知ることの価値:まとめ
生成AIを「便利なツール」として使うだけなら、原理を知る必要はありません。しかし、データ分析や仮説発見、創造的な問題解決に活用したいなら、原理の理解は不可欠です。
原理を知ることで得られること
-
ハルシネーションを"外れ値"として捉え、新しい洞察を得られる
- 単なるエラーではなく、統計的パターンの現れとして解釈できる
-
モデルの限界と可能性を正しく理解できる
- 「何ができて、何ができないか」を見極められる
- 過度な期待も、過度な不信も持たずに済む
-
効果的なプロンプト設計ができる
- モデルがどう動くかを理解しているので、意図した出力を得やすい
- ハルシネーションを減らすための工夫ができる
-
データの偏りや社会的課題に気づける
- モデルの出力は、学習データの鏡
- そこから、データセットや情報環境の問題を可視化できる
車の運転と同じように
車を運転するだけなら、エンジンの原理を知らなくても大丈夫です。でも、峠を攻めるなら、エンジンブレーキの使い方を知っている方がいい。燃費を追求するなら、ギアチェンジのタイミングを理解している方がいい。
生成AIも同じです。
- ちょっとした文章を書いてもらうだけなら、原理は不要
- でも、外れ値から新しい発見をしたいなら、統計モデルの仕組みを知っておく
- データ分析で仮説を立てたいなら、確率分布とパターン認識を理解しておく
ハルシネーションは"バグ"ではなく、"統計モデルの本質的な振る舞い"です。
その振る舞いを理解し、正しく向き合うことで、ハルシネーションすら新しい気づきのための材料に変えることができます。
おわりに
生成AIの出力に対して、「それは事実なのか、それとも統計的に作られたもっともらしい文章なのか」を常に見極める必要があります。
しかし、だからといってハルシネーションを恐れる必要はありません。原理を理解していれば、ハルシネーションから多くのことを学べます。
外れ値は、時に最も重要なデータポイントです。予想外の出力は、隠れた相関を教えてくれるシグナルかもしれません。
生成AIの原理を知り、その特性を活かす——それが、AI時代のデータ分析者、研究者、エンジニアに求められるスキルの一つではないでしょうか。