こちらの論文が興味深かったので、内容をまとめました。
コンテキストエンジニアリングとは何か
定義
従来のプロンプトエンジニアリングは LLM への入力を固定の文字列 C=prompt と見なし、Pθ(Y|prompt) を最大化するプロンプトを手動で探索してきました。これに対し、コンテキストエンジニアリングは文脈 C を動的かつ構造化された情報の集合 c₁,c₂,…,cₙ と定義し、これらを組み合わせるアセンブリ関数 A によって最適なコンテキスト C=A(c₁,…,cₙ) を生成します。コンテキストにはシステム指示(c_instr)、外部知識(c_know)、ツール定義(c_tools)、過去の対話からの情報(c_mem)、ユーザや世界の状態(c_state)、ユーザからの直近の要求(c_query)などが含まれます。
最適化目標は、与えられたタスク分布 T に対して期待報酬 Eτ∼T[Reward(Pθ(Y|C_F(τ)),Y*τ)] を最大化する文脈生成関数 F を求めることであり、長さ制約 |C|≤L_max の下で情報を最大化する「情報ロジスティクス」の問題として formal に扱われます。これにより、コンテキストエンジニアリングは単なるプロンプト作成の「アート」から、数理的な最適化を伴う「サイエンス」へと進化しています。
なぜ必要なのか
LLM の長文処理では、自己注意機構の計算量がシーケンス長の二乗で増大し、長い入力の処理に膨大な計算資源が必要となります。さらに、ハルシネーションや入力の軽微な変化への敏感さなど信頼性の問題が報告されています。
こうした課題を解決するために、コンテキストエンジニアリングは
(1) 取得した情報を高密度に配置し計算資源を節約する
(2) 外部知識との統合により性能を向上させる
(3) 将来の柔軟なタスク適応(in‑context learning)を可能にする
という利点があると論じています。
基盤となる3つのコンポーネント
コンテキストエンジニアリングは、
①コンテキストの取得・生成
②コンテキスト処理
③コンテキスト管理
という3つの基本コンポーネントからなる。これらは以下のような技術要素で構成されます。
1. コンテキストの取得と生成(Context Retrieval & Generation)
- プロンプト設計と生成: 明確さ・論理性・明示性・適応性・内省性を意識した CLEAR フレームワークが提案され、ゼロショット/少数ショット学習や chain‑of‑thought (CoT)、tree‑of‑thought (ToT)、graph‑of‑thought (GoT) といった推論フレームワークを組み合わせる。CoT プロンプトは「step by step」などの誘発語句を含めることで算数タスクの精度を大幅に改善する。
- 外部知識の取得: Retrieval‑Augmented Generation (RAG) はモデルのパラメトリック知識と外部データベースや文書群を統合し、最新かつドメイン固有の情報を取り込む技術である。Self‑RAG はモデルがいつ外部検索すべきかを動的に判断し、取得タイミングと質を制御する。さらに、知識グラフの組み込みや Structured Retrieval により構造化データを活用する方法も紹介されている。
- 動的なコンテキスト組み立て: アセンブリ関数 A はテンプレート整形、優先度付き選択、適応的合成を組み合わせ、タスク要求やモデル能力に応じて取得した情報を配置する。言語データ、構造化データ、ツール情報など異種のコンテキストを組み合わせる際には、データの言語化(verbalization)やプログラム表現が重要である。プロンプト生成の自動化(Automatic Prompt EngineerやPromptbreeder)も取り上げられ、LLM 自身が最適なプロンプトを探索・進化させる方法が説明されている。
2. コンテキスト処理(Context Processing)
- 長文処理: 自己注意の O(n²) という計算コストを改善するため、状態空間モデル Mamba や dilated attention を用いた LongNet、Toeplitz Neural Networks など線形ないし対数時間で長文を扱う新しいアーキテクチャが紹介されている。位置情報を補間する技術(YaRN、LongRoPE)や自己拡張(Self‑Extend)によってモデルの入力長を伸ばす研究も述べられている。
- 効率的な注意機構: FlashAttention 系や Grouped‑Query Attention により計算とメモリ負荷を大幅に削減し、数十万トークンの文脈を処理できることが示されている。
- 自己改良と適応: Self‑Refine は同じモデルを生成・評価・修正の役割で用いて誤り訂正を行う。Multi‑Aspect Feedback や N‑CRITICS など複数モデルや外部ツールからのフィードバックを利用する方法、メタ学習的な SELF や自己報酬付与(Self‑Rewarding)、ツール創造能力を持つ Creator フレームワークなどが紹介されている。長い chain‑of‑thought を使った長距離推論の効用と、計算効率向上を目的とした reasoning path の剪定手法(O1‑Pruner、InftyThink など)も取り上げている。
- マルチモーダル文脈: LLM を視覚・音声など多様なモダリティと統合する方法として、映像をトークン化して LLM に連結する手法や、Cross‑modal Attention による深い融合が提案されている。しかし多くのモデルでテキストに偏重するモダリティバイアスが生じ、細粒度の空間・時間推論が苦手であることが指摘されている。
- 構造化・関係データの処理: テーブルや知識グラフなどの線形化は関係性を失う問題があり、Graph Formers や GraphToken などグラフ神経ネットワークを併用する方法が提案されている。構造化情報の言語化、プログラム表現、融合のためのアダプタモジュールなど統合手法が詳述される。
3. コンテキスト管理(Context Management)
- 基礎制約: 長いコンテキストに対する注意計算の二乗計算量や「情報が中央にあると忘れやすい(lost‑in‑the‑middle)」現象、ステートレス性による履歴の欠落などが根本的な制約とされる。
- メモリ階層とストレージ: OS の仮想メモリに着想を得た MemGPT や PagedAttention など、主記憶と外部ストレージ間で情報をページングするシステム、Ebbinghaus 忘却曲線に基づき重要度に応じて保持期間を調整する MemoryBank、分散メモリや階層的キャッシュによる大規模コンテキスト管理が紹介されている。
- コンテキスト圧縮: ICAE や Recurrent Context Compression によりコンテキストを数分の一に圧縮し、長い文脈を保持しつつ計算とメモリ負荷を削減する。kNN ベースのメモリキャッシュや二層 KV キャッシュ (ACRE) により重要情報を効率的に再利用する技術もある。
- 応用例: 長文ドキュメントの理解・要約、マルチターン対話の一貫性維持、長期パーソナライズド支援など、コンテキスト管理により高度なアプリケーションが実現可能となる。
システム実装レベルのフレームワーク
論文は基礎コンポーネントを統合した実装パターンとして4種類のシステムを取り上げています。
1. Retrieval‑Augmented Generation (RAG)
RAG は外部知識とモデル生成を組み合わせる代表的な実装であり、モジュール型・エージェント型・グラフ強化型に分類されます。
- モジュール型 RAG: トップレベル・サブモジュール・オペレーションに分けて再構成可能なフレームワークで、FlashRAG・KRAGEN・ComposeRAG などが各種タスク向けに改良された。
- エージェント型 RAG: LLM エージェントが取得・評価・修正を自律的に行い、計画やツール利用を組み合わせて複雑な情報探索を行う。Self‑RAG はモデルが自分で検索タイミングを決める。
- グラフ強化型 RAG: 知識グラフを索引や知識キャリアとして利用し、複数ホップの推論に対応する。LightRAG・HyperGraphRAG などが示され、グラフ構造を使うことで文脈の漂流やハルシネーションを減らす。
- 応用: リアルタイム RAG はストリーミングデータを扱うための低遅延・スケーラブルな設計が求められる。
2. メモリシステム
メモリシステムはモデルを状態レスなテキスト生成器から長期学習者へと変える仕組みである。
- メモリアーキテクチャ: パラメトリック記憶・短期記憶(KV キャッシュ)・長期記憶(外部データベース)などの階層が整理され、MemoryBank・MemGPT など多様な実装例が紹介されている。
- メモリ強化エージェント: Self‑Controlled Memory や REMEMBERER など、エージェントが記憶を生成・更新・利用するフレームワークが提案されている。商用実装には Google Gemini や ChatGPT Memory などがあり、長期間の会話情報を保持して個別対応を実現している。
- 評価と課題: LongMemEval などのベンチマークでは、長期間の会話が続くと精度が30%程度低下し、特にエピソード記憶の評価が不足していると指摘される。
3. ツール統合推論(Tool‑Integrated Reasoning)
LLM を外部ツールと連携させ、計算・検索・API 呼び出し・コード実行を含む複合タスクを解決する仕組み。
- 関数呼び出し機構: Toolformer などが開拓した自己教師付き学習による API 利用、OpenAI の JSON 形式に基づく標準化などが説明される。関数呼び出しのプロセスは意図認識・機能選択・引数生成・実行・応答生成に分けられる。
- ツール統合推論: 問題を分解し、適切なツールを選んで実行結果を推論に反映する枠組みで、プロンプトベース、模倣学習、強化学習の3系統が紹介される。ReAct は思考と行動を交互に繰り返して情報検索を織り込み、Chameleon は視覚モデル・検索エンジン・コード実行を組み合わせる。
- エージェント環境インタラクション: 強化学習によりツール使用を学習する ReTool や、検索と推論を連携させる Search‑R1 などが示される。評価には MCP‑RADAR や General Tool Agents (GTA) など新しいベンチマークが用いられ、実際のコード・データセットを伴う課題に対する性能差が顕著に示される。
4. マルチエージェントシステム
複数の LLM エージェントが協調してタスクを解決する。
- 通信プロトコル: KQML や FIPA ACL といったエージェント通信言語に加え、最近では MCP(JSON‑RPC)、A2A、ACP、ANP などが提案され、異種エージェント間の相互運用性を確保している。
- オーケストレーション: 事前定義によるエージェント割当て(a priori orchestration)と実行後評価に基づく動的割当て(posterior orchestration)に分けられ、Swarm Agent や 3S orchestrator など高度な管理フレームワークが紹介される。コンテキストはエージェント間の意思疎通や状態管理において重要な役割を担う。
研究課題と今後の展望
論文はLLMがコンテキストを理解する能力と、長く複雑な文章を生成する能力に「非対称性」があると述べ、長文出力の一貫性・計画性・事実整合性が大きな課題となっていると指摘します。長い chain‑of‑thought や multi-agent systems における推論の扱い、マルチモーダル統合、記憶の評価基準の欠如など、未解決の問題が多数残されています。また、LongNet や Mamba に代表される新しいアーキテクチャが線形または対数時間で文脈を処理する可能性を示しつつ、Transformer を超える長文生成能力の開発が必要だと強調しています。
まとめ
この論文は、LLM の性能を決める最大の要因が与えられるコンテキストであるという視点に立ち、コンテキストエンジニアリングを「情報調達・加工・管理」を体系的に最適化する新分野として定義しました。
プロンプト設計から外部知識の統合、長文処理、自己改良、マルチモーダル融合、記憶階層、ツール呼び出し、多数エージェント協調までを広範に整理し、各要素の技術動向や限界点を明確に示しています。特にモデルが理解できる文脈の長さや種類は急速に拡大している一方、生成性能や計画能力が追いついていない点を研究課題として強調しており、今後の LLM 研究の指針となる重要なサーベイです。