2025年:この世界に戻ってきて
縁があってリスキリングの機会を得ることができた2025年。数年ぶりにコンピュータの世界に戻ってきて、浦島太郎になったかのような感覚を味わいながら過ごした1年でした。未来に向けての決意表明も兼ねて、私とコンピュータのこれまでを振り返ってみようと思います。
前章:PCに慣れ親しんだ子供時代
家にPCがあるという環境
かなり小さい頃から我が家にはPCがあった。父の仕事部屋にはインターネットにつながるPCが1台、リビングや子供部屋にはお下がりのPCがあって、こっちはオフラインで自由に使うことができた。最初のPCはWindows95だったと思う。MSペイントで絵を描いたり、フリーゲームで遊んだり、ワードパッドを使って学校で配るチラシを作ってみたり、当時としては「できる小学生」だったと思う。たまに仕事部屋に行ってインターネットを使わせてもらうのが楽しかった。PCがある家庭は当時クラスでうちだけだったと思う。パソコンルームで周りより速くタイピングできるだけで全能感を覚えていた。
今思えば全く大したことではないが、この頃の原体験により、「自分はPCに強い」というふんわりとした自信を持ち続けることになった。
自由に使えるインターネット
自分の部屋で自由にインターネットが使えるようになったのは高校生の頃だったと思う。この頃はガラケー文化全盛期で、周りはmixiやら魔法のiらんどやらで「ホムペ」を運用してた。我が家ではパケ放題なんて贅沢なものは与えられなかったから、これらの文化圏とは必然的に距離を置くことになった。
当初はあまり有意義な使い方をしてはいなかったと思う。Yahoo!ブログに好きな音楽の記事を書いたり、知恵袋で黒歴史を量産したり、Wikipediaをひたすらサーフィンしたりするのが好きだった。あとはTheWingBluffというゲームにハマっていた。アペンドミッションというユーザーがオリジナルミッションを追加できるモードがあり、ini準拠のファイルをテキストエディタで編集してミッションを記述する。広い意味ではこれがプログラミングとの出会いだったかもしれない。
コンピュータと無限の可能性
音楽とコンピュータ
高校生の頃、私は音楽に夢中だった。音楽系の部活に所属し、暇さえあればギターを弾いていた。自分の作った曲を多重録音して形にしたいと考えるようになるのは必然的な流れだったと思う。しかし、アルバイトを禁じられている高校生にお金なんてない。カセットMTRやハードディスクMTRなんてあまりにも高嶺の花だ。なんとかお金をかけずに音楽を形に残す方法はないだろうか?その願いは神サイトへの出会いにつながる。
REAPER v0.999、Domino、TiMidity++、Audacity……
世の中には無料で使える便利なソフトウェアに溢れている。専用機材を揃えたら数十万円かかるようなシステムが、PC一台で完結できる。コンピュータに無限の可能性を感じた。
スペックへの渇望
私のPCは基本的に親のお下がりだった。Celeronで256MBメモリにIDEのHDDを積んだWindowsXPのPCは、便利なソフトを便利に使おうとするとすぐに悲鳴をあげる。大学生になって、初めてアルバイトをして、自分のお金でPCを購入することは悲願だった。初めての給料で、DellのPrecision T3500を中古で買った。
- CPU: Xeon W3503
- GPU: Quadro FX 580
- メモリ: 6GB
- OS: Windows7 64bit
デュアルコアのCPUにGB単位のメモリ、なんだかペラペラだけどGPUまでついてる……一気に世界が広がった感覚を覚えた。周りにはMacBook AirやユニボディMacBook Proなんておしゃれでリッチなラップトップを持ち歩く学生が大勢いたが、私はこのデスクトップ1台で大学生活を乗り切った。
学生時代のブログ。この記事はじわじわと長くロングヒットした。古き良き「謎の個人ブログ」として一助になれただろうか。
グラフィックデザインとの出会い
出会いというものはいつも突然やってくる。ある日、Adobe Creative Suite 2がアクティベーションサーバ停止に伴いオフライン版のダウンロードリンクを公開したことをニュースで知った。1
MSペイントでしか画像編集したことのなかった私にとって、レイヤーを重ねたりアンチエイリアスのかかったブラシが使えるPhotoshopは魔法のように感じたし、ベクターで自由自在に線が引けるIllustratorは自分の手足が拡張されたかのような衝撃を受けた。
特にIllustratorが気に入った。イラストから図面作成まで、幅広く愛用する事になった。
エフェクターボード。デザインから電子工作まで自分で制御できる喜び。
甲子園球場の設計図。未完のまま。クラフトロボ欲しかったなあ。
Macとの出会いとプログラミング
Macとの出会い
大学の図書館や情報処理室にはiMacが大量導入されていた。これが直接的なMacとの邂逅だ。中学生の頃、iPodが欲しかったがお金がなくて謎の激安MP3プレイヤーを使ってた。スマートフォンデビューもフリーテルの格安スマホだった。Apple製品には憧れていたが、なかなか縁のなかった私が、就職して初めて買うPCをMacに決めたのは、自然なことだった。ローンを組んで、iMac 5k Late2015を買った。
大学を出て最初に就職したのは官公庁に準じた職場で、直接的に専門的なスキルを求められるような職種ではなかった。よって、このMacデビューは純粋に趣味のためのものだった。経済的自立を確保できた私は、水を得た魚のように、欲しかったソフトウェアをたくさん導入した。Adobe CCにLogic Pro X、ついでにFinal Cut。学生時代の自分なら喉から手が出るほど羨ましく感じるであろう環境だ。初めてのSSDはサクサク動くし、24GBメモリは広大で、使い切る気がしなかった。
ところが、こんなに恵まれた環境を手に入れたのにもかかわらず、肝心の創作意欲が全く湧かなくなった。職場がブラックだったわけではない。でも気力がどうしても出せなかったのだ。そんなこんなで宝の持ち腐れ状態が1年ほど続いた。
一念発起のプログラミング学習
仕事は辛いというわけではないがスキルアップが感じられれず、趣味にもやる気がでない。マンネリとした毎日に閉塞感を感じていた私は、何か新しいスキルを身につけようと考えた。「自分はPCに強い」というふんわりとした自信を持っていたはずの私であったが、実際にできることと言えば、タイピングが速いことと、「ググり力」が強いぐらいでしかない。このままではただのパソコンの大先生ではないか。「ふんわりとした自信」から「根拠のある自信」に変えよう。私は当時流行していたProgateに登録した。
これがなかなか楽しかった。何からやればいいのかわからなかったので、HTML & CSSを皮切りに片っ端から全部やった。Command LineとGitはコンピュータに対する認識を180度変えたと言っても過言ではないパラダイムシフトだった。Ruby on Rails 5では全てが繋がった。これさえあればなんでも出来るーー早速個人開発を始めた。
持ち腐れていたAdobe XdでUIをデザインし、IllustratorでSVGを作り、Atomにmonokaiテーマを入れてiTerm2でコマンドを叩いてーー
それはとても新鮮で刺激的な毎日だった。アフター5のコピペ駆動開発で、4ヶ月足らずで初めてのアプリを完成させた。今思うと当時基準ですらレガシーな技術で、アンチパターンだらけのコードであるが、自走しきったことは、「根拠のある自信」を持つことに繋がった。
野良プログラマーから職業プログラマーへ:全能感から挫折
VBA職人ならぬJS職人
成功体験は人を変える。私は自信に満ち溢れた。職場のPCでも管理者権限なしで使えるテキストエディタを入れて、生のHTMLとJavaScriptだけで色々なツールを内製した。やってることはExcel VBA職人に近い。でも誰もJavaScriptで業務改善なんてやらない。自分だからこそできる働き方だと思った。相乗効果で趣味にも熱気を取り戻した。
Clip Studio PaintとAfter Effectsで作ったアニメを作ってみたり
Mac非対応のF-s-PluginsProjectsをXcodeでMac向けにビルドしたり
転職への道
一方、この頃はコロナ禍全盛期で、お役所対応のど真ん中とも言える環境で過ごす毎日に、かなりストレスを溜めていた。全能感とメンタル不調、相反する二つの感情を抱えた私が決意したのは転職だ。今なら私はプロのプログラマーとして働ける。お役所仕事で消耗することなく、堂々と生産性の高い在宅勤務が出来る。全てが上手くいくーー
そう考えた私は、転職を目指すためのポートフォリオ作りも兼ねて、OSS開発やQittaへのアウトプットを意識的に増やすことにした。
りあクト!を読んでReactに感銘を受けて作り始めたMizutamaConteは、結局未完に終わったが、少なくない方々から評価をいただいた。
転職と挫折
アウトプットを評価していただけたのを縁に、とある自社開発ベンチャー企業から内定を頂くことができた。全てがうまくいくはずだった。でもそうはならなかった。
まず、相当に実力不足だったのが第一の原因だと思う。プロの世界は想像以上にハイレベルだった。それを大前提として、言い訳がましく聞こえるかもしれないが、やはりメンタルが限界だった。コロナ禍は人類が初めて経験した種類の惨禍だ。入社前の時点で私は完全にどこか壊れていたのだと思う。理想の環境でのスタートであるはずの入社がゴールになってしまい、糸が切れてしまった。誇張抜きで、1行もコードを書けなかった日の方が多かったと思う。結局半年ちょっとで退職することになった。あの時の関係者の方、もし見ていらっしゃいましたら改めて謝罪申し上げます。ごめんなさい。
退職後は、しばらくの空白期間を経て、また「お堅い仕事」をすることになった。統制された籠の中で生きる方が私には向いている。根拠のない全能感を持つのは止めよう。私はソフトウェアエンジニアリングとは全く無関係な業界に転身した。
ChatGPTの登場と隔離生活
塀の向こう側で
「お堅い仕事」には数ヶ月の間、寮生活で過ごす初期研修がある。私はこの種の団体生活には多少の経験があり、苦にならないタイプであるが、この間はスマートフォンすら自由に使うことができず、ほぼ世間から「隔離」された環境であったと言える。そんな生活の真っ只中で、ChatGPTがリリースされて世間を騒がせた。貴重な休日に時間を工面して少し触ってみた。私は職業プログラマーを諦めたことを激しく後悔した。
実務スタートと引退
とはいえ自分で選んだ道である。もう引き返すことはできない。未練なんて断ち切って、手堅く生きていこう。初期研修が終わった後、私はM1 MacBook Airを除いて全てのコンピュータを処分し、仕事に集中することを第一とすることを心がけた。趣味としてすら、プログラミングからの完全引退だ。「お堅い職場」では執務室内にスマートフォンを持ち込むことはできない。PCはインターネットに接続されていない。持ち前の「ググり力」で前に立つことすらできない。「ググれないおじさん」と私は全く対等な存在だ。私は「活躍したい」という欲を捨て、協調すること、迷惑かけないことを目標に、仕事に臨んだ。
チャンスは突然に
「お堅い職場」には、少ない枠ながら、職場のお金で大学院に行かせてもらえる制度がある。ある日、その希望者を募るお知らせが回ってきた。「誰も希望しないよね」と流されそうな雰囲気であったが、勇気を出して希望を伝えた。
線形代数に微分方程式、そして論理回路、アルゴリズムーー
久しぶりに受験勉強をした。ChatGPTを相棒に。
そして試験を受けた。合格した。
数年ぶりのブランク
大学院生としてのスタート
2025年、某大学院の門をくぐることになった。もはや野良ではない。本物のCS専攻の修士学生だ。多少の経験のあるソフトウェア工学ではなく、ハードウェアを専攻することになった。FPGAなんて概念すら初めて知った。Verilog、Vivado、全部初めて触るものだ。
ギャップとチャットコピペ生活
この1年はギャップを埋めるのに大変苦労した。何しろ浦島太郎状態である。講義を受けてその場で理解することはできる。でも前提知識は足りてないし、先端技術の進化も早い。昨日までのベストプラクティスが今日のアンチパターンになる世界。このスピード感に慣れるのにはかなり時間がかかった。恥ずかしながら、ClaudeCodeを使い始めたのは今月に入ってからだ。それまでチャットコピペ駆動開発で課題やゼミを乗り切っていた。
趣味と研究の狭間
とはいえこのチャットコピペ駆動開発も、決して全てが無駄な時間だったわけではないと思う。たくさんの失敗を積むことで、アンチパターンを肌身で感じることができた。チャット→コピペ→エラー→コピペ→……の無限ループが、どれほどコンテキストウィンドウの無駄遣いなのか、今ならちゃんと説明できる。
CSに関係あると言えなくもない趣味にも色々取り組んだ。
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Haswell世代の古いPCでHackintoshに挑戦して初Macの思い出深いmacOS 10.12 Sierraを入れてみたり - PS5の選別落ちAPUを流用したBC-250に
Fedoraを入れて遊んでみたり -
CUDAのプログラミングに挑戦してみたり - 20年前のゲームのバイナリを解析して3Dモデルを覗いてみたり2
AIドリブンな2025年にしては成果が少なすぎるか
2026年の目標
大学院に居られるのもあと1年。ひょっとしたら博士も行かせてもらえるかもしれないが、基本的には「お堅い職場」に復帰することが既定路線だ。残り1年、悔いのないよう全力を出し切りたい。
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ClaudeCodeを徹底的に使いこなす - 趣味と学業・研究の両立
この分野、本来趣味と研究に本質的な区別なんて存在しない。私は割と小さい頃からコンピュータが好きだ。それに好きなことをベースに自走する能力もちゃんとある。これまでの経験がそれを一応は証明してる。
「楽しく」「本気で」残り1年ClaudeCodeをパートナーに走り切ろうと思う。その先に見える景色は想像もつかないが、同じ轍は踏まぬよう、慎重に、かつ大胆に生きていけたらいいな。




