記事の内容
- この記事では、量子力学の基礎にある固有値分解とスペクトル分解をできるだけわかりやすく紹介します。
- とくに、有限と無限の対比という観点を重視しています。この観点により、初学者が感じる難解さを少しでも軽減させることが狙いです。
- そして、これら数学的概念が量子力学ではどのように使用されるのかという案内まで導入します。
量子力学を学び始めた初心者のみなさんにとって役立つような記事になっていると嬉しいです。
それでは、目次に目を通してみてください。
有限次元行列の固有値分解と無限次元作用素のスペクトル分解
1. 有限次元の場合:固有値分解
有限次元ベクトル空間(例:$\mathbb{C}^n$)において、自己共役行列(エルミート行列)$A \in \mathbb{C}^{n \times n}$ は 固有値分解 を持ちます。
$$
A = U \Lambda U^*
$$
ここで
- $U$ : ユニタリ行列($U^* U = I$)
- $\Lambda = \mathrm{diag}(\lambda_1, \lambda_2, \ldots, \lambda_n)$ : 固有値を並べた対角行列
- $\lambda_i \in \mathbb{R}$ : $A$ の固有値
つまり、有限次元では行列は「固有値(離散的な点)」と「固有ベクトル(基底)」により完全に記述できます。
また、$A$ は スペクトル分解 と呼ばれる形でも書けます。
$$
A = \sum_{i=1}^n \lambda_i P_i
$$
ここで $P_i = u_i u_i^*$ は固有ベクトル $u_i$ による射影。
この形は「固有値 $\lambda_i$ に対応する部分空間への射影の和」と解釈できます。
補足 射影について
「射影(projection)」とは、空間の一部に「成分を取り出す」ような操作です。
たとえば、3次元空間のベクトル (𝑥,𝑦,𝑧)を考えて、これを 𝑥𝑦平面に「落とす」と (𝑥,𝑦,0)が得られます。これが幾何学的な意味での「射影」です。
量子力学では、射影作用素 𝑃𝑖は「状態ベクトルを、固有値 𝜆𝑖に対応する部分空間へと落とす」操作を表しています。
- 𝑃𝑖をかける → 「状態のうち、固有値 𝜆𝑖に対応する部分だけを取り出す」
- もしその成分がゼロなら、その固有値は出てこない(測定でその結果は出ない)
- 射影 𝑃𝑖が果たす役割は、状態 ∣𝜓⟩が「どれくらい 𝜆𝑖に対応する部分空間に含まれているか」を測っている、ということです。
2. 無限次元の場合:スペクトル分解
一方で、ヒルベルト空間 $\mathcal{H}$ 上の自己共役作用素 $T : \mathcal{H} \to \mathcal{H}$ を考えると、必ずしも固有値が存在するとは限りません。
例えば、
-
位置演算子 $(X \psi)(x) = x \psi(x)$ ($L^2(\mathbb{R})$ 上)
→ 固有値は存在せず、スペクトルは $\mathbb{R}$ 全体に広がる
そこで一般化された固有値分解として スペクトル定理 が成り立ちます。
$$
T = \int_{\sigma(T)} \lambda , dE(\lambda)
$$
ここで
- $\sigma(T)$ : $T$ のスペクトル(固有値を含むが、連続スペクトルも含む)
- $E(\lambda)$ : 射影値測度(projection-valued measure, PVM)
- $dE(\lambda)$ は「$\lambda$ に対応する部分空間への射影の微分」だと思えば直感的
この式は、有限次元の
$$
A = \sum_i \lambda_i P_i
$$
を連続化したものと解釈できます。
- 離散スペクトルの場合:$E$ は階段関数になり、和に戻る
- 連続スペクトルの場合:$E$ が連続に変化し、積分表現が必要になる
3. 並べて比較
項目 | 有限次元(行列) | 無限次元(作用素) |
---|---|---|
対象 | $A \in \mathbb{C}^{n\times n}$ | 自己共役作用素 $T$ on Hilbert space |
固有値 | 離散的に有限個 | 離散 + 連続(例:区間全体) |
分解の形 | $A = \sum_i \lambda_i P_i$ | $T = \int_{\sigma(T)} \lambda , dE(\lambda)$ |
射影 | $P_i = u_i u_i^*$ | 射影値測度 $E(\lambda)$ |
例 | 対角化可能な行列 | 位置演算子、微分演算子など |
スペクトル | 固有値の集合 | 固有値+連続スペクトル(点+連続) |
4. 直感的まとめ
-
有限次元:
固有値は「点」で、その点ごとに直交射影をかけて「和」をとれば元の行列が復元される。 -
無限次元:
固有値は「点」に限らず「区間全体」に広がる可能性がある。その場合、直交射影を「積分」して元の作用素を復元する。
つまり、
$$
\text{有限次元:和による分解} \quad \leftrightarrow \quad \text{無限次元:積分による分解}
$$
という構図になります。
量子力学における「固有値分解」と「スペクトル分解」の物理的意味
1. 状態と観測の枠組み
量子力学では、系の状態はヒルベルト空間上のベクトル(または射影作用素)で表されます。
観測可能量(物理量)は自己共役作用素(エルミート演算子)で表されます。
- 有限次元系(例えばスピン1/2)では、その演算子は有限次元のエルミート行列
- 無限次元系(例えば位置や運動量)では、無限次元の自己共役演算子
となります。
2. 固有値と観測結果の対応
観測可能量 $A$ に対して、固有値分解(あるいはスペクトル分解)は次のように物理的に解釈されます。
有限次元の例:スピン
$$
A = \sum_{i=1}^n \lambda_i P_i
$$
- 固有値 $\lambda_i$:観測結果として得られる「可能な値」
- 射影 $P_i$:その結果に対応する「測定後の状態」
例えばスピンの $S_z$ 演算子を測定すると、$+\hbar/2$ か $-\hbar/2$ のどちらかが出る。
無限次元の例:位置
位置演算子 $X$ は連続スペクトルを持ちます:
$$
X = \int_{\mathbb{R}} x , dE(x)
$$
- $x \in \mathbb{R}$:観測値として得られる「位置」
- $E(B)$:区間 $B \subseteq \mathbb{R}$ に測定値が入る確率を与える射影作用素
測定すると「位置がちょうど $x$ である」確率はゼロですが、区間 $[a,b]$ にある確率は
$$
\Pr{ a \leq X \leq b } = \langle \psi, E([a,b]) \psi \rangle
$$
で表されます。
3. 離散スペクトルと連続スペクトル
物理的には、固有値分解とスペクトル分解の違いは「観測結果が離散か連続か」という違いとして現れます。
-
離散スペクトル(固有値分解)
例:エネルギー準位(原子の束縛状態)、スピン角運動量
→ 観測結果は「飛び飛びの値」 -
連続スペクトル(スペクトル分解)
例:位置、運動量、自由粒子のエネルギー
→ 観測結果は「連続的な範囲の値」
4. 確率解釈
量子測定では「スペクトル分解」を通じて、測定の確率分布が与えられます。
-
状態 $|\psi\rangle$ に対して、観測量 $A$ を測定するとき、
$$
\Pr{ \text{測定値} \in B } = \langle \psi, E(B)\psi \rangle
$$が成り立ちます。
有限次元の場合は「特定の固有値が出る確率」に対応し、無限次元の場合は「区間内に入る確率」に対応します。
まとめ
- 固有値分解(有限次元):観測結果は離散的 → 原子のエネルギー準位やスピン
- スペクトル分解(無限次元):観測結果は連続的 → 位置や運動量
- 共通点:どちらも「観測結果の可能性」と「確率分布」を与える
- 違い:離散か連続か、有限和か積分か
つまり、数学的には「固有値分解」と「スペクトル分解」は一般化関係にあり、物理的には「観測結果の離散性 or 連続性」という形で現れます。
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