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【QAポエム】「どう対応しても文句は出る」という言葉のインシデント性

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本記事はとあるソーシャルゲーム開発会社でQA(品質管理)を務める筆者が、
業務を通して考えたこと・感じたことを書き留めるポエム記事です。
あくまでも一事例として捉えていただければ幸いです。
また、守秘のために一部フェイクも含みます。

ソーシャルゲームに限った話ではないですが、あらゆるサービスにおいて「全ての顧客の納得」を得ることは大変に難しいことです。

QAという仕事の上でも、「その現象が発生しなくなったら解決」という単純な結末にできない不具合に多々直面いたします。

よくある例としては、
・本番環境でとある不具合が発生した。
・これによりユーザー間で不平等がもたらされた。
などがあります。
今回はそういった場面をきっかけに私が考えたことを書きたいと思います。

ここで言う「不平等」とは、プレイ時間、ゲーム内通貨の獲得量など、ゲーム内における何らかの恩恵が全てのユーザーに均等に提供できなかった場合を指します。
※ゲーム外に及ぶ課金などの決済不具合は今回の件とは考え方が異なるため一旦省きます

例えば、PCブラウザ・スマホアプリなど複数のプラットフォームで遊ぶことのできるゲームが「特定の環境だけ進行できない」といった不具合に直面すると、ユーザーに提供されるプレイ時間にが生まれます。
この場合、この進行不具合を解消しても不具合発生中に生じたプレイ時間の差は埋まりません。

ソーシャルゲームにおいて「プレイ時間の差」は「ゲーム内の通貨やアイテムの獲得量」に直結する部分が大半のため、大なり小なりこの手の不平等は発生した時点でユーザー間の心証はよくありません。よってサービス運用者は不具合修正という事態の収束とは別に、ユーザーに向けた何らかの対応を行い「手打ち」を目指す必要があります。
しかしここで難しいのが「個別対応」が行えるかどうかです。

ゲーム内で発生した不平等を解消するためには、運営側でその生じた差を計測し、マイナス分に何らかのアイテムを補填することで「お許しいただく」といった対応が一般的です。

ユーザー視点で見れば
1.友人たちとラーメンを食べに行くと自分の分だけ煮玉子が切れていた。
2.チャーシュー1枚追加で許してと店主に頼まれたため受け入れた。
みたいな話ですね。

上記のようにひと目で状況の全貌が観測できる場面だと良いのですが、
ソーシャルゲームの運用では不具合の種類によってはその不具合の発生したユーザー全員を漏れなく洗い出すことが非常に困難な状況も多々あります。
(厳密にはそれだけのコストが支払えないという場合も…)

そのような状況において、運営側は「全体」に向けた一括の対応を行うことで解決をはかるという選択を取らざるを得ません。ネットスラングでは「詫び石」などと呼ばれることも多い、ゲーム内通貨の配布での手打ちを目指します。

しかしながら、これは「」を解消する対応ではない点を忘れてはなりません。

上記に書いたラーメンの例に照らすと、自分以外の友人たち全員にもチャーシュー1枚追加が行われるような状況ですから、それを受け入れられないユーザーももちろん現れます。

そのため、運営内ではどのような形の全体対応がもっとも多くの納得が得られるかという点を思案します。昨今ではこの手の対応1つで炎上なども起こり得ますから、状況によっては時間をかけた議論も必要です。

※とある有名なタイトルでは、ユーザーにとって差が気にならなくなるレベルの多量のアイテムの補填を行ったことで話題になったこともありました。これはプラスの方向での炎上とも言えます。ただしその出来事以降、他社で何らかの不具合が起きるとこれを見習うように催促さてしまう事例も多くなったことがSNS上でもよく観測されます。

この手の決断には正解がありません。
手打ちのためのお詫びには「適正量」があることは確かですが、相手取るのはユーザーの「感情」です。
議論に議論を尽くした後に決断を下し、対応して様子を見る他ありません。
そんな時、現場では「どう対応しても文句は出る」という言葉で決断を後押しすることもがあります。

さて、前置きが長くなりましたが、

私はこの「どう対応しても文句は出る」という言葉にひとつのインシデントを感じています。
(これは感覚的なものなので、一種の行き過ぎた考えでもあります。)

インシデント:重大な事件・事故に発展する可能性を持つ行動や要素

当たり前なのですが、ゲーム会社で働いているとゲームの運営チームも人間なのだということを日々実感します。ソーシャルゲームという媒体を通しておりますが、ユーザーというお客様へ人の手でサービスを提供するという形は他の仕事と大きく変わるものでもありません。

客商売、サービス業という分野で近年暴走してしまっている言葉に「お客様は神様です」という言葉があります。元々はサービスの提供者側がその心構えを言語化したワードではありますが、主語を広くとれる言葉でもあったことから言葉の使用者が顧客に移り、トラブルに発展している事例が見られます。
私はこういった「言葉のインシデント性」というのがこれからの時代にはより強くなっていくのではないかと個人的に考えています。

ゲームの運営チームも人間ですから、個々それぞれに心構えがあり、そして大きな決断にはストレスも感じます。決断は心身に疲労を蓄積させるものですから、社会におけるチーム運用においては個人個人のメンタルケアも重要視されます。
前置きに挙げた不具合に伴うユーザー対応などは実に大きな決断です。自社のタイトルのブランディングにも影響する一姿勢を個人で決めるわけですから、責任もまた重大です。
そんな時、「どう対応しても文句は出る」という言葉は、「どう対応しても文句は出るものですよ、気負いすぎないほうが良いですよ」とチームが決断者を支える言葉として機能してほしいと私は考えています。
なぜなら、もしこの言葉を決断者本人が乱用し始めた時、決断そのものの背景に考慮の不足や諦めの感情が強く現れ、そのゲームの運用品質は大きく下がる可能性が高いからです。
これが私の思うインシデント性です。

サービス業がネットワークを介しゲームがソーシャルになった今、
QAが考える「品質」とは、「製品の品質」だけでなく「不平等を生じさせるインシデントの抑制」も当然意識していかなければならないものとして存在します。

しかしながら事業としての形態がどれだけデジタルに進歩しても内部で動くのは人間ですから、私としては一歩引いて会社人としてチームの運用にもインシデント性を見出していくことが肝要ではないかと近頃は襟を正す日々であったりします。

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