「SaaSの死 2.0」が始まるかも!?
といっても、AIによってSaaSそのものが不要になる、という話ではない。むしろ逆。
SaaSが競争力を維持するためにAIを搭載し、そのAIが使われれば使われるほど、これまでSaaSを成立させてきたGross Margin(売上総利益率、粗利率)の構造が変わってしまう可能性がある、 という話。
最近の生成AIとSaaSの関係を眺めていると、そんな一面が見えてきた。
これを「SaaSの死 2.0」と呼んでみたい。
「SaaSの死 1.0」はどうだったのか
2.0の前に1.0のふりかえり。
「AIによってSaaSが死ぬ」という話は以前に盛り上がって、SaaSベンダーの株価に大きな影響を与えたのはご存じの通り。
LLMに要件を伝えれば、それらしい業務アプリケーションを短時間で作れる。ならば、高い利用料を払ってSaaSを契約し続ける必要はなくなるのではないか。
これが、いわば「SaaSの死 1.0」
しかし、実際にはSaaSはそう簡単には死ななかった。理由は、アプリケーションは作ったら終わりではないから。
個人が一時的に使うアプリなら、LLMだけでもかなり作れる感じがする。が、多くのユーザーに継続的に提供するとなれば、ユーザーの管理も必要になるし、プラットフォームそのものの管理や維持運用も必要になる。
コードを書くことと、サービスとして何年も安定して提供し続けることは別の問題。少なくとも現状のLLMだけで、そこまで含めて既存SaaSを置き換えるには、まだまだ力不足。将来的には可能性はあるけど。
そう考えると、「AIでSaaSと同じようなものを作れるから、SaaSはいらなくなる」というSaaSの死 1.0は、少し心配しすぎだったのかもしれない。
ところが「SaaSの死 2.0」は少し違う
今回考えたいのは、AIがSaaSを外から置き換える話ではない。
SaaS自身が競争力を維持するためにAIを取り込んだ結果、これまでSaaSを支えてきたGross Marginの構造が変わってしまう可能性
こちらは「AIにSaaSが作れるか」という技術の話ではない。
SaaSというビジネスは、AIを大量に使われても、今までと同じように儲かるのか。
そんな別の問題が見えてきた。
元々SaaSは「使ってもらうほど儲かる」ビジネス
従来のSaaSのビジネスモデルは非常に美しい。
クラウドを利用することで、自ら巨大なインフラ資産を保有せず、必要なコンピューティングリソースを利用しながらサービスを提供できるようになった。
そして、一つのサービス基盤に多くのユーザーを載せる。
ユーザーが2倍になったからといって、インフラや運用のコストまで必ず2倍になるわけではない。概念的には、次のような規模の経済が働く。
- ユーザー数が増える
- 売上が増える
- 原価も増えるが、売上ほどには増えない
- 原価率が下がる
- Gross Marginが改善する
もちろん、実際のSaaSはこれほど単純ではない。
それでも、ユーザーを増やし、サービスを多く使ってもらうことで規模の経済が働きやすいというのが、SaaSビジネスの大きな魅力のひとつ。
だからこそSaaS企業にとって、ユーザー獲得は重要な命題になった。
さらに、契約してもらうだけではなく、実際にサービスをたくさん使ってもらうことも基本的には良いことであった。
利用者が増えた。利用時間が増えた。利用率が上がった。サービスに定着した。
いずれも喜ばしい話だったのである。
AIは「使うたびに原価が発生」
ところがAIを組み込むと、この構造が少し変わってくる。
AIには利用量に連動するコストがある。Token、Inference(推論処理)、RAG、Vector Search、Agent実行、外部APIの呼び出しなどである。
これは従来のSaaSにも存在したストレージやネットワークなどの変動費とは、少し性質が違う。
特にAgent化が進むと、一回のユーザー操作の裏側でも、次のような処理が行われる可能性がある。
- LLMがユーザーの指示を解釈する
- RAGで必要な情報を検索する
- LLMが次の処理を判断する
- ToolやAPIを呼び出す
- LLMが実行結果を評価する
- 必要に応じて別のToolやAPIを呼び出す
- 最後にLLMが回答を生成する
ユーザーからは一回の操作に見えていても、裏側では複数回のAI処理が実行される。
つまり、AIを使ってもらうほどCOGS(Cost of Goods Sold、売上原価)が増える構造になり得る。
それでも「AIを搭載しない」という選択は難しい
だったらAIを提供しなければよい!とはなかなかならない。
競合サービスが便利なAI機能を提供しているのに、自社だけがAIを提供しなければ、競争力を失う可能性がある。
一方で、「AIは月50回まで」のような厳しい利用回数制限を設ければ、せっかく実装したAIの魅力が薄れてしまう。
さらに難しいのが、従来型のSeat固定料金、主に、利用人数に課金するモデルが主流な点。
月額料金Seat固定のSaaSにAIを追加したとする。
AIがほとんど使われなければ、AI原価はそれほど発生しない。しかし、それではAIを実装したことによる競争力向上も限定的かもしれない。
逆にAIが非常に便利で、ユーザーが猛烈に使い始めたらどうなるだろう。
- AIの利用量が増える
- InferenceやRAG、Agent実行が増える
- AIのCOGSが増える
- Seat固定料金なので売上は大きく変わらない
- Gross Marginが低下する可能性
売上は固定なのに、使われれば使われるほど原価が増える。
従来型SaaSの成功方程式とは、かなり景色が違う。
「使われるほど嬉しい」が反転する
従来であれば、ユーザーにサービスを使い倒してもらうことは、基本的には歓迎すべき状態。
AI SaaSでも、利用率が高まれば顧客が感じる価値が上がり、サービスへの定着率も高まるかもしれない。
しかし同時に、
- AI利用率が上がる
- InferenceやRAG、Agent実行が増える
- COGSが増える
- 売上が比例して増えなければ、Gross Marginが低下する
という可能性もある。
もちろん、AI利用量が増えれば必ずGross Marginが悪化するという話ではない。
小さく安価なモデルを使う方法もある。Caching(処理結果の再利用)もある。処理内容によって最適なモデルへRouting(振り分け)することもできる。
自社でAIの計算基盤まで持つ企業なら、Inference Cost(推論コスト)そのものを下げるための投資もできる。
そして、AIによる価値が十分に高ければ、サービス価格を引き上げることもできる。
問題は、それをやりきれるかどうかである。
「ならばAIを従量課金すればいい」も簡単ではない
最も分かりやすい解決方法は、AIコストを利用者へ転嫁すること。
たとえば、次のような料金体系が考えられる。
- 基本となるSaaS利用料を設定する
- 一定量のAI利用枠を含める
- AI Creditsや利用量に応じて追加料金を設定する
- より高度なAgentやAPI利用には別料金を設定する
理屈としては非常に合理的。
しかし、これも簡単ではない。
これまで「1ユーザー月額○○円。基本的に好きなだけ使えます」と販売してきたSaaSが、「AIを多く使ったので追加料金です」というモデルへ移行することになる。
顧客から見れば、ARPU(Average Revenue Per User、1ユーザーあたり平均売上)の上昇である。
AIによって明確な追加価値が得られるのであれば、顧客も受け入れるだろう。しかし、競合も似たAI機能を提供している市場では、単純に値上げできるとは限らない。
つまりAI時代のSaaSでは、技術だけではなく、Pricing Power(価格決定力) も重要になる。
境界線はGross Margin
ここまで考えると、AI時代のSaaSを見る一つの物差しが見えてくる。
AI機能があるかどうかではない。
AIの利用率が高いかどうかでもない。
重要なのは、
AIが大量に使われても、Gross Marginを維持、あるいは改善できるか。
になる。
AI原価そのものを下げてもよい。AI Creditsなどによって利用量を価格へ転嫁してもよい。AIによって大きな付加価値を作り、Seat単価を上げてもよい。
重要なのは方法ではなく、最終的な経済性である。
うまくいくのであれば、
- AI利用量が増える
- 顧客が得る価値が増える
- 従量課金や単価上昇によって売上も増える
- AI COGSも増えるが、売上ほどには増えない
- Gross Marginを維持、あるいは改善できる
という構造になる。
ここまで持っていければ、AIはSaaSにとって強力な成長エンジンになる可能性が高い。
逆に問題となるのは、
- 競争上、AIを搭載せざるを得ない
- AIが便利なので利用量が増える
- AI COGSが増える
- Seat固定料金等、価格転嫁できず、売上はそれほど増えない
- Gross Marginが低下する
- AI利用を制限すると、今度は競争力が低下する
という構造。
AIを使ってもらわなければ競争力が落ちる。しかし、使ってもらえばもらうほどGross Marginが悪化する。
これが起きるのであれば、従来のSaaSとは異なる経営が必要になる。
これが「SaaSの死 2.0」なのかもしれない
「SaaSの死 1.0」は、AIがSaaSを代替するという外側からの脅威だった。
しかし実際には、「AIで似たものを作れる」ことと、それを多くのユーザーに継続して提供し、管理、維持運用していくことは別の話だった。
一方、「SaaSの死 2.0」は少し違う。
AIがSaaSを殺すのではない。
AIを提供することで、SaaS自身がこれまでの高Gross Marginモデルを維持できなくなる可能性がある。
そんな一面が見えてきたのではないだろうか。
もちろん、その結果としてSaaS企業が実際に「死ぬ」と断定する話ではない。
AI原価は今後さらに下がるかもしれない。課金モデルも変化するだろう。AIによって従来よりはるかに高い価値を提供し、むしろARPUやGross Marginを改善するSaaSも出てくると考えられる。
ただし、
ユーザーを増やし、たくさん使ってもらえば、規模の経済によって原価率が下がる。
という従来SaaSの成功方程式を、そのままAI時代にも適用できるとは限らない。
今四半期の株式市場の反応も興味深い
ここで少しSaaSから離れて、今四半期の株式市場の反応も見てみたい。
Microsoft、Amazon、Googleはいずれも巨額のAI投資を続けているが、市場の反応は同じではなかった。詳細は各自確認してほしいが、概ね、以下の通り。
MicrosoftはAzureが高い成長を示した。一方、GoogleはGoogle Cloudが成長しているにもかかわらず、Searchやフリーキャッシュフローへの懸念などから、決算後に株価が大きく下落した。
Amazonの決算説明でも、AI需要を単なるGPU利用ではなく、AWS全体のCompute、Storage、Networkなどの消費につなげようとする考え方が示されていた。
もちろん、短期的な株価をAI投資やGross Marginだけで説明することはできない。市場予想との差、将来見通し、金利、バリュエーション、既存事業への影響など、さまざまな要因が絡む。
したがって、これを「SaaSの死 2.0」の証拠とするつもりもない。
ただ、
AIをやっているか。
ではなく、
AIに投じたコストを、持続的な売上と利益へ変換できるのか。
へと、市場の視線が移りつつある一面は推察できる。
AI時代になるからこそ、売上成長率だけではなく、その売上を作るためにどれだけの原価が必要なのかを見る必要が出てくる。
この考え方は、SaaSについても同じではないだろうか。
身近なSaaSをこの物差しで眺めてみる
ここまで、具体的なSaaSについての分析は意図的に避けてきた。特定の企業が危ない、と言いたいわけではないからだ。
しかし、ここまでの話を一つの物差しとして、身近なSaaSの状況を想像してみると興味深い。
Microsoft 365、Google Workspace、Salesforce、ServiceNow、Zoom、Box、Slack、Notion、Mural、Dropbox、Atlassian、HubSpot……。
どれでもいい。
- そのSaaSに本当にAIは必要なのか
- そのAIをユーザーは日常的に使うのか
- 使われれば使われるほどAI原価は増えるのか
- AI原価を下げる余地はどの程度あるのか
- 従量課金やAI Creditsへ移行できるのか
- ARPUを上げるだけの価値をAIが生み出せるのか
- 値上げや従量課金を顧客は受け入れるのか
そして、最後に、以下の視点で考える。
そのAIが猛烈に使われるようになったとき、そのSaaSのGross Marginは上がるのか、下がるのか。
「AI機能が何個あるか」を比べるより、この物差しでさまざまなSaaSを分析してみる。
意外と面白い景色が見えてくるかもしれない。
実は議論されてきた内容
AIとSaaSのGross Marginを巡る問題そのものは、決して新しい話ではない。
たとえば、a16zなどでは以前からAI企業のGross Marginと計算コストの関係が議論されてきた。TechCrunchなどのテックメディアでも、AIのInference Costとビジネスモデル、価格設定などについて議論されている。
つまり、「AIは使うたびにコストがかかる」こと自体は新しい発見ではない。
ただ、その議論が行われ始めた頃と現在では、少し状況が違う。
生成AIが実験的な機能ではなく、実際のSaaS製品に組み込まれ始めた。さらにAIは単発の質問応答からAgentへ進み、一回のユーザー操作の裏側で何度もモデルやAPIを呼び出すようになってきている。
そこで改めて、
AIを搭載するかどうかではなく、AIが猛烈に使われたときにもGross Marginを維持できるのか。
という視点からSaaSを眺め直してみた。
昔からあったAIの経済性の議論を、現在のSaaSとAgentの普及を踏まえて改めて考えてみる。
そこから見えてきた一つの景色が 「SaaSの死 2.0」 なのではないかと。
AIがSaaSに組み込まれ、本格活用がすすむとSaaS市場はどうなるのか?!3年後くらいには答えがでてるはず。