はじめに
自分がはじめて5人のチームを任されたとき、最初に変わったのは手元の作業時間だった。スプリント計画、1on1、障害対応の調整が入り、コードを書く時間は週に数時間まで減った。それでも「自分がやったほうが速い」と思って夜中にパッチを当て、翌朝レビューで押し通した。半年後、メンバーは誰も設計判断をしようとしなくなっていた。
技術の問題なら切り分けられる。ログとメトリクスを並べれば、だいたい原因の方向は見える。人とチームの問題にはスタックトレースがない。何が効いて何が効かなかったのかが分からないまま、自分は同じ失敗を三回くらい繰り返した。
そのころ読んでいたアーキテクチャ本やマネジメント入門は、役割の定義は教えてくれても、目の前の「なぜこの人は動かないのか」には答えなかった。効いたのは、一見この仕事と無関係に見える古典や経済学の本だった。抽象度が高いぶん、自分の状況に当てはめ直す作業が必要で、その作業自体が整理になった。
ここでは4冊を、自分の時間を整える、人の動機を読む、チームとの関係を作る、外の状況を読む、という順で紹介する。全部読む必要はない。今いちばん詰まっているところに対応する1冊だけ選べばいい。
① 完訳 7つの習慣 人格主義の回復 — スティーブン・R・コヴィー
著者はリーダーシップ論の研究者で、ブリガムヤング大学で教えながら経営コンサルタントとして多くの組織に関わった人物。本書は世界で数千万部売れた定番で、完訳版は原著の内容を省略なく収めている。
構成はシンプルだ。まず自分を律する三つの習慣、次に他者と成果を出す三つの習慣、最後にそれらを維持する習慣が置かれる。主体性を持つ、終わりを思い描いてから始める、重要なことを優先する、Win-Winを探す、まず相手を理解する、相乗効果を生む、刃を研ぐ。並べると標語のようだが、各章は具体例と演習でできている。
自分に効いたのは「重要度と緊急度」の整理だった。当時の一週間を書き出したら、緊急かつ重要な障害対応と、緊急だが重要でない通知対応で8割が埋まっていた。緊急ではないが重要な設計改善とメンバー育成には、ほぼ時間を割いていなかった。チームが育たない理由はスキルの話ではなく、自分のカレンダーの話だった。
注意点として、かなり分厚い。通読を目標にすると挫折する。自分は章単位で、今の課題に当たる習慣だけ読んで実務に当てた。それを繰り返して半年かけて一周した。
こんな人に: 割り込み対応で一日が終わり、設計やメンバー育成に手が回っていない人。
② ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する — スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー
レヴィットはシカゴ大学の経済学者で、犯罪や教育といった経済学の外側に見えるテーマをデータで切る研究で知られる。共著のダブナーはジャーナリストで、読み物としての面白さはこの組み合わせによる。
本書の軸はインセンティブだ。学校教師がテスト結果を改ざんする仕組み、不動産仲介が自宅を売るときの価格差、相撲の星のやりとり。いずれも、人は正しいことをするのではなく、報われることをするという前提でデータを見ていく。
これはチーム運営の話として読める。自分は以前、見積り精度をチームの指標に入れたことがある。結果として起きたのは、精度の改善ではなく見積りの水増しだった。カバレッジを目標にすれば、アサーションのないテストが増える。指標を置いた瞬間に人の行動が変わる、その方向を事前に読む癖はこの本でついた。
マネジメントの処方は一行も書かれていない。それでも、新しい評価軸やKPIを導入する前に「この数字で誰がどう得をするか」を考える型が手に入る。扱われているデータの解釈には学術的な議論もあるので、結論を鵜呑みにせず思考の道具として使うのがいい。
こんな人に: 指標や評価制度を入れたのに、現場の行動が想定外の方向に歪んだ経験がある人。
③ Resonant Leadership — Richard E. Boyatzis、Annie McKee
ボヤツィスはケース・ウェスタン・リザーブ大学の教授で、感情知性の研究をダニエル・ゴールマンらと進めてきた人物。マッキーはリーダーシップ開発の実務家で、二人とも企業の現場データをもとに書いている。
テーマは、リーダーが消耗していく仕組みとその回復だ。意思決定と責任が積み上がると慢性的なストレス状態になり、周囲の感情を読む余裕が消える。そうなったリーダーの下ではチームの雰囲気が静かに悪化する。本書はこの悪循環を、マインドフルネス、希望、共感の三つで断ち切る方法として整理している。
刺さったのは、傾聴の扱いだった。自分の1on1は、進捗確認と課題の洗い出しで15分が埋まる報告会になっていた。本書の言う共鳴は、相手が何に困り何を望んでいるかを把握してから返す状態を指す。試しに最初の10分を質問だけにしたら、退職を考えていたメンバーの話が出てきた。
邦訳がないので英語で読むことになる。ただ文章は平易で、章末に自己診断のワークがある。全部やらなくても、自分の消耗度を測る章だけで元は取れる。
こんな人に: 1on1が形式的になっていて、メンバーの状態が読めなくなっている人。
④ 孫子 — 孫武
著者とされる孫武は春秋時代の武将で、本書は二千年以上読まれ続けてきた軍事思想の古典。岩波文庫版は原文と訳、注が揃っていて、少しずつ読み進めやすい。
中身は戦術の指南書だが、繰り返されるのは戦わずに済ます話だ。勝てる状況を作ってから動く、不利なら退く、消耗戦を避ける。彼を知り己を知れば百戦して危うからず、という一節も、自己認識と相手の分析を同じ重さで扱っている。
開発の文脈に置き換えると、技術選定と撤退判断の話になる。自分はかつて、プロダクトの差別化と関係ない領域に自前実装を続けて半年を溶かした。既存サービスの強みと自チームの人数を並べて見れば、最初から勝負する場所ではなかった。市場や競合の調査は企画の仕事と思いがちだが、どこに工数を置くかを決めるのは結局エンジニア側の判断になる。
字面通りの読み方は勧めない。敵や戦という語を社内の誰かに当てはめ始めると、使い方を間違える。相手は競合プロダクトや市場環境と置き換えて読むのがちょうどいい。
こんな人に: 技術選定や自前実装の継続判断で、やめる基準を持てていない人。
まとめ
| ステップ | 読む本 | 得られるもの |
|---|---|---|
| 1. 自分を整える | 完訳 7つの習慣 | 優先順位と主体性の型 |
| 2. 人の動機を読む | ヤバい経済学 | インセンティブを疑う視点 |
| 3. チームと関係を作る | Resonant Leadership | 感情知性と消耗からの回復 |
| 4. 外の状況を読む | 孫子 | 競合分析と撤退の判断軸 |
今の課題から1冊選ぶなら、こう考えるといい。
- 割り込みばかりで設計と育成に時間が残らない → 完訳 7つの習慣
- 指標や制度を入れたら現場の行動が歪んだ → ヤバい経済学
- 1on1が報告会で、メンバーの本音が出てこない → Resonant Leadership
- 技術選定や撤退のラインを引けない → 孫子
どれも読んだ翌日に効く本ではない。自分は4冊とも、読んだ内容を一つだけ選んで一週間試す、という進め方で手元に残した。マネジメントの技術も、設計と同じで小さく回すほうが定着する。