はじめに
NetflixやAmazon、YouTubeなど、私たちが日常的に利用するサービスの多くは、ユーザー一人ひとりに合わせたパーソナライズされた推薦を提供しています。この推薦システムを支える技術の一つが「行列分解(Matrix Factorization)」です。本記事では、レコメンドシステムの基礎となる行列分解について、数式だけでなく図解を交えながら分かりやすく解説します。
レコメンドシステムとは
レコメンドシステムは、ユーザーの過去の行動や嗜好に基づいて、興味を持ちそうな商品やコンテンツを推薦するシステムです。NetflixやAmazonなど、私たちが日常的に使うサービスで広く活用されていますね。
基本的な問題設定
ユーザーとアイテム(商品、映画など)の評価を行列で表現します。
映画A 映画B 映画C 映画D
ユーザー1 5 3 ? 1
ユーザー2 4 ? ? 1
ユーザー3 1 1 5 4
ユーザー4 ? 1 4 ?
この「?」の部分、つまり未評価のアイテムに対する評価を予測することが目的です。
行列分解の考え方
基本原理
行列分解は、ユーザー・アイテム評価行列Rを2つの小さな行列の積に分解します。
R ≈ U × V^T
- R: ユーザー×アイテムの評価行列(疎行列)
- U: ユーザー×潜在因子の行列
- V: アイテム×潜在因子の行列
潜在因子とは
潜在因子とは、評価の背後にある隠れた特徴を表します。映画の例では以下のような因子が考えられます。
- 因子1: アクション度
- 因子2: ロマンス度
- 因子3: コメディ度
各ユーザーは「アクションが好き」「ロマンスが嫌い」といった潜在的な好みを持ち、各映画も「アクション度が高い」「ロマンス要素が少ない」といった潜在的な特徴を持ちます。この潜在因子を使って、ユーザーとアイテムの相性を数値化するわけですね。
具体例で理解する
簡単な例
2つの潜在因子で分解する場合を考えてみましょう。
ユーザー行列U(ユーザーの好み):
因子1 因子2
ユーザー1 0.9 0.1 (アクション好き)
ユーザー2 0.8 0.2
ユーザー3 0.1 0.9 (ロマンス好き)
アイテム行列V(映画の特徴):
因子1 因子2
映画A 0.9 0.1 (アクション映画)
映画B 0.5 0.5 (バランス型)
映画C 0.1 0.9 (ロマンス映画)
評価の予測
ユーザー1の映画Aへの評価予測:
0.9 × 0.9 + 0.1 × 0.1 = 0.81 + 0.01 = 0.82
ユーザー3の映画Cへの評価予測:
0.1 × 0.1 + 0.9 × 0.9 = 0.01 + 0.81 = 0.82
このように、似た特徴を持つユーザーとアイテムは高い評価になります。
学習方法
目的関数
実際の評価値と予測値の差を最小化します。
最小化する誤差 = Σ(実際の評価 - 予測評価)²
既知の評価データのみを使って学習を行います。
最適化手法
主に2つの方法があります。
交互最小二乗法(ALS: Alternating Least Squares)
- Uを固定してVを更新
- Vを固定してUを更新
- これを繰り返す
確率的勾配降下法(SGD: Stochastic Gradient Descent)
- ランダムに評価データを選択
- 誤差の勾配方向にパラメータを更新
- 全データに対して繰り返す
利点と課題
利点
- 疎なデータでも機能する: 全ユーザーが全アイテムを評価していなくても良い
- 計算効率が良い: 大規模データに対応可能
- 解釈可能性がある程度ある: 潜在因子の意味を推測できる
課題
- コールドスタート問題: 新規ユーザーや新規アイテムの推薦が困難
- 潜在因子の数を事前に決める必要がある: 適切な数を見つけるにはチューニングが必要
- 評価の文脈情報を取り込みにくい: 時間、場所などのコンテキスト情報を考慮しにくい
実用的な拡張
正則化項の追加
過学習を防ぐため、行列の要素が大きくなりすぎないように制約を加えます。これにより、未知のデータに対する予測精度が向上します。
バイアス項の導入
ユーザーごとの評価の癖(厳しい評価をする人、甘い評価をする人)やアイテムごとの平均的な評価を考慮します。これにより、個人差やアイテムの人気度をより正確にモデル化できます。
暗黙的フィードバックへの対応
星評価ではなく、クリック履歴や視聴履歴などの「見た/見ていない」という二値データにも適用できます。明示的な評価がない場合でも推薦が可能になります。
まとめ
行列分解は、協調フィルタリングの強力な手法であり、ユーザーとアイテムの複雑な関係を潜在因子という低次元空間で表現します。シンプルながら効果的で、多くの実用システムの基礎となっています。
基本的な仕組みを理解すれば、様々な拡張や応用が可能になりますので、ぜひ実際に実装してみてください。